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6章 争乱の気配

「そんなことが……」


 全てを聞き終えたミリアは驚嘆の声を漏らした。

 カートスの話は、まさに心胆寒からしめるほどの内容であったのだ。


(意識を支配する。

 あの首輪にそんな効果があったなんて……)


 息を飲んだミリアが、そっと自分の首を撫でる。

 すると全身が凍りつくような恐怖がミリアを襲った。


「それゆえ、大至急カシス領主様に事の次第を訴えていただき、カシス領主様からは国王様へと上申願いたいのです」


 カートスの言う通り、確かに大至急という案件である。

 一分一秒の差で、諸国の奴隷がウジワール教会の支配下に落ちかねないのだから。


 しかし、ミリアには疑問があった。


(確かに私は信じたが、カシス領主が信じるだろうか……?

 もし、カシス領主が信じたとしても、国王がひいては貴族や商人達が信じるだろうか……?)


 カートスより伝えられたことは、途方もない話すぎるのだ。

 一商人が語るにはあまりにも壮大。

 これまでのウジワール教の功績を考えたならば、間違いなく与太話としか受け取ってもらえないだろう。


(……どうする。

 そもそも、なぜ私はこの話を無条件で信じているのだ)


 エルフであり、ウジワール教への信仰が薄いからか。

 奴隷であった事実が、奴隷産業を体系化したウジワール教会に不信感を抱かせているからか。

 そこまで考えて、ミリアは小さく首を振り、それらの思考の一切を排除した。


 とにもかくにも、まずは真偽を確かめるのが先であろうとミリアは結論づけたのだ。

 ウジワール教国、ベルスニア皇国の情報を集め、その動向に注視し真実を見定める。

 これがミリアの考える、タケダ商会の今できることの最善であった。


「わかりました。

 商会長は今日中に戻ってきますので、戻り次第、話をさせていただきます」


「今すぐに、カシス領主様の下へのお目通りは……っ!」


「それはできません。こちらの信用にも関わります」


「ぐっ……」


「こちらで部屋を用意しましょう。カートス殿は、そこで暫しお休みになられるとよいでしょう」


「……わかりました」


 疲れているのだろう。

 面談が終わったことで覇気の一切がなくなり、カートスはまるで生気が抜け落ちた老人のようである。

 そんなカートスを、メイドが肩を貸して部屋から連れ出した。


 来客室にはミリアだけが残される。

 ミリアは、机の上にまだ残っていた己の紅茶を静かに飲み干すと、虚空を眺めて一人呟いた。


「さて、戻られるのはいつ頃かしら」


 ――タケオ・タケダは今日も妹を探して大陸中を巡っている。




 タケオがタケダ商会に帰ってきたのは、その日の夜のことであった。

 現在、タケオ自身が不明になった妹を捜索する範囲は、コエンザ王国から大陸へと変わり、自らの足で知らぬ街へと行けば、転移術でタケダ商会に帰ってくるという日々を過ごしていた。


