6章 三ヶ月後
日本の季節が初夏となる頃。
三ヶ月以上も前に起きた中学生集団失踪事件は解決の糸口すら見つかっておらず、連日のように騒いでいた報道も今ではすっかり鳴りを潜めつつあった。
それに伴い、世論も事件への関心を失っていき、いまだ声を大にしているのは被害者家族ばかりとなっていた。
そんな中、事態は意外なところから進展することになる。
もっともそれは日本においてではなく、異世界でのことであったが。
コエンザ王国南部に位置するカシスは、夏を迎え、その日もうだるような暑さであった。
そのためタケダ商会に勤務する警備隊は、交代時間を極力早めてよく水分を取るような体制へと移行していた。
これは警備隊に含まれる門番も同様である。
タケダ商会の衛門を守る兵達は、早く交代にならないかなと心中でぼやきながら職務に当たっていた。
とそこへ、この場に似つかわしくない風体の男が現れる。
「わ、私はカシス全民校のカートスだ……。
タケダ会長に会わせてくれ……急ぎ伝えねばならんことがある……」
フラフラとしたその男は、力ない声でタケオとの面談を願い出た。
「む、そんな不潔な格好の者を商会長に会わすわけにはいかん、出直してこい」
カートスと名乗るその男、服自体は上等そうであったが、如何せん土と泥に汚れその面影はない。
おまけに身体をどれだけ洗っていなかったのか、とてつもなく臭い。衛兵が思わず鼻を摘まみそうなほどだ。
当然そんな者は門前払いである。
すると、カートスはカッと目を見開き、先ほどまでの死に体の様子が嘘であったかのように、張り裂けんばかりの声で叫んだ。
「そんな時間はない! 一刻も早く伝えねばならんことがあるのだ! 国の大事に関わることぞ!」
国の大事とは大きく出たものである。
落ちぶれた元貴族が金をせびりに来たのかと思ったが、衛兵達は尋常ならざるものを感じていた。
すると、門の横にあった屯所から警備隊長が現れて、カートスに言う。
「カシス全民校といったな。校長以下教師の名前を言ってみろ」
その問いに、カートスはすらすらと教師陣の名前をそらんじてみせた。
警備隊長はそれを手元の紙に書き取っていく。
「暫く待て、聞いてくる。おい、椅子を用意してやれ」
カートスの述べた名を全てを書き終えると、警備隊長は身を翻す。
すると、「急いでくれ!」とカートスから急かされ、駆け足にて屋敷へと向かっていった。
やがて血相を変えた警備隊長が戻ってきて、カートスは屋敷へと案内される。
カートスは本当に、カシス全民校の教師であったのだ。
「お久しぶりですね、カートス殿」
カートスが通された来客の間にて、相対したのはミリアであった。
「どうぞ」とメイドが二人の間にある机にお茶を置く。
余程、喉が乾いていたのだろう。
目の前に置かれたお茶を、カートスは作法もわきまえずゴクゴクと一気に飲んだ。
「それで、どうしたのですか? 貴殿は学校長と共にウジワール教国にいたはずでは?」
司祭以上の位に就く者のウジワール教国への招集命令。
カシス全民校からも多くの教師がウジワール教国に召喚され、学校が一時休校となったのは今より半年ほど前のことである。
その後、教皇の崩御と新教皇が即位する旨が大陸中に伝えられ、ウジワール教国に集まった司祭らは前教皇の遺骸に別れを告げると、定められた者のみを残して元の地へと戻っていった。
定められた者とは、新教皇の戴冠の儀に参加する者のことである。
特に位の高い者が優先的に選ばれ、カシス人民校からは学校長とカートスが参加。
これが先程のミリアの発言に繋がるものとなる。
閑話休題。
ミリアに用向きを尋ねられたカートスは、手に持ったティーカップを乱暴に置いた。
その顔は鬼気迫るものであり、ミリアに由々しき事態を予感させるには十分なものであった。
