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悪魔の恋は『なにいろ』ですか? 作者:柳シンム

シレンピ・ポウ

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念願の自由。緋色の悲劇


「あはは、はは、ははは、あははははははっ」

 チザンサ国。ククの林と隣接している集落に狂ったような笑い声が響く。それは狂喜だった。

 チェレイレの死を見たヴァティラ。彼女は母親が動かなくなってすぐに笑いはじめた。

 一抹の悲しみもないそこには、狂いださんばかりの喜びしかない。至上の喜を湛えた瞳で女は笑う。

「死んだ、死んだ、死んだ!」

 母親の死に狂喜して叫び、笑い続けるヴァティラに妹のキュニエはわけがわからず呆然とする。姉のこの上ない喜びの感情についていけない妹姫は戸惑う。

「お、お姉様?」

「死んだ、死んだのよっ」

 心の底から吐き捨てるヴァティラは憎しみと恨み、憎悪で以てチェレイレの死を笑った。感激のあまり、涙を流すヴァティラにセツキはとりあえず問うてみた。

「心が砕けてしまったのですか?」

「いいえ、セツキ。私は嬉しいのですっ」

 セツキからの問いにヴァティラは嬉しそうに笑う。

 黒い瞳には希望。

 長年の束縛、隷属から解き放たれた奴隷の如き歓喜を携えた女は確かめるようにそれを口にした。

「私はとうとう解放されたのよ。あの母から。これが、この奇跡が喜ばずにいられますか、セツキ?」

「……お亡くなりになったのですよ」

「だから?」

 一応、現実を教えたセツキにヴァティラは感慨もなく一言で返す。本当に母親の死などどうでもいいと語る態度。

 女は続けて言葉を吐いていく。

「腐れ兄が死に、最悪夢であった母がくたばった。念願の自由、自由よ。なにをしよう? せっかくリポードに嫁いだことになったのだしこのまま平穏に暮らすのも選択肢としては正解かしら? もしくはこの婚姻をやめてセツキ、あなたに嫁いであげてもいいわ。ねえ、どう思う?」

「いいえ、私の意見を尊重してくださるのでしたら私は遠慮します。あなたのような女は好みではありません」

 ヴァティラの提案にセツキは丁重に遠慮を返しつつ、まだ向かってくるケンゴクを片手間に相手する。

 もう、ケンゴクはセツキのせいでボロボロだったが、キュニエの支配の為か痛みを通常の半分程度にしか感じられていない様子で、性懲りもなく向かってくる。

 セツキの槍斧、プルスディクがかすかで鋭い唸り声をあげて跳ねあがり、ケンゴクの顔面に峰が埋まる。

 セツキはケンゴクを適当に相手しながら、キュニエとココリエを見た。キュニエは唖然としたまま。ココリエはヴァティラの狂喜にキュニエ同様驚いている。

 それはもはや、一種の狂気と化している。

「お、お姉様? どうして……」

「もういいのよ、キュニエ。もういいの。だからケンゴクへの支配をお解きなさい。これ以上は憐れだしね」

「え、で、ですが、戦は」

「だから、もういいのよ。だって、あの女が死んだのだから。この戦は意味を失ったに等しい。私たちはデオレドの死も母の憎悪と殺意もどうでもいいじゃない?」

 冷たく妹に言い聞かせるヴァティラの言葉がキュニエには理解できない。姉がなにを言っているのかわからない。

 兄の死などどうでもいい。母の憎悪などくだらない瑣事でしかない。そんな姉の憎悪が理解できない。

 母が死んだ。悲しくて、驚くべきことである筈なのに、ヴァティラは歯牙にもかけない。姉姫たるヴァティラの冷たい態度に、母を罵る姉にキュニエは驚いた。

 それは今まで見たことのない姉の姿だった。

 母親を、チェレイレをヴァティラは平然とあの女呼ばわりした。冷たくて残忍な正気であり、狂気だった。

「今まで私たちはお母様の言う通りに生きてきたわ。反吐を戻しそうになりつつ男にしなだれて甘え、血反吐を戻して武芸の鍛練に励んだ。でも、もう……ああ、自由だわ」

「……本当に」

「うん?」

「本当に、お姉様、本当に? あたくしは、あたくしたちは自由になったのですの? 呪縛が解かれたの?」

「ええ、そうよ、キュニエ。もう私たちは自由でなにをしてもいいの。だから、さあ、ケンゴクを解放なさい」

「はい、お姉様!」

 姉の喜色満面を理解できなかったキュニエだが、姉の説明にようやく納得の色となって黒い瞳を輝かせた。そして、姉に返事をすると同時にキュニエがケンゴクへの支配を解いたようでケンゴクがひとり芝居が如くずっこける。

