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修行編 第68話 スコータイへ その5(94)


この日も、夕方から源次で飲んでいると、「よう!大畑。会うたびに逞しくなるなあ」
高校からの同級生で、上座部仏教の研究をしている井本幸男が店に入ってきた。
「ああ、井本また仏像を見に行くのか?」
「見に行くのではなく研究だがな、今回はいつもとは少し違う。明日スリランカに向かう」
「スリランカ!それはどの地域だ、南部のほうか?」井本は健一の余りにも的外れの言動に呆れた表情を通り越しやや怒りの表情。
「お前は、本当に大学を出たのか?スリランカは国の名前だぞ。インドの右下にある“セイロン”と言う島にある国だ」
「インド?ずいぶん遠くに行くんだなあ。ひょっとして“天竺”と言うところか?」
「うーん、ちょっと違うけどな。まあインドは、仏教発祥の地ながらやがてヒンドゥ教の国になってしまったが、スリランカには紀元前3世紀に伝わった、原始的な仏教が残っているんだ。そこから東南アジアつまりこのタイにも伝わるのだが。ようするに、俺の研究している上座部(小乗)仏教の源を見に行こうというわけだ」
熱く語る井本には研究者としての風格が備わっていた。
「今回は、私も同行するんですよ。井本の後ろから入ってきた、写真家の吉野一也もいつの間にかカウンターに座っていた。
「いや、天田さんが今年の3月に一時帰国をした際に、『国沢さんが2月から都内で居酒屋を始めたんだ。私も気になるので一緒に行かないか』と言われてそのお店に行ったら、井本さんが・・・。そこで飲んでいるうちに意気投合して今回の話になったんですよ」
「国沢さんが、居酒屋を・・・。知らなかった。それよりもあれだけ”負け犬“とか罵っていた天田さんが・・・・。やっぱり気になってたんだなあ」健一は、自分の知らないところでいろいろな動きがあることに、少し疎外感を感じるのだった。
「当たり前だろう大畑。お前はバンコク在住だから、案内なんて来るわけないよ。俺や吉野さんは日本に住んでいるから、案内の葉書も来たし、誘いの声も掛かるんだ」
井本に言われてもまだ渋い顔のままの健一は、井本らとは反対側に座っていたオーケン土山を見る。オーケンは野球帽を直しながら「大畑君。僕も貰ってないって!そんなん気にせんでも。それより天田はんは、当分チェンマイって言ってはりました?」
「ええ、そのようですね。夏までは帰って来れないだろうって」吉野が返答した。

「いやあ、最初はそんな長期言うてへんかったのに、僕も長期だったらどないしょ」
「オーケンさんも、どこかに行かれるんですか?」健一が寂しそうに目を向けると、
「いや、多分すぐに戻ってくるって。ちょっと10日ほど、ピサヌロークと言う町での仕事なんや。ちょっとした応援なんやけどな」
「ピサヌローク!それは素晴らしい。帰りには、ぜひスコータイ遺跡を見に行ってください。私はあそこの仏像を見て感動しました。ピサヌロークからだったらバスを使って1時間ほどで行く事が出来ますよ」

「『ええ!!』仏教の研究をしてはる井本さんが、そんな感動するようなところがこのタイにもあったんや。遺跡と言うたら、ついつい隣のカンボジアのアンコールワットとかミャンマーのバガン遺跡とかあとインドネシアのええっと」「ボロブドゥール遺跡の事ですね。もちろんそれらの遺跡も素晴らしいですが、タイは仏教国ですし、ちゃんとありますよ」オーケン土山の驚いた表情に、井本は余裕の笑みを浮かべる。
「あそこは、本当に素晴らしい。このバンコクのすぐ近くにあるアユタヤが、歴史上やむをえなかったとはいえ、半ば廃墟になっているのと比べてしまうからかもしれませんが」
と言い終えた井本は、自ら酔いしれるようにコップに残ったビールを飲み干した。


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