「とんでもないことが起きているのです……!」
カートスは震える声で、ウジワール教国であったことを語りだした。
◆◇
ウジワール教国において、学校長とカートスは新たな教皇が即位するまでの間、その地に留まることになった。
学校長はウジワール教内において司祭長という高い位を戴いており、滞在する場所も城の中である。
一方のカートスは街の宿場に泊まっていた。
そして日々繰り返される儀礼とその準備。
新教皇の戴冠の儀は、何ヵ月にも渡って行われるのが通例である。
カートスは剣と甲冑に身を包み、列中に加わって剣を捧げた。
時には槍、時には旗をその手にもって。
そんなある日のこと、カートスはふと気づいた。
それは、身に纏う礼装が新しすぎるということ。
儀礼に使うのだから、新品が使われても不思議はない。
だが、それでもこう何日も繰り返せば、どこかに傷なりなんなりがつかないものだろうか、とカートスは思ったのだ。
金属部は兎も角も、体に括る革の部分はシワがよっても不思議ではないだろう。
しかし、考えても答えが出るわけもなし。
その疑問は心の隅へと置いておかれた。
それから幾日かの後、カートスは学校長と久しぶりに夕食を共にすることになった。
白く長い髭を蓄えた学校長から酌をされて、気分よく酒を飲むカートスである。
二人とも翌日が休みであり、酒を控えるという考えはなく、大いに酔っていた。
その酔いが気まぐれに心の隅に転がっていた、あの疑問を思い出させた。
カートスはそれを口にした。
何ら意図があったわけではない。ただ何となく、無意識的に口に出していただけだ。
すると、話を聞き終えた学校長の白眉の下にあった双眸が、段々と真剣なものとなっていく。
まるで睨み付けるかのような視線。
それはカートスに向けられたものではなかったが、酒に酔ったカートスにわかるわけもなく、カートスは大いに怯んだ。
しかし、すぐにまたいつもと変わらぬ学校長に戻り、カートスは何だったのかと不思議に思いながらも、そんな疑問は酒と共に再び心の隅に流されていった。
それからまた一週間が過ぎる。
時刻は夜。それはカートスが、今日の儀礼も疲れたな、と指定された宿でごろりとしていた時だった。
「カートス君いるか。カートス君」
コンコンと戸を叩かれた後、ボソボソと抑えた声が聞こえる。
なんだ、と思って戸を開けると、そこにいたのは学校長だった。
「あれ、校長、なんの用ですか」
気の抜けた声でカートスが言う。
しかし、そんなカートスとは対称的に、学校長の顔は非常に切迫したものが感じられた。
カートスが何事かと一瞬で顔を引き締める。
学校長は廊下を一度見回した後、なにも言わずに部屋に入ってきた。
さらに、閉めた戸には鍵もかけている。
「事態は急を擁している。しかしだからこそ落ち着いて話そう。座ってくれ」
カートスは言われるがままベッドに腰掛け、学校長はその正面に椅子を持ってきて座った。
「いいか、心して聞いてくれ」
今だかつてない学校長の真剣な目に当てられて、カートスはゴクリと喉を鳴らす。
「――ウジワール教皇は戦争を始めるつもりだ」
カートスは一瞬、ポカンと呆気にとられるも、次の瞬間には疑わしげに学校長を見つめていた。
学校長いわく、儀礼は疑惑を持たれずに武器防具を集めるための隠れ蓑なのだという。
つまり、ずっと新品同様だと思っていた装備は、まさしく毎日毎日商人から仕入れた新品であったということらしい。
いやいやまてまて、とカートスは思った。
どうにも話が飛躍しすぎているのだ。
これまでずっと平和が続いてきたこの大陸で、何故戦争なんて考えが出てくるのか。
いや、仮に戦争をするとして、どの国と事を起こすと言うのか。
