2章 牢獄都市アルカト 3
太陽はだんだんと西へ傾いており、じきに空は夕暮れへと変わるだろう。
そんな空の下を、パッカパッカと、二匹の馬が幌を被せた荷車を引いて走っていた。
その幌の下は檻であり、その檻の中にいるのは三人の奴隷である。
やがて馬車は止まり、続けて大きな声が上がった。
「かいもーん!」
開門という声と共に開く城門。
そこは既にアルカトの入り口であった。
「着いたか」
「くそっ」
現状を呟くライナと、それに悪態をつくアルダル。
新たに脱走の機会を窺っていた二人であったが、そんなチャンスはついぞ巡っては来なかった。
そんな中、唯一平然としているのはドワーフの男である。男は唯一幌を捲ることができる檻の出入り口を陣取り、外の景色を眺めていた。
やがて馬車は再び動きだす。そして、しばらくの後にまた止まった。
「降りろ」
兵士の声と共に、檻の扉が開く。朝の脱走の前科からか、兵士達は全員が抜剣していた。
奴隷達三人が指示に従い、檻から出る。
「ここがアルカト……?」
ライナがポツリと呟いた。
周囲に人こそいないものの、降りた場所はただの街の一部にしか見えなかったのである。
ライナはその視線を遠方へと向けた。
そこには壁があった。
カシスのような人や物の出入りを制限するための小さな壁ではない。
何者の侵入を許さないという目的のもと作られた、高くそびえ立つ城壁がそこにはあった。
まさしくそこは牢獄都市の名にふさわしい場所であったのだ。
「いいか、これから戸籍登録を行う。そこの建物に入れ」
そう兵士が言うと、ライナ達はそれに従って示された大きな建物へと足を進めた。
その周りには六人の兵士が隙なく固めており、奴隷達の動向に目を光らせている。
しかし、その時だった。
「お父さん!」
小さな影が兵士の間をすり抜け、さらにライナの前を横切り、ドワーフの男へと向かっていったのだ。
「リンリン!」
ドワーフの男はそれを強く抱き締めた。
その目には大粒の涙が浮かんでいる。
(お父さん……? ドワーフの娘か……?)
ライナは抱き合う二人を見た。少女の種族は確かにドワーフである。
ならばこれは父娘の感動の再会というやつだろう、とライナは思った。
しかし、ある一点に疑問が残った。
服である。
ドワーフの娘はそこそこに上質な服を着ていたのだ。
それは間違っても奴隷が着ていいものではない。
(ドワーフの娘はここアルカトで、一般に働いている者か?)
この奴隷しかいないはずの街で奴隷ではないというのなら、それは奴隷を管理する側の人間だろう。
(しかし、ドワーフが管理側の人間? そんなことありえるのか?)
ライナはどうにも腑に落ちなかった。
亜人の奴隷を亜人が管理する。
人の世ではどちらも虐げられている者同士ならば、共同して反乱を起こす可能性が増すというものである。
「おい、お前達だけ先に行け」
兵士がライナとアルダルに言った。二人はその指示に従い、兵士に囲まれながら建物の中に入っていく。
この時、ドワーフに一人も兵士が付かなかったのをライナは不思議に思った。
◇◆
ライナとアルダルは建物の中の一室へと連れていかれた。
そこで二人は、しわくちゃな猫の顔をした老婆の指示のもと書類を書かされる。
もっとも、ライナは自分の名前しか書けなかったし、アルダルなどは名前すら書けなかったので、猫族の老婆がそのほとんどを代筆していたが。
「脱走を企てたんだってね。
タケダ様はあんたらを衛兵にしようと考えていたようだけど、農耕をやってもらおうか」
書類作業が全て終わると、猫族の老婆がそんなことを言った。
(奴隷に衛兵をやらそうとしていただと? 聞き間違いか?)
