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悪魔の恋は『なにいろ』ですか? 作者:柳シンム

ウッペ

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不思議な目覚め


「サイ」

「……」

「サイよ、起きておるかのう?」

「……うん、起きている、マナ」

 起きた時、サイは不思議な感覚にひたっている気がしていた。なぜか、なにかが異様に悲しい、という感覚。

 その感情の名前をなんと言ったらいいのだろうか、と誰かに問いかけて、サイはそれが問えないことに気がつく。

 問うことができない感情はサイの中にあるものだから、訊くのはきっと無駄なことなのだと思えた。そう思ってしまうことはサイの強さであり弱さ。それを、サイは彼女に見せられない。

「マナ、おはよう」

「うむ。眠っているところ悪かったのう。じゃが、どうにも夢見が悪そうじゃったのでのう?」

「気にしなくていいのに。マナ、私のことなんて」

「……。いや、サイ。そのようなことは今後言うてはならぬ。自分を蔑ろにしてはならぬ」

 南の離島を支配している女王マシーズ・エナ、愛称でマナと呼ばれている女はサイを、元他国の戦士を叱った。

 叱られた女はしょんぼりしたようだったが、すぐにマナの言葉を真摯に受け止めた様子で静かに笑みを瞳に揺らした。美しいふたりを包む雰囲気も美しかった。

 マナが、サイを見ている。サイもマナを見ている。ふたりは主従となって日は浅かったが繫がりは深かった。正確なことを言うと、マナが無理矢理深めた、だった。

 サイはよく漬かっていた。マナが調合した薬の効能に溺れてすべてを忘れてマナに仕えていたと錯覚させられ、仮初の幸福をえていた。だが、仮初でも幸福だった。
 幸福だったから忘れた。忘れたから幸福になった。どちらが先か。鶏か卵かの言葉遊び。それでもサイは今幸福であり、それだけがすべてであるとされていた。

 だから、結局、どうでもよかった。マナは夢見が悪そうだったと言ったが、それは事実として、サイはなにを夢に見ていたか覚えていなかった。

 だから、その程度なのだと思ったサイは思いだそうとかいう気持ちを起こさなかった。だって、どうでもいいことだから。今のサイにはマナが幸福でいてくれることだけがすべてだった。

 その他の幸福などまやかしであると思い込んだ。

 過去にあったことはもちろん覚えている。レンのこと、大切な妹のことを覚えている。でも、もういないから。さらにはどこかの記憶でレンがサイの背を押してくれたような気がしていた。

 このままでいい、とばかりに。このままでいる方がサイは幸せになれる、と言わんばかりのレンは、それでもなにも、一言も音を発しなかった。

 それを悲しいと思ってしまうのはサイの感傷、なのだろうとサイはひとりで納得していた。

「サイ、もういいのか?」

「すまぬ、ツチイエ。心配したか?」

「当然。お前になにかあればマナ様が悲しまれる」

 視界に新しいひとが入ってきてサイはそちらを見た。立派な体躯の美男、ツチイエだった。

 ツチイエは相変わらずマナのことばかりでちょっとだけ羨ましいような、阿呆なような……。
 サイは突っ込みを控えた。昨晩はまたツチイエに手間を割いてもらい、手を尽くしてもらっていた。

 マナが調合した薬は味が最悪であることもそうだが、飲む当人以外の唾液が薬に混ざることで最高の効能を発揮するように調整されている。
 マナはサイを可愛がっていたし、口移しに抵抗はないが、サイを思ってツチイエにさせた。

 サイが薬に溺れることで失わせられた関係の代替をツチイエに、と思った。だが、サイは代替など望んでいなかったのか、それとも元よりその程度の関係だったのか、もしくは誰かが適当な代替になれないほどに強い感情だったのかは謎であるがツチイエとそうならなかった。

 サイはツチイエの口移しを恥ずかしがっている様子だったが、マナの命令だから、マナが望んでくれるからというので受け入れている。そこに恋愛の感情はない。

 もしもそれがあったならば、マナはサイにツチイエと夫婦めおとの契りを結ばせようと思っていた。だが、生憎と気配も脈もないので仕方がない。

「朝餉を食べたら出発じゃ」

「はい。マナ、もらってくる」

「ツチイエ、手伝ってやるがよい」

「はっ」

 それでもマナとしてはサイとツチイエ、このふたりの闇は素晴らしいものなので結べるものならば結んでやりたいと思った。ひとの心は自由にできないと知って願った。

 なので、できるだけふたりを一緒に行動させた。サイは不思議がっていたが、ツチイエは意図を汲んで、マナの思惑を察してサイの心を刺激するように行動した。

 女がこの男を、と思うような行動を心がけた。些細な努力だったがそれを怠れば女は厳しいので寄りつかない。
 サイは特に、男を見る目が厳しいので努力は並ではならないがあまりすぎると露骨でいやがられる。難しい女だ。

