4章 奴隷商人になるまでの話 4―3
――カシス北の大通り。
買い物に来た人々や荷を運ぶ馬車や人力車が往来し、通りに並ぶ店からは客を呼び込む声がひっきりなし。
人と物と声が絶え間なく続くカシス北の大通りは、今日もいつもと変わらず大賑わいである。
そんな中、小さな異変があった。
それは普段は誰も気にも留めない脇道でのこと。
その道の奥は大通りから外れた場所であり、そんなところに人の関心を引く店などありはしない。それにもかかわらず、身なりのいい商人風の男が、こぞってその細道へと入っていくのだ。
不思議なことこの上ないだろう。
そして、丁度その脇道への入り口の角にあたる食堂の女主人はそれを見て、「はて?」と首をかしげた。
入口には、白い髪の少女が『タケダ商会はこちら』と書かれた看板を持って立っており、キョロキョロとしていた商人はそれを認めて脇道へと入っていくようである。
(タケダ商会……?)
それは聞き覚えのない名前であった。
不思議に思った女主人は店の者に一言告げると、己も脇道へと入っていく。そして少しばかり歩くと、確かにその店はあった。
掲げられた看板にはタケダ商会の文字。
(建物こそ古いが、看板の文字だけは新しい。開店したばかりね)
高級商人が集まるのだからよっぽどの物を売っているのだろうと興味をそそられ、女主人は開かれた扉から顔を覗かせる。
しかし、店の中には商品は陳列されておらず、並んだ椅子に身なりのいい者が座っているだけであった。
(何か物を売ってるようには見えないわ)
店の中は想像していたよりも、かなりつまらない様子である。
その結果に女主人は顔を引っ込めて、これからどうしようかと思った。
(飯屋とはいえ、私も商売人の主。周辺の経済状況などは知るべきよね)
そう結論を出すと、女主人は再び中の様子を探ろうと中を覗いた。
しかし、その時のことである。不幸にも女主人の足下の戸枠にて、ミシリという音が鳴ってしまうのであった。
それによって、扉の外からにょきりと首を出していた女主人へと集中する視線。
(やばっ!)
女主人はすぐに顔を引っ込めて、駆け足でその場を後にする。
ややあって己の店に戻ってくると、女主人は大きく深呼吸をした。
(まあ、商売敵でないなら何の問題もないか)
結局、何の商いをしているかはわからなかったが、外食店でないのならば己の店が不利益になることはあるまい。
そんなことを考えながら、女主人は己の仕事に取りかかるのだった。
◇◆
ミリアが商会巡りを行った日の翌日、タケダ商会ではガラスの杯及び白の陶器の購入希望者との面談が行われていた。
「ルーパーさん、どうぞ」
受付の席に座っていたジルが名前を呼ぶ。
すると、名前を呼ばれた男が席を立ち、奥の部屋へと入っていった。
ジルは現在受付業務をしており、北の大通りで看板を持っているラコと交代しながら、それぞれの仕事を行っているのだ。
ちなみに武雄はジルの横でちょこんと座っている。
「ラディエス商会の副頭取のルーパーだ」
「タケダ商会のミリアと言います」
奥の部屋では、ミリアがタケダ商会の交渉人として座っていた。
ミリアは挨拶の後、相手の商会名、代表者の名前と役職を手元の紙に書き込んでいく。
「先日の品、是非とも我々に売ってくれ。白の陶器でもガラスの杯でも構わん、こちらには一つ三百金貨を出す用意がある」
「一つ三百金貨ですか。こちらがどれだけ品を揃えてるかわからないのに、急ぎすぎではありませんか?」
「なに構わんよ。あんたらが金のなる木をすぐに枯らしちまうような馬鹿じゃないのは、今の状況を見ればよくわかる」
鋭い目をした男、ルーパー。
彼はまるで武人のごとき風格を漂わせていた。
「そうですか。では、ご購入者に選ばれましたら一週間後に連絡致しますので、本日はお引き取りください」
ミリアからの交渉は一切ない。これはルーパーのみならず、今日やって来た全ての者に対してである。
そしてルーパーが部屋から出ていくと、別の者が入室した。
「ダルム商会の商会主ダルムと言います」
「タケダ商会のミリアと言います」
言葉こそ丁寧であったが、動作の一つ一つがどこか傲慢な態度を匂わせる男であった。
