2章 ダークエルフの戦士ライナ 2
ある日、あたしは探索者ギルドで同族の女を見つけた。
褐色の肌に長い耳、茶色い髪を短く刈り揃え、ボロボロの皮の胸当てに、これまたくたびれた皮の鞘に入った剣。
みすぼらしい装備にキョロキョロと挙動不審なところを見るにルーキー探索者であることは一目瞭然だった。
そんな女に私は話しかける。
一人での探索に限界を感じていたから、パートナーを欲していた?
いや、寂しかったのだろう。
村から飛び出して六年余り。決して誰とも交わろうとはしなかったのだから。
それなりの腕になれば、声をかけられることも多くなる。
あたしもその例に漏れず、度々声をかけられた。
その中には探索者パーティーへの誘いもあった。
しかし、相手は信用できない他種族である。
そしてこちらは身分の低いダークエルフ。
あたしが騙され殺されても誰も問題にしないだろう。
現に一人で潜っていた際、人間の探索パーティーに襲われることは幾度もあった。
もちろんそいつらは全員返り討ちにし、証拠も残らぬよう魔物の餌にしてやったが。
たった一人で戦い続けてきた六年間。そこに現れた同族の女。
声をかけないわけがなかったのだ。
◆◇
女の名はコーリー。
あたしよりも三つ年下の二十才。
そして予想通りのルーキーだった。
生活の苦しい村を飛び出したはいいが、ダークエルフをまともな賃金で雇うところなどなく、それならばと、危険ではあるが実入りのいい仕事に就こうということで探索者を選んだそうだ。
あたしは、同族のよしみで面倒を見てやろうと提案した。
己の心の内を隠して。
それから一年、コーリーと共に遺跡に潜った。
ダークエルフの強みは、膨大な魔力と強靭な肉体である。
魔力はエルフに劣り、肉体は獣人に劣る。しかし、総合力ならばその二種を遥かに凌駕しているのがダークエルフだ。
コーリーもその例に漏れず、己が種族の恩恵を存分に受けて瞬く間に探索者として力をつけていく。
やがて、遺跡探索も少しずつではあるが深いところにまで潜れるようになった。
二人で協力した結果である。
このままいけば、いずれは幾つかの遺跡を踏破できるだろう。
ギルドの人間や一流探索者も、あたし達に注目していた。
そして、うだつの上がらない探索者達の妬みの声がとても気持ちのよかった。
まるで、ダークエルフこそが真に選ばれた種族であると言われているようで。
これは、一人で遺跡探索をしていた頃には得られなかった快感。
同族の仲間がいる。その心の余裕が悪意すらも喜びに変えていたのだ。
なにもかも順調であった。
しかし、それは突然終わりを迎えることになる。
ある日の探索帰り、あたしは酒場で食事をしていた。
コーリーも誘ったが、今日は用事があるということで断られた。
今日だけじゃなく、時折コーリーは用事があると言って、誘いを断ることがある。
用事とはなんなのか?
気にはなったが詮索するのも野暮だと思い、特に聞くことはしなかった。
あたしは腹を満たし舌を満足させて、酒場を出る。
そして、そのまま宿に帰ろうとしたところで、怒鳴り声が聞こえた。
「言い訳はいい! さっさと金を返せって言ってるんだ!」
道端で人間の男三人と、それに囲まれた姿の見えない者が一人。
借金取り……この街ではさして珍しくもない光景である。
特に気にすることもなく、通り過ぎる――はずだった。
「もう少し、もう少しだけ待ってください」
怯えるように震えた声。
ダークエルフの長い耳は伊達じゃない。
聴力は人間のそれよりも遥かに優れている。
――その声には聞き覚えがあった。
「コーリー!」
あたしは駆け寄った。
剣を腰に差した鎧姿のあたしに恐れをなしたのか、男達は「また来るぞ」と言って足早に去っていく。
「ライナ、さん……」
コーリーはあたしを見て途端に泣き出した。
あたしは何も言わず、その手を引き酒場へと戻る。
それは素面で聞けるような話ではないだろうから。
◇◆
翌日の朝、宿のベッドであたしは目を覚ました。
いや、実のところ、目を覚ましたというのは間違いだ。
あたしは昨日から一睡もしていない。
その原因はただ一つ。
――コーリーには借金があったのだ。それもとてつもない額の。
しかし、それはコーリーのせいではない。コーリーの家族のものだ。
あたしとの探索者生活の中で、コーリーは一度だけ帰郷したことがあった。
その時に家族の借金を知ったそうだ。
そしてコーリーは借金を肩代わりする。
やがてそれは利子によって膨らんでいき、途方もない額になっていたのだという。
「九百万ドエル……か」
あたしは腕を枕に天井を見ながら呟く。
九百万ドエル――九百金貨という大金がコーリーの借金だった。
あたしには三百金貨を越える蓄えがあるが、とても届く額ではない。
