チョコが欲しい
女の子たちがお菓子の本を見ながら騒ぎ出す季節がやって来た。
クラスの女子たちは、皆、お菓子の作り方が書かれている本を見ながらどれにしようか話し合っている。
大切な人のために、もしくは片想いをしている人のために――
そんな女の子たちにとって最高の行事であるバレンタインデーがもうすぐそこまで近づいていた。
そんなクラスメートたちを横目で見ながら、和葉はひとりため息を吐いていた。
別に嫌なことがあったわけではなく。
かと言って、楽しいことがあったわけでもなく。
帰宅してから和葉は、平次の家に行った。
何だか、今日は妙に機嫌がいい。
いつもだったら「勝手に入って来るな」とか言うのに、今日は言わなかった。
すんなりと迎え入れてくれることのほうが気持ち悪いくらいだ。
「…どうかしたん?」
平次の様子を見たら、そう聞かずにはいられなくなって思わず聞いてしまった。
…不審そうに平次の顔を睨みながら。
「ん?オレは何もないで。いつもと変わらんオレやで」
そう言いつつもやっぱり、どこか変。
どうしてそう感じてしまうのかが自分にも分からない。
「なあ、蘭ちゃん…蘭ちゃんもバレンタインの時にさあ…
工藤君にチョコあげるん?」
平次の異変を感じてから1時間もしないうちに蘭に電話をしていた。
あのまま平次と話していると、こっちまで調子が狂ってしまいそうになる気がした。
蘭は、いつもの元気な自分ではないことを気に掛けてくれるかなあ…と思ったが、
それよりも更に追及されてしまった。
「和葉ちゃん…『蘭ちゃんも』ってどういうことなの?」
無意識のうちにえ?と言ってしまう。
一瞬、何を聞かれているのか分からなかった。
蘭がニヤニヤしているように思えて仕方がない。
「どういうことって…どういう意味なん?」
聞かれていることが分からなくて、
自分が質問されていることを忘れて聞き返した。
「私は昨年、作ったけどちゃんと渡せなかったから…
今年はちゃんと渡そうと思ってるよ」
蘭は、自分の質問をあっさりと聞き流したのか、全く関係ないことを言ってきた。
そりゃ、工藤君とのバレンタインのエピソードとかたくさん聞かせてほしいけど、
今はそれどころではない。
結局、蘭が何を言いたいのかが分からない。
ひとりであーでもない、こーでもない、と考えていると、
蘭は少し笑って言った。
「和葉ちゃんも…本当は服部君にチョコあげたいんでしょ?」
「なっ、そんなわけ……ない…………と思う」
やっぱりあげたいんでしょ?と笑う蘭にからかわんといてよ、と言うと蘭は謝った。
そういうつもりじゃないよ、と言いながらもすぐに謝る蘭を感心していた。
ホンマに蘭ちゃんはええ子やなあ…と思わず口に出してしまった。
そんな話をしていると、自分が何を聞きたくて電話したのかうっかり忘れるところだった。
ふたりで笑いながら少し話した後で、真剣に聞いてみる。
「それで…どういうことって、どういう意味なん?」
蘭は、何のことだったっけ?と尋ねていたが、
すぐに思い出したようでその言葉の意味をやっと教えてくれた。
「和葉ちゃん…服部君のこと、いろいろ言うけど本当は大好きなんだよね。
無意識のうちに『服部君にチョコあげる』って宣言しちゃってるもの」
それを聞いて、自分は何を言ったか、ゆっくり思い出していた。
蘭が「どういう意味なの?」と言ったところまでは覚えている。
自分が今年のバレンタインはどうするのか、という話題で電話をかけたのも覚えている。
いつ、そんな宣言をしてしまったのか…
ひとりで首を傾げていると、蘭は口を開いた。
「忘れちゃったの?『蘭ちゃんもバレンタインにチョコあげるん?』って言ったじゃない。
…やっぱり無意識のうちに言っちゃうものなんだね」
それを聞いて、何も言えなくなった。
「確かに言った、かも…」と小さく呟いた。
「別にそんな落ち込まなくても…
和葉ちゃんも素直になった、ってことだよ」
蘭が慌てながら必死にフォローしているように思えた。
でもいつだってこうして他人の気持ちを思いやることができる蘭が大人に見えた。
「感心する」の域を超えている。
やっぱり蘭ちゃんはええ子やなあ…とまた口に出してしまった。
「素直、か……」
蘭との電話を切った後で、携帯電話を眺めながらひとりで呟いた。
――今の自分には何が足りん?