 だが、そう思うとサイがあの王子を、ウッペのココリエを庇って大事に思っていた理由がわからなかった。ココリエはあきらかにツチイエに男として、戦士として劣る。

 あんな貧弱な、女のような男にサイほどいい女が恋をしていたというのは不思議ですらある。

 けっして許される感情ではないが、それでもサイの精一杯の感情だった。ただ、それすらも残酷な悪意とココリエを思いやる心によって踏み潰された。

 サイは踏み潰されたとは感じていないが、それでもマナにはそう感じられていた。サイのささやかな恋心は踏まれて潰され、見るも無惨な状態にされた。

 それがマナには悲しかった。そして、それ以上にサイがそれに傷つかないことが憐れだった。

 それを本能でいけないことだと思っている。抱いてはいけないもの。抱くことは罪である。
 そんな認識が可哀想だった。もっと自由でいいのに、サイがサイであるからという理不尽な理由で許されない感情をサイは本能で悟って自分の奥深くに封じた。

 堪らないくらい憐れで悲しかった。だからこそマナはサイをそこに追い込んだ者を許せない。

「サイ、ウッペをどう思う?」

 サイとツチイエが持ってきた朝餉を食べながら、マナは何気ない調子で尋ねる。自分の正面で朝餉を前にしていいコで待っているサイに問いかけた。

 ウッペ。元々サイを拾って飼っていた国をどう思っているのか、今、どう思っているのかをマナは問いかけた。

 昨日の夜、薬にひたしたばかりだったが、今サイは自然体でいるので彼女の本音が聞けると思っての問いだった。

 マナが煮物をつついているとサイが、しばらく考えていたサイが口を開いた。女は確かめる。

「ウッペ……、昨日突然襲ってきた?」

「そうじゃ。主の命を狙っている愚か者共じゃ」

「どう、と言われても、困る」

「……ほう?」

 マナの問いにサイは本当に困ったように首を傾げ、迷いなくその音を口にした。ウッペ国に住まう戦士たちの心を抉るだろう言の葉を、女戦士は紡いだ。

「あんな野蛮なやつら、私は知らない。例え知っていても今はもう関わりあいたくないと思う」

「なぜじゃ?」

「私だけならいい。でも、マナを害するならアレらは私の敵。怨敵だから。関わったらマナが」

 マナが被害をこうむると、サイは言いたいのだろう。

 サイの答を聞いてマナはサイの頭を撫でた。優しく、母親が子にするようにサイを撫でるマナは愛し子を見る眼差しである。そしてサイもマナを保護者と認識し、甘えて溺れている。

 生まれてからずっとサイに与えられなかった当たり前がようやくサイに訪れたかのように。

 サイは安心してマナに縋った。ただ、その心の奥には棘があった。自分自身に対する疑念という棘があった。
 昨日の晩、いざなわれた森で出会ったふたりの存在がサイの胸を刺してきていた。特に鴉の言葉が痛かった。

 逃げていると、言われた。サイは逃げているつもりはなかったし、なにが逃亡になっているのかわからなかった。でも心の中ではなにかがそれを知っていた。サイは、逃げている、と。

 心は逃げていると言う。サイは逃げているつもりはない。マナに仕えることが逃げになるのならばなにが立ち向かうことなのか、それがサイにはわからなかった。

 わからないことを解明するのは大切だったが、それをする余裕がサイにはまったくなかった。

 ありえなかった。

 エネゼウルに戻る道すがら何度も襲撃を受けた。
 ウッペという国はなぜなのか、サイを襲撃する。そのことにサイはなぜか傷ついた。その理由をマナに訊いてみようとも思ったが、サイの心に在るなにかが止めた。

