艦魂異聞録 〜若鳥の踏み台〜
海風の吹きすさぶ中、少女は甲板から空を見つめていた。銀色の装甲が陽光に煌めく様は勇壮ではあるが、その艦体には軍艦の誇りである砲が一つもない。かつて亀甲形に配置されていた三十センチ砲のあった場所には、円形の台座が残るのみだ。煙突は算盤玉のような蓋で塞がれ、それがこの艦をなんとも奇妙な姿に仕上げている。海軍下士官の制服を着たその少女は、自分の二つの姿をそれなりに気に入っていた。今では、であるが。
彼女が澄んだ瞳で蒼穹を見つめる中、その中からエンジン音が聞こえた。次の瞬間には雲間をすり抜け、航空機が急降下してくる。翼の下に垂れた固定脚、その間には流線型の黒い物体。翼に書かれた日の丸が輝く。風切り音と共に一直線に迫ってくるその九九式艦上爆撃機を、少女はじっと見つめ……抱えた爆弾を落とすのを見て、一つ舌打ちする。
「まだ高いよ、バカ」
少女は癖っ毛の頭を掻きながら、機首を上げて離脱する艦爆に白い指を向け、「バン」と撃つ仕草をした。引き起こしの高度も高いため、あんな飛び方では対空砲火の餌食である。
投下された模擬爆弾の放物線も艦から外れた軌道を描いていた。やがてはやや離れた海面に落下し、空しく小さな水しぶきが上がる。飛び去る艦爆のエンジン音も、心なしか寂しげだ。
ため息を一つ吐き、少女は甲板にごろりと寝転がる。軍帽のつばで日差しを遮り、小柄な割に豊かな、軍服の上からでも分かる膨らみを持った体を無防備に横たえた。これが彼女の癖だが、その姿に気づくのは限られたごく一部の人間だけだろう。
「……やれやれ」
苦笑混じりに、少女は鼻を擦った。
河内型戦艦二番艦『摂津』。一九一一年三月に進水し、戦闘機会は無かったものの第一次大戦に参加している。
しかしワシントン海軍軍縮条約により、日本海軍は戦艦『陸奥』の保有と引き替えに『摂津』の退役を決定した。退役と言っても解体されるわけではなく、新たな任務が与えられることになった。標的艦である。武装を撤去した上で装甲を強化し、航空機の雷・爆撃や砲撃訓練、またそれらの回避訓練に用いられることとなったのだ。特筆すべきは駆逐艦『矢風』から無線電波で操艦することで、無人での標的艦任務が可能となったことである。とはいえそれは砲撃訓練の場合に限られ、爆撃訓練の際は乗員は安全区画に退避するものの、有人で運用された。
「ミッドウェーは大敗か……嫌な予感がしてたんだよ、全く」
港に接岸した『摂津』の前で、少女はぼやいた。彼女はこの無骨な標的艦と一体であり、陸に上がるにもこの程度が限度だ。
この日本では物に魂が宿るという言い伝えが多くあり、その中でも船には守り神ともいえる「船魂」が宿るとされる。特に軍艦では「艦魂」と呼ばれ、艦と共に生まれて乗組員たちを見守り、艦と共に死ぬ。そしてその全てが、美しい女性の姿なのだ。この少女……摂津も、そんな艦魂の一人。もの言わぬ鉄の棺桶に宿った、可憐な美少女なのである。
「アメリカ軍に情報が漏れてたに決まってるだろ、近所のガキでさえ作戦のことを知ってたじゃないか。真珠湾のときはあたしら艦魂でさえ、奇襲成功の知らせを聞くまで作戦を知らなかったってのに」
ぶつくさと文句を垂れながら、軍服が汚れるのも気にせず地面にあぐらをかいた。彼女の無頓着さとやや荒い口調、そしていわゆる「オヤジ臭い態度」は昔からのことだが、標的艦に改装されてから余計に悪化したと言われている。同時にその原因は、海戦の花形である戦艦を廃業させられたことであるとも、艦魂たちの間で噂されていた。しかし見る者が見れば、彼女がその程度のことにこだわる性質ではないことが分かるだろう。
「あーあ……面白くないね」
摂津は懐から煙草の箱を取り出し、一本を口にくわえた。銘柄は海軍でも親しまれている『光』である。前線では米軍から分捕った『ラッキーストライク』が珍重されていると聞くが、彼女はこの『光』が一番好きだった。虚飾がなく、何とも日本らしい名前ではないか。