そう、自分に問いかけた。
しかし、誰も「答え」は教えてはくれない。
それからあっという間にバレンタイン――2月14日はやって来た。
何だかんだ言いつつも、結局は昨日家に帰ってからお菓子の本を片手に
慣れないものを必死に作ってしまった。
そんな自分が分からない。
嫌々なのか、本気なのか――
自分でもくだらない、と思うことをまた考えてしまう。
蘭とは毎日のように電話かメールで連絡を取り合っていた。
その度に、蘭ちゃんはいつも工藤君のことを心配してるんやなあ…と思っていた。
やっぱりずっと離れ離れになっとったからかな…
ほんなら、アタシも平次と離れ離れになったらちょっとは変われるんかなあ…
…無理や。平次とずっと離れ離れなんて考えられへん……
ひとり頭を抱えて考え込んでいたけど、頭の中に浮かんでくるのは、平次の顔。
それもキラキラ輝いてる時のものだ――
そんなことを考えていると、誰かが自分の前で立ち止まった。
ゆっくりと視線を上に移すと、そこには平次が笑って立っていた。
「平次!!!な、何やってんの、こんな所で…」
「こんな所って…ここ学校やぞ」
突然の「彼」の登場に動揺が隠し切れない。
もう心臓がバクバクして、破裂寸前のようだ。
こんなに彼を見て動揺したことはない。
落ち着いて平常心を保とうとしても、それがうまくできない。
「お前…何か変やぞ?
もしかして…アレか。今日が『バレンタインデー』やからか?」
動揺している自分を他所に、平次はニヤニヤしながら顔を近づける。
だが、悲しいことに今の自分にはそれを拒否できるような力はなかった。
「も、もうええやん!そんなんどうでも…
それより平次、何かええことでもあったん?」
やっと出てきた言葉がこれだ。
何のフォローにもなってなくて、自分が情けなく感じる。
取りあえず、落ち着いて話すことだけを考えた。
「いやあ…オレなあ、今まで生きてきてこんなにチョコっちゅうもんを
もろたんは初めてでなあ…驚いとったんや」
それを聞いて、心臓の鼓動が一瞬だけ止まった。
一瞬だけおとなしくなってから、またそれはすぐに動き出した。
だが、胸の高鳴りがさっきとは違う気がした。
熱いものが込み上げてくる。
平次の前やのにアカン、とは思ったが、それでも抑えることはできなかった。
「平次のアホ!」
「お前…もしかして泣いてんのか?」
「ア、アホ!何で泣かなアカンの!
そんなわけ…ないやろ……」
すぐに言い返したものの、言葉が詰まる。
アタシだって友達にチョコ配ったりはしたけど、お父ちゃん以外の男にあげるんは平次ひとりやのに…
心の中で、その言葉を何度も繰り返した。
「アホはお前や。そんなんで泣くか?普通…」
平次はまた顔を近づけてくる。
しかし、さっきのようにニヤニヤとはしていない。
何なんや…と思いながら平次を睨みつけていると、
「冗談や!全部、嘘や」
そう言って平次は満面の笑みを浮かべていた。
和葉は呆気に取られたように口をぽかん、と開けている。
「お前…小さかった頃はチョコくれよったのに
高校入ってからもろた記憶なかったからなあ…
ちょっとからかってみただけや。スマンなあ」
笑いながら平次は自分の話を続ける。
騙されていたことに気付くと、何だか力が抜けてくる。
それと同時に、目の前の男が許せない、という気持ちも湧いてきた。
「それに工藤のヤツがな…」と言葉を続けようとしていた平次に
本気で一発殴ってやろうかと思ったが、
学校ではやめておこう、と思い直して「平次のアホ!」とだけ叫んだ。
ずっと握り締めていたチョコを投げつけようかとも考えたが、それでは勿体無い。
――家に帰ってから自分で食べよう。
怒りながら去っていく和葉の背を見ながら、
平次は何があかんかったんやろか…と考えていた。
工藤のヤツは小さくなっていた時でも「コナン」としても「新一」としても
チョコをもらっていたというのに――
それに工藤に電話した時にアイツは、
「素直に『チョコが欲しい』って言ったらどうだ?」と言っていた。
だから素直に言っただけやのに、
女ってよく分からんなあ……
作ってはみたものの、「素直」に渡すことができない――
本当は欲しくてたまらないけれど、「素直」に『欲しい』と言えない――
その夜、彼らは、自分たちの日頃の行いが
どれだけ「損」な方向へと導いてしまっているのか、身をもって実感していた。
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