4章 幕間 牢獄都市アルカトの誕生秘話
かつて大陸の情勢が不安定だった頃、コエンザ王国は南部において、南からの脅威を常に跳ね返し続けた城塞都市があった。
その名もアルカト。
アルカトとは街や一部の田畑を高く分厚い城壁にて覆い、たとえ四方を敵に囲まれても十年は籠っていられるといわれた難攻不落の軍事要塞である。
しかし、そんなアルカトも滅びの時がやって来る。
無論、戦いによってではない。
それは疫病であった。
聞いたこともない死の病が、アルカトに住む者の三分の一を瞬く間に殺したのだ。
これを重く見た当時のコエンザ王は、アルカトの封鎖を決めると兵士達に門より出てきた者を射殺すよう命じた。
高き壁に阻まれ、住民達が外に逃げる手立ては門以外にはない。
皮肉にもどんな侵略をも防いだアルカトの城壁が、今度は住民を閉じ込める死の壁に変貌していたのである。
それから十年。
王の命により、わずかに残されていた監視の兵も引き上げられることになったが、未だ中に入った者はいない。
そして二百と有余年が過ぎた現在。
既にかつての死の病の解明は済んでいたが、それでもなおアルカトは捨てられたままであった。
その理由は、二つある。
一つは、南の国々と同盟を結んだことにより、コエンザ王国南部の情勢は長く安定を見せていたこと。もう一つは、平和になったことで当時の前線基地であったカシスが凄まじい発展を遂げたこと。
要は、今さらアルカトを復旧させたとしても、軍事的にも商業的にもあまり意味がなかったのだ。
また、アルカトが無国籍の者や虐げられていた者達の住みかとなっていたことも、手を付けられなかった理由の一つであった。
カシス領主は、これらの者を何とかするのもまた一苦労であると考えたからだ。
幸い、アルカトに住まう人々は貧しいながらも小さな集団を形成し、無法にも手を染めてはいなかった。そのため、放っておいても害はないと判断されたていたのである。
しかし、そこに目をつけた男が現れた。
その者の名はタケオ・タケダ。タケダ商会の長にして、奴隷商としても有名な男であった。
ある日のこと。
タケオ・タケダは領主の城を訪れ、アルカトに住まう者を全員奴隷にしてアルカトを奴隷の街にしたいとのたまった。そこで作物を作らせて、カシスの街で売ろうというのだ。
すると、これに反発したのはカシスの内政を司る官僚達である。
彼らは日々権益を貪る者達であり、金を受けとる代わりに特定の商人に便宜を図っている者ばかりであった。
タケオ・タケダの計画がなされれば安価な作物がカシスに入り込み、現在ある作物が売れなくなるのは必定。
己の利権を守るためにも、その計画を認めるわけにはいかなかったのだ。
とはいえ、アルカトで作られた作物に既存の作物が淘汰される、という論法はおかしくはなかろうか。
奴隷をもって田畑を耕すことはこの世界の常識であるのだから、アルカトで作物を育ててもその値段に違いはないであろう。
減益こそ免れはしないだろうが、それにしたって新規に参入するタケダ商会の方が不利に決まっているはずだ。
しかしそれは違う、違うのだ。
そして腐っても鯛ともいうべきか、官僚達は事の本質を見抜いていた。
彼らはアルカトだけは違うということに気づいていたのである。
奴隷にて田畑を耕す際、最も費用がかかるのは奴隷の指揮や監視をする者の人件費であった。
そう、奴隷は逃げるのだ。
奴隷の首輪という便利な物もあるが、これは値がそれなりな上に、一人に対して一個の制御石が存在し使い勝手が非常に悪い。所詮は個人を縛るものであり、それらは集団を縛るものではなかったのである。
さらに悪いことに、首輪をした者達が己の制御石を奪うために集団で反乱を起こすということも珍しくない。
逃げられさえすれば自由という首輪のない奴隷に対して、石を奪わねば自由になれないという奴隷の差。そこに集団反乱の原因があった。
野良仕事を行う者など所詮は二束三文で買った奴隷。それ故、そんな者のために命を狙われては堪らないと、労働奉仕する奴隷には首輪をさせないのが通例である。
