2章 牢獄都市アルカト 1
赤い髪をした褐色の肌と長い耳を持つダークエルフの若い女。
灰褐色の体毛を持つ狼の顔をした若い男。
身の丈小さくも筋肉質な体格をした壮年のドワーフの男。
――彼らは奴隷商タケオ・タケダの屋敷の地下牢にて、未だに売れ残っている奴隷達である。
そんな三人に向かって、仮面の男が口を開いた。
「お前らの行き先が決まったぞ」
それを聞いたダークエルフの女ライナと狼族の男が、ゴクリと息を飲む。
「アルカトだ!」
仮面の男は嘲り笑うような声色で言った。
「なっ、なんだと!? おいっ、ふざけるな! ちゃんと買い主を探せ!」
これに取り乱したのはライナである。
狼族の男はそれがどこであるのかわからず、ドワーフに至っては一切の関心がないようであった。
「移動は明日! 心の準備をしておけよ!」
それだけ言うと、ライナの抗議を背に仮面の男は笑いながら地下牢を去っていく。
「アルカトだと……? くそっ、冗談じゃないっ……」
そして仮面の男が去った地下牢で、ライナはワナワナと震えていた。
そんなライナの様子を不思議に思い、正面の房にいた狼族の男が尋ねる。
「おい、そんなにやばいところなのかアルカトってところは」
「ヤバイなんてもんじゃない! アルカトといったら――」
「おい! 静かにしろ!」
ライナが目を剥いてわめき散らそうとしたところで、監視の兵士が叱責を飛ばした。時折見逃すこともあるが、地下牢での奴隷同士の会話は厳禁である。
「ちっ」
それに対しライナは舌打ちを一つすると、房の奥へ行き寝転がった。
結局、最初から最後まで話についていくことができなかった狼族の男も、ため息を一つ吐き、房の奥へと去っていくのであった。
◆◇
日の当たらぬ地下で時間の感覚を保つのは難しいだろう。
しかし、この地下牢にあってはそうではない。
兵士による起床と就寝の号令、さらに定時に出される三回の食事が、地上と変わらぬ時間の感覚を奴隷達に与えていた。
――そして時刻は、夜更け。
「おい」
ボソボソと呼びかける声が、寝ているライナの耳に届いた。
その発生源は正面の房――狼族の男からである。
それに対し、ライナは目を閉じたまま聞こえていない振りをした。
するとさらに数度の呼び掛けが続く。しかしそれすらもライナが無視をすると、やがて狼族の男は静かになった。
(やっと諦めたか)
そう思ったライナは、再び眠ろうとする。ところがそこに、カンッという音が聞こえてきた。
己の房の格子に何かが当たって跳ね返った音だ。
ライナは耳を集中させる。
長い耳は伊達ではない。ダークエルフは、人よりはるかに優れた聴力を持っているのだ。
そしてライナは上半身を起こす。
すると同時に、先ほどまで頭があった場所に小石が飛来した。
「おい」
再び狼族の男が小声で呼びかける。
ライナは自慢の聴力で監視の兵士が寝息を立てているのを確認すると、格子のところまで移動した。
「なんの用だい」
声量は小さいながらも、威圧するようなライナの声。私怒ってます、とでも言いたげに、その眉間には深いシワができていた。
実際のところ、狼族の男の用件がアルカトについてであろうことは想像に容易い。
しかし、睡眠を妨害されたことに苛立ったライナは、物分かりのいい者を演じるつもりはなかったのだ。
「いや、昼間のアルカトとかいう場所について教えてもらおうと思ってな」
されど、なんら悪びれることもなく、その用件を切り出す狼族の男。ライナの怒りも何のその、まさにどこ吹く風であった。
ただ鈍いだけなのか、それともわかっててやっているのか。
張り付いた笑顔からはわからないが、こういう手合いに感情的になっても馬鹿を見るだけである。
ライナは息一つにて感情を吐き出すと、アルカトについてつらつらと話し出した。
◇◆
コエンザ王国南部にあるカシス――その北西に、牢獄都市アルカトはあった。
かつて軍事要塞として使われた場所であり、四方は高い城壁に囲まれて中を窺うことは容易ではない。また、入ったが最後死ぬまで働かされて決して出ることはできないと言われており、巷では奴隷の墓場などと呼ばれていた。
「最初はあたしも知らなかったよ。
あたしは探索者、コエンザ北部のノースシティをシマにしてるから、南部のことなんて知らなくて当然さ」
でもね、とライナは話を続ける。