マッチ箱を探してポケットをまさぐっていると、すぐ側に人の気配を感じた。狙われることが任務になって以来、どうもこのような気配や視線に敏感になったらしい。摂津は顔を上げ……驚愕の表情を浮かべた。
そこにいたのはただの若い航空兵。背は高いが巨漢というほどではなく、顔立ちは悪くないが美少年・美青年というわけでもない。何の変哲もない、ごく普通の航空兵である。摂津が驚いたのは、彼が自分を「見下ろしている」ことだ。
「……見えるの?」
煙草を口から放し、摂津は尋ねた。
すると彼は思い出したかのように、ぴしりと姿勢を正して敬礼をする。
「はい! 自分は艦魂様が見えます!」
目の前であぐらをかいている小さな少女に対し、若き航空兵は緊張した面持ちで応えた。その態度に、先ほどまで驚いていた摂津はくすりと笑ってしまう。艦魂が見えるのはごく僅かな、限られた人間であり、摂津も今まで数えるほどしか会ったことがない。突然現れたこの航空兵に、興味を持ってしまうのも当然である。
あぐらをかいたまま敬礼を返し、摂津は微笑みかけた。
「あたしは標的艦『摂津』。あんたは?」
「高階二飛曹であります! いつもお世話になっております!」
その言葉から、摂津は高階が今自分を相手に訓練をしている航空兵だと分かった。それなら話がしやすいし、的である自分に対し「艦魂様」「お世話になっております」などと礼儀正しい態度をとることも好印象だった。彼はいずれ戦地に送られるだろうが、それまで話し相手になってくれるかもしれない。
「ここ、座れよ」
摂津は左手で、自分のすぐ隣を指差した。高階が一瞬たじろぐ。
「あ、いえ、しかし……」
「あんだよ、嫌なの?」
少しむすっとした顔で言ってみると、高階は慌てて姿勢を正した、
「い、いえ! 失礼します」
頬を赤くしつつ、高階はゆっくりと摂津の横に腰を下ろした。と言っても、摂津が指し示した所よりやや距離を置いている。その態度を見て、摂津はあることに思い当たった。
「あんたさ、今日爆弾外した奴だろ?」
「な、何故それを……!?」
ぎくり、という音が聞こえそうな驚き方をする高階に、摂津はくすりと笑ってしまう。見た目はそこそこ精悍だが、所詮まだ新米で艦爆乗りとしても、男としても経験が足りないようだ。あの中途半端な急降下爆撃を見れば分かる。
「あんた投弾するのが早すぎるんだよ。もっと降下してから落とさないと、相手が止まってても当たらないぜ」
「……分かってはいるのですが」
俯く様子を見ると、教官にも相当叱責されたのだろう。机上で学んだことを頭で理解していても、それを実践できるか否かは別問題である。特に急降下爆撃には相当な度胸と熟練度が必要なのだ。一歩間違えれば墜落、または自分の落とした爆弾に巻き込まれることもあるし、命中させるためには敵の対空砲火を避けるにも限度がある。凄まじい砲火の中へ、自分から殴り込みをかけるのだ。
今まで多くの若鳥たちを見てきた摂津にも、その気持ちは察することができる。だが同時に、彼女は航空兵という生き物に興味を持っていた。
「なあ、飛ぶのってどんな感じだ?」
話題を変え、摂津は問いかけた。
「楽しい? 怖い?」
「怖いです。しかし……」
高階は顔を上げ、空を見つめる。腕こそまだ未熟なれど、眼差しは間違いなく飛行機乗りの目だ。
「飛んでいると、少し強くなれたような気がします」
「強く?」
「その過酷な世界で生きてるんだって思うと、何か勇気が湧いてくるんです。しかし急降下に入ると、それも吹き飛んでしまって……」
