4章 蟻の袋 3
ギルドを後にしたダンカン達は、タケオを伴って西へと駆けていた。
タケオを除き、皆は疲労困憊という様相であったが、それでも仲間のために足を前へ前へと動かしている。
そんな中、ダンカンはこの後のことを頭に思い浮かべた。
(袋小路にて守りを固める仲間と、それを襲う赤い蟻。
その赤い蟻の後方を俺達が突き、怯んだところで袋小路側の仲間達が活路を開く)
成功の確率は定かではなく、全ては集っている蟻の数次第。
もはや策とも言えぬ策であった。
(結局、負傷者は見捨てることになるだろう。
それだけじゃない。より多くの者が犠牲になるはずだ)
蟻を殲滅し仲間を救助するはずが、蟻から仲間を逃がすための救助になり下がった。
まさかギルドに高ランクの探索者がいないなどとは露にも思わず、助けを呼びにいった結果がこれである。
ちなみにダンカンはタケオを高ランク探索者とは思っていない。
(こんなことならば、始めから負傷者を見捨てるべきだった……)
非情になりきれなかったため、さらに犠牲を増やすことになってしまったのだ。
その結果に今更ながらに悔やむダンカンであった。
やがて空が赤く染まる頃、一行は目的地へと到着する。
ダンカン達の前にはぼんやりと青白い光を放つ小さな岩山。
その岩山の前には門が建ち、その門を開いた先には穴があった。
特殊な金属の門がその穴を塞いでいるのは、蟻を外に出さないため。
さらに顔を横に向けたならば、遥か向こうにも青白く光っている小山が見えることだろう。
こちらが蟻の袋で、あちらが蟲の袋。
これこそが双子袋である。
さて、蟻の袋の入り口を前にして、ダンカンがタケオを加えた陣形について説明しようとした時のこと。
そのダンカンの話を遮り、タケオが口を開いた。
「僕が先頭を務めます」
その驕った発言に、ダンカンがそちらへと顔を向ける。
ここまで走ってきたにもかかわらず、タケオの呼吸は一切乱れていない。
Bランクかどうかはわからないが、少なくとも魔力運用はかなりできるようだ。
そして前に出たいと言うなら、ダンカンもそれで構わなかった。いい囮役になることだろう。
タケオという犠牲のもと、一匹でもこちらの被害なく蟻を倒せたならば御の字。
ダンカンにとって、タケオの発言は願ってもないことだったのである。
「そういえば報酬の話をしてなかったな。
黒蟻一匹につき十五金貨、赤なら四十五金貨。当然、アンタが止めを刺した場合だ。
それでいいか?」
「構いません」
ダンカンが討伐報酬を提示し、タケオはそれに頷いた。
その額はまさに破格であると言えよう。
蟻の体の中で最も大きく硬い頭は、黒なら十金貨、赤なら三十金貨で商店は買い取っている。
そう考えると、ダンカンの提示した黒十五金貨、赤四十五金貨という額は、救助の手間を思えば高くないかもしれない。
しかし、売るためにはそれらを洞窟内から運搬しなければならないのだ。
両腕を拡げなければ抱えきれないほどの蟻の頭を、である。
外殻のみを剥がしたとて大層な大きさであり、数が多ければ多いほどその運搬には相当の労力を要するであろう。
(精々金につられて、気張ってくれ)
タケオという男がどれ程の者かは知らないが、どうせ己の力を過信したええかっこしいに違いない。
ならば金という餌を吊るして、仲間を助けるために十二分に働いてもらおう。
そうダンカンは考えたのであった。
「それじゃあ、開けてくれ」
ダンカンの指示を受けて、入り口を守る二人の兵が巨大な両開きの門の取っ手を左右から引っ張る。
それと共にギギギと音が鳴り門が開いた。
すると、洞窟内からボウと漏れ出る青白い光。
中は火が要らないほどに明るかった。
「それじゃあ、僕から行きます」
まずタケオが両の手にジルとラコの剣を握って中へと入り、その後に他の者が続く。
「蟻の足音を聞き逃すなよ」
蟻の袋に入ると、ダンカンが思い出したかのようにタケオへ注意を促した。
蟻の足は六本。すなわち蟻は大きく体重を傾けることなく、滑るように歩くことができる。
この硬い地面の上でそれは脅威であること、この上ない。
なにせ足音が殆どしないのだから。
それ故の注意喚起であった。
もっとも過去に深部到達を果たしているタケオにとって、そんなことは言われるまでもないこと。
一行は耳をそばだてながら、注意深く奥へと進んだ。
急な下りに緩やかな下り、左へ右へうねうねと曲がりくねる道。
やがて一匹の蟻が曲がり角より現れた。
その肌は黒い。
「偵さ――!」
偵察蟻だ!
