ブルーシートの邂逅
満開の桜の下で俺は広げたブルーシートの中央にひとり座りぼーっとしていた。この時期に新入社員に与えられる最初の仕事といえば花見の場所取りだ。とはいっても俺は新入社員というわけではなくこの春で2年目を迎えるのだが、会社が今年は社員をとらなかったのでいちばん下っぱの俺が去年に引き続きこの名誉ある任務を命じられたのだ。
社から近いこの公園は地元では桜の名所としてそこそこ有名で、金曜の昼前でも大勢の人々で賑わっている。いたる所にはブルーシートが敷かれ、家族連れや、赤ちゃんを連れた母親とその両親だろう老夫婦のグループや、子どもとママさん達の団体や、春休みを満喫している学生たちがそれぞれの流儀で花見を楽しんでいた。高級そうなカメラを構えてあちらこちらと写真を撮りまくっている爺さん連中や、ベンチでは早めの昼飯を食べている人々。もちろん、ただ桜をながめ春の訪れを楽しんでいる人もいた。そして俺のようにブルーシートの上に座ったり寝転んだりして花見の場所取りという崇高な任務に就いている同志もちらほらと見える。
去年もそうだったがスマホをいじったりして時間を潰せるのは午前中のあいだくらいなものだ。いざ何かが起こったときにバッテリーが切れてしまい連絡が取れなくなってしまうという間抜けな真似は避けたかった。しかも今年は朝からぽかぽか陽気で、スマホの画面を見つめていると度々訪れる眠気に軽く意識が飛びそうになる。そこで俺は眠気を受け入れ、まどろみのふわふわとした感覚を楽しむことに決め、あぐらをかいたまま焦点の定まらぬうつろな視線で公園を見据えていた。きっと小さな子どもを持つ保護者がその姿を見たら通報したくなる様相だったろう。
いつの間にか眠りについていた俺は人の気配で目を覚ました。彼らはぺちゃくちゃと話を弾ませている。しまった、もうそんな時間か。眠っている間に社のみんながやって来てしまったか。慌てて飛び起き、寝ぼけまなこで辺りを見回すが予想に反して明るく、そして暖かい。太陽もまだ空の上の方にあるようだった。あれ? 俺は人の気配がする方へ振り返った。するとそこにいたのは社の同僚たちではなく見知らぬ人々で、ブルーシートの真ん中に車座になって楽しそうに酒を酌み交わしていた。俺は寝ている間に端っこに移動してしまったらしい。目覚めの混乱から少しずつ覚醒してきた頭で俺は闖入者を見定めた。彼らは7人いて、ひとりの若く美しい女性と他は爺さんたちだった。皆、スーパーの一掃セールで揃えたようなカジュアルな服装をしていたがどこか上品な雰囲気を漂わせていた。
すると俺の視線に気づいた、でっぷりと太り頭が禿げ上がった爺さんがこちらに振り返りいった。
「おっ、やっとお目覚めかい」
「あんたもこっちに来て一杯どうだ」顔面いっぱいに髭をたくわえたマッチョな爺さんも声をかける。
「あの……あなたたちは……」
俺がおそるおそる尋ねると今度は帽子をかぶった太めの爺さんが答えた。
「勝手にお邪魔してるよ。ひと声かけようとしたんだが、あまりにもあんたが気持ちよさそうに寝ていたので起こすのも悪いと思ってな。いや、失礼した」
爺さんたちがどっと笑った。
「いや、でもここには社のみんなが来ますから。困ります」
「むう」帽子の爺さんは笑顔のまま少し考え込む。「ほんの少しの時間だけもいいんだがなあ。なんとかならないかい」
「そういわれましても……」正直な話、俺は押しには弱い方だ。心底困り果て、社に電話をかけて助けを乞おうかと考え始めた時だ、女性がその姿同様に美しい声でいった。
「あんたのお仲間は何時に来る予定なんだい」
「えーと、予定では6時には来る手はずになっていますが」
俺はスマホを取り出し時刻を確認した。2時半だった。
「だったら遅くても5時までには引き上げるからさ、お願い。いいだろ」女性はにっこりと笑いかけた。
俺は、なんだかこの奇妙な訪問者達に好意を持ち始めていた。ここで追い返すのも気の毒な気がしたし、満開な桜の木の下をひとりで占有していることに後ろめたいような気もしてきた。