 セツキに飛びつきかけていたのを自分の戻ってきた意思で止めた為だと思われる。こけたケンゴクにセツキは手を貸さない。ケンゴクは自身の負傷に思わず悶絶。

 セツキは絶妙に加減していたが、その攻撃には一切の遠慮がなかった。お陰でケンゴクはこの場にいるウッペの人間の中では一番の重傷を負っている。自業自得だが憐れ。

「キュニエ、肩を」

「大丈夫ですわ、お姉様、今までのことに、毎日の修行やお兄様のとぎに比べればなんでもなくってよ」

 言いながらキュニエは自分の両の肩を射抜いている矢を引き抜いた。顔は苦痛に歪んでいたが、本当に心はなんでもないと思っているのか少女は喜色満面で笑っている。支配されていた日々を思いだし、現状を見て歓喜した。

 姉妹で母親の支配より逃れられたことを祝っている。

 悲しいお祝いを見たセツキは毒気を抜かれてプルスディクを光の粒子に変えた。ケンゴクも大太刀をおさめる。

 複雑そうなココリエも武装をといて竹の木と笹の葉にして、腰に戻した。そこにククの林からサイが現れた。

 後ろにはトウジロウを連れている女戦士はウッペの三人に合流し、シレンピ・ポウ姉妹姫の様子に瞳を細めた。

 自由を喜び、歓喜する姉妹がお互いを抱きしめ、自由を祝福して互いに微笑んだ瞬間、あかが散った。

「な」

 誰かが音を漏らした。

 誰の音かは知れない。

 だが、たったひとつの音は疑問を紡いだもの。それは信じ難い光景を目撃したが為に吐きだされた音。この場にそれは、そんな光景はあっていい筈がなかった。

 念願の自由。求め続けて諦め続けていた姉妹の夢が叶った。そのことを誰よりも喜んでいた姉妹の体を長槍が貫通していた。槍は女の腹と少女の胸を貫いている。

 槍を、凶器の柄を握っているのはなぜなのか姉妹と婚姻を交わした筈の、リポードとシァラの王たち。

 王たちの目に正気の色はない。濁った目をしていた。

 どこかで、見た目の色。

 その目の雰囲気にウッペの人間は覚えがあった。特にココリエとサイは覚えに深い雰囲気であった。

 センジュ国の城でカグラ王と相対した時、彼の目に同じ雰囲気ものを感じた。意思を奪われ、正気を失った瞳。

 あの時の、あの日のカグラ王と同じ目をしている王たちは姉妹をぐっさりと串刺しにしていた。

「姫、様……っ、お、おのれぇああああ!」

 チェレイレに操られ、心に糸をつけられていてもトウジロウは仕えていた身。チェレイレに同じように、いや、より一層残酷に使われ、酷使されてきたヴァティラとキュニエのことを封じられた心でずっと憐れに思っていた。

 姉妹がなにか知れないながらも喜んでいる、互いのことを祝っているのを見てなぜか、孫娘が婚姻を結んだようなそんな幸福を感じていたトウジロウはだから、二国の王たちの暴挙に怒り狂い、吠え声をあげて一番に動いた。