「私達、ダルム商会の後ろにはゴッドン子爵がついておりましてな」
「はあ」
いきなり貴族の名前を出したダルムに、生返事をするミリア。
「何を隠そう、この私はゴッドン子爵と源流を同じくする者なのです」
「そうですか」
「そのゴッドン子爵から厳命されましてな、何としてでも無色透明なガラスの杯を手に入れろと。
百金貨を出しましょう。我々にあの杯を売っていただきたい」
「では主と相談し、ダルム商会様が購入者に選ばれましたら一週間後に連絡致します」
昨日の今日で、その子爵様とやらに連絡がついたのかと少し疑問に思いながらも、ミリアはその旨を手元の紙に記入していく。
「賢明な判断を期待していますよ」
そして、ダルムが部屋から退室すると、また新たに客が入室する。
「オロボンス商会のオロボンスと申します!」
ひょろりとした枯れ枝を思わせる男であった。
「タケダ商会のミリアです」
この時ミリアは今までと同様に相手が席に着き、己に購入の意思を伝えるものと考えていた。
有り体に言えば油断していたのである。
しかし、オロボンスは何を思ったか椅子には座らず、流れるような動作で床に膝をつけ頭を擦り付けた。
「お願いします! 何卒我が商会に! あの素晴らしい品々を売ってください!」
それは恐ろしく堂に入った土下座であった。
左右の指の先まで揃えられ、重心は一切ぶれておらず、美しいまでに左右対称。
もし土下座に手本があるとするならば、これがそうではないかと思ってしまうほどの、完成された姿がそこにはあったのだ。
さしものミリアも、これには少しばかり驚いてしまう。
「ウチの商会はもう火の車で後がないんです! あの素晴らしい品々があればウチの子に飯を腹一杯食わせてやれるんです!
お願いします! こんな頭なら何度でも下げます! ですから何卒、何卒!」
「そ、そうですか。えっと、それで購入希望価格の方は……?」
「一つ十金貨でお願いします!
これだけしか、これだけしか用意できませんでした!」
もちろんそれは、本日提示された金額の中でぶっちぎりの最安値である。
そして、そんな額を提示したオロボンスは、ガンガンと頭を床に叩きつけている。
「そ、それでは、ご購入者に選ばれましたら一週間後に連絡致しますので、今日のところはお引き取りください」
「私共に売ってくれると言うまで今日は帰りません!」
さっさと面談を終わらせようとしたミリアであったが、なんとオロボンスは契約を取り付けるまで帰らないと言い、また己が頭を床に叩きつけた。
(えぇー……)
さすがにこれは予想してなかった事態である。
すると、待合室側の扉が開いた。
「ちょっと、あんたいい加減に、んぐっ、むぐぅ……!」
視界の端にジルが映ったように思えたが、ミリアがそちらを向くとその姿は影も形もない。
しかし、その代わりに武雄が現れる。
「うわっ! 何をする、やめろ!」
武雄は無理矢理にオロボンスを引き起こし、そのまま出口へと連れていく。
呆然とするミリアの耳には、「何卒! 何卒!」というオロボンスの声が遠くから聞こえていた。
色々あったが、その後も面談は継続され、何十人という商人がタケダ商会を訪れて、思い思いの購入希望額を告げていった。
やがて日が西へと傾いた頃。
「ふぅ」
最後の一人と面談し終えたミリアが、疲れた様子で息を吐いた。
すると、「お疲れ様」と言ってタケオが面談室に現れる。さらにジルとラコ、その後にベントが続いて、ミリアに労いの言葉を述べた。
「では明日、私とタケオ様で本日来店した商会を調べます。残りの方は今日の通りにやってください」
ベントが明日の予定を決めて、その日はお開きである。
武雄達は昼間、宿で休ませていた護衛の兵を呼び寄せて、自分達は夕食をとりにカシスの街へと出掛けるのであった。
翌日。
予定通りミリアは件の品の購入希望者達と面談を行い、武雄はベントに連れられて共にある場所へと向かった。
そこは北の大通りにある大きめの店舗。
「ここは?」
「情報屋ですよ」
武雄が尋ね、ベントが答えた。
あらゆる商売が成り立つのがカシスである。
大々的に情報を売り買いするその店は、日本でいうところのテレビや新聞などマスコミュニケーションの前身とも言える存在であった。