 それにこんなつまらないことでマナの手を煩わせるのもなんだと、サイは思った。だから、サイは他のことを訊いた。マナが食事を終えたのを見て質問する。

「もう、寄り道しないか?」

「うん?」

「あまりぐずぐずしているとウッペがまた仕掛けてくるかもしれない。守る自信はあるけど」

 それでも、サイはそもそも襲撃の好機を与えたくない。ひとつところに留まれば襲撃される危険が高まる。そうなることでマナが危険に遭うことがサイは許せない。

 そんなこと、認められなかった。ようやくサイを認めて愛してくれるひとに出会えたのに、それが離れていくかもしれない、二度と会えなくなるかもしれない。そんな可能性が怖かった。

 だからサイはマナに尋ねた。もう寄り道してウッペに好機を与えたりしないか? と。しかし、マナはサイの問いと心配に困ったように笑った。

「わしは滅多に国からでないのでな。用事はいろいろと詰め込んでから外出するのじゃ」

「それは」

「帝都に寄らねばならぬ。実に五年ぶりじゃが、あの帝のご尊顔を拝さねばならぬので、ツチイエ共々供をしてくれるか、サイ? 大丈夫じゃ、主は戦国の強者にも劣らぬ」

「柱、だから?」

「わしは主のことを柱以上に評しておるということじゃよ、サイ。ツチイエのように、のう?」

「ツチイエ?」

 サイはツチイエの名を戦国で聞いたことがなかった。有名な戦士ならばサイは調べている。

 だが、ツチイエの名をサイは聞いたことがない。

 エネゼウルの有名な戦士といえばそれは戦国の一強がひとり、ヒイラギ。ただ、ヒイラギは戦国の一強とされていてもひとの前に姿を現さないことで有名だった。
 恥ずかしがりなのかと思ったが、それにしてはなぜ戦国の一強と称されるようになったのかがわからない。

 ヒイラギのことは謎に包まれている。

「ツチイエはエネゼウルが誇る戦士。サイもその実力は実感していよう? 折り紙つきじゃよ」

「ん」

 わかっている。ツチイエの実力のほどなどわかり切っている。だってサイは一方的に負けた。

 それがいつのことだったのか、なぜそんな事態になったのかはわからなかったが、負けた。

 事実に変わりはなかった。ツチイエの凶器に仕込まれていた毒に当てられ、それを解毒してもらったことも覚えている。屈辱の敗戦のあとで、そこではじめてツチイエに触れられたのだ。

 かなり印象に深い出来事だった。

「……?」

 一瞬のことだった。サイの頭に雑音が混ざった。ツチイエと戦闘に興じた時、誰かがサイを庇ってくれたような気がした。そんなこと、ありえないのに。

 ありえないことを妄想する。サイはそれを愚かで滑稽だと思った。サイとツチイエの間に入れる勇者などいない。

 わかり切っている事実。だからそれはサイの中の捏造なのだとサイは自分自身を恥ずかしく思った。顔も知らない誰かが庇ってくれるなどありえず、誰かを覚えていないのもありえない。

「どうした、サイ?」

「いや、なんでもない。ちょっと自分がイミフで」

 マナはサイの言い訳に少し首を傾げたようだったが、すぐに納得してくれた。女王は女戦士に微笑み、そろそろいこうか? とばかり、マナに続いて食事を終えたサイの肩を叩いた。

 細く、頼りない手指。それはいつものことである筈だったのに、サイの中に別のものがある。それは逞しい大きな手。それがサイの肩を力いっぱい叩く。一回叩かせてサイはその手を払う。

 そんなありもしない『いつも』があったような気がしてならないサイは言いようのない焦燥感に襲われた。

 なにか、大切なことを忘れているような気がした。

 特別で、大切で、なによりも大事にしたいなにかがあったような気がした。サイの不安の種。
 忘れているものを思いだしたいと思っても思いだせないことに苛立った。だが、すぐに思いだすことに不安を覚えた。マナとの思い出を疑っている自分自身にサイはいやな気分になった。

 マナはサイを大切にしてくれていると思えば思うほど、ありもしない幻を探すことが冒涜に思えてしまう。マナの愛情を裏切っている気分になってしまうのだった。

「では、いこうかのう、ふたり共」

「はっ、マナ様」

「はい」

 だからサイは思ったことを消し去った。今のサイにはマナがすべて。マナの愛情だけがよりどころだった。

 遠い過去に喪った愛情。レンの愛情と酷似していて深くサイを愛してくれるマナがサイは大好きだった。なので、サイはマナに従順に従う。それが幸福だったから。

 幸福を踏み潰され、幸福を与えられてサイは不思議な心である。ただ、今は進むだけだった。

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