6章 ウジワール軍対コエンザ軍
タケダ商会に戻ったタケオは、ミリアに「ウジワール教国が攻めてきた」とだけ伝え、すぐにカシス領主の下へ向かった。
テオドルスが忙しそうに書類の束を処理している執務室。そこでタケオはただ一言、「はじまりました」とだけ口にする。
するとテオドルスは手を止めて、重い口取りで話し始めた。
「……牢に閉じ込めていた奴隷が突然、苦しみ始めた。
ずっとうずくまったままでな、兵が仕方なく牢を開けると、その奴隷は飛びかかってきたそうだ。
そう、全ては演技だったのだ」
やはりか、とタケオは思った。
タケオが目にした奴隷もまた、知恵を働かせていたのだ。
「牢兵には実力者を当てていたから、すぐさま事は収まった。
しかし、これは恐ろしいことだ。
考える死兵。要は己の命を最大限に使いきる兵なのだからな」
観察者のように語るテオドルス。
このような態度をテオドルスがとれるのは、幸いにもカシスは奴隷の首輪の影響を受けていないからである。
テオドルスは、ウジワール教国のベルスニア侵攻に際して、直ちに住人に首輪の解除を強制させていた。
先程の話に出てきた、首輪をつけた奴隷については、試験的に牢に閉じ込めていたものである。
「……コエンザ王は無事でしょうか」
「問題あるまい。
ウジワールの凶行が知れた時点で、俺の送った書簡が効果を発揮するだろうよ」
「他の諸侯は……」
「さあな。
しかしベルスニアと隣接する地については、危ないかもしれんな」
王石の効果が及ぼす距離はわからない。
ウジワール教国がベルスニアの奴隷を支配下に置いた際に、コエンザの幾つかの地域の奴隷も支配下に置き、既に領主を人質にしていた可能性も否定できないのだ。
「それでカシスはどうなさるのですか」
「王軍次第だな。
ウジワール教国軍は真っ直ぐに王都を突くだろう。
さらに人質を取られ敵に寝返った領軍も王都を狙う。
これに王軍が耐えられれば、まだ無事な諸侯達が動き出し、王軍と連携して、ウジワール軍との戦いにもある程度の勝ち目が見えてくるはずだ」
「では緒戦で王軍が敗れた場合には……」
「白旗をあげるしかなかろう。王がいなくなれば戦う意味もない」
「それでは……」
最悪の結末を予想しつつ、それが間違いであってくれと願うような気持ちでタケオは尋ねる。
しかし、テオドルスは冷酷にその言葉を発した。
「ああ、人以外の種族は見捨てる」
「そんな……」
タケオの口からは悲嘆の声が漏れた。
ウジワール教国の占領した地での蛮行。
それは人間を除いた種族の奴隷兵化である。
人間の恩人であり友であったはずのエルフですら、その例外ではなかった。
そしてもし、ウジワール教国が大陸を制覇したならば、奴隷達はどうなるのか。
答えは簡単だ。
死ぬまで支配され続けるか、殺されるか。
「俺はカシス領主として最善を尽くさねばならん。
大を生かすために、小を切り捨てるなど当たり前のことだ。
お前も身の振り方をよく考えておくがいい」
ジル、ラコ、ミリア。
タケオの大切な家族の姿が胸中をかすめる。
しかし、それだけではない。
タケオのタケダ商会に勤める者や、アルカトに住まう者達の姿もまた脳裏によぎった。
家族だけならば、共に逃げても暮らしていける。
だが、タケダ商会が抱える数多の他種族はどうなるのか。
アルカトに住む亜人の笑顔をタケオは知っている。
商会で働くエルフの笑顔をタケオは知っている。
家族とタケダ商会に関わる者達。
その二つを天秤にかけることなど、身内を大切に思うタケオにできるはずもなかった。
「さて、もういいだろう。こちらも、やらねばならぬことが山ほどあるのだ」
さっさと出てけと言わんばかりに、シッシッと手を振るテオドルス。
タケオはぐるぐると回る頭を抱えて、部屋を出た。
そして城の中を歩きながら、ひたすらに考える。
