その日の朝は、いつもと変わらない、憂鬱な時間を送っていた。
―――筈だった…。
「義桷!!あんたまたわたしの晩御飯食べたでしょ?もう残ってないじゃない」
「は?誰が姉貴の分なんか食べるんだよ?姉ちゃんの食べるくらいなら、犬の……で!?」
「なんですって……?今に見てなさい」
バタンと音をたてて、姉貴は下に降りていった。
どうせ下に置いてある俺の雑誌に落書きでもするんだろう。
今年二十歳と言っても、まだまだ幼い。
まあ、今まで十五年の付き合いで、もう慣れたけど。
ちなみに俺らの両親は共働きで、滅多に家に帰って来ない。大概、海外出張中なのだ。
「やれやれ…」
俺は息を一つつくと、学校行く支度を始めた。
が、
ガタリ――…
「へ?」
驚いて真上の天井を見上げると――…
俺の部屋に、奇妙な声が響いた。
「……して、此処はどこだ」
目前に正座しているのは、腰に刀を刺し、武装している若い男。
ざっと、俺と同じ十五くらいだろうか。
背中に流れる長髪を紐で高く結い上げ、いかにも不機嫌そうに、此方を見ている。
正直、洋風のこの部屋にはめちゃくちゃ不釣り合いだ。
しかし、斬られそうなので口が裂けても言えない。
「……もう一度聞きますね。あなたは織田信長様、ですよね」
「幾度も聞くな。そうだ」
「………」
(……え、えらいこっちゃ〜!!!)
まさか姉に、信長が落ちてきたとは言えまい。これが、信長の降ってきた朝だった。
「で、話をまとめると、貴方は天文十八年、正妻の帰蝶さんと結婚した時の、十五歳の信長様ですね」
俺の問いに、信長様はゆっくりと頷く。
「……ああ。それで、此処は何処だ。義桷とやら」
信長様が忌々しげに部屋を見渡す。
「驚かないで下さい。ここは平成時代、貴方の時代から五百年の後の日本です」
さすがに、あの信長様も軽く目を見張る。
「つまり、貴方は戦国の時代から、時間を漂流してきてますね。何か心当たりはないですか」
信長様は暫し考えた後、言った。
「ない。いつも通り我が城で戦の策を練っておったら、いきなり目の前が光り、気がついたら此処におった。覚えておるのは、最後に蘭丸が……」
「蘭丸様ですか!!」
「なんだ……」あ、いけないいけない。ついつい。
「ら、蘭丸様で、すか……?」
「いかにも………?」
「か、かっけ〜!!マジ羨ましいし」
「は……?」
あ、いかん。信長様、めっちゃ眉寄せてるし。目が点だよ……。
ついつい、蘭丸好きが……。
「いえ、忘れて下さい」
「…………」
信長様、眉寄りすぎですよ。
ここでふと思った。
「信長様は、信長様のこれから、生涯聞かないんですか?ここ未来だし」
それに信長様は当然のように答えた。
「別に。人から我が人生を語られたくはない」
「へ、へぇー…」
しばしの間。
「あ、それじゃ俺、学校あるんで」
「学校?」
「学舎ですよ」
「それで、明日の日程は……」
「ちっ……」 さっきから、俺は高校の教室の壁時計をちらみしながら、帰りのホームルームの席にいた。
今日から三日、一年は部活がない。
つまり、これが終わればあとは自由だ。
帰りの準備は先にしておき、既に机の下に隠している。
「よし、じゃあ今日は終わりだ。気をつけて帰れ」
丁度、鐘が鳴って、俺はみんなが席を立つ前に、教室を飛び出した。
「信長様!!」
「む?なんだ」
ズズズ…、と俺の部屋で俺の茶碗で茶をすすっていた信長様が、こちらを振り返る。
「な、なにやってんですか!!無闇に俺の部屋から出ないでつったでしょう!!家族に見つかったら……」
「だからなんだ?」
ギロリ、と蛇の如く、信長様の繊細な目の瞳孔が開く。
こうなれば、誰しも怯むのが当然だ。
「す、すみません……」
「ふん…」
ちくしょ〜、なんで俺は部屋に匿ってやってんのに土下座してんだよ!!(涙)
しかも信長様めっちゃ偉そうだし。
「あ〜、俺ちょっと買い出し行って来ます」
気を取り直して、コンビニにでも夜食を買いに行こう。
どうせ姉貴は今日から一週間友達の家で勉強会(お泊まり会)つってたし、親も海外だ。万一を考えて信長様を出さないようにしていたが、まあ少しの間だ。大丈夫だろう。
気が付けば、時計の針は短針が七、長針が十二を指している。
「じゃ、行って来ます。くれぐれも、家を出ぬよう……」
「わかっておる」
「…………」
「ふぅ……。そろそろ帰るか」
俺は買い出しを終え、細い帰り道を一人で歩いていた。夜、八時過ぎというだけ、なかなか暗い。
「大分暗くなって……うぐ……!!」
ふと、俺の口元に布が当てられ、気が遠くなってきた。
目線を下げ、背後に迫る人間の腕を見た。
太さから恐らく、男だろう。
そして所謂無差別誘拐、無差別通り魔か何かだ。
気が付けば、男は俺を近くに駐車していた車に押し込もうとしていた。
抵抗していた俺の腕が力無いものとなっていき、次第に気が遠くなっていく―――…
(もう、駄目だ……)
そう思った時だった。辺りに、まるで稲妻が走り抜けた。
「ぐあぁ……」
ふいに、俺の体がふっと軽くなる。
背後を返り見ると、丁度男が車の前で崩れ落ちていた。
その前には見慣れた草鞋と刀。
こんな時代、そんなおっかない物を持ち合わせる者など、一人しかいない。
「信長様!!」「ふん……。男の癖に、人一人退治出来ぬようでどうする」
「いや、助けてくれたのはありがたいんですが……。まさか、斬りました?」
目線を巡らせて尋ねる俺に、信長様は鼻で笑って腕を組んだ。
「刀は抜いておらん。素手で腹を少し殴ったら、こうなった」
「へ、へえー…」
……さすがは信長様だ。まだ少年時とは言えど、侮れない。
「さ、帰るぞ」
顔を上げると、信長様はもう随分先を歩いていた。
俺は急いでその後を
追う。
「あ、はい」
倒れている俺が気にかかるが、まあその内起き上がるだろう。
………多分……。
でもまさか、信長様に助けられるとは思わなかった。
信長様曰く、帰りが遅いと心配した故に、俺の足取りを追ったらしい。
次の日、信長様は、貸していた布団の中から消えていた。
「信長様……?」
返事はない。
どうしようかと辺りを見回すと、部屋にあった一冊の歴史の教科書が開いたまま落ちていた。
「あーあ。いつ落ちたんだ」
ふいに、開いてあった頁に目がいった。
無意識に、口元が歪んだ。
“……また、織田 信長とは、十五の頃突如姿を眩まし、二年後にいきなり帰って来たという言い伝えがある。
その際、彼は臣下の森 蘭丸に、一言
「御主は好かれておるな」と薄ら笑いで言ったとも伝わる……” |