「さあ、中に入りましょう」
入口の扉へとベントは足を進め、武雄もその後に続く。
扉を潜った先はタケダ商会と同様に受付兼待合室になっており、客とおぼしき者が数人と奥に通ずる廊下があった。
「ベントと言う。商会関係の情報を頼む」
「順番が来ましたら呼びますので、それまでかけてお掛けください」
慣れた様子で受付を済ますベント。武雄とベントは受付の者の言う通り、椅子に座った。
そして呼ばれるまでの間、ベントが武雄に色々と説明をする。
「カシスで一番有名な情報屋はここですね。政治、経済はもちろん、貴族達の下世話な話など大体のことはここにくればわかります。
大々的にやっているだけあって、その信頼度の高い。さらに規模も大きく人も多いですから、情報の鮮度もなかなかです」
情報屋と言えばもっと後ろ暗いイメージを持っていた武雄であった。しかし、ベントの話を聞く限り全うな職であるようで、武雄としては目から鱗が落ちるような気分である。
「情報料は最新のものならば、その情報を得るのに使った諸経費の三分の二と言われています。
なかなか割高ですが、人の口に戸は立てられませんからね。
売った相手が誰かに喋るのを見込んでの値です。
当然、金がかからずに仕入れた情報でも、その質次第では値段が跳ね上がることもあります」
他にも、カシスにある情報屋の数や職員の給与など、ベントは物知り博士のように語る。
その知識の深さに武雄としては、感嘆とした気持ちだ。
すると、そうこうしているうちに受付の者から声がかかった。
「ベントさん、奥へとどうぞ」
「では、参りましょうか」
受付の案内で、奥へと続く廊下へと進む。
個室が並んだ廊下であり、武雄達はそこの一室に入った。
部屋の中にあるのは机とそれを囲む椅子、加えて机を挟んだ奥の椅子に座る男。
男は武雄達が入ってきたのを確認すると、立ち上がって会釈をする。
そして、武雄達がその対面に座ると、男もまた座った。
「商会について何が知りたいのですか?」
特に自己紹介を交わすことなく、男は武雄達に要件を尋ねた。
ベントは言う。
「無色透明のガラスについて知ってることを教えてくれ」
その要求に武雄は、ん? と思い、ベントに顔を向けた。だが、ベントはこちらを見ようともしない。
つまり、これは意味があることなのだろう。
「一万ドエルになります」
男に言われるがまま、ベントが懐から一枚の金貨を出す。
男はそれを受けとると、何やら手元の紙に書き、そして喋りだした。
「無色透明のガラスは北の大通り、まんぷくカシス食堂の横の脇道にあるタケダ商会が最近カシスに持ち込んだ物です。
製造法も産地も詳しいことはわかっておりません。
なお、昨日今日とタケダ商会には多くの商会の者が無色透明のガラスを求めてやって来ているそうです」
なにやら自分の店について目の前で話され、むず痒い感じがする武雄である。
思わず、『実は僕がタケダ商会の会長です』と言ってやりたい衝動にかられたが、さすがにそれはやめておいた。
続いて、ベントは尋ねる。
「タケダ商会について教えてくれ」
「新興の商会で、関係者にミリアという名のエルフがいるということしかわかっていません」
今度は金を要求されなかった。サービスか、それとも金を受け取るような内容でなかったためか。
「では、ここからが本題だ」
ベントはそう言って肩に掛けた鞄から、紙の束を取り出した。
ミリアが書き記していた紙である。
「今から言う名の商会についての知識がほしい」
「どうぞ」
ベントは紙に書かれた商会の名を読み上げ、男はそれを手元の紙に書き記していく。
そして全てを読み終えると、男は、資料を持ってくるので待っていてくださいと言って部屋を出ていった。
しばらくすると男は戻ってきて、持ってきた資料を確認すると、ようやく口を開く。
「全部で二十八万五千ドエルになります。内訳を聞きますか?」
「いや、結構」
ベントが鞄から金の入った袋を取り出し、言われた額を支払うと、男は説明を始めた。
ベントはそれを聞きながら、紙に必要なことを書いていく。
武雄もベント同様に話を聞いていたが、聞き慣れない言葉ばかりでちんぷんかんぷんだ。
