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6章 プロローグ

 タケオがあちらの世界と呼ぶ異世界――ジルギスタン大陸。

 その大地には大国小国問わず多数の国々が入り雑じっており、時折国同士が小競り合いなども起こすが、とりあえず今のところは平穏であった。


 そんな大陸のおおよそ中央にはタケダ商会の本拠となっているコエンザ王国がある。

 その西にはベルスニア皇国があり、さらにその西には幾つかの小国、そして大陸は第一宗教を司るウジワール教国があった。




 ――これは、タケオ達がノースシティに里帰りする少し前の話。


「教皇様ぁぁーーーーッ!!」


 その日、ウジワール教国は教皇の住まう大宮殿にて、まるでこの世の終わりを前にしたような、悲しみの声が響いた。


 まさに今、病床にあった一つの命が燃え尽きたのである。

 しかし、それはただの人のものではない。

 消えたのは、長年に渡りウジワール教の頂点に君臨していたウジワール教皇の命の炎であった。


「あああああぁぁーーーーーーッッ!!」


 教皇が静かに眠る部屋の中で、医者や従者達が叫び狂う。

 それはもう無理矢理に教皇を死の眠りから目覚めさせようとするくらいに。


 しかし、そんな奇跡など起こりはしない。

 だから彼らは、いつまでもいつまでも叫ぶのだ。

 そしてその悲しみはすぐに宮殿中に伝わり、さらに国中に拡がり、やがては大陸中に行き渡ることだろう。


 さしあたって教皇の私室の隣――ウジワール教内において上位にいる者が控えていた部屋に、まずその悲しみの叫びは届いた。


「ふん、遂に逝ったか」


 隣の教皇の私室から悲鳴のような叫び声があがったのを聞いて、待機していた若い男がポツリと漏らした。

 その男、名前をランディエゴといった。


 ランディエゴはウジワール教皇の孫に当たる者であり、部屋にいる者の中でも、金の刺繍がなされた一等高価な法衣を羽織っているのはその証である。

 また、長い艶やかな銀の髪とそれに似合わない黒々とした眼をもちながら、その不釣り合いが逆に人々の魅了させるという、なんとも不思議な美を漂わせた者でもあった。


「皇太子殿下、慎まれよ。不敬に御座いますぞ」


 ランディエゴの不遜を、同じく控えていた老年の男がたしなめる。

 しかし、ランディエゴから返ってきたのはあげつらうような笑み。

 そして、その笑みから放たれた一言が老年の男の面を打った。


「教皇と呼べ、泥団子」


 ランディエゴのあまりにも尊大極まる物言いであった。

 老年の男は不服に思ったが、しかしそれを口に出すことはできない。


 ウジワール教皇のただ一人の息子――つまりランディエゴの父に当たる者は既に死んでいる。

 また他に孫は数多くいたものの、ランディエゴ以外の男子は全て鬼籍に入っていた。

 すなわち、ランディエゴが教皇位継承の圧倒的第一順位であり、教皇が崩御した今、ランディエゴが新たな教皇の座につくことは必定といえたのだ。


 そんなランディエゴに物申せばどうなるか。

 その人間性はいわずもがな。老年の男は仮にも司祭長の一人であり、それを愚物呼ばわりするほどの傲慢さだ。


 老年の男による当初の諌めの言葉は、亡くなった教皇への義理立て。

 そして、対するランディエゴが自らを教皇であると発したのだから、それが僣称に当たるものとはいえ、老年の男には閉口するしかなかったのである。


 しかし、口には出さなくとも心までもは偽れない。


 ――この先、ウジワール教はどうなるのか。


 そこにいた者達は誰しもが、ランディエゴの態度にウジワール教の未来を危惧していたのであった。


 その後、ウジワール教で司祭以上の役職につく者が大陸中から集められることになる。

 カシス全民校に勤める司祭位をもった教師達も例外ではなく、こうしてカシス全民校は休校に相成ったのだ。



◇◆


 ――春の訪れを知らせる三月がやってきた。


 草木は色を取り戻し、つぼみをふくらませ、ゆくゆくは綺麗な花を咲かせることだろう。

 虫達は暖かな日の光に誘われて長い眠りから目を覚まし、鳥達はそんな虫達を待ってましたといわんばかりに口に放り込んで、喜びの歌を唄っている。


 冬が明けたばかりだというのに、自然界は暖かで朗らかとした空気が漂っていた。

 