ウジワール教国の隣にある二つの小国は、それこそウジワール教国の小判鮫のような国である。
もはや間接的に支配しているといっても過言ではないだろう。
じゃあ他には、と見回してみるが、残念ながらウジワール教国が勝てそうなのが、その二つの小国だけである。
すなわち最終的に行き着く答えは、『このじじい、とうとうボケたのか』ということであった。
カートスは先程までの緊張もどこへやら、息を一つ吐くと頬を緩ませる。
そして『おじいちゃん、さっきご飯は食べたでしょ』と笑いをとって、この話を早急に終わらそうとした。
なにせウジワール教は平和と勇気の宗教である。
かつて自分達を滅ぼそうとした亜人にすら、赦しを与える心優しい教え。
そんなウジワール教が戦争を起こすという佞言を、あろうことか教皇のお膝元で語るなど、誰ぞに知られれば打ち首、獄門、磔待ったなしであるからして。
ウジワール教は平和を唄いながらも、身内にはなかなか厳しいのだ。
「お主、儂がボケたとでも思っとるんじゃろ」
カートスは内心を当てられてドキリとした。
「それならばどれだけよかったか……」
「えっと、じゃあどこと戦争をするんですか?」
カートスはボケ爺に付き合う孫のような気持ちで尋ねた。
そもそもウジワール教国は圧倒的小国である。
確かにウジワール教国に住んでいる者は皆裕福ではあるが、国全体の資本を考えた時、他の大国とは天地ほどの差があった。
そう、カートスが一笑に付すだけの理由があったのだ。
だが学校長の顔は決して揺るがず、真剣も真剣、大真面目である。
「よいか……心して聞け……」
いっそう小さくなった学校長の声。しかしそれは、先程より圧力を増したように聞こえた。
その迫力に、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「奴隷の首輪には一つの細工がある。
首を絞めるなど見せかけの効果でしかないのだ。
あの首輪の本当の効果は……」
その時である。
窓の外でガタリと音がした。
「誰だ!」
普段見ることのない恐ろしい剣幕で、学校長は窓へ向かいそれを開ける。
バササッという羽の音が聞こえた。
鳥であった。
カートスは大きく息を吐く。知らぬ間に、息が詰まるほどに緊張していたのだ。
学校長がゆっくりと窓を閉めて、再び椅子に座る。
「話の続きだ」
カートスは、正直もう聞きたくなかった。どう考えてもヤバイ話である。
これまでの学校長の振る舞いから、学校長の話が年老いた爺のボケでもなんでもなく、真実だとわかってしまったのだ。
しかし、そんなカートスの思いなど知ったことではないといわんばかりに、学校長は話を続ける。
「首輪は制御石によって伸縮が制御されている。
しかしもう一つあるのだ。
制御石を無効にし、持つ者の意思を伝える石が」
「そ、それは……!?」
「その名も王石。
奴隷の首輪などでまかせにすぎん。
その本当の目的は、教皇が首輪をつけた者を自由に操ることにある」
衝撃の事実であった。
カートスは司祭の位をもっているため、当然奴隷の首輪を取扱ったことがある。
その教育も教会からしっかりと受けた。
しかし、今学校長より聞かされた事は、全く知らぬことであった。
「な、なぜ、そんなものを造ったのですか」
「詳しいことは知らん。
奴隷の首輪の存在は、人と亜人の争いの前からあったともいわれておるしな。
だが、その事実を隠していた理由は、ウジワール教会の危機に対する奥の手。
いつか現れるかもしれん、ウジワール教に敵対する国への保険だ」
馬鹿な、とカートスは思った。
奴隷をいくら集めたとて、国相手には如何様もできないだろう。
しかし、そこまで考えて、カートスはハッとした。
(奴隷を……集める……?)
