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4章 蟻の袋 4


 多くの仲間が死んだ。


 その深い悲しみの中、ダンカンは生き残っていた者を数える。

 その数は十六。

 蟻の袋に残っていたのは三十名のうち生存者は十六名。

 つまり十四名の者が犠牲になったのだ。


「くそっ……!」


 ダンカンは手に持った剣を強く握りしめる。


(俺のせいだ……っ!)


 そこには蟻への憎しみよりも、自分への怒りがあった。


 その時、ダンカンの目にあるものが映る。

 それは蟻の骸の下にわずかに見える人の頭。


 ダンカンはその蟻の骸をどかした。

 生きていることを期待したわけではない。

 ただなんとなく、体が勝手に動いていただけだ。


 そしてそこにあったのは、変わり果てた仲間の姿であった。


「イーロス……」


 ダンカンはその名を呼んだが、返事はない。当然だ、その男は死んでいるのだから。


 イーロスはまだ二十そこそこの若い男であった。いつも笑顔を絶やさない好青年で、ついこの間結婚したばかり。

 美人の奥さんを貰い、次は子どもだなと皆でよく話していた。


 しかし、もういない。イーロスは死んでしまったのだ。


 ダンカンは涙が溢れそうになる中で、あることに気づく。

 その亡骸には下半身がなかった。大方、蟻の大顎に食い千切られたのであろう。

 しかしその腕には、確りと剣が握られていたのである。


(最後まで……戦ったんだな……)


 ならば己もやるべきことをしなければならない。


 ダンカンは顔を上げ、辺りを見回した。

 そこにいるのは助かったことに喜ぶ被救助者と、僅かしか助けられず悲しむ救助者。

 ちぐはぐに感情を表す両者であったが、目下にすべきことはそんなことではない。


「喜ぶのも悲しむのも、後にしろっ!」


 ダンカンが涙を堪えて叫んだ。

 ここに長く留まれば、また蟻がやって来る。

 タケオならばそれも何とかしそうであるが、探索に万が一は付き物だ。油断はできない。

 おまけに蟻一匹に対し多額の報償金をかけており、それらは既に二千五百金貨を超えているだろう。

 はっきり言って、とてつもない額である。

 ダンカンは、これ以上報償金の支払いが増えるのを考えたくなかった。


「遺体から売れそうな物を取れ!

 遺族への見舞金に、助っ人への報償金、金が幾らあっても足りんからな!」


 死者に対して礼を欠く行為だと思ってはいけない。

 ダンカン達は金のために命を懸けて探索をしているのだ。

 探索者にとって死者の遺物を剥ぎ取ることなど当たり前のことであった。


「待ってください」


 しかし、そこに待ったをかける声。

 皆がそちらに注目すると、その声の主はタケオであった。


「なんだ?」


 ギロリとダンカンがタケオを見る。

 事ここに至って、何を待つと言うのか。

 時間のロスは命の危機、さらに財布の危機でもある。

 それ故、ダンカンも言葉に苛立ちを含ませた。


 されどタケオは、ダンカンのそんな態度をさして気にもせずに話を続ける。


「一つお願いがあります。それを聞いてくれたら報酬は要りません」


「な、なに!?」


 その内容はダンカンを大きく驚かせた。

 なんとタケオの口から発せられたのは、条件付きで報償金を放棄してもいいという話であったのだ。


 数千金貨という報償金を払わなくていいなら、その分を遺族に回してやれる。

 ダンカンの心臓がここぞとばかりに弾んでしまうのは、仕方の無いことと言えよう。


「い、言ってみろ」


 声が震えてしまうのは期待のせいであろうか。

 ダンカンは生唾を飲み込むと、話の続きを促した。


「では……あなた達の仲間の遺体をギルドまで運ぶこと、それが僕からのお願いです。このお願いを聞いてくれるのなら、報酬は要りません。

 ああ、もちろん全ての遺体をですよ?」


「なっ……!」


 どんな条件を提示されるのかと思いきや、その内容はなんてことのないものであった。

 しかし、それはあまりにもなんてことが無さすぎて、逆に怪しさ満点である。


「いや、そりゃあこっちとしては、全員を家族の下に返してやれたら願ったり叶ったりだがよ。

 それでお前さんに何の得があるってんだ?」


 タダより高いものはない。

 相手に利のない話など、ダンカンが信用できるはずもなかった。


 するとタケオは言う。


「探索者がどんな仕事なのか教えたい相手がいるんです。

 死者を利用するようで申し訳ありませんが……」


 この発言に、ダンカンはタケオに引っ付いていた三人を思い出した。

 狼族の亜人の歳はわからないが、他の二人はいまだ少女。

 鎧をつけていたところを見るに、探索者見習いといったところであろう。


(探索に夢を見る子供、ってとこか)