 そんなタケオが、疲れた様子でタケダ商会の執務室の戸を開けると、ミリアからは恐ろしい計画の全容を聞かされた。

 ちなみにカートスは、ずっと客室で寝かしたままだ。


「新しい教皇については」


 タケオは体を休めるよう、己の席に深く腰を下ろして、ミリアに尋ねる。


「名前をランディエゴ。

 容姿端麗、品行方正、清廉潔白にして慈愛に満ちた方であると。ただし、表に姿を見せたことはほとんどありません」


 それはつまり、教皇ランディエゴの評判は作られたものであるということだ。

 ミリアが言葉を続ける。


「他の皇位継承権をもっていた方は皆不幸に見舞われています。

 ランディエゴ様のみが、ただ一人ご健在であられ、結果的に教皇の座に」


 ランディエゴもしくはそれに連なる者が、他の皇位継承者を暗殺した、と考えるのが自然である。

 タケオは、ふむ、と考えながら、机の上の手紙を見た。

 カートスがただ一枚、学校長より持たされたもの。

 それは、カートスに全てを託すとした、学校長の血判である。

 具体的なことが何も書いていないのは、カートスのためを思ってのことである。


 かつては前教皇の傍に遣えていた学校長。

 何を思ってか、野に下り小さな教会と孤児院を運営していた。


 それでもなお学校長が司祭長の位にあったのは、教皇となんらかの深い縁があったからであろう。


 そんな学校長をタケオは勧誘した。

 人と亜人が学ぶカシス全民校には、うってつけの人材であったからだ。


 そして学校が開校して以降、学校長の校長ぶりは、確かなものであった。

 これまでに種の違いによる目立った問題は起きておらず、教師陣にタケオが示した方針を徹底させていたことが窺える。

 まさに信頼に値する人物。


 かつてタケオが食事に誘った際、学校長は言っていた。


 ウジワール教会の成り立ちに幻滅したと。

 今のあり方も間違っていると。

 建前ではなく、ウジワール教を本当に平和を愛する教えにしたいと。


『人間もエルフも獣人もドワーフも、皆が共に笑いあうことができる世界。

 儂はそんな世界を目指したいのです』


 タケオは目を閉じて、今も胸に残るその言葉を今一度反芻する。


「信じよう。

 学校長は信用に値する人物である。その学校長の信頼篤き者の言を、どうして無下にできようか」

 再び目を開けたとき、タケオの顔には一点の曇りもなかった。


「しかし、具体的にはどうするのですか」


「奴隷は別に首輪を外さなくとも、一時的に牢にでも監禁しておけば問題ないだろう。

 無論、外すに越したことはないが。

 あとはその命を王が下すように、カシス領主に取り計らってもらうしかあるまい。

 こちらからも縁のある者については、事情を説明しにいこう」


「わかりました」


 こうしてタケダ商会は動き出す。

 タケオには妹のこともあったが、コエンザ王国になにかあればタケダ商会も無事ではいられない。それは、妹の捜索活動を根底から崩すものだ。


 加えて、奴隷商としても扱ってきた奴隷には責任がある。

 売った奴隷が猛毒であったとなれば、顧客達に申し訳がたたないし、その奴隷に対しても心が痛む。


 タケオはこの火急の事態を伝えるため、直ちにカシス領主の城へと向かった。


 その間に、ミリアはタケダ商会に属する人員に非常呼集をかける。

 さらに金銭と取引相手の資料を用意し、いつでも行動できる準備を整えていくのであった。




 城へと赴いたタケオは、応接室へと通される。

 その正面には城の主であるテオドルスが座り、タケオはカートスにより伝えられた事を話した。


 そして、全てを聞き終わったテオドルスより放たれた言葉は――


「無理だな」


 ――これだった。


 テオドルスは、王への上申要請をバッサリと斬って捨てたのだ。

 これにタケオは、なぜですか、と問い質す。

 するとテオドルスは、机の上のワイングラスを手に取って、その中身を一口含んだ。

 そして、ゆっくりとした様子で話し出した。


「よいか。

 ウジワール教会による奴隷制度はかれこれ何百年と続いており、その中で人品の卑しい者が教皇の位についたことは幾度もある。

 ――にもかかわらず、奴隷の首輪の異変など聞いたことがない。

 ウジワール教国が、今の小国になった原因である内乱においてですら、だ」


 確かにその通りである。

 教皇の座を争う内乱に際してまで、王石を持つ者はその力を使わないだろうか。

 その問いに対するタケオの考えは否であった。

 結果、ウジワール教国は小国にまで落ちぶれているのだから、王石などという眉唾な存在を疑うのは当然である。


「王も、貴族も、信じるはずがあるまいよ。

 指を差されて笑われるのがオチだ」


 自分が笑われるところを想像したのか、テオドルスはフンと鼻を鳴らして、またもワイングラスに口をつける。


「まあ、西のベルスニア次第だろうな。

 あそこで動乱が起きたならば、王を説き伏すくらいはしてやってもいいが……ふむ」


 テオドルスはそこで言葉を止め、考え込む。

 どうかしたのかと、タケオが怪訝な顔つきでテオドルスを見つめた。


「いやなに、仮に、だ。

 ウジワール教存続の危機にしか使わぬというのを義理堅く守っていたとして、本当に奴隷の首輪にそんな効果があったとしよう。

 西のベルスニアの動乱が起きてからでは、あまりに遅すぎると思ってな」


 それはどういうことか、とタケオは尋ねる。


「教皇が極秘裏に各地を回り、決起の日付を決めて命令するとしよう。

 まあ、奴隷を身近に置く貴族達には少々酷だろうな。さらに街の奴隷も蜂起したとなれば、即応体制が整っていない限りかなり厳しいんじゃないか?