摂津はふと、高階は元々軍人に向いていないのだと気づいた。今までの訓練の様子を見る限り、操縦の腕は悪くないのだが、戦闘技術となるとまた別問題だ。もし平和な時代であれば海軍で飛行機の操縦を学んだ後、民間の航空会社にでも就職すれば良かったかもしれない。戦時であっても輸送機や偵察機の操縦士なら、その臆病さがむしろ生存力となることもあるだろう。だが今は激戦の最中では完全に適した機種を宛てがわれるとは限らないし、そもそも操縦士の適正はともかく、機種への適正診断は非常に難しいのだ。人相見や骨相学まで使って判断されていたという話を摂津も聞いている。
だが運命を選ぶ権利があるだけ、人間はまだマシだ。
「……高階、あたしは元々戦艦だった」
ポケットからマッチを取り出しつつ、摂津は言った。手にしたままの『光』煙草を口にくわえ、素早くマッチを擦って小さな火を灯す。
「存じております。先の戦争にも参加なさったと」
「ん。交戦は無かったけどな。元々戦艦としては欠陥があったし、どの道大して活躍できなかっただろうけど」
「そんなことは……」
世辞はいいよ、と言うように、摂津は手を振った。マッチの火を煙草に近づけ、軽く息を吸って着火させる。
戦艦時代の『摂津』は一見すると重武装の艦だったが、六基の主砲を亀甲型に配置するという設計に問題があった。つまり片舷側に砲撃する際は反対側の主砲を使えず、さらに砲の口径も前後の砲二基だけが50口径、左右が45口径と違ったため、射撃指揮にも問題があった。かの東郷平八郎の「前後の砲はより強化すべし」という意見による設計だといわれるが、後の「東郷が平時に口出しするとロクな結果にならなかった」という評価はここにも当てはまったといえる。結果、海軍軍縮条約に伴って退役させられたのも、やむを得ないというものだろう。
紫煙を吐き出し、摂津は煙草を口から離した。
「それでもやっぱ、標的艦に改装されるって聞いたときには悔しかった。まだあたしはやれるのにって、ちょっと泣いちゃったさ」
艦魂である悔しがっているうちに、人間たちは着々と彼女の本体に手を加えていった。砲は撤去されて標的を曳航するのが仕事となり、次は自分自信が的となるために装甲が追加され、煙突が減らされ、挙げ句には無線操縦などというわけの分からない物までつけられた。乗組員がいなくても自分が動いているという感触は奇妙なもので、初めて経験したとき摂津は吐き気さえ覚えた。そしてかつて自分たち戦艦が「凧のお化け」と馬鹿にしていた航空機による、爆撃訓練にまで従事することになったのだ。
「今でも、戦艦に戻りたいと思いますか?」
「戦艦じゃ駄目さ……空から襲われる怖さを最初に味わったときから、あたしは予想してたよ。今の海で時代を動かすのは、飛行機だ」
黒曜石のような瞳で、摂津は高階を見た。若き飛行士の胸が高鳴る。艦魂とは総じて美女であるが、特に摂津は瞳に強い光を湛えていた。古参艦だからか、それとも彼女の強い意志からか、目を合わせた者が思わず背筋を伸ばしたくなるような力を持っているのだ。もっとも彼女本人がそれに気づいているかは定かでない。
「あたしはもう自分で戦うことは無い。でもあたしを相手に訓練した飛行士が、前線で歴史を動かす……それを誇りに思ってる」
「誇り……」
摂津は今の標的艦の任務こそが自分の居場所だと信じ、そこに誇りを感じている。それが艦と共に生き、艦と運命を共にする彼女たちの『強さ』なのかもしれない。
「あんたにはあるかい? 誇りってやつは」
その問いかけに、高階は難しい顔をして俯く。そんな彼を見てくすりと笑い、摂津は煙草の箱を差し出した。根詰めて考えてもなかなか応えは出ないものだ、摂津が吸えと促すと、高階はいただきますと言って一本引き出した。彼がそれをおずおずと口にくわえ、マッチを探してポケットを探るのを見て、摂津はあることを思いついた。
「こっち向け。点けてやる」