とはいえ、ただ逃げられるだけでは奴隷を買った意味がない。そのため主人となる者は、奴隷が逃げないように首輪の代わりを兵士で補うのであった。
ところがアルカトという街は四方を城壁に囲まれており、逃げるという行為が難しい場所である。
それは、監視の兵士の人件費を他の奴隷農場よりも安く済ませられるということだ。
となれば、当然その地で作られる作物も安くなるであろう。
結果、もしアルカトからカシスへ作物が入ってくるようならば、それまで売られていた作物が瞬く間に消えていくことになるのは自明の理であった。
◆◇
カシス領主の城の二階にある謁見の間。
そこは部屋とは決して呼べないほどの広い空間であり、床には一面に真紅の絨毯が敷かれ、そして、最奥の一段上がった位置には玉座があった。
その日、カシス領主テオドルス・ファン・シーボルトが座る玉座の前には、カシスの内政官僚及び奴隷商人タケオ・タケダが集められていた。
テオドルスに向かって左側に官僚達が並び、右側にはタケオただ一人。
当然のことであるが、この時タケオは領主の面前であるため仮面を被ってはいない。
そして官僚達とタケオ、お互いが対峙する。
これより、カシス領主の前にてアルカトの是非を決める論戦が行われるのである。
「こんな計画を許せば、農に従事する者の多くが路頭に迷い、この地は混乱してしまいますぞ!」
開始の合図が発せられると、まずは官僚達が己の権益を守るためにテオドルスへ訴えた。
すると、タケオも負けじと反論する。
「混乱は一時のもの。先の発展を考え、また有事の際には無二たる軍事拠点を得られるとなれば、何を迷うことがありましょうか」
どちらの意見も正しいと言える。だがテオドルスは、発展には犠牲が不可欠であると考えた。
(より利のあるものが作られたならば、それまでのものは淘汰される。
それをしなければ、国が滅ぶ。
それに、たとえ農業を行っている者がその仕事を失っても、カシスを中心とした地域には仕事が溢れている。その者達が路頭に迷うことはあるまい)
テオドルスの心はタケオの案に傾いていた。
これに眉をしかめた官僚達は、更なる一手にて領主の心に揺さぶりをかける。
「アルカトに住まう者達。彼らは戸籍こそありませんが、何か悪いことをしたというわけでもありません。
また、差別から逃れた亜人達もいると聞きます。そんな者達の平穏を奪い、奴隷として扱う……」
すると、話していた官僚はよよよと泣き出した。
「彼らが悪いわけでもないのに、どこまでも無体なるその仕打ち……。
彼らに……、彼らに安住の地は無いのでありましょうか!」
天に向かっての涙を流しながら訴えるその男、そして他の官僚達も全員が泣いていた。
名付けて、アルカトに住まう者の不遇を説いて領主の情に訴えるの計、である。
「むぅ……」
テオドルスはそれを聞いて唸った。
テオドルスとて無能ではない。無論、官僚達の思惑には気づいている。
しかしたとえ偽りであろうとも、アルカトに住む者を憂いた官僚の言葉はテオドルスの心根に確りと突き刺さっていたのだ。
それだけの誠実さがテオドルスにはあったのである。
(更なる発展は魅力だ。
しかし、既に我が領はコエンザ王国において並ぶところがないほどに栄えているし、今なお成長は続いている)
テオドルスの内なる天秤は完全に官僚側へと傾いた。
わざわざ弱き者を蔑ろにしてまでの急激な発展は必要ない、テオドルスはそう考えたのだ。
「皆様方のお優しきお言葉、真に心を打ってございます」
未だに官僚達の鼻をすする音が鳴る中、タケオもまた鼻をすすり流れてもいない涙を指で拭いながら言った。
「おお、では!」
官僚の喜色の混じった声が飛ぶ。
「されど私は賎しき商人の身。情に囚われては身を滅ぼしてしまいます。
とはいえ、それでは虐げられし者を案ずる皆さま方も納得はしないでしょう」
そのタケオの言葉に対し、当然だと口々に言う官僚達。
「ですので、条件をつけましょう。
まず第一に、私共はアルカトからは既存の作物を出荷致しません」
「それはどういうことだ?」