 これの恐ろしいところは、何の予兆もなく計画的に乱が起きるということだ。

 街の至るところで起こる、突発的な一斉蜂起。

 普段の治安維持が全く役に立たず、未然に防ぐことはまず無理だ。

 そして奴等は真っ直ぐに領主の下へと向かう。

 屋敷の内外から攻められて、領主達は人質となり、その領兵もウジワール教の手の内になる。

 そうだな、六割くらいはこれでやられるだろう」


 何を基準に六割という数字を出したのかは、タケオにはわからなかったが、その数字は愕然とするべきものである。


「まあ逆にいえば四割は大丈夫ってことだ。

 助かる者と助からない者、この差は単純に蜂起する奴隷の数と質によるな。

 あとは奴隷に狙われる奴が貴族の矜持に殉じる奴かどうか、か」


 ――貴族の矜持。

 つまり、命に代えても人質になることを良しとしない領主だったならば、領主の命の有無にかかわらず領軍が賊を鎮圧するということだ。


「他にも単純に実力ではね除ける者や、俺のように常に実力者を侍らせる者もいるかもしれんが、それは少ないだろうな」


 テオドルスは、どこか自慢気に自らの後ろに立つ二人の騎士に目をやった。

 騎士らはその賛辞ともいえる主の行動に、なんの反応も示さない。

 賛辞は当然であるというその態度、それは自信の現れであった。


 相当な実力者なのだろう。

 タケオには一目で実力を見抜くといったことはできないが、それでも騎士達からは強者の風格とでもいうべき雰囲気を感じ取れた。


 とはいえ、今はそんなことどうでもいい話だ。

 テオドルスの、六割の領主軍が敵の手に落ちる、という話。

 事実ならば看過できないことである。

 しかし同時に、それだけではベルスニアを落とすことは難しいともタケオは考えた。


 つまり、陥落の是非は王次第。

 ベルスニアの皇帝さえ敵の手に落ちなければどうにでもなる。

 そんな期待がタケオにはあった。


「最後に皇帝だ。

 ベルスニアの皇帝は無類の女好きと聞く。後宮には首輪つきの奴隷がわんさかいるだろう。

 これはまずい。

 寝床を襲われれば、それでチェックメイト。

 そして皇帝が人質にとられたならば、国の終わりだ。

 運が悪ければ、一日にしてベルスニアがウジワール教国の手中に落ちるということだ」


 タケオの期待はあっけなく潰えた。

 下半身にだらしない権力者が、そのことで足をすくわれるのは世の常である。


「時間をかければ首輪のからくりは知れる。

 それゆえ教皇は、ベルスニアを手に入れたならすぐにコエンザを攻めるだろう」


 なぜコエンザか?

 それはコエンザ王国が、ベルスニアに隣接する国で最も大きいからだ。

 そしてベルスニアとコエンザを手中に収めれば、この大陸で最も強大な国となるのである。


「問題は王石の命令がどの距離まで及ぶのかだな。

 制御石の効果は一里以上二里未満といったところだ。

 これでも十分驚異的だが、国全体に届く距離だとすれば打つ手はないな。

 なんにせよ。情報が足りなさすぎる。

 やはり老司祭を失ったのが痛いか」


 老司祭とはベルスニアに危機を伝えにいった学校長のことだ。


「うん? 老司祭か。ふむ、老司祭のことを忘れていたな。

 其奴が捕まれば、教皇はすぐにでも戦端を開くぞ。

 居なくなった司祭は二人、どちらも我が国の司祭だ。

 それが一人しか捕まっていないとなれば……」


 その先は言われなくても、容易に想像がつく。

 同じ国の者が同時に不明となり、かつ別行動をしているのだ。

 何も企んでいないと考える方がおかしいだろう。


 そして教皇が自らの現状を鑑みれば、たとえ学校長が口を閉ざしていようとも、その目的は明らかである。


「まあ、馴染みのある者にはしかと伝えておこう。俺からの忠言であるならば、捨て置くこともあるまい。

 王にも一応、書簡を出しておく。

 しかし直接訴え出るのは無理だ。本当に乱が起こるとなれば、安易にこの地を離れるわけにもいかないからな」


 そう言って席を立つテオドルス。


「お前も、早く行動に移すがいい。時は待ってはくれぬぞ」


 その言葉を最後に、テオドルスは護衛を連れて応接室を後にする。

 タケオはテオドルスの見送った後、その場を辞し、急ぎタケダ商会へと戻った。


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