どうする、どうすればいい。
何故こんな目に。
突然、身も知らぬ場所に送られ、助けてくれた恩人は死に、元の世界に帰ったと思ったらそこに居場所はなかった。
だからこの世界で居場所をつくった。
大切なものができた。
だというのに、妹が行方不明となり、そして今、この居場所すら壊されようとしている。
タケオは頭の中が、いや身体中が何もかもがぐちゃぐちゃに混じり合うようであった。
「神様は何故こんなことを……」
そして、遂には見たこともない偶像の存在へ恨みごとをいう始末。
天に何を言っても意味はないとわかっている。
だが、この惨憺たる現状に、言わずにいられなかったのだ。
「……いや、まだ王軍が敗けると決まったわけじゃない」
今まで数々の困難を乗り越えてきたタケオである。
さすがと言うべきか、城を出て、タケダ商会への道半ばのところでは、もう自らを取り戻していた。
(自棄になるな、そんな暇はないはずだ……)
時間は有限。
事ここに至っては、何か行動を起こすための時間は宝石よりも高価である。
老婦人の屋敷で起きた災事のように、紙一重の差で天国にも地獄にもなりえるのだ。
だからこそタケオは、頭を無理矢理に冷やして今なにをすべきかを考える。
(転移術を活かして王都に跳び、状況を知るべきか。
それとも――)
タケオの心は冷静であろうとしていたが、魔力の源ともいうべき魂は粛然と燃え始めていた。
◆◇
――コエンザ王国は王都。
そこにはまず王城があり、その王城の周りを城壁が囲い、さらにその城壁を囲うように街があった。
そう、街は城壁に守られていないのだ。
これは王都がコエンザ王国の領土のほぼ中央に位置していたため、他国からの脅威が身近になかったことに起因する。
いうなれば、王都の周囲を固める諸侯の領地こそが城壁であった。
しかし、西のベルスニアより侵攻してきたウジワール軍は、王都までにある領地を一戦も交えることなく通り抜けた。
それすなわち裏切りである。
領主が人質に捕られたなどという事情があったとしても、王に弓引く理由にはならない。
そしてウジワール軍は王都へと迫った。
コエンザ王国側は街を盾にすることはできず、ウジワール軍を迎撃する形になる。
「ゲンメルス! 貴様に大将軍に任命する! 我が精鋭二万を率いて敵を迎え撃てっ!」
「はっ! 謹んで拝命致します! 見事、賊徒共を討ち滅ぼしてみせましょう!」
玉座の間にて諸将が立ち並ぶ中、一人前に出てコエンザ王より大将軍の任を受けるのは、巨大な体躯をした壮年の男。
名をゲンメンスといい、王家の血を引いた、公爵の位を戴く者である。
その武は軍随一。
若き頃より武に秀で、家督を次ぐまでは自らを鍛えるために探索者となり、遺跡に潜っていたほどの武者ぶりであった。
兵法にも明るく、軍戦においては知勇兼備、まさに誰もが認める大将軍であるといえよう。
その後、軍権を得たゲンメルスは、直ぐ様二万の兵をウジワール軍と王都を結ぶ直線上の位置に展開する。
王都の周囲は平野が広がっており、策謀を巡らす地形はない。
そのためゲンメルスは、この戦いが将の指揮によって勝敗を決すると考えた。
オッ! オッ! オッ! という天地を震動するような鬨の声が、コエンザ軍全体から上がっている。
その士気は凄まじく、烈々たるものであった。
これには、移動式の物見櫓に乗り込んでいたゲンメルスも満足気だ。
「先鋒は亜人兵三千……ふっ、鬨の声も上げず操られるまま進むのみ、恐ろしいのう」
ゲンメルスは彼方より迫る敵軍を眺めながら、おどけるように呟いた。
「ふむ、陣形は魚鱗の構えか」
魚鱗とは三角の隊形を取り、その一角を敵に向けた陣である。
突貫力に優れ、その先端は敵を貫きせしめるためのものだ。
「前列、第一部隊は横陣!
敵の正面に当たるものは矢を射ち尽くせ! 両翼は合図を待ち、敵を囲いこんで殺せ!
