4章 プロローグ
才気溢れる領主の下で日進月歩の発展を続け、今や王都すらも凌ぐ街と呼ばれるようになった商業都市カシス。
そんなカシスの一角にとある学校があった。
名前をカシス全民校。
その『全民』という名が示す通り、入学費用が払えるコエンザ王国民であるならば、誰もが入学可能な全寮制の学校である。
その設立にはタケダ商会が関わっており、開校して間もないにもかかわらず経営は順調そのもの。
金が工面できない上に、子供が重要な働き手である一般家庭の者こそ入学してこなかったが、金回りがいい上に、子供が邪魔にしかならない探索者は違う。
探索者達は全寮制であることに目をつけて、厄介払いに似た形で子供を入学させていたのだ。
さらに、タケダ商会と縁を持ちたい商人も己が子を入学させている。
既に二期生まで入学しており、現在は来春からの三期生を募集しているところであった。
そして入学した生徒達は、五年を満期とする教育課程の下で基本教養として文字、礼儀作法、宗教等を学び、半年後には選択科目として武芸、商業が履修教科に加わる。
卒業する頃には教養に富んだ武芸者か、商人、もしくは熱心なウジワール教徒になっていることだろう。
――ところで、コエンザ王国民という入学条件であるが、これには亜人すらも含まれていた。
この世界において勉学とは支配者になりうる人間のみに必要なものであり、従属するべき亜人には必要のないものである。
だというのに、その支配者を養成する機関ともいうべき学校に、亜人を入学させる?
あり得ないことであった。
入学費用の問題もあり、人間でさえ学校で学べない者は多くいる。
つまり学校で学ぶことは、謂わば人間の中でもさらに上位の者の特権であると言えるのだ。
それ故に学校設立に際しては、カシス内外から問題だとする声が上がるのは当然のことであった。
しかし、タケダ商会の長タケオ・タケダが強引な手によってそれを退ける。
ウジワール教会に寄付とは名ばかりの多額の賄賂を贈り、さらにウジワール教の司祭を教師として多く招聘することを約束し、加えてカシス領主の了解すらも取り付けたのだ。
これにより、反対意見は全て黙することになったのである。
◇◆
売りに出されていた元は大商人の邸宅だったものをタケダ商会が買い取り、それを校舎とした全寮制の学校――カシス全民校。
開校は前年度の春であり、未だ足りないものも多く、敷地内では今なお設備を増築するトンカチの音が鳴り響いている。
そこは一期生の武芸科の教室であった。
全ての授業が終わり担当教諭が退室すると、教室内はわいわいがやがやとした生徒達の声で騒がしくなる。
そんな喧騒の中で、白い髪の少女――ラコが己の席にて呟いた。
「休みかぁ」
ラコが口にした休みとは、担当教諭が帰り際に連絡した明後日からの二ヶ月に渡る休校の話である。
寮こそ閉めないものの、学校に関しては完全休校状態に入るそうだ。生徒達はその休みを利用して各々の実家に帰ることだろう
「浮かれてらんないわよ。こういうところで怠けると他との差が広がるんだから」
ブラウンの髪の上に獣耳を生やす少女――ジルが、ラコの下にやって来て言った。
そしてそこにもう一人、狼の顔をした女が加わり、疑問を口にする。
「どうして急に二ヶ月も休みになったんだろうな?」
二月もの長期の休みである。
タケオはタケダ商会でこそ長期休暇を設定していたが、全民校にはそんなものはない。
生徒達は金を払い学びに来ているわけで、これで理由もなく休みなど設定した日には学校側の怠慢とされるのがオチであろう。
「さあ? 先生達の都合じゃないの?」
「ボク、学校長先生とカートス先生がどこかへ行くって言ってたのを聞いたよ!」
「校長とカートス先生ね……逢い引き、ってそんなわけないか。おぇ」
学院長と教師カートスはどちらも男である。
変な想像を思い浮かべたジルは、おもいっきり顔をしかめた。
「どちらも教会の人間だ。やはり教会関係じゃないのか?
