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6章 コエンザ軍の敗北、そして―


 ――その日、タケオを目にしたタケダ商会の人間は、そのあまりの異様な雰囲気に挨拶をすることすら儘ならなかったという。


 タケオがテオドルスの下よりタケダ商会に戻った時、顔こそ無表情であったが、その瞳の奥には爛々とした光があった。

 それは、一つの決意をもって邁進する覚悟の形相である。


「教皇ランディエゴの特徴は」


 執務室にてタケオがミリアに尋ねた。

 その表情、その質問。

 ミリアはタケオの胸のうちを悟った。

 二人にはそれだけの深い繋がりがあったのである。


「お待ちください」


 ミリアは一枚の資料を取り出した。

 頭にはしっかりと教皇の情報が入っているが、万が一があってはならない。


「銀色の髪、黒い瞳、白い肌――」


 ミリアは教皇の容姿や服装について語り、さらにその話は教皇の周囲を常に守護する近衛兵――聖光騎士団の話にまで及んだ。


 その全てを聞き終えると、タケオは私室へと向かった。

 私室にてゴルドバの剣を手に取り、黒い水溜まりを喚び出す。

 向かう先は王都のタケダ商会支店となっている屋敷である。


「ご武運を」


 ただ一人執務室にいたミリアが呟いた祈りの言葉。

 それは、別室にて黒い水溜まりがタケオを飲み込んだのと同時であった。


 タケオが黒い水溜まりを潜ると、そこは埃で白くなった部屋である。

 転移専用の部屋となっており、使用人には立ち入りを禁じているため、この汚ならしい状況も当然といえよう。


 タケオは鍵を開けて廊下に出る。

 すると、屋敷は誰もいない空き家のような物静かさであった。


「誰か、誰かいないか!」


 声を上げると、パタパタと廊下をかけてくる音が聞こえてくる。


「こ、これは、タケオ様。いつこちらに」


 この屋敷の管理を任せている老年の男であった。


「他には誰もいないのか」


 転移のことは秘密であるため、男の質問にはタケオは答えない。


「は、はい、ウジワール軍が攻めてくるとのことで、皆、家に帰しました。申し訳ありません」


 タケオの質問に、男は咎められるのを恐れるように答え、謝った。


「いや、いい。その判断は間違っていない。

 それよりも今、何が起こっているか。

 知っている範囲でいいから、教えてくれ」


 その発言は、男を一瞬キョトンとさせた。

 しかし男はすぐに、「わかりました」と言って、王都の現況を話し始める。


 曰く、ゲンメルスという将軍が二万の兵を率いて出陣したということ。

 街は厳戒体制が敷かれ、市民は外に出ることを制限され、警邏の者が見回っていること。

 その他、ウジワールが街に入ってきた際には、ウジワール教旗を掲げて被害が出ないようにするだとか、使用人達の誰それは既にコエンザから脱したなど、あまり関係のない話題になったところで、タケオが話を打ち切った。


 タケオは最後に、「ウジワールが来た時は、屋敷の物は全てくれてやっても構わん。自分の命を最優先にしろ」とだけ男に伝え、屋敷を出た。

 そして、そのまま警邏の者に見つからぬよう、ひっそりと大通りの路地裏まで行き、民家の屋根に登る。


(後は教皇が来るのを待つだけだ)


 タケオは屋根から突き出た煙突の影に隠れ、息を潜めた。


 何故教皇を待つのか。


 ――教皇の暗殺である。


 邪悪な教皇によって戦争が起こされるのなら、その教皇を取り除けばいい。

 それこそがタケオの考えた、最も効率的な被害の少ない最善の一手だったのだ。


(コエンザ軍が勝てばよし、負ければ、僕がここで教皇を討つ)


 タケオは静かに時が来るのを待った。




 それから数時間の後のこと。


「伝令! 伝令!!」


 警邏を遠ざけるため、己の任を叫びながら馬を駆るコエンザの伝令兵。


 タケオはそれを煙突の影から眺めながら、コエンザ軍は負けたのかと思った。

 勝ったならば、大喜びで勝利を街中に伝えながら馬を駆るはずである。


 ――時は近い。


 タケオは体の関節を回し、次いで筋肉をほぐす。

 準備は万端であった。


 やがて地鳴りのような足音が聞こえてくる。

 それはどんどん近づいてきて、耳をつんざくような轟音へと変わった。


(やはり亜人の奴隷兵か……)