「わかりました、いいでしょう。でも5時まででお願いしますよ、怒られちゃいますから」
「ありがとう」「ありがとな」わあっと歓声をあげ彼らは宴を再開した。
「ささ、あんたもこっちに来て一杯」髭マッチョがまた酒を勧め、俺は誘われるままに円陣に加わり盃を受けた。最近の花見には珍しく日本酒だった。「ささ、ぐいっと」
俺は盃に口をつけ、ぐいっと酒を飲みほした。日本酒は飲み慣れていない俺でもこの酒の美味さはすぐにわかった。「ふぅ、うまい」思わず口から言葉がもれる。つまみも刺身や焼いた海老といった豪華なもので、どちらかといえばおせち料理を連想させた。どれも上等の品でいままで口にしたことがないほどの美味さだ。
俺が酒やつまみに夢中になっていると、女性が弦楽器を膝の上にのせチューニングを始めた。その見慣れぬ楽器はたしか琵琶というものだったろうか。彼女がばちで弦をビーン、ビーンと弾く姿に爺さんたちは「待ってました」とばかりにやんやと歓声をあげた。チューニングが終わり女性がきりりとした表情で姿勢を正すと場は静まりかえり緊張した空気が場を占める。そして、弦をビーンと弾くと澄んだ声で歌いだした。その麗しく心に響く調べに爺さんたちと俺はうっとりと聞きほれていた。
「おい、起きろよ。おい」
肩を揺すられ目を覚ました。いつの間にか眠りこけてしまっていたらしい。横になったまま寝ぼけまなこをぎょろぎょろと動かしてみると、辺りは薄暗くなっていて、係長がニヤニヤした表情で俺の肩を揺すっていた。慌てて飛び起きるとくしゃみが出た。
「大丈夫。こんなとこで寝てたから風邪ひいちゃったんじゃない」パートのおばちゃんが心配そうに声をかけた。
「あ、大丈夫です。すんません」
「それにしてもよく寝てたな。起こさずに放っておけばよかったかな」
係長はまだニヤニヤしている。
ブルーシートの上では社のみんなが、がやがやと宴会の支度をしていた。俺も大あくびをひとつして支度に加わる。
「あれ、こんなの持ってきたの誰だよ」
課長が掲げたのは袋入りの福神漬けだった。
「あ、それ俺っす」と先輩。「昼過ぎに昼飯を差し入れで持ってきたんですよ。カレーなんすけど。で、ついでにとコンビニでそれ買って一緒に持ってきたんす。こいつ、よく寝てたから起こさずに置いて社に戻りましたけど」
「カレーってここにあるこれか。だからって福神漬けを一袋持ってこられても困るよなあ」
「えー、俺はいつもそれくらい食べちゃいますよ。なあ」
「あ、えーと、何はともあれ差し入れあざーす。そして食べないですみませんでした」
「おい、そろそろはじめるぞー」
部長の号令で皆が輪になり社長のあいさつ、そして乾杯と続き花見の宴がはじまった。
俺は缶ビールをちびちびとやりながら、先ほどの爺さん達のことが気になっていた。いつの間に去ってしまったのだろう。帰る際にひと言ぐらい声をかけてくれてもよさそうなものなのに。それともあれは夢だったのだろうか……
そのとき、係長がやって来て俺の肩をぽんとひとつ叩くと隣に座った。
「場所取りお疲れさん。退屈だったろう」
「いえ、大丈夫っす。これも大事なお役目ですから」
「そうだな。まあこれ食えよ。意外と酒のつまみにいいぞ」
そういって差し出したのは先ほどの袋入りの福神漬けだ。
「いただきます」受け取ろうと手を出した俺は袋に描かれた七福神のイラストを見て奇妙な感覚に襲われた。あれ、なんか見たことある顔だぞ……
「わあ、今年は豪華だね。鯛の尾頭付きだなんて社長気張ったじゃない。それもこんなに立派なの」
パートのおばちゃんが嬉しそうに声をあげた。
「そんなの俺しらないよ。だれかが持って来たんじゃないか」と社長の不思議そうな声が聞こえる。
係長は手にしたビールをぐいっとひと口飲むと、俺にいった。
「おまえも2年目か。この1年よく頑張ってたな」
「ありがとうございます」
「今年はいい年になるといいよなあ」
係長は桜を見上げた。俺も桜を見上げると、花びらがひらりと舞い降りた。
「きっといい年になると思いますよ」
どこか遠くの方から琵琶の調べと歌声が聞こえてきたような気がした。