『私が自分で何とかしますから、気にしないでください……』
消え入りそうな声で、コーリーはそう言っていた。
その言葉を思い出して、あたしはなんとも言えない気持ちになり、布団を被った。
不意に眠気があたしを襲う。
半日遅れのまどろみに落ちていく中、何とかしてやりたい、あたしはそう思った。
◆◇
ノースシティには闘技場がある。
それは探索者同士を戦わせるためのもので、観客はどちらが勝つかを金を賭けて楽しんだ。
また、戦いにも種類があり、木製の武器で技を競うもの、本物の武器を使うが全身に鎧を着込ませてできうる限り命の危険を減らしたものなど、様々なものがあった。
そして、命の危険ない戦いは八百長をしやすいというデメリットが存在するため、運営側は客が一回に賭けられる金額を制限している。
しかし、賭け金の制限がない戦いも存在した。
それは互いの命を懸けた戦い。
武器は自由、防具は運営側より支給される鎧のみ。
勝利者報酬も三百金貨という破格の額。
一応降参は認められているが、不正を防ぐために降参した者は奴隷に落とされ、その場でオークションにかけられる。
負けた探索者のせいで大金を失った者は鬱憤を晴らすかのようにオークションに参加し、もしもそんな客に買われでもしたならば、奴隷となった探索者のその先の人生は言わずもがなであろう。
そして、あたしは今その闘技場へと来ていた。賭け金無制限の戦いに参加するために。
――きっかけは、コーリーが闘技場に出ると言ったことだった。
借金についてあたしが知ってから数日後、コーリーは闘技場への参加を口にした。
コーリーは各所を駆けずり回って百金貨を集めてきたらしく、それをコーリーは自身に賭けて出場するそうだ。
あたしのところに助けを求めなかったのは、仲間であるからこそだろう。
勝てば倍率に合わせた額に加えて、さらに勝者報酬の三百金貨も得ることができる。
後はそれを繰り返して九百金貨という金を作ろうというのだ。
――無理だと思った。
コーリーの実力は未だ中堅の域を出ていない。
掛け金無制限の戦いに参加しようという奴は二種類いる、コーリーのように切羽詰まった一攫千金狙いの奴か、それとも命を懸けてまで自分の実力を試したいだけの武辺者か。
前者ならばいい、コーリーでも十分勝てるだろう。
しかし後者は駄目だ。奴等は己の武に絶対の自信を持った圧倒的強者。コーリーの実力では厳しいと言わざるを得ない。
――ならば、あたしがやるしかない。
同族であるコーリーのために。
闘技場の控え室にてあたしは椅子に座り出番を待っていた。
既に相手の情報については聞き及んでいる。
あたしはその相手について考える。
剣使い、Cランク探索者ソルド。
ランクとはギルドが定めた順位のことで、探索者にはそれぞれ最上級であるAから順にHまでの八ランクが割り振られる。
当然ギルドに登録したばかりの者はHランク、そこから依頼などをこなすことによってそのランクはAへと近づいていくのだ。
またDランク以上は量よりも質が問われ、それは絶対ではないにしろAに近づくほど強いという証でもある。
そして相手がCランクであるのに対し、あたしのランクはB。
おまけにソルドなんて名前も聞いたこともない奴だ。
Cランクで実力があれば、それなりに名前は知られているだろう。
悪くない相手である。
あたしはニヤリと笑った。
しばらくすると、控え室にコーリーがやってきた。
「全財産、交換してきてくれたかい?」
「……はい」
コーリーが懐から数枚の投票券を取り出す。
闘技場で金を賭けたことなどないのでわからないが、おそらくは百金貨の投票券四枚と残りは端数の券といったところだろう。
その券の表にはあたしの名前が書いてあるのだろうか。
「そんな顔するな、あたしが自分で決めたことだ」
「でも、お金まで出してもらって……。それに、もしライナさんが負けたら……っ!」
「ふっ、それこそ愚問ってやつさ、あたしより強い奴がいるもんか」
「でも……それでも……っ!」
扉のない入り口から、係員に呼びかけられる。
「ライナさん出番です」
「おうっ!」
あたしは気合いの入った返事をし、剣を掴んで椅子から立ち上がった。
「ライナさん、これ、水です」
コーリーより差し出された革水筒を受け取り、水を一口含む。
ゴクリと飲んだそれは、高ぶった感情と相まって、まるで全身に活力を与えてくれるように感じられた。
「じゃあ、行ってくる」
「はい! がんばってください!」
太陽が燦々と照りつける闘技場の中央で、タキシードを着こなした司会の男が、二千人を越える観客に向かってあらんかぎりの声で叫ぶ。
「レディース、アーン、ジェントルメーン! 今宵もやって来ました掛け金無制限の一本勝負!