 確かにそんな相手にとって“現物”はさぞや効くに違いない。


 報償金を辞退する理由としては全然足りない気もしたが、ダンカンは自分達の状況を鑑みて納得することにした。

 無い袖は振れず、元々断るという選択肢はなかったのである。


「……わかった。

 おい、予定変更だ! 遺体を担いでいくぞ!」


 ダンカンは遺体を持っていくように指示し、皆は文句を言うことなく粛々とその指示に従った。


 ややあってタケオが新たな蟻の来訪を警戒する中、ダンカン達は蟻の骸の下から全員の亡骸を取り出すことに成功する。

 後は帰るだけだ。


「これより帰投する! 最後まで気を抜くな!」


 ほんの少しの休息後、ダンカンの檄と共に一同は出立した。

 袋小路を抜けるまではタケオが前衛を務め、袋小路を抜けた後は遺体を担いでいない数名が前衛、中衛に遺体を担いだ者を置き、殿をタケオが務める。


 そして一行は長い時間をかけ、無事に蟻の袋を脱出した。


 ダンカンをリーダーとするパーティー、総員三十八名のうち死亡者十四名。


 第一の袋にて蟻の外殻の収集という、BランクCランク探索者ばかりの強豪パーティーならばさして難しくもない探索。しかしその結果は、メンバーの半分近い数が失われるという散々たるものに終わる。