言われるがままに高階が振り向くと、摂津は彼にぐっと体を近づけた。驚いた高階が身を退こうとするが、軍服の胸ぐらを掴んで捕らえる。そしてそのまま、自分のくわえている煙草の先端を、高階の煙草に押し付けた。高階が顔を真っ赤にしつつも動けないでいるうちに、その顔同様に赤々とした火が彼の煙草へと燃え移った。
摂津はゆっくり彼から離れると、煙草を指に挟んで得意げな笑みを浮かべる。
「このくらいの気持ちで、かかってきな」
……次の瞬間、高階は赤面したまま激しく咳き込んでいた。
……航行する艦上で、摂津は今日も空を見上げる。澄んだ瞳で、じっと来るべき物を待っていた。
やがて、一機の九九式艦爆が『摂津』目がけて降下を開始した。楕円形の翼につけられたダイブブレーキを展開し、風を切って迫ってくる。機体番号から高階の機であると分かったが、昨日とは違う気迫を摂津は確かに感じていた。『必中』……その信念が、エンジン音から、風切り音から滲み出てくるのだ。
摂津はにやりと笑う。どうやら彼は誇りを見出せたようだ。自分の育てた雛鳥の成長を見ているようで、摂津は愉快な気持ちになる。
「そうだ、そのままかかって来い!」
彼女が叫んだ後も、高階機は降下を続ける。ダイブブレーキを出しているためスピードは制御されているが、それでも途方も無い恐怖感と戦っているはずだ。摂津の視界の中で、固定脚を垂らした機体がどんどん大きくなる。楕円翼のシルエットが間近に迫った。
「ッ!!」
突っ込み過ぎだ……摂津が反射的に顔を庇った。その瞬間、高階の機から模擬爆弾が投下される。黒い流線型の物体はまるで目標が分かっているかのごとく、空気を鋭く切り裂いた。
甲板に楕円翼のシルエットが影を落とす。高階は引き起こしに成功し、艦橋の上をかすめるように通り過ぎた。
刹那、『摂津』中央の煙突に模擬爆弾が命中した。煙突先端に被せられた蓋に弾かれ、黒い塊が転がり落ちていく。
摂津の端正な顔が僅かに歪んだ。鼻をむずむずと動かし、口が開く。
「っ……ふぇーっくしょん!」
豪快なくしゃみをし、摂津は息を吐いた。
「煙突って、あたしの鼻だったんだな……」
鼻を擦りつつ、彼女は飛び去っていく機影を見上げた。誇りに満ちた後ろ姿である。
今まで多くの航空兵が、『摂津』を踏み台として高みへと飛翔した。摂津はそれを誇りに思っているし、実際彼らは歴史を築いたと言えるだろう。だが摂津は、その多くは生きて日本の土を踏めないことも知っている。生還の信念を強く宿しても、『その時』ややってきてしまうのだ。死と隣り合わせ、むしろ死と同居した生き方をする航空兵は、飛べるようになって一週間で死んでしまう蝉のようなものかもしれない。空を飛び、日輪の高みを目指せるのは短い間だけなのである。
だからこそ……摂津は思った。飛べる間は、大声で鳴かせてやりたい。そのために、自分は今日も、これからも彼らの踏み台となるのだ。
「ミッドウェーは大敗……この様子だと、持ち直せるか分かったもんじゃない。負けるかもな、日本は……」
甲板に寝転がり、摂津は呟いた。
「だけどさ、高階……あんたは、一花咲かせろよ。とびっきりの、でっかい花を……!」
遠ざかるエンジン音を聞きながら、摂津は空に微笑んだ。
……一九四四年 十月二四日 ルソン島沖上空……
雲に紛れ、液冷エンジンのシルエットが空を飛ぶ。液冷特有の細い機首にはラジエーターが大口を空けており、日本軍機としては他に類のない外観をしていた。
艦上爆撃機『彗星』。設計の古くなった九九式艦爆が「九九式棺桶」などと揶揄される中、新たなる主力爆撃機として開発された機体である。しかし配備の遅れや不慣れな液冷エンジンによる稼働率の低さなどから、本来の性能を発揮する機会に恵まれていない不遇の主力機だ。
操縦桿を握る高階は、雲の切れ間から眼下を見下ろしていた。すでにいくつかの死線をくぐり抜けた彼は、立派な空の戦士の目をしている。