己の耳を疑うライナ。まさに、そんな馬鹿なというような話であるからだ。
「兵士様方はもう結構ですぞ。後はこちらでやりますゆえ」
「うむ」
猫族の老婆に言われて去っていく兵士達。
「さて、まずあんたらに言っておこうかね。ここはアルカトの行政府。そして、あたしも含めたここにいる者、全てが奴隷さ」
『は?』
ライナもアルダルも、目の前の老婆が何を言ってるのかわからなかった。
目の前の猫族の老婆は小綺麗な格好をしている。しかし、それはここが奴隷を管理する建物で、老婆が管理側の者であるからだと二人は思っていた。
「……お、おいおい、冗談きついぜ、猫のばあちゃんよ」
暫しの沈黙の後に口を開いたのはアルダルである。
そして、その意見にはライナも同意であった。
「あんたらが奴隷? そんな身なりで? はっはっはっはっ……ふざけるなよ! 目を見りゃあわかるんだよ!
奴隷なんてのは反逆心を持ってるギラついたのを除けば、誰もが死んだような目をしてるって相場が決まってんだ!」
馬鹿にされていると思ったのか、アルダルは激昂するように言った。
「その者が言ってることは本当じゃよ」
そんなアルダルに後ろからかけられる声。
ライナ達が振り向いてみれば、それは共にやって来たドワーフの男であった。
その隣には、先程のドワーフの少女が寄り添っている。
「何が本当だって? おっさん」
背の低いドワーフの男を、見下ろし睨み付けるアルダル。
「ここはタケダ様がお作りになられた、奴隷の街。いや、奴隷のための街なのじゃ」
「奴隷のための街? じゃあなにか? ここなら奴隷は幸せに暮らせるってのか? そのタケダ様ってのが俺達にお世話でもしてくれるってのか?
だったら、今すぐ呼んでもらおうじゃねえか。おーい、タケダ様よーい!」
「タケダ様の名前を使ってふざけるのはやめてっ!」
アルダルの馬鹿にした物言いに怒ったのは、ドワーフの少女であった。
「……おいおい、マジかよ」
ここまでくれば、アルダルも察しがつく。
信じがたいことではあるが、少なくともタケダ様とやらが奴隷の首輪無しで信望されるくらいには、奴隷達はいい暮らしができるらしい。
「わかったじゃろう。とりあえずここで五年間真面目に働きな。その後ここから出ていきたいようなら、タケダ様が話を聞いてくださるそうだ」
猫族の老婆が二人に告げる。
(五年で奴隷から解放される?)
どんな冗談だ、とライナは思った。
タケダと言えば、タケダ商会の長であろう。しかし、こんな街を作る理由も五年で奴隷を解放する理由も、ライナには一切の見当がつかなかった。
「オババ、あたし達を買ったタケダ様ってのは一体どういう奴なんだい?」
「なんだあんたら、タケダ様に会ってないのかい?」
「いや、会っているぞ。黒髪で仮面を被った方がいらっしゃっただろう。あれがタケダ様よ」
ドワーフの男が言った。
『は?』
「当然、あの振る舞いは全て偽りじゃろう。まさに仮面の男じゃわい」
呆けた様子のライナとアルダルを見ながら、カカカと笑うドワーフの男。
拐われて奴隷となった娘に会うために、自らをタケダ商会に売ったのがこのドワーフの男である。
娘の行方を探すうちにタケダ商会の本当の姿も知っており、それ故、タケオからは口外しないという理由でアルカトの内情も教えられていたのだ。
その後、ライナとアルダルは混乱の中宿へと案内され、ドワーフの男は娘の住む家へと去っていった。
なんにせよ、この日よりライナ達はアルカトの住人となったのである。
◆◇
ライナ達がアルカトにやって来て一ヶ月後。
その日の仕事を終えたライナは、己に与えられた家の一室から星を眺めながら、アルカトでの生活を振り返っていた。
(ここの生活は悪くない)
ライナとアルダルにはそれぞれに土地と小さな家が与えられ、そこで隣人に農作を教わりながら、毎日を過ごしている。
また、ドワーフの男には農具を作る仕事を与えられ、娘と共に暮らしながら日々仕事に励んでいた。
(一日三回の食事はただ。毎日僅かばかりであるが、働いた分の金が貰える。
仕事は苦しくないし、街に出れば店があり、酒だって飲める)
そして何より、アルカトには亜人という言葉がなかった。
そう、皆が奴隷、ここには身分がないのだ。
(……だが、どうにも剣が恋しくなる時がある)
ライナは己の手を見る。
生きるために手にしたのが剣であり、探索者という職業だった。
いい思い出など何一つない。そして最後には同族に裏切られ奴隷に落ちた。
(だというのに……)
――なぜこんなに懐かしく恋しいのか
その時ふと、あの男はどうなのか? とライナは思った。
タケダ商会会長タケオ・タケダ。
タケダという名ではわからなかったが、タケオという名は探索者として聞き覚えがあった。
元は奴隷探索者、そして解放された後は単独でノースシティにある遺跡を踏破したとされる男。
それがBランク探索者タケオ。
踏破の申請さえギルドに出していれば、間違いなくAランク認定を受けていただろう。
そしてライナは探索者ギルドの事件の犯人はタケオだと考えていた。
アルカトの関係者であり、元ノースシティの探索者。さらにギルドの事件と己の脱走の共通点は『移動』。
これだけの関連した事柄があるのだから、当然と言えよう。
しかし、ライナはそんなことはどうでもよかった。
危うきには近寄らず。
タケダ商会に、タケオ・タケダには逆らってはいけない、これだけを知っていればいいのだ。
(だがそれでも……)
――かつて探索者だった男は今を満足しているのだろうか?