 人もまた同様である。

 決算期を迎えるサラリーマンこそ忙しそうにしているが、それ以外の者は概ね心安らかな顔をしている。

 寒い寒い冬が終わり、冷たく強ばった顔が緩んでいるともいうべきか。

 まだ肌寒さは感じられるものの、皆一様に先月よりも一割増しほどの明るさがあった。


 だというのに、どこか足取りの重い男が路上を歩いている。


 いうまでもない、それは学校帰りのタケオであった。


「今日は暖かいな……」


 ポツリと呟くと、タケオは立ち止まり空を見上げた。

 空から注ぐ春の日射しがとても眩しい。


 タケオは太陽に手をかざし、目を細めた。

 その所作はまるで老人のようにとても緩慢としている。


 そして再び前を向き、ふぅと息を吐いた。

 疲れているというわけではない、ただそんな気分だったというだけだ。


 あちらの世界では、既に居をノースシティからカシスへと戻している。

 ジルとラコは再開された学校にて勉強や武の鍛練に励み、またミリアは忙しなくタケダ商会副会長としての業務を担っていた。


 しかしタケオ自身はというと、あまりあちらの世界に行けないでいる。

 それは言うまでもなく、隣に越してきた高崎紗香に原因があった。


 タケオが止めていた足を前に出す。

 しかし、本来なら真っ直ぐマンションに向かうはずのその足は、いく先をあらぬ方へと変えていた。

 思えば、あちらの世界で売る物を仕入れなくなって久しい。

 厳密には高崎紗香が越してきてからは、一度も買い出しには行っていなかった。


 というわけでタケオは、今日はこのままマンションに戻らず、街でショッピングを楽しむことにしようというのである。

 決して高崎紗香に会いたくないとかそんなんじゃなく、本当になんとなくだ。




 やがて日が暮れた頃。

 タケオは段ボールを抱え、さらに腕には中身の詰まったビニールを幾つもぶら下げて、マンションへと帰ってきた。


「お帰りなさい、今日は遅かったですね」


 ガチャリと空いたのはタケオの住む部屋の隣にある扉、そこから現れたのはもちろん高崎紗香である。


「あ、ああ……ちょっと街の方に用事があってね」


 階段の足音は消していたはずなのに何故感づかれたのか。

 そんな疑念がタケオの脳裏に浮かぶ。

 しかし、紗香の次に発した言葉がタケオをさらに仰天させた。


「雑貨屋さんに行ってきたんですか?」


「え?」


 瞬間、タケオの背中にはゾワリと冷たいものが走った。


 ――何故彼女がそれを知っているのか。


 滅多なことでは驚かないと自負していたタケオも、この時ばかりは心臓がドクンドクンと激しく鼓動した。


 すると高崎紗香はクスクスとかわいらしく笑った。

 だがそれは、タケオの目には妖しさ満点の笑みにしか見えない。


「なんでそれを……」


 タケオはゴクリと生唾を飲み込んでから尋ねた。


「だって、ビニール袋に店の名前が書いてあるじゃないですか」


 何てことのないように答える紗香。

 タケオは極めて自然な風を装ってビニール袋に目をやると、そこには確かに店の名前が書いてあった。


 ホッと、思わず心の中で安堵の息が漏れる。

 それに併せてタケオの心臓も鼓動を緩やかにした。


「今日は鶏の唐揚げを作ったんです。すぐに持っていきますね?」


「あ、ああ……いや、え?」


 高崎紗香はタケオの返事を待たずに、自身の部屋へ戻っていった。


 何故か、タケオの部屋にご飯を持ってくるという。

 まるでそれが当たり前であるかのような会話であり、異論を述べる隙すらなかった。

 何故こうなったのか、その疑問は尽きない。


 いや、今日だけのことではない。

 いつもなにかと彼女はタケオの部屋を訪ねてくるのだ。

 それが原因で平日はあちらの世界に行けないでいる。

 タケオが部屋に帰ってきたにもかかわらず居ないとなれば、紗香が不審に思うかもしれないからだ。


 そんなことを考えながら、タケオもまた自身の部屋へと入っていく。

 そして玄関にて靴を脱ぐと同時に、そういえばと思った。