教会の人間が全員休めば、この学院も休校にせざるを得ないだろう」
「たしかにね」
「さっすが、サルヒ! あったまいい!」
狼族の女、その名をサルヒ。
サルヒとは風を意味する名であり、その名に恥じぬがごとく、風のように走る女であった。
加えてラコが誉めたように、学業においては常に上位の成績を修めるほどに優秀でもある。
「それで君達はどうするんだい? 寮で訓練漬けか?」
サルヒが休みの予定を二人に尋ねた。
「……それも悪くないわね」
「え? ジルお姉ちゃん、お兄ちゃんのところに帰らないの!?」
サルヒの質問に、ジルは少し考えた風にして答える。
しかし、それは意に沿わぬ答えであったようで、ラコは驚きの声を上げた。
「冗談よ、冗談。
一ヶ月もあるのよ? あいつのことだから『みんなで実家に帰ろう〜!』とか言い出すに決まってるわ」
「ジルお姉ちゃん、似てる! 似てる!」
「でしょ? 私にかかればあいつの真似くらい簡単よ」
声色を変えてタケオの真似をするジル。
それはそっくりと言う他ないものであった。
するとラコはやんやんやと誉め散らし、それに気をよくしたジルはどや顔を浮かべている。
「ふむ、そうか。
どうせなら一緒に探索でもと思っていたんだがな。どうやら、無理そう――」
「あんた遺跡にいくの!?」
「あ、ああ」
サルヒの口から出た探索という言葉に、ジルは話を遮るほどの強い関心を示した。
さらにその隣では、ラコも同様に目をキラキラと輝かせている。
「やけに食いつきがいいな、まあいいか。
父が探索者というのは前に話したな。それで初心者用の遺跡には何度か連れていってもらってるんだ。
一応武芸科を選択しているし、実戦の勘を忘れないためにも休みを利用して探索でもと思ってね」
かつて、まだミリアがタケオの下にやって来る前のこと。タケオはジルとラコに剣を教え、余った時間は探索の話に費やした。
タケオの恩師の話、遺跡の話、魔物の話。
娯楽の少ないこの世界、タケオが語る探索の話はまさに物語のような冒険譚であった。
今でこそタケオは、ジルとラコに商業科ばかりを薦めてくるほどに腑抜けてしまっている。
しかし、ジルとラコは今でもあの時と変わらない。
探索者になりたいという夢は未だ色褪せていなかったのである。
「でもこの辺に遺跡なんてないわよ? あんたのお父さんどこで探索してんのよ」
「ノースシティさ」
サルヒの口から出た街の名前――ノースシティ。
ゴクリとジルは喉を鳴らした。
ジル達の実家であるゴルドバの家もノースシティにあるのだ。
確かにあの街の周辺には三つの遺跡が存在する。
そして、そのうちの一つが初心者用の遺跡『岩場の墓』、別名『雛の遊び場』と呼ばれる場所であった。
正直遺跡というほどのものではなく、ある岩場の奥に立つ墓石から魔物が現れるだけの場所だ。
魔物は、角の生えた猫の魔物――鬼猫、人の半分の背丈しかない角の生えた猿の魔物――鬼猿、角の生えた犬の魔物――鬼犬の三種のみ。
一番強いのが鬼犬で、強さは凶暴な大型犬といったところ。
とはいえ侮ってはいけない。魔力のない丸腰の人間と犬ならば、犬の方が強いからだ。
(行きたい)
(いきたい)
ジルとラコの心は一つになっていた。
幸い、いやまだわからないけども、おそらく休みはみんなでノースシティに行くと思われる。
(いやでも、ミリアは仕事があるから)
(じゃあ、みんなで行かないにしても、ボクたちだけでノースシティに行ったらどうかな)
――そんな考えが二人の頭を巡る。
しかし、二人が探索へ行くにはさらに大きな障害があった。
「お兄ちゃん許してくれるかなぁ」
「そこが一番の問題よね」
障害とは、間違いなく反対するであろう保護者の存在である。
「なんだ、そんなに過保護なのか? お前達の兄とやらは」
兄とは当然タケオのことだ。
書類上は養父ということになっており、タケオもジルとラコを娘だと思っているが、二人はタケオを兄のように思っていた。
「過保護ね」
「うん」
ジルが過保護と断じ、ラコが二の句も継げずに同意した。
そして「出会った時はあんな風じゃなかったのに……」などとジルがぼやき、対するラコは「今のお兄ちゃんも好きだよ!」とタケオを庇う。
