ドライブに連れてって
平次がついに、「お車の免許」というものを取ったそうだ。
ちょっと前に本人から「車の免許も取ろうと思てるんや」と聞かされていたが、
平次にはバイクがあるからそんなもの必要ないのに、くらいにしか思っていなかった自分を後悔していた。
――まさか、こんなことになるなんて……
その日もいつものように平次の家に行った。ここまではいつもと同じ、何も変わったことはなかった。
だが、家のドアを開けようとすると、平次の母親である静華が先にドアを開けた。
それはそれは玄関の覗き穴からじっと見ていた、と言わんばかりのタイミングで。
「おはよう、和葉ちゃん」
「おはようございます、オバチャン!平次居てる?」
動揺した、とまではいかないが、さすがにビックリした。
何だか待ち構えられていたように感じて、少しだけ恐怖を感じた。
そして、ここ最近の平次に対する自分の行動について振り返った。
――アタシ、何かおかしなこと言うたかなあ…
でも、普通は平次のほうがおかしなことばかり言うし…
「平次なら部屋に居るけど…入らんの?」
ひとりで首を傾げながら考えていた和葉に対して、静華はいつものようにニコリ、と笑って迎え入れた。
いつも綺麗なお母さん――平次には勿体無いくらい。
お邪魔します、と元気よく言って家に上がった時には、さっきの悩みなんてもうどこかに吹き飛んでいた。
「平次ィ!」
そう言って、いつのように彼の部屋のドアを勢いよく開けた。
もしも寝起きで寝ぼけていたら、どうやってからかってやろうかと考えていたのだが。
「おう、和葉!ええ所で来たわ。今、オレもお前ん所に行こうかと思てたんや」
すぐに自分の心臓の鼓動が早くなったことに気付いた。
――アタシに会いに行こうとしてくれとったん?
「何、何?そんなにアタシに会いたくなったん?」
何だか嬉しくなって、心臓がドキドキしているのが更に高鳴っている。
笑顔で平次を覗き込んだが、彼はいつもと同じ「普通」の顔をしている。
「お前、何を言うとるんや…ちょっと今から遠くへ行こう思てなあ…
序でにお前も乗せてったろ、思て」
最初は呆れた表情のまま言っていたが、
言い終わる頃には、爽やかな笑みを浮かべていた。
アタシは、と言うと、平次と逆転して――最初はニコニコしながら聞いていたのに、
今はもう呆れたように固まっている。
少し期待してしまった自分も悪いとは思うが、
人が浮かれている所をすぐに現実に引き戻すような冷めた言い方をされると、辛い。
どうせだったら、あともう少しだけ期待させてほしいのだが。
「そう…アタシは『序で』なんやあ…まあ、ええけど。
それで、どこ行くつもりなん?」
相変わらず、彼に対して素直じゃない言い方をしたが、
心の底ではやはり「ついて行きたい」と思っているらしい。
行き先を聞いて、結局はついて行こうとしている。
「特に用はないんやけど…まあ、ちょっとドライブするくらいや」
――さっきは遠くに行くとか言うてたやん!
しかも何かの事件の依頼で行くんかと思たのに!!
しかし、その言葉は心の中だけで叫んでおくことにして、
それ以上は何も言わずに、黙って平次について行くことにした。
「え…アンタ、乗るもんそれとちゃうやろ……」
平次に言われて家を出たのはいいのだが。
見慣れない自動車が一台。
その隣には、彼愛用のバイクがある。
どう考えても、バイクに乗るものだと思っていた。
先にバイクに跨ろうとしたが、平次は「こっちや」と言ってアタシを引き止めて、
見慣れない自動車の運転席のドアを開けていた。
「ええ〜!!!アンタ、無免許はアカンて!
アンタのお父ちゃん、大阪府警本部長なんやで!
そんなことしたらお父ちゃんに何されるか分からん……」
「アホ。オレは1週間前に『普通自動車の免許』っちゅうもんも取ったんや。
せやから、今から乗るんはこっちや。これでドライブ行くでえ!」
………………。
呆れて、いや、ビックリし過ぎて、
どちらなのか、どちらでもないのかは分からないが、
何も言えない。声が出て来ない。
あの平次が車?!
バイクだって猛スピードで飛ばすことが多いのに。
アタシは、何度振り落とされそうになったことか。
それが、「車」なんて…
安心して乗ることができるのだろうか。
……絶対安心なんかできん!!!
