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3章 プロローグ

 日本の首都圏に、世間からはお嬢様学校と呼ばれている、とある女子高等学校があった。その評判の通り、そこに通っているのは資産家や名家の令嬢ばかり。

 そしてその中の一人に、美しい黒髪をした少女がいた。


 その少女は成績優秀にして品行方正。さらに腰まで伸びる美しい黒髪と端整な顔立ちをしており、極めつけは有名食品会社社長の令嬢という生まれであった。

 担任教師やクラスメイトからの信頼も厚く、クラスの委員長も担っている。


 まさに天が二物も三物も与えたような、そんな少女。


 彼女は非の打ち所のない、誰もが羨む人生を歩んでいたのだ。


 ――その時までは。


「きゃっ!」


 学校の教室で授業を真面目に受けていた少女が、小さな悲鳴と共に尻餅をついた。先程まで座っていたはずの椅子が、少女の下からなくなっていたのだ。


 この時、普通ならば後ろの席の者が少女の椅子を引いたのが原因と考えるだろう。

 だが、少女の周りの景色がそれを否定していた。


「どこ……ここ……」


 そこは少女が先程までいた教室ではなく、草が一面に生えた草原だったのだ。


「――っ!」


 ザワリと手に感じる草の感触に、少女は思わず立ち上がる。

 そして下を見る、そこにもやはり草。


 目を疑う光景というのはこういうことを言うのだろうか、と少女は思った。

 目の前に広がる景色、前を向いても後ろを見ても草ばかり。

 先程までいたはずの教室は影も形もない。授業の最中に目の前が光ったと思えば、そこは見も知らぬ場所――脛程の高さの草によって、一面を覆われた平野だったのだ。


(夢なの……?)


 しかし、震える足がそれを否定する。

 少女が認めたくないだけで、少女の体は今ある現実を理解し恐れているのだ。

 やがて頭の中が体に追い付いた時、言い様のない不安が少女を襲った。

 足には力が入らず、少女はその場にしゃがみこむ。


 何故、どうして、そんな答えのない疑問ばかりが少女の頭に浮かんだ。


 しかしその時、しゃがんだ先で小さな蟻を見た。それは頭が大きく大きな牙を持った赤い蟻だった。

 日本には存在しない蟻である。


(なら、ここは日本じゃないの?)


 その現実が少女を逆に冷静にさせた。

 ここが外国だというのなら、このままでは命の危険があるかもしれない。

 彼女は危機に立ち向かう聡明さと強い心を持っていたのだ。


 そして少女の中では、『どうしてこうなったか』という原因の追求から、『ここはどこなのか』という現状の把握と『これからどうするべきか』という対策の立案へと考えが変わっていく。


 まずはポケットの中の携帯電話を取り出し、画面を見る。そこには圏外の文字が表示されていた。


(これで私には連絡手段がないということになるのね)


 次に携帯電話のアプリケーションからGPSマップを開く。するとマップは少女が学校にいることを示していた。


(つまり、私は移動していないということ)


 自分がその場から動いていないのに周りが変わる。

 少女は荒唐無稽であると考えながらも、ワープ現象のようなものにあったのではないかと推測した。

 しかし、今それはどうでもいいことだ。


 少女は近くに生えた木を見る。太く長い幹をした巨木。天辺のみにしか枝葉がない様はまるで人の頭のようである。

 日本にはない木だ。


(やっぱりここは日本じゃない。でも、私はあの木を見たことがある気がする)


 少女が記憶の中からあれが何であるかを探す。


(バオバブの木……?)


 少女の背にブルリと悪寒が走った。

 バオバブはアフリカで自生している植物である。

 すなわち、ここがもしアフリカのサバンナならば、それは猛獣の庭ということだ。


(早急に人のいる場所へいかなくてはならない。とにかく、誰か人のいる所へ)


 少女はもう一度辺りを見回す。


 目に写るのは遥か遠くの大きな山とそれなりに近くにある林、そして林のさらに向こうから見えるのは――


(煙っ!)