そうダンカンが叫ぼうとした瞬間である。
タケオは凄まじい速さにて蟻との間合いを詰め、左手に握ったラコの剣にてまずその触角を断った。
蟻にとって触角は、人間にとっての耳目も同然。
蟻は目よりも触角を頼り、耳よりも触角を頼る。
そのため、蟻のあらゆる反応が鈍するのは必然であった。
その隙にタケオは、蟻の右側に潜り込むと同時にその前足を断つ。そして最後にその首を断ち斬ったのである。
「す……すげえ……」
ダンカンの口から驚きの声が漏れる。
目の前で行われた一瞬の早業。
比喩でもなんでもない、まさに一息の間の出来事。
ダンカンは、己もBランク探索者であるというのに、この差は何であるかと考えた。
それは全く次元の違う戦いであったのだ。
「いける……これならいけるぞ……っ!」
「ああ、皆を助けられるかもしれん!」
他の者も同じだったようで、タケオの強さに皆が沸いた。
Aランクにも劣らぬタケオの実力を見て、希望の火が僅かに灯ったのである。
「先を急ごう」
一方、何ら感情を見せることなく、まるで当たり前のように振る舞うタケオ。
自分の強さをよく知っている証拠であり、それがさらにダンカン達を勇気づけるのだった。
そして、その後もタケオは何匹かの偵察蟻を瞬く間に肉塊に変えつつ、順調に進んでいく。
どれ程進んだであろうか。
蟻の袋に入って一時間は優に過ぎていた。
そんな折、一行の先に見えるのは丁字路。
正面は行き止まりで、左右直角に枝分かれしている。
すると、ダンカンは行進を止めてタケオに話しかけた。
「右に行くと第一の袋、左が仲間達のいる袋小路だ。赤いのがわんさかいるぞ。
準備はいいか?」
その言葉にコクりと頷くタケオ。
「お前達も準備はいいか?」
ダンカンが後ろの者達にも尋ねると、皆は口々に了解の返事をした。
タケオを先頭に一同はゆっくりとゆっくりと丁字路に向かって進む。
すると、右の袋へと繋がる道から現れたのは、赤い蟻であった。
その顎はこれまでの黒い蟻よりも長く大きい。
「赤い奴だ! 陣形をとれ!」
ダンカンの指揮により盾を構えた者が並んだ。
もちろん、タケオの後ろで。
赤い蟻はこちらを向き、威嚇するように両顎を左右に広げる。
百二十度以上開いたそれ、おまけに顎の長さはタケオの持つ剣をはるかに越えていた。
つまり、蟻の間合い深くに入らねばその触角は斬れないということだ。
タケオは右手のジルの剣を強く握る。
蟻の外郭は鉄よりも硬い、その顎も同様だ。
ではどうするのか。
簡単だ、斬らねばいい。
タケオは鈍器としてジルの剣を使ったのである。
その狙いは左顎の先端。
タケオは、獲物が両顎の間に入ってくるのを待つばかりの蟻の左顎に向けて踏み込み、大きく剣を振るう。
そして、ガンッという鈍い音と共にブチりと何かが千切れる音がした。
ダンカンは見た、蟻の左顎が根本からだらしなく垂れ下がっているのを。
蟻の頭と顎を繋ぐ筋肉が断裂したのだ。
そして次の瞬間、蟻の左側面に踏み込んだタケオが、左手のラコの剣にてその柔い首を断ち斬るのであった。
「赤を全く苦にすることなく倒すとは……」
盾の隙間より、事の次第を窺っていたダンカンは息を呑んだ。
通常、赤い蟻に対しては数人が盾にて敵の攻撃を受け持ち、その後ろから槍にて触覚を狙うのが基本である。
鉄すら噛みちぎる大顎に加え、さらに恐ろしいのはその体格による押し込む力。
その力の前には、如何に鉄よりも硬い盾を使い大顎を防いでいようとも、探索者はわずかの時間しか耐えられない。
赤い蟻は大人数であっても決して簡単にはいかない相手なのだ。
それをタケオはいとも簡単に倒してのけたのである。
「えっと……ダンカン、さん? 僕が道を作るので、後ろの袋から新たにやって来る奴をお願いします。
さすがに挟み撃ちは厳しいんで」
「あ、ああ、わかった」
そしてタケオとダンカン達は、左の袋小路の道へと曲がる。