けれど、平次は「ん?乗らんのか?」と不思議そうな顔をして、こちらを見てくる。
そんな顔されたら余計乗らなアカン、て思てまうやん。
その後、20秒ぐらいだけ自分の気持ちと格闘してから、覚悟を決めた。
ふう、と大きな深呼吸をして、助手席のドアを開けて、勢いよく閉めた。
「お前…これ新車やぞ?もうちょっと大事に扱かえや」
「え?!免許取ったばっかりやのにもう車買うてもろたん?!」
おう!と言いながら元気よく頷く平次を見て
親も免許取立てやのに車与えるんは早過ぎやろ、と思ったが、
首を横に振るだけで何も言えなかった。
「それで…そんな大事な車の初運転に乗せる人が何で、アタシなん?」
そう、これが1番聞きたくて、1番大事な質問。
父親でも、母親でもなく、どうして「アタシ」なのか。
「そんなん…オヤジとオカンに『オレの車でどっか行かんか?』て誘たけど、
『今日は無理や』とか言うて…しゃあないけん、和葉に乗ってもらおうかな、と」
平次の両親の気持ちが痛いほど分かる。
既にバイクであんな乱暴な運転をする息子の車に乗るなんて、寿命が縮んでしまうかもしれない。
それは言い過ぎのような気もするが、本当にそうなのだ。
――まんまと嵌められた…
だから、あんな笑顔でわざわざアタシを出迎えてくれたんや…
まあ、車やし、バイクと違ってちゃんとシートベルトもあるし、バイクよりかは安全やろ。
「まあ、せっかくやし、アンタの初運転に乗せてもらおうかなあ…」
「おう!楽しいドライブの始まりやで!」
隣の運転席でハンドルを握る平次の横顔が、
事件を解決した時のようにキラキラしているように見えた。
その横顔に見とれていて、戸惑いながらだが「うん」としか言えなかった。
平次の運転は案外、大丈夫そうだ。思っていたよりは、安心して乗っている。
さすがに、気持ちよくてうとうと…はありえないけれど、安心して助手席に座っている自分がいた。
それに、平次はたまにだけど何か話しかけてくれる。内容は、他愛もないことで。
昨日の晩ご飯の時にオカンが…だとか、昨日見たテレビのことだとか。
運転に集中したほうがいい、とは思うけど、彼の優しい気遣いを感じて、
何も言わずに、ただ、その話を聞いて笑っていた。
すると、平次の横顔が突然、真剣なものになった。
やっぱり運転に集中せんとアカンかな、と思っていると、平次はゆっくりと口を開いた。
「言うとくけど…初運転にお前を乗せた理由、ちゃんとあるんやで」
「え?」
いきなり、そんなことを言われたので、きちんとした返事ができなかった。
「聞きたいか?」
「な、何やの…急に改まって……『理由』って何?」
目の前の信号が赤になって車が止まると、時間も止まったような気分になった。
平次はまだ何も言おうとしなかったので、もう1つ尋ねた。
「じゃあ、『理由』序でにもう1つ聞きたいことあるんやけど…
アンタ、バイクあるのに何で車の免許なんか取ったん?
そら、いつか車も必要な時が来るやろけど、別にそれが『今』やなくてもええんとちゃうん?」
言い終わると同時に、平次がこちらを向いた。
それを聞かれるのを待ってました、とでも言うように――
「それはな…同じ理由やで」
「同じ理由?」
どういう意味か分からなくて、また聞き返した。
「せやから…『初運転に乗せた理由』と、『オレが車の免許取った理由』やて」
何も言わずに、ただ、平次が次の言葉を発するのを待っていた。
「バイクやったら…いつもお前は、オレの視界に入らへん後ろに居るけど、
ホンマは視界に入る隣に居ってほしい思てなあ……」
一瞬、隣にいる男が何を言っているのか分からなかった。
理解できなくて、頭が真っ白になっていた。
そこで、長い赤信号がようやく青に変わり、車はゆっくりと進みだした。
――隣に居ってほしい……?
「平次……」
言いたいことは何一つ浮かばないが、気付いたら、彼の名前を呼んでいた。
平次が車に乗る、と言い出した時は、怖い、とまで考えていたが、
今思うと、今まで考えていたことは平次に対してちょっと失礼なことだったかもしれない。
「ごめんな、平次…」と謝ろうかな、と思っていたその時―――
「うわっ!!」
「きゃっ!!」
平次が突然、急ブレーキをかけたのだ。
いくらシートベルトをしていたとは言え、体が椅子から離れて浮いてしまうほどだった。
「危ない奴やなあ。こっちが優先道路やんけえ!!
そっちが道譲らなアカンやないかあ!!!」
「………」
さすがに窓を開けてまでは怒鳴らなかったが、問題の赤い車は、
何事もなかったかのように勢いよく発進していった。
きちんと交通ルールを守っている平次は、この場合は悪くない。
直接、車同士の衝突は免れたのは幸いだったが、
そのせいで、平次の言葉の意味を追求できなくなってしまった。
これは、「事故」と呼べるのだろうか。
目の前を走り去っていった赤い車を追いかけて、平次以上の大声で怒鳴りつけてやりたくなった。
アタシらの時間を返してくれ、と―――
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