官僚の一人が尋ねた。
「遠い異国より珍しき種を手に入れました。それをアルカトにて栽培し特産とする所存です。
おいそれと口にすることができぬ品なれば、売買において誰ぞの領分を侵害せしめるのはごく僅かのことと存じます」
「ぬ……たしかに」
「第二の条件は住む者の安住についてです。
確かに対外的には奴隷ということにしますが、その街に住む限りは一般の民と同様の生活を約束しましょう」
馬鹿な、と官僚達は思った。
アルカトに住んでいる者の中には亜人もいるのだから、その考えも当然と言えよう。
亜人とはかつて人と敵だった種に対する蔑称。
教会は既に亜人に対して公式に赦しを与えているが、人々の亜人に対する反発は未だに根強く残ってあり、そんな者を一般の民のように扱うなどとても許容できることではなかった。
しかし、それを口に出す者はいない。先ほど偽りとはいえ亜人を庇ってしまったことが、それをさせなかったのだ。
一方領主は目の前のタケオに感心していた。
(こうまで変わるものか……)
ほんの数ヶ月前までベントの腰巾着に過ぎなかったタケオが、今日にあってはまるで別人のように成長していたからである。
そしてタケオの話は続く。
「第三に――」
「まだあるのかっ!」
「これで最後にございます。第三に……これはそうですね、私ばかり儲けてもあれですので、一つ街の皆様に恩返しをと」
官僚達は何らかの権益、もしくは袖の下の話であると思った。
「ほほう。して、何をしてくださるのかな?」
何よりも金に目がない官僚の一人が、いの一番に尋ねた。
彼の顔は嫌らしい笑みを携え、その鼻の穴はこれでもかと広がっている。
「カシスに学校を建てようと思います」
その返答に、なんだ学校かよと金に目がない男の鼻の穴は萎んだ。
金に目がない男だけではない。何らかの利益を期待していた官僚達は、皆一様に呆れ顔だ。
しかし、タケオの次の言葉が皆を仰天させた。
「――亜人でも通える学校を」
「なんだとぉっ!」
いきり立つ官僚達。
「はて? 私が何かおかしなことを言いましたでしょうか」
「ふざけるな! おかしなことだらけだろうが!
学校とは国を担う者を育てる場所だぞ!
人の国で亜人に教育を施し、何をさせるつもりか! もしや乱の芽を育てるつもりではあるまいな!」
「乱などと、滅相もございません。これは単に亜人を思ってのことにございます。
教会が既に亜人を赦しているにも関わらず、なぜその地位は低いのか。多くは奴隷、そうでなくとも奴隷と変わらぬ生活を強いられている者ばかりです。
それは何故でしょうか?」
タケオは怒り狂う官僚達に平然とした様子で問いかけた。
その問いに一人の男が前に出て答える。
「心だ。
確かに教会は亜人達を赦した。しかし、それとこれとは別問題だ。
国は……いや、この大陸は人が神より賜ったもの。その人が亜人を求めておらんのだから、亜人の地位が低いのは当然であろう。
現に探索者としては亜人が求められ、その地位は決して低くない。
これもやはり人の心だ」
この世界において、人こそが絶対なのである。そんな男の意見に他の官僚達も同意するように頷いた。
「ならば、人に求められる亜人というものをその学校で育てて見せましょう」
「……遠回しに言ってもわからんようだから、はっきり言ってやる。
亜人から優秀な者を出せばどうなるか。
賢い商人を出せば人からは疎まれ、優れた技術者を出せば他国への技術流出を人は心配し、そして仁徳ある施政者を出せば人は国の簒奪を恐れる。
亜人とはそういう存在なのだ」
それはこの世界の現状を鑑みれば、ぐうの音も出ないほど理にかなった答えであった。
「……」
タケオはもはや何も言わずにテオドルスを見た。
楔は打った、後はテオドルスの採択を仰ぐだけである。
テオドルスは目を閉じ、少しばかり考えた様子を見せた後、再び目を開けて言った。
「……よい、亜人の学校とやらを認めよう」
「しかしっ!」
先ほどの男が反論をしようとする、しかしそれを領主が手を前に出し制止した。
「まあ待て、先ほどお前は人の心と言ったな?