丁字路を左に曲がった先に奴等はいた。
遥か前方に見えるのは、わらわらと埋め尽くすような赤い蟻の大群である。
そのあまりの数に奥の状況は掴めない。
「なんだこりゃあ……なんだってこんなに……」
ダンカンが絶望の声を上げた。
確かに、何十匹もの蟻がいるとは予想外であろう。
蟻には女王を守る使命があるのだ。
それ故、これだけ兵を割くことなど想像し得ないことであった。
しかし、こんな状況であってもタケオは動じない。
「では先に行きます。後ろを頼みましたよ」
タケオはボソリと呟くように言うと、ダンカンが返事をする間もなく凄まじい速度で駆け出した。
その両の手にジルとラコの剣を握って。
タケオは、二十メートルはあったかという蟻との距離をあっという間に詰める。
すると最後尾にいた蟻がその気配に気付き体を旋回させた。しかし、それはあまりに遅い対応と言わざるを得ない。
タケオは、既に背後までやって来ていたのだ。
蟻の旋回に合わせ、タケオが一歩前に踏み出せば、後は首が勝手にやって来るだけである。
それは蟻自ら首を差し出すがごとし。
タケオは、待ってましたとばかりにその首を飛ばすのだった。
そして今、赤い蟻のほとんどがタケオに背を向けている状態である。
密集していては、体を回転させるのも難しい。
さらに奥には探索者もいるはず。
もしこれが人間だったならば、奥の探索者には一面だけで当たり、残りはこの場で最も脅威となるタケオに対することだろう。
しかし悲しいかな、所詮は虫程度の頭。体を入れ替えようとしたのは、タケオという脅威に晒された蟻だけであった。
タケオはこの機を逃さず、次々と蟻の腹を破りその首を落としていく。
「すげえ……」
今日何度目になるかわからない驚きの声を、ダンカンは口にした。
ダンカン達がタケオに追い付く間に、既に十を超える蟻の屍ができあがっていたからである。
目の前では蟻の透明な体液が飛び散り、次々と量産されていく蟻の死体。
ダンカン達はもはや唖然とする他ない。
しかし、タケオの真骨頂はまだこれからであった。
タケオはそこからさらに十数匹を倒すと、損傷の激しい二本の剣を捨てて腰から新たに一本の剣を抜いた。
鉄よりも硬い特殊な鉱石で作られたその剣。
それは既にこちらを向いていた赤い蟻の大顎を二つに断ち、その頭を縦に割った。
その剣こそが、タケオと共にあらゆる魔物をほふってきたゴルドバの剣である。
そこからのタケオはまさに鬼神のごとき強さを誇った。
タケオの進撃を止めることのできる蟻はおらず、その前に立てば等しく死が訪れるのだ。
Aランクすら及びもつかないのではないかという、その強さ。
ダンカンはただただ驚愕した。
やがて蟻の数が十を割り、わずかに奥が見える。
それは盾であった。
まだ仲間は生きていたのだ。
「おい、生きてるか! 助けに来たぞ!」
ダンカンが仲間へ向けて叫ぶ。
すると、奥から声が上がった。
「やった、助かるぞ!」
「あともう少しだ!」
それは残った仲間達の奮起の声。
生への喜びである。
そうしている間にもタケオは蟻を殺し続け、そして最後の一匹の首がドスリと地に落ちた。
タケオは剣を鞘に納め、息を一つ吐く。
「やった……やった! 助かったぞ!」
蟻の大群を抜けた先で、男は構えていた盾を下ろし喜びの声を上げた。
その声を合図に他の者も盾や武器を下ろし、歓声を上げる。
しかし、その声はどこかむなしい。
なぜなら、そこにいた探索者達のすぐ後ろに見えるのは壁。
彼等は壁際まで追い込まれていたのだ。
そこまでの状況である。その犠牲は計り知れないだろう。
「ああっ……」
ダンカンが嗚咽する。
それを皮切りに助けに来たメンバーが皆、涙を流した。
自分達の立っている場所から香る鉄の臭い。
そして、透明な蟻の体液に混じる赤いもの。
タケオ達が立つ蟻の死骸の下には、人間の体が幾つも横たわっていたのである。