そんな疑問だけはライナの中に残った。
◆◇
それはライナ達がカシスを旅立ってすぐの頃。
タケオはライナ達が乗った馬車を見送ると、己の屋敷まで戻ってきていた。
「また、タケオ様が矢面に立ったそうで」
執務室にてタケオに苦言を呈すのは、エルフの秘書ミリアである。
「うむ、その通りだ」
しかしタケオは、きりりとした顔で悪びれることもなくそれを肯定した。
(うろたえるから、余計に叱りを受けるのだ)
そう考えた末の一計であった。
「……タケオ様に万が一のことがあれば、この商会がどうなるか考えたことはありますか?」
「うむ。既に領主様には『僕が何かあった場合には商会を全てミリアに任す』と遺言書を渡してある」
「……」
「……」
「ご、ごめんなさい」
沈黙と冷徹なミリアの視線に晒され、とりあえず謝っておいたタケオである。
「はあ、もういいです。それよりアルダル・ゾ・ウーの許嫁だった者がまた面会を願い出ていますが、どうしますか?」
狼族の男アルダル・ゾ・ウー。
ゾとは氏族の姓、そしてウーとは王の親族であることを表す。
アルダル・ゾ・ウーは狼族の王子であったのだ。
とはいえ、所詮は獣人である。王子なんていう肩書きも人が支配するこの世では、なんの意味も持たない。
――ある日、街にやって来たアルダルは、人間の子が人間の大人達に殴られているのを庇う。
その子供は泥棒であった。
そして子供は無事に逃げおおせ、アルダルは泥棒の共犯として捕まることになる。
『奴隷となって罪を償え』
それがアルダルに対する、人の世の判決であった。
こうしてアルダルは奴隷として売られ、その売却金の一部は店へと支払われた。
アルダルを除けば、誰もが満足のいく結果だったのである。
泥棒をした子供が悪いのか。
子供が泥棒をせざるを得ない環境が悪いのか。
子供の泥棒くらい、と許してやらなかった大人が悪いのか。
一体、何が悪いのかはわからない。しかし、アルダルが悪くないことは確かだった。
そして、極一部の亜人の中でタケダ商会というのはいい意味で有名である。
『狼族の王子が捕まった、何とかしてやれないか』
その頼みを受け、タケダ商会が動いたのだった。
「――許嫁か。
手紙のやり取りだけ許そう。当然、中身はあらためなければいけないが」
アルカトの表向きの風聞は、奴隷達に恐怖を与えるものでなければならない。
タケダ商会が助けるのは目についた救われない奴隷のみ。
全ての奴隷を救う財力も権力もないのだから。
また、この世界には奴隷は必要不可欠であり、タケオはそのあり方を変えるつもりもなかった。
それがどんな混乱をもたらすかわからないからだ。
「それにしても許嫁か……」
ポツリとタケオは呟いた。その視線はチラリとミリアを見ている。
タケオの歳は二十三才。向こうの世界では高校生をやっている身ではあるが、そろそろ結婚を考えてもおかしくない年齢である。
「タケオ様にお付き合いなさる方ができましたら、まず最初に私の下に連れてきてください。
私が商会長婦人にふさわしい方かどうか、審査しますゆえ」
「はぁ」
タケオはため息を一つ吐いた。