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悪魔の恋は『なにいろ』ですか? 作者:柳シンム

エネゼウル

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森の中で――非情な宣告


「イミフ」

 なので、ひとつだけ呟いてサイは待っている狼についていった。鬱蒼として、それでもところどころに手が加えられている森に踏み入っていく。

 これで凶暴な獣でもでたらあの女の声、あの誰かを呪わねばならないとサイは思った。まあ、サイほど凶暴な人間を害せる獣などそういないだろうが……。

 変なことを考えつつ、サイは森を進んでいく。麓はとうにすぎ去り、そこは森の奥だった。

 開けた場所だった。真ん中にぽっかりとあいた空間に月明かりが差し込む。そこだけ木々が伐採されたような、なにかが会する場所であるように在る場所は不思議な空気を纏っていた。

「お連れしました」

 不意に、女性の声がした。ただ、それはあの時サイについてくるように言った女の声ではなかった。もっと少女らしく、可愛らしい声であった。

 そのことにもサイは疑問を抱いたが、すぐになにかの気配を感じて身構えた。森の奥よりなにかから視線を注がれている気がした。構えたサイが次に聞いたのは低くて深い男の声だった。

「あの道化の言葉を信じるなど愚かしいと思っていたのだが、なるほど、たしかに厄介そうだ」

 ――。

 サイは頭痛を覚えた。なにかの雑音が頭を高速ですぎていった為、起こった頭痛だった。

 サイはその声に覚えがあった。どこかで聞いた、どこで聞いた? もしくは、記憶の片隅に?
 それくらい、その声は不思議で不可思議なほどサイに耳慣れている音だった。わけわからんとサイが思っている、考えていると男がそこに、森の奥から現れてきた。

 当然、見覚えのない男だったのだが、なぜか妙に懐かしかった。懐かしさのままサイは口にする。それは自然と転がってでた。息苦しいほど懐かしい、名前。

「ミュン、ちゃん……?」

 サイの小さな声に新しくこの場に現れた男はひどく辛そうな顔をした。激痛を覚えたような表情がサイの胸を占めて、締める。ぎゅっと、絞るように締めつけられた。

 そのひとにそんな顔をさせてしまう自分自身を呪おうとした。マナ以外の人間にこんな感情を抱いてしまうことはマナへの冒涜だと思おうとしたがそれを心が撥ねた。

 サイの心がサイにマナへ寄るなと警告してきたのだ。
 自分のことなのに、どうしてこう、意味不明なのだろうかとサイは疑問でならない。だから、気づけばこの奇妙なもやもやを抱かせる男に問いを放っていた。

「お前は誰か、私に何用か?」

「お嬢様……」

 サイの当然の疑問に返されたのは意味不明な言葉、単語だった。言葉の意味自体はわかるが、どうして彼がそれをサイに言うのかがわからなかった。

 だってそう、お嬢様とはそういうやつだ。いい家の娘に使われる単語だ。サイに使用されるものではない。そのことをサイはわかっている。当然のことだった。

 そうである、筈だった。それなのに、サイはどうしてかその呼称に懐かしさを感じた。郷愁を抱かせる、とでも言うのだろうか? 不思議すぎるものだった。

 懐かしくて、でも戻れない音で場所であり、それは過去の出来事に在る気がした。

 頭が痛い。サイの頭がまた割れそうなほど痛くなった。いっそ、砕かれかけているのだと言われる方がすっきりくるくらい痛い。激痛の只中でサイはもがく。

 なにかに溺れかけている。だから救いを求めている自分を滑稽だと嘲る傍らで救ってほしいと願った。それが愚かだと知っているのに、心が求めてならなかった。

「誰、誰か、お前は私のなにだと言うのだっ」

「俺は……」

「答えてくれ、早く……っ、頭が、割れてわけ、わからなくなって……私は、私はなぜ、どうして……なぜ、だ?」

 サイの心に疑問が渦を巻く。まるで嵐のようにそれは乱気流を起こし、それをさらに攪拌していくなにかがサイに疑問を吐かせた。それは素朴であって、源の疑問。

「懐か、しい……?」

 懐かしい、という疑問。昼間、ウッペの戦士に抱かなかったものをサイは眼前の男に抱いた。

 懐かしい。どうしようもなく懐かしくて悲しくなってしまう。それがどうしてそうなのかすらサイはわからなくなっていく。マナの使った薬がよく効いて馴染んでいた。
 それが為にわからないのならば、サイは体内にある、残留しているものを一時的に排除しにかかることにした。

 心臓の奥にある力を引きだして自分に向けて使用する。有害なものを除去する呪を行使した。
 心臓から引きだされた力がサイの脳に向かう。脳に溜まっている薬を一掃してみたが、薬は思ったよりも深く浸透していてすべては拭えなかった。