 それは、探索者の街ノースシティにおいても滅多にない、甚大な被害であった。




 月明かりだけが照らす真夜中の道をダンカン達は無言で歩く。

 目的地はギルド。タケオとの約束を果たすためだ。


 街に入ると、治療が必要な者は何人か人をつけて先に帰らせた。


 そのため、蟻の袋を出たことにより手が空いていたタケオも両脇に遺体を抱えている。


 そして一行はギルドにたどり着く。


 夜半のため町のどの建物も火が消えている中で、唯一ギルドだけは明かりが灯っていた。

 本当ならばギルドもとっくに閉まっている時間であるが、状況が状況であるために開放していたのである。


「帰ってきた!」


 ギルドの外にいた狼族の女――サルヒが、タケオ達を見て声をあげた。

 するとギルドからぞろぞろと人が出てくる。

 ジルとラコはもちろんのこと、ツンツン頭のカルロスに、ショートボブのラズリー。さらに半目のアリスとその兄にあたる男。

 皆はギルドでずっとダンカン達の帰りを待ちわびていたのだ。


「タケオ……よかった……」

「お兄ちゃん……」


 タケオの姿を見つけてホッと息を吐くジルとラコ。

 ダンカンの無事を確認したカルロスに、同じく父の姿を見つけたアリスとその兄も大きく安堵する。

 しかしただ一人、心休まらぬ者がそこにはいた。


「パパ……パパは……?」


 ラズリーがふらふらと幽鬼のようにダンカン達の方へと歩いていく。


 ダンカンが遺体を担ぐ仲間達へと顔を向けると、その者達は皆顔を横に振った。


「タケオ、あんたが担いでる奴を下ろしてくれ」


 タケオは頷くと、ラズリーの前で二体の遺体を下ろす。

 そこにラズリーの待ち人はいた。


「パパ……?」


 それは片腕がなく、脇腹をえぐられた遺体。

 ラズリーが呼び掛けても返事はなく、その目はじっと閉じられている。


「ねえ、パパ? 嘘でしょ? 嘘なんだよね? 返事してよ。

 ねえ……ねえってばっ!」


 それでもただひたすらに呼び掛るラズリー。

 その姿は目を覆いたくなるほどに痛ましいものであった。


「すまない、全ては俺の判断ミスだ」


 ダンカンが腕に担いだ遺体を下ろし、頭を下げる。


 ラズリーの父は歩けないほどの重傷を負った者達の一人。それを見捨てないために、多くの者が犠牲になった。

 ことの真相はこうであるが、その何もかもをリーダーのダンカンは背負ったのである。


「あ、あ、うわああああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 遺体にすがり付き叫ぶラズリー。

 愛する父は死んでしまったのだ。


 ラズリーの仲間であるカルロス達は、何もかける言葉が見つからなかった。自分達の父親は生きているのだから。

 ラズリーと知り合ったばかりのジル達もそれは変わらない。泣き叫ぶその姿をただ見つめるだけであった。


 すると、そんな状況をよそにダンカンへと近づくギルド職員。


「時間が時間ですので、そろそろ……」


 言葉を濁しているが、その心の内は『早く帰れよ』である。


 ギルドの人間からすれば、探索者の誰かが死ぬことなど日常茶飯事であるため、その対応はドライなのだ。


 一行はダンカンのパーティーが使っている集会所へと行くことになった。

 ダンカンの話では、救出前に置いてきた負傷者二名が、そこに皆の家族を集めているだろうとのこと。


 ラズリーは泣きながら己の父を担ぎ上げ、カルロスとアリス、それにアリスの兄もそれぞれ遺体を担いだ。

 身が軽くなったタケオもジル達を伴い、ダンカン達についていく。


 やがてたどり着いた集会所。

 三十名を超す巨大なパーティーである、その集会所となっている建物はそれなりに大きい。


 そして運ばれてきた遺体を見て、集会所で待っていた家族達は皆が泣き叫んだ。

 先ほどと同じ光景がそこにあった。


「すまなかった、俺の責任だ」


 ダンカンが一人頭を下げる。

 しかし誰一人ダンカンを責める者はいなかった。

 それが探索者の家族というものなのだ。

 いつかこういう日が来ると、誰もが皆覚悟をしていたのである。




 ジルとラコは家族を失い悲しむ様子をずっと眺めていた。

 歯を食い縛り、拳を握り、目には涙を溜めている。


 そして、ジルとラコのそんな様子を見つめているタケオ。

 タケオが救出に志願したのは、まさにこのためであった。

 探索者になればいずれ訪れるであろうこの光景を、二人に見せてやりたかったのだ。


 やがてタケオは、そろそろいいかと思い、ダンカンに帰ることを告げる。


「また、改めて礼を言いたい」


 そう言うダンカンに馴染みの酒場の名前を教え、タケオ達はその場を後にした。


 サルヒと別れを交わし、ゴルドバの家への帰り道を無言で三人は歩く。

 すると不意にタケオの足が止まる。

 何事かと、ジルとラコも足を止めて振り返った。


「……僕は一度、大切な人を失っている」


 大切な人とはゴルドバのことだ。

 それはジルとラコも知るところである。


「また失ってしまったらと思うと、どうしようもなく胸が締め付けられそうになる」


 タケオは空を見上げる。夜空には無数の星々が煌めいていた。

 その広大さに、如何に人間が小さくて弱い存在かを思い知らされる。


「どれだけかかってもいい、今日の事をよく考えてみてくれ」


 タケオは多くを言わなかった。

 ジルとラコが無言で頷くと、三人はまた歩き始める。


 かくしてゴルドバの家へと帰り、長い夜が終わった。


 そして次の日の朝。


「あっ!」


 ミリアのことをすっかり忘れていたことに気づいたタケオである。

 すぐにタケダ商会へ行くと、そこには目の下に隈を作ったミリアが待っていた。

 タケオはこれから起こることを予想して、体をぶるりと震わすのであった。



◇◆


 蟻の袋の中、第一の袋にて蠢くのは一際巨大な赤い蟻。

 ただ巨大なだけではない。他の蟻とは違い、その背には羽が生えていた。

 そう、彼女こそ女王の中の王、キングマザーである。


 本来は第四の袋にいるはずのキングマザーが、何故第一の袋にいるのか。

 それはタケオやダンカン達が抱いていた疑問。

 しかしその疑問は、根本から間違っている。

 彼女は第四の袋にいたキングマザーではない。

 そこにいたのは、第一の袋にて新たに生まれたキングマザーであった。


 タケオ達は知らぬことであったが、蟻の習性には世代交代というものがある。

 キングマザーが老いると、まだ若いマザーが更なる成長を果たしキングマザーへと進化を遂げるのだ。

 そしてその若いキングマザーが、己が王に成り代わるために年老いたキングマザーを殺すのである。


 もちろん年老いたキングマザーも座して死を待つわけではない。

 第四の袋の全ての戦力を持って新たなキングマザーを迎え撃つ。


 互いが持てる戦力を存分に尽くし、生き残りをかけて殺しあう。それは新旧が王の座を争う戦争であったのだ。


 そこで第一の袋のキングマザーは、戦いに勝利するために新たな兵を求めた。

 新たな蟻を産むためには餌が必要だ。

 普段の餌は袋から湧き出る魔物達で十分であったが、兵を多く産むためにはまだまだ足りない。

 そこに現れたのがダンカン達、探索者の集団であった。

 第一の袋のキングマザーはこれ幸いと、餌の確保のために全兵力を投じ、それがダンカン達の悲劇へと繋がったのである。

 もっとも第一の袋のキングマザーはこれにより多くの兵隊を失い、本末転倒の結果となったわけであるが。


 そしてこれより一月後、戦争が始まる。

 第一の袋のキングマザーは第二第三の袋の蟻を支配下に置き、第四の袋へと攻め込むのだ。

 それは同種同士で争う熾烈な王位争奪戦。


 その戦いの勝者は、かつての王かそれとも新たな王か。


 その結果を人が知ることは決してないであろう。


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