ある時、ノースシティの探索者ギルドに依頼が舞い込んだ。
それは、アルカトで作っているという新種の作物の種や苗木の採取。
しかし採取とは聞こえはいいものの、実際のところはただの盗みであり、犯罪である。
盗みとは穏やかではない。ギルドは公的に認められた機関であり、通常、犯罪に手を貸す依頼を受けるはずがないのだ。
それにもかかわらず、探索者ギルドは依頼を受けた。つまり、裏には相当の大物がいるということである。
そしてギルドは、実力があり、それでいて後ろ暗い背景のある者にその話を回した。
「勿論、亜人であるあたしにもね」
と、ライナは皮肉げに笑う。
亜人の探索者は全員が断った。
亜人とは人間とエルフを除いた種族の総称であり蔑称でもある。
身分の低い亜人が、探索者をやっていく上で大事なことは『危うきには近づかず』であった。
何かあれば、真っ先に切り捨てられるのが亜人であるからだ。
そしてその話を受けたのは、人間のみで構成された探索者チーム。金のためなら何でもやると言われている、悪い噂の絶えない者達だった。
彼らは探索者として登録されているランクは低いものの、実力は折り紙つきである。
もはや、依頼の成功を疑う者は誰もいなかった。
「遠く離れた南部なら足もつかないし、報酬も破格。奴等がその依頼に飛び付かないわけがなかった。
そして奴等は、一月も経たないうちに戻ってきた……死体になってね」
それは、件の探索者チームがノースシティを発って二十数日後のことだ。
早朝、ギルドで寝泊まりしていた職員がギルド入口の扉を開けるために、受付を行う部屋へと向かった。
すると、そこに何人もの人間が折り重なっているのを見つけたのである。
汚物の強烈な臭いと、それに混じった血の臭いがギルド職員の鼻を突いた。
――それらは死体だったのだ。
その日、ギルドはてんやわんやの騒ぎとなった。ギルド入口の扉は内側から閂がされており、まさに密室。
当然、ギルド職員の手引きによるものかとも考えられた。
しかし、ギルド職員が犯人だとするなら、己が犯人に疑われるような真似をわざわざするだろうか?
加えて、それ以上に不可解なことがあった。
死体のある位置以外に、血の垂れた後が一つもないのだ。
これはギルド内での戦闘を否定するものであり、また、死体を外から運び込んだことの否定でもあった。
まさに怪なる事件である。
そして、犯人は結局わからずじまいで事件は闇の中。ギルドは、この件に少しでも関わりのある者に対し箝口令を敷いたのだった。
「その時さ、あたしがアルカトについて調べたのはね」
『危うきには近寄らず』とは言うものの、その『危うき』が何であるかを知らねば避けようがない。今後のためにも、と考えたライナは、情報屋に金を支払って今回の事件についての話を聞いた。
――依頼を受けた探索者チームがノースシティを発って十日後、カシスとアルカトを結ぶ道の外れで、商人の一団が無惨に殺されているのが発見された。
その商人は数少ないアルカトの取引相手だったという。
誰がやったのかは明白であった。
理由は商人に成り代わりアルカトへ侵入するためか、それともその商人が依頼の物を持っていたためか。
そして、その報復により探索者チームは全員殺された。
『殺したのはアルカトの関係者だろう。誰にも見つからずにギルドに運んだのは、いつでも殺せるぞという脅しに違いない』
情報屋はそう言った。
ならば次は――、とライナはアルカトについて情報屋に尋ねる。
すると情報屋は、カシスの領主が深く関わっているので言えない、と答えた。
目の前の情報屋が口をつぐんでしまうほど、アルカトの闇は深かったのだ。
「――最後に情報屋が一つだけ教えてくれたよ。
入ったが最後、死ぬまで働かされて生きては出られないという奴隷の墓場、それがアルカトだって。
知ってるかい? ここ最近、南部では『悪い子はアルカトルに連れていくぞ』なんていう叱り言葉までできたらしい。悪童には効果覿面だって話さ」
ライナは冗談めかして話を締め、用は済んだとばかりにまた房の奥へと戻っていった。
一方の狼族の男の顔は真剣そのもの。
一連の事件についてはよくわからなかったが、とにかくアルカトに入ってしまったならば、そこで人生終了間違いなしということだけはよくわかった。
狼族の男はゆらりと立ち上がり、房の奥へと進む。
その目には決意の炎が宿っていた。