なれば、これも俺の心よ。異論はあるか?」
「……くっ」
テオドルスの言葉は絶対である。先程まで理路整然とタケオに対峙していた男も、こうなってしまっては口をつぐむ他なかった。
「ありがたき幸せにございます」
タケオが片膝をつき、恭しく礼をする。
すると、テオドルスはそちらを向いて厳し気な声で言った。
「ただし条件はつける。ウジワール教の授業を日に一時間とれ。さらに歴史に関しても教会の者に教えさせよ。
亜人をしっかりと人の常識を染めるのだ。変な思想を持った奴が上にいってもつまらんからな」
「はっ!」
「さて、アルカトについての話だったはずが、別の話題になってしまったな。
学校を認めたのだから、当然アルカトについても認めよう。
ふっ、これでは順序が逆ではないか」
そのテオドルスの言葉に、官僚達は誰も彼もが顔に悔しさを滲ませる。
テオドルスは一度決断したことを大きな理由もなし変えることはしない。すなわち、学校の件同様にアルカトについても許可がなされてしまったのである。
そして、タケオのみを残して官僚達は解散した。
テオドルスはその場に残したタケオに言う。
「後で奴等に機嫌取りの品でも贈っておけよ」
それは賄賂を贈れともとれる発言、清濁を共に飲み込むことができるのがテオドルスという男なのであった。
タケオが苦笑いを浮かべながら「わかりました」と言うと、テオドルスはもう用は済んだとばかりに手を振るう。
タケオは最後に一礼しその場を去っていった。
こうして議論は決し、後に牢獄都市アルカト及びカシス全民校が誕生することになったのである。
「ふう」
タケダ商会へと帰る道すがら、タケオはまるで肩の荷を下ろすかのように嘆息した。
先ほど謁見の間にて交わした議論。本当はアルカトの件こそ建前であった。
全てはジルとラコを学校に通わすためだということは、タケオとミリアしか知らないことである。
タケダ商会は既にカシスで有数と言われるまでに成長し、従業員も多く雇い、タケオとミリアも毎日を忙しく過ごしている。
さらにタケオなどは、来年の春より日本で高校へと通うことになっていた。
今さら日本の高校に通っても、と思ったりもしたが、こちらの世界で売っている品は日本から仕入れた物であるし、まだまだこれからもそれらを売るつもりである。
そのためタケオは、日本での立場というものを重要視していた。日本で誰にも怪しまれないように普通に暮らす、そのためにはやはり高校に通うことは必要と考えていたのである。
まあ、そんなこんなでタケオもミリアもジルとラコの面倒をなかなか見てやれなかったのだ。
それに対しジルとラコは、自ずから使用人に混じって掃除をしたり剣の稽古などをしたりしていた。しかし、タケオとしてはそれらがただ時間を浪費しているだけのような気がしてならなかった。
そうして思いついたのが、学ぶべきことを学ぶ場所、学校である。
勿論、ただの学校ではない。
それは、獣人と人間のハーフであるジルでも通うことができるよう、入学に際し種族を一切問わない学校である。
そしてタケオは、その計画を実行するためにミリアと空いた時間で話し合い、運営にかかる費用などを計算し、準備を整えた。
さらに、カシス領主からこの学校の開校許可を得るための策も練った。
こうして数々の苦労の末に、今日に至ったというわけだ。
「魔物と戦うよりも遥かに大変だった……」
先ほど行われた議論を思い起こしてタケオは呟いた。
まだまだ商人として日が浅く、経験の乏しいタケオにとって、あの議論の場は一瞬たりとも気を許すことのできない戦場であったのだ。
そしてその成功は、この日のために何日も前からミリアと討論の練習をしていたおかげである。
元々はタケオの思い付きから始まった話。
それがうまくいったことで、これまで付き合わせてしまったミリアになんとか顔向けができると思い、内心ホッとしたタケオであった。