「店の名前だけで、何故彼女は雑貨屋だとわかったのだろうか……」


 高崎紗香はここに来てまだ日が浅い。それなのに何故。

 その疑問を口にして、タケオは途端に恐ろしくなった。


 いや、そんなわけはない。

 タケオは、『彼女はたまたまその店を知っていたのだ』と自分に強く言い聞かせた。


 ――すぐにやってくるであろう高崎紗香に笑顔を見せるために。





 三月も半ば、世間は卒業式ラッシュといったところであろうか。

 タケオの学校もつい先日卒業式が行われたが、式は卒業生のみで行われたため、二年生のタケオには特に関係ないことである。


 終業式を間近に控え、春休みには旅行と偽ってあちらの世界に長居しようと計画を立てているタケオは、今日も真面目に授業を受けていた。


 すると突如、ガラリと教室の戸が開かれる。

 すわ何事かと、教師及び生徒一同が一斉にそちらへと顔を向けた。

 入室してきたのは、痩せぎすの眼鏡をかけた中高年の男性――教頭であった。


 クラスがにわかにざわめき立つ。

 教頭は担任と一言二言交わすと、タケオの名を呼んだ。


「武田武雄君、電話がかかってきている。職員室まで来なさい」


 誰からの、とは言わなかった。

 そこに僅かばかりの不気味さを感じながら、タケオは「はい」と返事をして席を立つ。

 教室から出ると、背後から担任の「静かにしろ、授業を続けるぞ!」という叱咤が耳に届いた。


 タケオと教頭が二人並んで職員室へと歩く。


「あの、誰からの電話なんですか?」


 途中、タケオが教頭に尋ねた。

 すると教頭は言葉短めに言う。


「警察だ」


 とりあえず誰かの不幸ではなかったようで、タケオはホッとした。

 加えて、電話の相手が警察であるということに意識が向いた。


 タケオ自身なにか悪事を働いたという記憶はない。

 また、教頭の声が平坦であったことからも、叱られるべき用件ではないであろう。


(つまりあちら関係の話か)


 となれば電話をかけてきた相手は鮫島か、などと予想をしながら、タケオは職員室の戸を潜った。

 指示された電話の受話器を取り、教頭の伸ばした指が保留ボタンを押すと耳元で鳴っていた音楽が消える。


「もしもし、武田です」


『武雄君か、俺だ、鮫島だ』


 電話に出たのはタケオが予想していた通りの相手であった。

 しかし、だとすると何故わざわざ授業中に電話をかけてきたのか。


 もし誰かがいなくなったにしろ、タケオとしては異世界とは既に関わりあいがないという体裁をとっているし、急ぎ知らせる必要もないだろう。

 高崎紗香の件もあり疑いは持たれているだろうが、それにしたってこちらの授業を妨害してまで連絡をとるとは思えない。


「なにかご用ですか?」


 色々考えてみたものの、答えは受話器の向こうにいるのだから聞けばいい話である。


『武雄君、落ち着いて聞いてくれ……』


 勿体ぶるように、一呼吸置く鮫島。

 それがタケオに、ただ事ではないことを予感させた。


『――キミの通っていた中学校でまた突然、生徒がいなくなった。しかも今度は、教室にいた生徒全員だ』


「……は?」


 タケオの口から漏れる間抜けな声。

 頭を鈍器で殴り付けられたような衝撃であった。


「全員って……クラスの生徒、何十人もの人が全員いなくなったんですか……!?」


『ああ、そうだ。それに、まだもう一つ伝えなきゃならんことがある……』


 鮫島が息継ぎをするほんの一瞬の間。

 その時タケオには漠然とした、しかし先程よりも重い何かがあるという不安があった。


 これ以上、驚くことがあるのだろうか、あるとするならばそれはなんなのか。

 いや、わざわざ鮫島がタケオに連絡をした理由を考えたならば、それは―― 


『――キミの妹さん、武田由利子さんもその中の一人に含まれている』


 タケオは驚く声すらも失っていた。


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