「まあ、とにかくどうするんだ?」
長くなりそうだったので、さっさと元の話題に戻したサルヒである。
「家に帰って聞いてみるわ」
「許してくれるかなぁ?」
「友達の付き合いって言えば大丈夫よ、多分」
「ああ、それと行くんなら旅費その他は各自負担で頼むぞ。私はこの足でノースシティまで行くが、お前達には無理だろう」
サルヒはぺちんと己の太股を叩いて言った。
とはいえ、この二人に旅費の心配はしていない。
服こそ己と同じ平民のものだが、一部教師達のよそよそしい態度から、この二人がいいところの出だというのは明らかであるからだ。
サルヒも入学当初は、それに目をつけて二人と仲良くなろうとした。
ハーフとはいえ、亜人に該当するジルに教師達が気を使っているのは異常である。
保護者は相当の権力者であろうと考えたのだ。
しかしそれも昔の話。
サルヒは誰が相手でも自分を通そうとする二人が気に入り、今では損得など考えることなく、己の意思で一緒にいるのであった。
「じゃあ、明後日までに返事をくれ。行くんなら向こうでの連絡先も決めないといけないし」
「わかったわ」
「うん!」
こうして談話は終わり、三人は教室を去っていった。
◆◇
その日の夕方、ジルとラコはタケダ商会の屋敷に来ていた。
勉学に集中するために、なにか特別なことでもなければ来ない場所である。
「ミリア、あいつ来てる?」
ジルは、執務室で書類作業を行っていたミリアにタケオの所在を尋ねた。
「タケオ様ならまだ来てませんよ。それで、どうしたんですか? 休みは明後日からでしょう」
「休みのこと知ってるんだ。ま、それはいいか。
ちょっとタケオに聞きたいことがあってね、急ぎの用なのよ」
「ジルお姉ちゃん、ミリアお姉ちゃんからもお兄ちゃんに頼んでもらおうよ」
探索の件でタケオがいい返事をしないことを想定し、ラコはミリアにも援護してもらうことを提案する。
「……たしかに。ミリアがこっちの味方になったら心強いわ」
「一体何の話ですか?」
「えっとね――」
ラコの提案に頷いたジルがミリアに事情を説明した。そしてその上で、自分達が探索に行くことをタケオが了解するように協力してほしいと頼んだ。
「お断りします」
しかし、ミリアの返答は拒否であった。
その答えに、ジルの眉尻がつり上がる。
「なんでよっ!?」
「貴女達が危険な目に遭うことをタケオ様が望んでいないからです」
「そんなこと言ってたら、探索者になんてなれないわよっ!」
「その通りです。タケオ様は貴女達にタケダ商会を継いでほしいと思ってるはずです」
感情的になるジルに対し、ミリアはどこまでも冷静だ。主たるタケオの意を汲み、二人が探索に行かぬよう説得を試みる。
しかしジルは、止まることなく捲し立てた。
「だからそれは、一流の探索者になってからって言ってるじゃない! それはタケオも認めたことだわ!」
「いいえ、タケオ様はそんなこと一言も認めていません。学校を出るまでに一流になれる素質があるかどうかを見極めてから考える、と言ったのです」
「だったらなおのこと、学校にいる間にその素質を磨く必要があるはずだわ! 何もせずに諦めるなんて嫌だもの!」
「……確かに、それはそうですが」
思っても見なかったジルの正論であった。
次の言葉がすぐに浮かばず、ミリアは言葉を詰まらせてしまう。
「……しかしですね」
そしてわずかばかりの思索の後、ミリアが反論しようとしたところで、それは襲いかかった。
「ミリアお姉ちゃん……」
「うっ……」
ラコがクリクリとした瞳でミリアを見つめていたのだ。
ミリアはこの目にどうしようもないくらい弱かった。
「……駄目?」
その瞳を前に、ミリアは目をつむり今一度思考にふける。
行くのは初心者用の遺跡。
魔力を自在に扱える二人なら滅多なことはまずないと言っていい。
それに二人を溺愛するタケオのこと、本当に危険ならば駄目だと言うはずである。
「はぁ……まあ、ジルの言うこともわかりますので、今回だけですよ」
「やった!」
「ありがとうミリアお姉ちゃん!」
結局、ミリアが折れる形で話は決まり、ジルとラコはタケオが来るのを今か今かと待ちわびるのであった。