 頭を覗かせて、ちらりとその軍容を確認するタケオ。

 目に映ったのは、大通りをひた走る、人ではない者達の集団であった。

 一様に揃えられた装備に身を包み、その首輪には奴隷の首輪が填められている。


 タケオは冷静に狙うべき者を捜す。

 亜人達の先頭に人間が一人だけいたが、黒い髪だったので教皇ではない。


 首輪をしてないところを見るに、あの奴隷兵を指揮している者なのだろうか。

 だとすれば、この奴隷兵の中に教皇はおらず、おそらくは後陣よりやってくる本隊――その中にこそ教皇はいるのであろう。


(このままいけば、王は討たれるかもしれないな)


 タケオは城へと向かう奴隷兵を見送った。

 心苦しいことではあるが、何も手助けはできない。


 ここで騒ぎを起こせば、警戒されるかもしれないからだ。

 城での防衛戦に参加すれば、教皇を暗殺する機を逸するかもしれないからだ。


(いや、むしろ――)


 ここで王が殺された方が、教皇に油断が生じるのではないか。


 そんな無情とさえ思える考えが、タケオにはあった。



◆◇


「ゲンメンスが敗れたと申すかッッ!!」


 コエンザ城は玉座の間に、轟くような怒声が響いた。

 玉座より立ち上がり叫んだのはコエンザ王である。


「現在、敵軍は王都に進軍中! 間もなくに王都に侵入するものと思われます!」


「なんたることだ……」


 伝令兵のさらなる報告を聞き、先程の怒りはどこへやら、コエンザ王は力なく腰を落とした。


「国王」


 王の前に立ち並ぶ諸官らの中から一歩進みたるは、内務を司る大臣である。


「……申してみよ」


「思いますに、この際、ウジワール教国に降伏なさってはいかがでしょうか」


 途端、臣下の一人――近衛騎士団長が火を吐くような勢いで叫ぶ。


「戯れ言を! 貴様、陛下を売るつもりか!」


 近衛騎士団長は、大臣の言が自らの保身のためのものだと判断したのである。

 すると大臣はやれやれとため息を吐いた。


「我が軍の二万は敵軍の僅か三千の兵に敗れたんですよ? それも正面から。

 今、城にいるのは近衛騎士団の二千のみ。

 対して相手側は後方より正規軍までもが迫っているのです。

 もはや、こちらに勝ち目がないのは明白でしょう。

 それとも、まさか国王に戦って死ねとでもおっしゃるつもりですか、あなたは」


「うっ……」


 一息に放たれた大臣の論説に、なにも言い返せない近衛騎士団長。

 大臣の攻勢は止まらない。


「そもそも、王を始め我が国の者は皆ウジワール教信徒。

 教皇が我らをないがしろにするわけはありません」


「ならばなぜ有無も言わさず、この国に攻め込んだのだ!

 それこそ、我らをないがしろにしている証ではないか!」


「では、言い直しましょうか。

 勝てぬとわかった今、変わらずに反抗の意思を見せれば、教皇のこちらに対する心証は悪くなるばかりです。

 これ以上、立場を悪くしないためにも降伏をするべきです」


「貴様……っ!」


 大臣の言葉の節々から感じる保身への劣情。

 しかし、そのどれもが正しくもあり、近衛騎士団長は憎々しげに大臣を睨み付けることしかできなかった。


 ざわつく諸官達の心も大臣側に傾きつつあった。

 それは、この場に武官が僅かしか残っていなかったから――というわけではないようである。


「――もうよい」


 コエンザ王が、大臣と近衛騎士団長の論戦を止める。

 大臣と近衛騎士団長を含む全ての諸官は、身を正して王を注視し、その声に耳を傾けた。


「もうよい、もうよいのだ。

 勝敗は決した、潔く余は降伏を――」


「お待ちください」


 その時である。

 王の弁舌を不敬にも止める声は列中の端も端、一番端から聞こえてきた。


 ――如何なる不埒者かっ!