では対戦者の発表です!
北の方角! Bランク探索者、ダークエルフのライナ!」
紹介と共にあたしは入場ゲートから円形のリングへと進み出る。
すると観客席から喧しいほどに歓声が鳴った。
ひとしきり観客に騒がせた後、司会が手を挙げる。すると、だんだんと観客の声が収まっていく。
そして次の紹介へと移った。
「南の方角! Cランク探索者、人間のソルド!」
正面に見えるゲートより細身の優男が現れる。
その体格からして魔力が強いタイプか、速さで撹乱するタイプだろう。
あたしは壁にもたれながら、戦いの開始を待つ。
やがて投票が終了し、司会から最終倍率が発表された。
倍率はあたしが一・五五倍で相手は二・一四倍。
九百金貨に届くラインは一・五倍だった。
これなら届く。
コーリーには新たにかき集めた百金貨の借金が残るものの、それはゆっくり返していけばいい。
あとは――
「――あとは、勝つだけだ!」
あたしは壁から背を外し、鞘より剣を抜く。
……?
なんだ、この違和感……。
「それでは両者、中央へ!」
司会の指示に従い中央へと歩いていく。
「準備はいいかっ!?」
あたしも相手のソルドとかいう優男も頷いた。
「それでは……始めィ!!」
その司会の合図と共に、先手を取ったのはソルド。
こちらの喉元に向かって、ソルドは剣を突き出したのだ。
それは中々の速さの突きであったが、所詮は中々止まりである。
「しゃらくさいっ!」
相手の剣突を避けながら、その剣を己の剣で弾く。そして手首を返して、相手の肩口へとあたしは斬りかかった。
しかし相手もさるもので、あたしの袈裟斬りを即座にバックステップでかわした。
さるもの……、本当にそうだろうか?
数合の打ち合いの後、ソルドは間合いをとった。
長期戦に持ち込むつもりなのだろう。
だが、あたしは時間をかけるつもりはない、さっさと終わらせてやる。
あたしは全身を魔力で満たして前へと踏み込む、そしてその勢いのまま剣を突き出した。
それをソルドが避けつつも斜め上へと弾こうとする。
まさに先程とは全くの逆。
しかし、今回は一つ違う点があった。
「バカがっ!」
あたしが突き出した剣を途中で引いたのだ。
そしてさらにもう一度、がら空きの首を目掛けてあたしは剣を突き出す。
――いや、突き出そうとした。
しかし、剣は手から抜け落ち、カランと地に落ちたのだった。
「……間に合わなかったか」
あたしはそう呟いた。
手を見れば、自分の意思に関係なくブルブルと震えている。
どれだけ魔力を練っても、握力は戻ろうとしない。
そして、首元に剣が突きつけられた。
「……お前の差し金か?」
あたしは目の前の優男に尋ねる。
「なんのことかな?」
下衆な笑みを浮かべながら、そいつはそう答えた。
そして、あたしはその場でオークションにかけられた。
ギルドの者があたしを手駒にしようと粘っていたが、結局買ったのはどこかの商会の者だったようだ。
まあ、どうでもいいが。
やがて全身にうまく力が入らなくなり、肩を貸りながら連れていかれる。
その途中、聞き覚えのある声の方へ顔を向ければ、コーリーとソルドが楽しそうに話しているのが見えた。
あたしに怒りの感情はなかった。
同族だからといって信じたあたしがマヌケだったのだ。
そして二人は一般客に偽装していた者達に、腕を掴まれて連れていかれた。
その時の必死に弁明する姿といったら、とても口に表せないほど不様なものだった。
なにせ、大金持ちになると思っていたら、途端に転落したのだから。
あたしは体に力の入らぬ中、弓を引き絞るように口を上へとしならせる。
官憲か、賭場の元締めか、ギルドの者か、それはわからない。
だが閉じゆく目蓋の中、悪い夢だけは見ないだろうと思った。
◇◆
――夢を見ていた。
それは自分の同族に、毒水を飲まされ裏切られる話。
地下牢の自分の房であたしはパチリと目を覚ます。
己の種こそが正しいのだと教えられた。
黒こそが正義で、白は悪だと習った。
それらは一体なんだったのか。
「黒と白、どちらが正しいのかなんて一目瞭然じゃないか……」
エルフの少女、リリィとエマ。
リリィは己の身を省みず同族を助けようとし、エマはその思いを受け取り成長していった。
あたしはエルフという種が何よりも眩しく思えたのだ。