 火を使う、それは人間がいる証拠である。

 希望が見えてきたと思い、少女は足を踏み出す。

 どんな危険があるかわからない林は迂回しよう、と考えながら。


(まずは火元が直接見える位置へ。うまくいけば人の通る道があるかもしれない)


 そして少女は歩く。スリッパと歩きにくい草地を億劫に感じながらも、ひたすら前に進んだ。


 その途中、ギャアという鳴き声が上空から聞こえた。顔をそちらに向ければ、鳥の群れが遥か上空を飛んでいた。


 そして三時間余りを歩いて見えたのは、かろうじて集落だとわかる程遠くにある小さな点。

 しかし、それだけではない。

 道があるのではないかと予想される草地の途切れ、そしてそこには明らかに人だとわかる三つの影があった。


「おーい! おーい!」


 少女は大きな声を出し、さらに手を大きく振る。淑女とは言い難い行為であるが、背に腹は代えられない。


(こんなはしたない姿をクラスの皆が見たら、何て言うかしら)


 そう考えると、少女は少しおかしく思った。


 そして遠くに見える三人は少女の存在に気づき、そちの方へと歩き出す。

 ならばと、少女も三人の方へ歩き出した。


 だんだんと近づくにつれ、その三人の肌が黒くないことがわかる。そのことが、少女に英語によるコミュニケーションを期待させた。


 そして少女は三人の前までやって来た。


 油にまみれたボサボサの髪、土に汚れた顔、服も綺麗とは言いがたく所々にほつれもみえる。

 そして、腰には剣。


 男達は下卑た笑みを浮かべていた。


 こうして、この時より少女の地獄が始まったのだ。


◇◆


 あちらの世界でライナ達がアルカトに送られて数日後。

 日本で高校生をやっている武雄は、今日も元気に学校にて勉学に励み、そして現在は帰宅の途にあった。

 やがて己が住むマンションが見えてくる。すると、そのマンションの前に見覚えのあるシルバー色のセダンが停まっていることに気づいた。


 こちらを見定めて、中から紺のスーツを来た男が出てくる。


 武雄はその男を知っていた。

 武雄が初めてこちら側に帰ってきた時から、己を担当している警察官である。

 過去には一度、研究所にて武雄が吹き飛ばしたこともある男。

 その名は鮫島。

 短く刈り上げた髪をし、中肉中背の武雄より頭ひとつ大きい長身で、体つきも中々に逞しい。耳がよじれているところを見れば、その体は柔道で培われたことがわかるだろう。


 武雄は鮫島を見ると露骨に嫌な顔をして、足を止めた。


「武雄君、今帰りか?」


 鮫島が武雄に近づいて声をかける。


「はい」


 見ればわかるだろ、と言ってやりたいのを我慢して、武雄はそれに応じた。


「ちょっと、話があるんだがいいだろうか?」


 またか、と武雄は思った。

 ゴルドバの剣を取り返して以来、武雄は警察に度々付きまとわれている。


 研究所の一件後、こちらに戻ってきた武雄は、警察に捕まり事情聴取を受け部屋の中も調べられていた。

 もちろん、剣はあちら側なので見つかりっこないのだが。


 ちなみに事情聴取では――


『あの時の行為は剣に取りつかれてしまったせいであり、その時の記憶はない』

『その後、あちらの世界に気づいたらいて、また遺跡に潜って戻ってきた』


 ――という苦しい言い訳を武雄は押し通していた。


「もう話すことはないと思いますが」


 おもいっきり眉を寄せて武雄は鮫島に言う。

 せめてもの抵抗である。


「ああ、今日はちょっと違う話なんだ。俺が奢るから喫茶店にでも行かないか」


 こちらの嫌悪を前面に出した態度もなんのその、鮫島は別段気にした風もなく武雄をお茶に誘った。


「はぁ……わかりました」


 ため息を一つ吐き、観念したかのように了承の返事をする。

 とてつもなくしつこい鮫島に対しては、さっさとその用件を済ますのが得策だということを武雄は知っていたのだ。