 怒号をあげてトウジロウは王女ふたりのもとに駆けつけ、二国の王たちを殴り飛ばし、近かったヴァティラ王女の傾き倒れる体を支えて大地にゆっくりとおろした。

 支えがなかったキュニエが地に伏せ、少女の細い体から大量の血潮が流れでていく。女もそうだった。トウジロウに抱えられたヴァティラが血反吐を零していく。

 死傷の激痛と大量失血で女の顔は青ざめていく。ヴァティラの顔にあった喜びは悲しみに変わっていた。死の重傷を負った女が笑う。自嘲の笑み。

「あ、は、は……なに、それ……?」

 女は激痛に顔を歪めて新しく血と疑問を吐いた。

「姫様!」

「トウ、ジ、ロウ……?」

「某です。すぐにお手当てを」

 トウジロウの言葉に、トウジロウの正気の目に気づいたヴァティラはトウジロウもまた支配を逃れたことを知って微笑んだ。そして、男の言った手当てに首を横に振った。

 もう助からないことを悟った者の遠慮の仕草。

「罰が、当たった、のかしら?」

「姫様」

「お母様に、加担してひとを貶めてきた、イハナサに堕として笑っていたことへの、これは、罰だ、というの?」

 ヴァティラの言葉にトウジロウはなにも言えない。

 例え無理矢理させられていたとしても行動を起こした時点で女と少女にも相応に罪があったと思われる。

 あったのだろうが、それでもこれは、こんな間でこんな罰は非常識だ。起こってはならない残酷さで悲劇。

 あまりの無情にトウジロウが押し黙る。

 この姉妹は逃れたかった。ずっと。母親の反吐がでそうな支配に耐え続けてようやく抜けだせた。なのに……。

「私たち、ここで、死ぬ、のね?」

 ヴァティラの問いにトウジロウは答えられない。女に酷薄さを言えない男の反応だけで女には充分な答となる。

 喘鳴の音。ヴァティラの目の前でキュニエが死の痙攣を起こし、口から血の泡を吐いて苦しんでいたが、やがて、その息が最後にひとつだけ零れ、静かになった。

 動かなくなったキュニエの濁った瞳。妹の死を見たヴァティラの唇が血を零す。黒がかかった赤い血が流れる。

「どうして、どうして……? なぜ、今? やっと自由になれたのに、どうして、どうしてどうしてどうじで……っ」

 トウジロウに抱えられ、吐血する女の周囲にウッペの戦士たちが集まる。ヴァティラのまわりに集った面々は憐れみ濃い瞳や顔で死にゆく女を見つめて見守っている。

 細くなっていく声。ヴァティラのどうして? に答えられる者はいない。死にいざなわれ、息絶えていく女の目が彷徨った果てにサイを見つけた。女の瞳孔が細まる。

「……ぜえ、あなたの、はあ、せいよ」

「?」

「あなたがいたせいで私たちは幸福を逃したのよ。せっかく解放されたのに、あなたが全部ぶち壊したわ」

「そなた、なにを言って」

 サイのせいなど言いがかりもいいところだ。ココリエの発しかけた文句をサイは悟った。だから青年を制止し、ヴァティラに見えるように女戦士は頷く。それは肯定。

「私のせいならば、私に咎がある」

「サイ、なにを言っている? 妄言に付き合うなど」

「お前たちの死は私のせい。それを恨み、憎み、呪う。なればそのせめてもの思いがあれば心残りはなかろう」

「……」

「せめてもの思いがあれば地獄に堕ち切らぬ」

「……可、哀想な、ひと」

 サイの言葉にヴァティラは笑った。最初に顔をあわせた時のような儚げな女の顔で笑うヴァティラはなぜか救われたような表情をしていた。悲しい嘲りでも微笑んでいる。

 サイにバカなことをとか、妄言などを真に受けるなと言おうとしていたココリエはそれだけでサイがなにをしたか知った。サイは死に向かう王女にせめてもの気持ちを、たったの一欠けを持たせて背を押したのだ。

 例え負の感情でも強く思うことで死の激痛を克服し、イハナサへの階段も軽やかにくだっていけると聞く。

 ――敵わぬな、本当に。

 ココリエは呆れるほどに感心した。サイはヴァティラにせめてもの救いを差し伸べるのに憎悪を受けると述べた。

 唯一の救いで助けの手。呪いの言を受け入れ、死にゆく、未練と悲しみを残すだけの王女に救済を与えたのだ。

「冷たい、凍える氷のようなフリをしていて甘い、あなたが私を死なせるのね? 残酷に死ねと言、うのよね?」

「うむ」

「恨むわ」

「存分に恨むがいい。私を憎み、恨み、呪い、蔑み死んでいけ。それで少しでも魂が救われるならば、軽い願いだ」

「あなたは、だから生きるのよ」

「……ああ、そうかもしれぬ。嫌われ、憎まれ、疎まれる者こそこの世に蔓延るものであるからな」

「そう。だからあなたは生き、私は巻き添えで死ぬの。ああ、海神うみがみ様、不平等、な神様……どうか、来世では私と妹にも少し、ほんのちょっとだけ、幸福をおわけ、くだ、さ」

 願う女にトウジロウは増血の呪をかけようと言霊をりはじめるがそれは途中で止まった。

 中断された呪。それは無意味さが故に。

 ヴァティラの出血は致死量であり、とてもではないが助からない。間にあう可能性としてサイの強力な治癒、増血の呪がサイの中で浮かんで消えていった。

 なぜかけないのか、なぜ救わないのか。

 サイにもよくわからない。だが、この力は無闇に使ってはならない。見せてはならない。強い気持ちがあった。

 サイは悼むような目でヴァティラを見つめた。サイがトドメを刺したかのような沈痛さを瞳に揺らす女戦士にヴァティラはせせら笑う。血を吐きながら王女は笑う。

「あなたは、こうはいかないわよ。私の比で、はないほどに苦しむ、の。苦しんで、もがいてみっともなく泣い、て惨めに死にゆくのよ。そう、それがお似合いよ……っ! ……あなたの、お、前の命に、はなん、価値もな、いのに」

「そなた、それは甘えすぎと」

「あなたさえ、いなければ……」

 絶望と憎悪。悲しみと恨み。殺意を吐くヴァティラの目から涙が一筋頬に流れていった。徹底的にサイを呪って死にゆかんとしている王女だったがふと、不意に瞳に疑問を宿した。それは、純粋でささやかな疑問。

「あ、れ……? どうし、私はあなたを憎ん、るの?」

 女の疑問にサイは答を持たない。

 答えられないサイにヴァティラは不思議なものを見たような目を向けて、もうひとつ涙を流した。

 そして、最期、なにかを口にしかけて女の息は絶えた。

 ひゅう、と鳴った絶息の音。命の切れた音がときの声もなく、静かな戦場いくさばに奇妙に響き、虚しく消えた。

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