違う。わざわざ集める必要はない。
奴隷を持つ者など、基本は金持ちだ。
王族、貴族、商人。
――内側から崩せばいい。
その考えに至り、カートスはゾッとした。
するとカートスの心を覗くように学校長は言う。
「気づいたか。
その通り、首輪をしている者は王石から一度命を受ければ死を恐れぬ兵になる。
エルフ、ダークエルフ、獣人。
そのどれもが人を凌駕している。そんな者達が、国を牛耳る者の目と鼻の先で刺客となるのだ」
驚くべきことである。そんなことがなされれば、確かに小国であろうとも、大国に立ち向かえるだろう。
「さしあたって、教皇はまずベルスニアを攻めるだろう。
奴隷を刺客とし、領主らを人質にしてその配下の軍を己のものとする。
無論、皇帝には死。
そうしてベルスニアを丸々手に入れるつもりなのだ」
そこまで話を聞いて、カートスはある引っ掛かりを覚えた。
そして、すぐそれに思い至って学校長に尋ねる。
「う、ウジワール教国が戦争をできることはわかりました。でも何故、戦争をするんですか」
敵対する国に対する保険だと学校長は言った。だが、その敵対する国がないのだから、戦争する必要もないはずである。
「野心じゃよ。
新教皇のあの目を見ればわかる。あの方は、自分以外の存在を愚物としてしかみておらん。
特にベルスニアの王は自らを皇帝と称し、その国を皇国と号しておる。
王の上に立つのが皇、あの教皇が自らと並び立つ存在を許しておくわけがあるまいて。
そして、ベルスニアを手にしたならば、その野心は何処までも広がっていくだろうよ」
どこか達観したように語る学校長。
しかし、カートスは認めたくない、だから学校長の話に穴がないか必死に探す。
「そ、それならば、大陸中一斉に奴隷を蜂起させた方がいいのではありませんか」
学校長は首を横に振る。
「王石には一つ欠点があってな。王石の魔力はそこまで遠くには届かんのだよ。
一度、魔力を込めて命令を下せば、たとえ王石がどこにあろうともそれを遵守し続ける。
だが、教皇が大陸全土を行脚するわけにもいくまい」
学校長はカートスが指摘した矛盾を一瞬で正してみせた。
カートスは考える。
他に何か戦争を否定するものはないか。
教皇の側に仕えている者は戦争を容認するのか。国民はどうか。
カートスは思いつく限りのことを口にするが、学校長はその全てを理をもって説明してみせた。
「……それで……私にどうしろと……」
カートスは戦争が起きることを認めざるを得なかった。
「お主はすぐさまコエンザ王国のタケダ殿の下へ向かってくれ。
彼は亜人に慈悲の心をもって接している。カシス領主とも懇意にしており、必ずや力になってくれよう」
学校長は国への伝令役をカートスに頼んだ。すると、これに対しカートスは唸った。
確かにコエンザ王国へ危機を伝えにいくのは吝かではない。母国であり、家族だっているのだ。
そもそもカートスは、ウジワール教会に属しながらも、教会よりコエンザ王国への愛国心の方が強い男であった。
しかし、タケダ商会を牛耳るタケオ・タケダ。
亜人でも通えるカシス全民校などをつくる異端者なれど、奴隷を死ぬまで働かせるという牢獄の街アルカトをつくったのも彼である。
カートスは、学校長のタケオ・タケダへの評価には首を傾けざるをえなかった。
「タケダ氏はあくまで商人。アルカトの件もあります。
こちらを手助けするどころか、逆にウジワール教会に与することも考えられるのでは?」
カートスは至極当然のように語った。
だが、それを学校長が鼻で笑う。
「儂も学校長への就任を頼まれた時に、アルカトの件を持ち出して一度は固辞した。
すると他言無用と言われてアルカトに連れていかれたよ。
そこはまるで奴隷達の楽園じゃったわ」
その時の様子を懐かしむように学校長は言った。
「よいか。奴隷とは高級な財産だ。首輪を外すことは、その財産を捨てることと等しい。
加えてウジワール教の教えは、大陸に住む人間の思想心理に根付くものだ。
タケダ会長の協力こそが唯一の鍵」
「そ、それで学校長は……?」
「儂はベルスニアにこの危機を伝えに行く」
「は? いやいや、なにか伝でもあるので?」
「いや、なにもないよ。
しかし、多くの者が犠牲になるというのに、ウジワール教徒としてなにもせず見捨てるわけにはいかんのだよ」
学校長はシワだらけの顔を、いっそうシワくちゃにして笑った。
死ぬのも覚悟の上。
この時カートスは、学校長の悲壮な決意を悟ったのである。
「馬は用意してある。
儂はベルスニアに、お主は南から遠回りをしてコエンザ王国へ向かえ。
教皇は目敏い。居なくなった者がいれば、草の根分けても探し出そうとするだろう」