「――以上です。なにかご質問は?」
男は全てを説明し終わり、それに対しベントが幾つか質問して、武雄達は店を出るのだった。
次にベントに連れられてやってきた場所は路地裏の酒場であった。
所々に苔が生えたその外観は、お世辞にも誉められたものではない。
「先程は表の情報屋、今度は裏の情報屋です」
そう言ってベントは古ぼけた扉を開けた。
それに伴い、ほぅと小さく息を吐く武雄。
中は、外から見たおんぼろな雰囲気とは違って清掃が行き届いており、小綺麗であった。
また、まだ昼であるためか客はいないようである。
「おや、あんたは……?」
酒場のマスターと思われる白髪を生やした初老の男性が、ベントを見て知った風な反応を示した。
「二年ほど前にここに来たことがありましてね。その時はカシス進出を目論んでのことでしたが、なかなかどうして、自分の小ささを知るいい機会でしたよ」
ベントは武雄と酒場のマスターに説明するように言った。
「それで今日は何のようだい」
「情報屋はまだやってるのか?」
マスターが尋ねると、それに対しベントは質問で返す。
「ああ。酒場の稼ぎだけじゃあどうにもならんからね」
「なら、商会の情報を知りたい。そうだな、まずはタケダ商会についてだ」
ベントが武雄のためにカウンターの椅子を引き、武雄がそれに座ると、ベントもまた席についた。
気遣いのできる男である。
「詳しいことは今、息子が調査中だ。それでもいいかい?」
「構わない」
するとマスターは指を三本立てた。それを見たベントは机に三枚の金貨を置く。
「タケダ商会。無色透明のガラスの杯に白の陶器を扱ってるという新興の商会だ。
カシスにやって来たのは数日前。総勢は約十名」
武雄は、おや? と思ったが、ベントと兵士を合わせれば確かに数はそんなものだ。
「内訳は商人と思われる男が一人。同じく商人と思われる、ミリアという名の女エルフが一人。
小間使いの青年一人と少女が二人。この少女のうち、一人は亜人だ。
後は兵士が五人か六人か。
今わかってるのはこんなところだな」
小間使いの青年とは誰のことか。
そう考えて、武雄は思わず苦笑した。
「細かい風貌は?」
「風貌は……」
ベントの新たな質問であったが、それに答えようとしたところでマスターの白く長い眉が跳ねた。
タケダ商会の者達の風貌と、目の前にいる者達の風貌。
それが変わらぬことに気づいたのである。
「……アンタも人が悪いな」
「そういうことだ。直接調べた息子がいたらわかったんだろうな」
しかしなんというかこのベント、かなりワイルドであった。
普段、武雄と話す際には決して見せない姿。
相手によって被る仮面を変えているのだろう。
商人には必要なことなのかな、と武雄は思った。
「領主とのことについては」
ベントの質問はまだ終わってはいない。
「ああ、勿論知っている。ガラスの杯とアクセサリーを献上したんだろ?」
「なぜ言わなかった」
「おいおい、アンタがわからないわけないだろ。
この街で領主に睨まれたらおしまいだ。言わなかったんじゃない、言えなかったんだよ」
すると、ベントが武雄の方を向いた。
「どうですかな?」
いつものニコニコとしたベントである。
こうまで変わるものかと、武雄はやはり驚いた。
「まず表と裏の情報屋の違い。
表は確実な情報しか与えない。それに対し裏は、見て聞いたことを裏付けを取ることなく与える。
そして、二つに共通するのは領主が関わるとすぐに尻込みするということです」
それを横で聞いていたマスターが、長年蓄えた顔のシワを余計に深くした。
己が領主の権力に怖じ気づいてるかのようなベントの発言に、情報屋としてのプライドが逆撫でされた気分であったのだ。
とはいえ概ね間違ってはいないので、何も言い返せなかったが。
「領主への献上品にはこういう意味もあったんですよ。領主と良い関係を築けば、それだけである程度の悪意は避けられる。
あの方は、己に利がある者を蔑ろにはしません」
まるで教師が生徒を教えるように言うベント。
武雄は尊敬の眼差しでただただ頷くばかりだ。
どうやら、やることなすこと全てに意味があったようである。
(商人……いや、ベントって凄い)
武雄は改めてそう思った。