 だが、頭の霧は晴れていた。霧が晴れた頭で考える。
 今、サイの目の前にいるひとのことをサイは考えた。

 こみあげてくる懐かしさ。愛称。優しいひとであって人間ではない。人間を嫌っているのにサイを愛してくれる。大切な、大好きなひと。その名は……。

「アカツ、キ」

「……ああ」

 サイの呼んだ名前に男は、アカツキはひどく安心した様子だった。心の底から安堵している。

 アカツキは安心しているのに、サイは異常なくらい不安になった。サイはマナの支配から逃れ切らずとも逃げている。それがどうしようもなく不安で堪らない。

「逃げるのは簡単です」

「……!」

「マナ女王に縋ってあなたは逃げている。過酷な自身の運命さだめから逃げようとしている。それは叶う筈がないというのに……。なかなかどうして、あの女王は上手い」

 覚えのある声にサイは硬直した。それはサイを天幕から、カシウアザンカから連れだすように導いた女の声。その声にもサイは聞き覚えがあった。遠い、昔に。

「か、らす……?」

「ええ。あなたの記憶は破壊された。だが、深層深部の記憶までは破壊できない。我らはあなたの浅瀬に在って深淵に在る記憶の住人。だから、思いだした」

 サイの尋ねる音に答えた女の声が暗闇から聞こえてくるのでサイは目をこらしたが、女は絶妙の立ち位置を確保していて存在するのに存在していないかのようだった。

 存在しているのに存在していない、だが存在する女はサイに罪を突きつけた。サイが抱えている運命さだめからサイが逃げようとしていると言ってサイを咎めた。

 サイはそんな筋合いはないと言いたかったが、なぜか言えなかった。それは女の言を、鴉の言葉をサイの心の奥底が肯定しているようだった。

 サイは逃げている。過酷から逃げている。

 それは、悪いことだった。サイが考えつく限り最悪だった。逃亡は卑劣。逃走は卑怯。闘争に殉じてこその戦士。生死をわかつような戦闘を楽しんでこそのサイ。

 なのに、逃げているというのは不名誉だった。サイは逃げも隠れもしていない筈だったから。
 だから余計に、鴉の言葉は無視し難いものだった。

 かといって激昂するのはサイらしくないので気持ちを落ち着けてから口を開くことにした。サイは深呼吸を数回。口を開いてその音を吐こうとした。

「我のことはいずれわかること。だが、今はまだならぬことであるので我はあなたに会わない」

 サイが喋ろうとした瞬間はかっていたように鴉が口を利いた。それは冷たい言葉だった。冷たくて、それがすぎてサイは凍傷を起こしたような気分になった。

 そして、同時に淋しかった。

 すぐそこに自分を知っている誰かがいるのに会えず、許されない会合だとされる。そのことがなぜか異様に悲しくて淋しかった。

 カシウアザンカに戻ればマナがいる筈なのに、サイを肯定してくれるひとがいるのに……。

 どうしてか、どういうわけかサイはマナの無上限の愛を捨ててでも今この場でアカツキと鴉に愛されたいと望んでしまっていた。本当に謎だったが、ふたりはサイを愛してくれるという確信がサイにはあった。妄想でもなく、夢でもない。それはきっと真実の愛。最高の愛情。

「いや、だ」

「……」

「鴉、アカツキ、お願い。私を」

 愛して。その一言をサイは言えない。

 言うことは弱さをさらけだすこと。そうなればマナを守るどころではなくなる。きっとサイはふたりの愛に溺れて死んでしまう。それほどふたりの愛はマナ以上に深い。

 なのに、鴉の発している気配は冷たく凍てつくような温度でサイを突き放す。サイを寄せつけない闇はだが、微笑んだ気がした。微笑み、そして言った。残酷なことを。

「そろそろですな」

「え?」

「そろそろ、あなたは死ぬべきだ。……死んでくれ」

 冷淡な言葉にサイは傷ついたがそれなのに心のどこかで『やっぱり』という声が聞こえた気がしてサイは首を傾げた。どうしてなにがやっぱりなのか、わからなかった。
 鴉の言葉に傷ついて呆然とするサイに代わってアカツキが吠えた。獣の声で男が怒鳴る。

「鴉! 貴様、なんということを」

「なんということも言っていない」

「ふざけるな! 死ね、と……? お嬢様に、俺たちの大切な宝物に死ねと言うのか!?」

「言っているが、なにか?」

 吠えるアカツキにしかし鴉は冷たく打ち返して相手にしない。アカツキを放置して鴉はサイを見据えているのか、サイは視線を感じた。冷たい、腐肉を漁る鴉の眼差し。

 サイは今まで恐怖というものを数えるしか体験してこなかったが、今、素直に怖いと思った。
 サイは鴉が怖かった。自分を愛してくれるひとに恐怖を抱いたサイは二、三歩後退る。それでも鴉は言葉を撤回してくれない。ばかりかかすかに殺気立った気がした。

「一殺多生、という言葉をご存知か? ひとつを殺して多くを生かす、とかそういう言葉だが」

「私に多くを救う為の贄になれ……?」

 あれ? とサイは首を反対に傾げた。どこかでこの話を聞いたことがある気がした。サイにひとりで贄になれと誰かが言った。誰が言った? どうして言った? わからないことばかり。

 疑問が膨れあがった時、サイは『誰か』に『どうして』と問うことができなくなっていた。

 あまりにも稚拙でくだらなくて弱い言葉。繰り返すとそれはさらに幼く聞こえてならない。だからサイは問えず、問う為の言葉を失くして立ち尽くした。

「あなたは大君が用意したまさに生け贄」

「おおきみ?」

「やつらを闇から引き摺りだす為にはギリギリまで犠牲にしなければならない。大君のお考えだ。もう、覆らない」

「やつら……」

「だから、あなたは死ななければならない」

 限界だった。サイは鴉のいる闇に背を向けて一目散に逃げだした。過酷から逃れようとして。

 走るサイの背後で闇が微笑んだ気がした。

 だが、サイはそんなものを気にする余裕がなかった。ぶつけられた言葉に耳を塞ぐのでいっぱいいっぱいだった。

「許してくれなくていい、我のことは。でも、あの方たちのことだけはどうか、お嬢様……っ」

 最後、森の麓に駆け込んだサイの背にかけられた声はそんなことを呟いた気がした。

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