後列、第二部隊は方陣! 決して抜かれるな!」
横一列に並ばせた陣――横陣と、その後ろに四角く堅い陣――方陣を敷くゲンメルス。
そして敵軍は馬よりも速くやってきた。
「射てえ!」
第一部隊から部隊長達の叫び声を合図に、空を埋め尽くすほどの無数の矢が亜人の軍団へと浴びせられる。
ところが、そんな矢の雨をものともせずに、亜人の軍団はコエンザ軍へと殺到した。
「今だ! やれぇっ!」
今度は第一部隊の両翼が動き出した。
第一部隊の横一列の陣が真ん中から折れて二辺となり、ウジワール軍を左右より襲うのだ。
これに対しても亜人兵は、黙然とひたすら真っ直ぐに突き進んだ。
そして、ものの見事に囲まれた壁を突き破った。
「さすがは亜人よ、大したものだ」
既に大地に降り立っていたゲンメルスは、物見兵より伝えられた戦況を耳にして、亜人の強さに感嘆した。
されど、これは予想済み。
後列にて方陣をとる第二部隊を、決して抜かれぬ盾として、四方八方から第一部隊が亜人達を襲うのだ。
「長槍構え!」
四角の密集体形である方陣。その前面を指揮する部隊長が命令する。
すると前面にいた兵達が盾を構え、さらに盾の隙間より無数の槍を突きだし槍襖をつくった。
そこに物凄い勢いで突撃する亜人の集団。
その時、槍を亜人達に向けていた、あるコエンザ兵は思った。
――違う、亜人ではない、と。
亜人の軍団がとっている三角の陣形のその先頭。
そこにいたのは、一人の人間であった。
だからなんだというのだ、結果は変わらない。
亜人もろとも串刺しとなり、ここで息絶えるのだ。
兵士は先の未来を思って、槍を握る手に力を込めた。
――しかし。
「――え?」
次の瞬間には、兵士の槍とその肉体は、真っ二つに切り裂かれていた。
「ハーハッハッハッ!」
男は笑っていた。
そして、目の前に塞がることごとくを蹂躙していった。
「ヨエエー! 弱スギンゾ糞共ォ!」
血飛沫が舞う。
人の腕が、胴が、頭が空を飛んだ。
そして、先頭の男が一角を突き破ると、その穴から洪水のように亜人達が流れ入る。
阿鼻叫喚であった。
亜人の軍団は、剣で斬られようが槍で刺されようが、動きを止めずに向かってくるのだ。
それはコエンザ兵達に、亜人達が決して死なぬ地獄の使いなのではないかと錯覚させた。
蹂躙されるだけのコエンザ軍からは死体の山が築かれ、上がるのは悲鳴ばかり、文字通りそこは地獄絵図となっていったのである。
「悲鳴が近づいてくる」
方陣の最後尾にいたゲンメルスの背が、ざわりと波打った。
ゲンメルスが感じる、いい知れぬもの。
それは恐怖であったかもしれない。
だが、ゲンメルスは怯まない。
どんな負の感情よりも、将軍としての意志と覚悟の方が遥かに勝っていたのだ。
「死に物狂いで敵に向かえ! 我らが後ろは王都しかないぞ!」
もう誰の心にも響かないゲンメルスの叱咤。
いや、そうではない。
それはゲンメルス自身への叱咤であった。
既に王軍の敗北は確定的である。
すぐにでも亜人の軍団は、方陣をズタズタに斬り裂いてゲンメルスの前に現れることだろう。
しかし、ゲンメルスに後悔はなかった。
頭の中であらゆる手だてを巡らしてみたが、やはり結果は変わらなかったからだ。
ならば最後は己の武に全てを賭けるのみ。
ゲルメンスは傍らの大剣を手にした。
それは槍のように長く、斧のように太い剣であった。
やがて王軍の全てを抜けてゲンメルスの目前に現れたのは、全身を真っ赤に染め上げた人間である。
「ン? オ前ガ、大将カ?」
訛った声で喋るその男は、まだ少年といって差し支えないほどに若かった。
「そうだ。そういうお前も大将で間違いないな?」
「マア、ソウナルナ」
勝機。
目の前の男を倒せば、まだ勝機がある。
ゲンメルスは獰猛な笑みを浮かべ、剣をより強く握った。
興奮からか、心臓から動脈へ血液が勢いよく流れ込む。
するとゲンメルスの筋肉が膨んで、その巨大な身体はさらに一回り大きくなる。
その姿は、もはや人なのか獣人なのか区別がつかないほど。
鎧の下では、筋肉によって押し上げられた静脈が、ゲンメルスの肉体をミミズのようにのたうち回っていた。
そして、この瞬間にもゲンメルスを守護していた兵が、男へと向かい瞬く間に斬り伏せられていく。
その間隙を縫って――
「ならば、死ねぃッ!」
――ゲルメンスの両手にもった大剣が男を襲った。
ゴウッという暴風のような音と共に放たれた渾身の一撃。
男の持つ剣と、ゲンメンスの持つ大剣とでは圧倒的に間合いが違う。
そして、ゲンメンスの振るう剣の剣速は常人を凌駕していた。
幼き日より、肉体と魔力をもって武を極限まで鍛えてきたのだ。
筋力と魔力と技術、それらが一つとなった豪剣。
亜人すらも及ばない武がゲンメンスにはあった。
――それなのに。
「オセエ」
ほんの一瞬。
瞬きすらも許さない僅かな間に、男はゲンメンスの懐に入り込んでいた。
そしてゲンメンスの首には一筋の赤い線が走っていたのである。