 こうなったら、できうる限り高い物を頼んで日頃の鬱憤を晴らしてやろう、と誓う武雄であった。


 駅の方へ向かって二人で並んで歩く。

 それは、鮫島も武雄も喫茶店の場所なぞ知らず、駅の方へ行けば何かしらあるだろうという考えによるものだった。

 また、車を使わなかったのは武雄が乗車を拒否したからだ。鮫島を信用していない武雄は、どこへ行っても自分の足で帰ってこれる場所を望んだのである。


 鮫島が、最近調子はどうかなどの常套文句を述べて場を持たせながら、二人は駅の方へと足を進めた。






 ズルズルという音と共に麺をすする。


 おかしい、と武雄は思った。

 喫茶店へ行くはずだったのに、入ったのはラーメン屋。

 まあ、喫茶店が見つからなかったからなのだが。


「フランチャイズのファーストフード店がひしめく中、喫茶店の経営というのはなかなか難しいんだろうね」


 ハハハと笑いながら言う鮫島。


 そういうものなのかと、聞き流しながら武雄はラーメンを口に運ぶ。

 やがて麺と具を食べ終えた武雄は、手に持ったお椀からスープを最後の一滴まで飲み干した。


 ドン、と空になった器が机に置かれる。


「ごちそうさまでした。

 それで、いつもと違う話というのは?」


「武雄君はテレビは観る方かい?」


「テレビですか? 朝、学校に行く前にちょっとつける程度ですけど……」


「そうか……」


 そう言うと、鮫島はスーツの内ポケットから一枚の写真を出す。

 そこには高崎という表札が掛かった門の前で、制服姿の黒い髪の少女が立っている姿が写っていた。

 学校の入学の際の記念写真だろうか。


「高崎紗香、聞いたことは?」


 武雄が首を横に振る。


「この写真は彼女が高校入学の時の写真でね。今は高校二年生だ。

 ある日の学校の授業中、彼女の席に急に眩しい光が現れたそうだ。そしてその光が収まると、そこにいるはずの彼女はいなくなっていた。これが一月余り前の話だ」


 武雄はその話を聞いてブルリと震えた。

 なぜなら、それはまるで――


「――そう、武雄君。君の時と同じだよ。

 本当にあちらの世界というものがあるのなら、彼女はおそらくそこにいる」


 鮫島のその目は真剣そのものであった。


「正直、今までは半信半疑だった。確かに君の言うことには筋が通っているし、それを裏付ける品々もあった。

 しかし、だからといってそんなエセファンタジーみたいなことがあるわけないと思っていたんだ」


「――でも同じことが起こった」

「そう、その通りだよ武雄君。周りの人間はそんなことを信じていない。

 しかし、君の担当だった俺は違う。彼女はもうこの世界にはいないのだと思っている」


 確かにそうだ。状況からいってあちらの世界に飛ばされたのだろう。


「彼女の家は有名な資産家だ。この事件は警察の威信がかかっている」


 警察の威信、本当にそれだけだろうか。

 正義感、出世欲、職務。果たしてその目に映っているのは何だろうか。


「まあ、それだけだ。時間をとらせて悪かったな」


「いえ、それと僕にはやっぱり……」


「……そう言うだろうと思ってたよ」


 そう言って鮫島は席を立ち、金を払って店を出る。

 武雄は一人ラーメン屋に残り、コップに入った水をゴクリと飲み込んだ。


(僕以外にもいたのか……)


 もしかしたらとは思っていた。

 現に武雄はそういった者がいないか調べている。


 しかし、いるかどうかもわからぬ者のために力を入れるわけもない。その捜索は同業の者への聞き取りと、いたら連れてきてくれと方々へ要望するに留まっていた。


(無事に暮らしてればいいが……)


 武雄はそう思った。

 だが、それがいかに甘い考えであるかを武雄は知っている。

 自身の過去を省みた時、高崎紗香という少女の不幸を予感せずにはいられなかったのだ。


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