周囲に味方は一機もいない。練度の低い搭乗員のせいで編隊はばらばらになり、すでに多くの機が敵戦闘機や対空砲火の餌食となった。日本海軍はミッドウェーの敗北後、南太平洋海戦では米空母『ホーネット』と引き換えに多くの熟練搭乗員を失っている。そして日本にはそれを回復する余裕など無いことも、高階は気づいていた。
だが。
「高階、いたぞ!」
雲の中を抜けたとき、後席搭乗員が叫んだ。
海原に角張ったシルエットが見える。恐らく空母だ。
敵も雲の下に身を隠していたのだろうが、艦載機が着艦する際はスコールの中に引きこもっていられない。高階はそれを読んでいたのである。そして読みが当たった以上、艦爆乗りのやることは一つだ。
「対空砲火は無い。行くぞ、水沢!」
「よし!」
爆弾倉を開き、高階は機を急降下に入れた。マイナスGによって機内の埃が舞い上がり、一瞬息を止める。それでも風防から突き出た照準機にはしっかりと敵空母を捉えている。
——摂津さん——
標的艦の少女を思い出し、高階は心の中で呟いた。自分と共に、彼女を相手に訓練した仲間たちはもういない。だが彼らの生き様は、今『彗星』に積まれている五百キロ爆弾に宿っていた。艦爆乗りの花道を飾るのに相応しい一発となるだろう。
「高度三千……二千五百……!」
高度を読み上げる声にも耳を澄ませ、高階は降下を続ける。照準機の中で、最初は針のように見えた空母がマッチ箱になり、急激に大きくなっていく。『摂津』を相手に磨いた腕だが、実践ではVT信管という恐るべき対空兵器を相手にしなくてはならない。敵は今にも撃ってくるだろう。
しかし高階は冷静だった。操縦桿と、爆弾の投下レバーの操作だけに神経を注ぎ込む。それを可能にするのは、手に入れた『誇り』。
——摂津さん。俺の一番の誇りは——
——貴女からもらった、勇気だ!——
「撃ェーッ!」
投下レバーを引くと、ガクンと機体が浮き上がる。五百キロの重さから解放された反動だ。機体を引き起こし、敵の機銃をかい潜り反対側へとすり抜ける。
刹那、轟音と震動が機体を揺らした。
「命中確認!」
……後部座席からの報告を聞いた瞬間、高階は体中に凄まじい激痛を感じた。同時に機体の翼が千切れ、煙を噴く。
すぐ下の海へと墜ちていく『彗星』の中、彼は最後の力を振り絞って振り向いた。
そして見た。煙を噴く敵の空母だ。
「や……り……まし……」
声も掠れてろくに出ない。だが機体が海上で散華する瞬間まで、高階は確かに満足を感じていた。
……アメリカ海軍の空母『プリンストン』は数時間炎上した後、その火災が夜間攻撃の目標とされることを防ぐため、味方駆逐艦の魚雷によって介錯された。投弾した『彗星』は直後に撃墜されたが、結果的に単記機で、一撃で敵空母に引導を渡したことになる。
アメリカ側の記録で「恐るべき熟練度」と評されたこの『彗星』が誰の乗機か、未だに分かっていない。
太平洋戦争において、標的艦『摂津』の果たした役割は決して小さくなかった。緒戦の快進撃を支えたのは、彼女のような艦が育てた搭乗員の技量も大きかったのだ。しかしながら、彼ら亡き後にその穴を埋めることなど、日本にはできなかった。
『摂津』は戦争末期、アメリカ軍による呉軍港空襲を受けて大破着底し、修理されることなく終戦を迎えた。空襲警報の鳴り響く中、艦魂・摂津は少しも臆することなく、もはや自分たちのものでなくなった空を……若き鳥たちが去っていった空を見つめていたという……。
終
お読みいただきありがとうございます。
しばらく失踪中でしたが、今後も気が向いたときにポンと書くかもしれません。
『摂津』……こういう陰で支えた兵器って好きなんです。
日本の軍艦だと他には『明石』『間宮』『初島』などに興味が湧くタチです。
心に残る物語を書けたでしょうか?
よろしければご感想をいただければ幸いです。