 諸官らが、親の仇でも見るようにして振り向く。


「む、……ベントか」


 王が不埒者の顔を見て、その名を呼んだ。

 なんと不埒者の正体は、ベント商会会長ベントその人であった。


「はっ、我が君におかれましては、この愚名をご記憶に留めていただけていること、私、まさに震えるほどの喜びにございまする」


 まだまだ娯楽の少ない世界である。

 金や権力を持つ者の多くは何らかの骨董趣味を持ち、コエンザ王もご多分に漏れず、種類に拘りのない収集癖を持っていた。

 それゆえに珍しい品を献上する商人ベントは、王の覚えめでたい者の一人であった。


「商人風情がなぜここにいる!」


 怒った風に叱責の言葉を発したのは大臣である。

 先程は涼やかな態度で近衛騎士団長を手玉にとっていた大臣であったが、今その様子は影も形もない。


 これまでに大臣は、国の利権に関して幾度もベントに煮え湯を飲ませられている。

 そのため、ここでベントが口を出したことに、大臣は嫌な予感を感じさせずにはいられなかったのだ。


 また、ベントに煮え湯を飲まされた者は他にも多数おり、武官以外の大体の者はベントへの罵りの言葉を口にしていた。

 しかし、それをコエンザ王が止める。


「よい、なんだ申せ」


 王が発言の許可を下すと、シンと静まり返った中、ベントは恭しく礼をしてから言った。


「ここはアルカトに落ち延びてはいかがでしょうか」


 アルカト――かつて難攻不落の要塞であった都市の名である。


「む……アルカトか。

 しかし、アルカトを放棄して数百年にもなる。

 今では廃れておるだろうよ」


 コエンザ王はベントの献策をあっさりと否定した。


 王都についてならばともかくも、地方のことについて隅々まで知る王ではない。

 地方のことは地方の領主に任せるのが昔からの習わしである。

 アルカトもその例に漏れず、王の中ではいまだ捨てられた地という認識であった。


「アルカトはカシス侯爵の手により既に復旧がなされております。

 現在はある商人が中心となり、亜人を含めた何百にも及ぶ奴隷達が、そこで作物を作って暮らしています」


「亜人の奴隷こそが此度の乱の核心!

 お前のいっていることが確かならば、それこそ渦中に飛び込むようなものではないか!」


 アルカトを語るベントに対し、烈火のごとく意見したのは、やはり先程の大臣であった。

 このままでは、降伏するという話が水泡に帰してしまうのではないか。

 そんな焦燥感に囚われてのことである。


「生憎と、その地では首輪なぞつけてはおりません。

 また亜人達は、奴隷でありながらも、何不自由なく穏やかに暮らしております」


「それはおかしい。

 私もその都市の話は聞いたことがあるが、生きては出られぬ奴隷の墓場であるとのことだったぞ」


 次に異を唱えたのは近衛騎士団長であった。


 ――アルカトとはなんであるか。


 そう問われたのならば、南に住む者は誰もがこう答える。


 ――奴隷の墓場である、と。


 これが世間の常識であったのだ。

 しかし、ベントは人好きのするような笑顔を浮かべて言う。


「それは世間を誤魔化す建前ですよ。

 奴隷……それも亜人が人と同じ暮らしをしていて、いい顔をする者はいませんからな」


「ふん、アルカトなど眉唾な話ではあるが、そこに籠ってどうするというのだ。

 いや、そもそもその地に辿り着ける保証もあるまい。

 それならばいっそ今すぐに投降して、教皇に助命を嘆願するのが最善手ではないか」


 いつの間にか冷静さを取り戻した大臣であった。

 その態度は居丈高で、顔には勝利を確信したようなどや顔を浮かべている。


「アルカトに籠り、地方や他国と連携するのです。そのため、今は時間を稼ぐことが肝要かと。

 また、アルカトまでの道中、馬車を各所に手配するよう指示を出しました。

 如何に獣人の足といえど、全速で走り続ける馬には追い付けないでしょう。

 それに、です。教皇が王陛下の御命を助けますかな?」


「なに?」


 ベントの落とした爆弾に大臣は片眉を上げた。


「大陸全土を睨んだ明らかな野心。

 反乱の種となりえる王の存命を、教皇が許すとは思えませんな」


 これには大臣も、先程まで冷やしていた頭を一瞬にしてグツグツに沸騰させる。


「なんの根拠があって申すか!」


「なんの根拠もありません。

 ただ言えますのは、いきなりのこの動乱、そして奴隷の首輪の真の意。

 それだけで大陸中の者への裏切りです。

 もはやウジワール教国を信用する国はいないでしょう。

 そうなることがわかっていながら起こした乱は、やはり大陸の制覇が目的ではないでしょうか。

 そんな中で、内から食い破られるかもしれぬ王陛下を生かしておくとお思いか?」


「王の存命を条件に諸侯を動かすことも可能であろう!」


「それこそ、諸侯自身を人質にすれば済むこと。剣すら交えずに領地を明け渡した西の諸侯らをお忘れか。

 教皇にとって恐れるのは、諸侯が、民が、国が、一つにまとまることなのです。

 そして、それらをまとめることができるのは、王陛下を除いて他にありません」


「詭弁だ!」


「そうかもしれません。……あとは我が王のご意思のままに」


 言いたいことだけを言って、黙ってしまったベント。

 ざわつく諸官達の心はいずこにあるか。

 玉座の間では大臣がただ歯噛みするばかりであった。


「ベルスニア帝は討たれたのであったな」


 王のその言葉に誰もが黙りこくった。

 その一言だけで、王の真意が読めてしまったのだ。

 そんな中、唯一、先程の大臣のみが意見する。


「それは皇帝の僭称が原因に違いありません!」


 しかし、その訴えもむなしく、コエンザ王は皆に告げた。


「よい、余はこれよりアルカトへ行く」


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