突如、奇妙な感覚が体中を支配した。そして、僕の意識はゆっくりと降下し始めた……。
父。父がどんな人間だったのか、よく覚えていない。けれど、父が僕を見る目、それだけは鮮明に覚えていた。慈しむ様な、でもその中に怯えがある。そんな、目。
僕は、父がそんな目で僕を見るのが恐かった。父が僕を必要としていないようで。父が僕を望んでいないようで。子供には、やはりそれが一番の恐怖だったのだ。
父が僕を愛していたのかどうか、僕には分からない。普段は僕に関わるのを極端に避け、怯えているような素振りさえ見せるのに、僕が怪我をした時などは真っ先に駆けつけて手当てをしてくれた。その時の表情はとても必死そうであり、また大事には至っていないと分かったときにはとても安心した顔をしていたのだった。
だから、幼い僕には、父が自分をどう思っているのか、よく分からなかったのだ。結局それは分からぬまま、父は極度のストレスにより精神を病み、僕が九歳になる頃に、病院で錯乱の中死んでいった。
四十歳にも満たない父をそこまで苦しめた”何か”は分からない。だが、それに対する好奇心は、成長するごとに大きくなっていき、大学生になってもそれはなくならず、僕は、日々そのことばかりを考えていた。
母に、父との事を沢山聞いた。母の一目惚れだったらしい。文字通り、突然目の前に現れた父に、運命を感じたのだそうだ。そしてその時、父は何かに怯えるようにあわてて走り去っていったのだが、本当に運命の出会いだったのか、その翌日に再び町で出会い、交際することになった。
付き合い始めた当初、父は、何かと母を避けがちだったらしい。だが、母の熱心なアプローチにより、その態度も徐々に融解していった。だが、結婚した辺りから段々と落ち着きをなくし、僕が生まれた時には嬉しそうな、でもどこか怯えた目をしていたのだそうだ。
何故、父は交際当初、母を避けていたのか。何故、結婚後に落ち着きをなくし始めたのか。何故、僕に怯えた目を向けたのだろうか。そもそも、何故、父は初め、何に怯えるように逃げたのだろうか。答えは一向に見つからず、疑問だけが増える。
僕に対する怯えた目。僕の存在自体が父を追い込んだ”何か”だったのだろうか。まさか、僕は父の子では……、しかし、それはすぐに否定できた。何故なら、父と僕はよく似ているからだ。母は、よく僕と父は瓜二つだと言っていたし、実際、僕自身もそう思っていた。
――では、一体何なのだろうか。
疑問は膨れ上がる。その答えを見つけることを、僕はもはや義務のように感じ始めてすらいた。
そしてその機会は、大学を卒業してから五年後に意外とあっさりと訪れることとなる。遂に開発された人類の夢、タイムマシン。その一般公募での被験者に、僕が選ばれたのだ。運命を感じた。これしかないと思った。行く時代は自由に決めていい、向こうには今の時間にさえ戻って来てくれれば好きなだけ滞在していい、とのことだったので、僕はすぐに首を縦に振ったのだった……。
一度降下していた僕の意識が、ゆっくりと戻ってくる。そろそろ着くのかもしれない。辺りは真っ暗で、肉体の感覚はなく、意識だけが存在する。そんな、奇妙な感じ。意識が降下する時は、自分がこのまま消えてしまうかのような恐怖があった。だが、今は、前の方へと引っ張られていく感覚がある。その先が、僕の行こうとしている時代への出口なのだろうか。
――父が母と出会った時代。
突然、辺りが光に包まれると、肉体の感覚が戻ってきた。その直後に、脳を直接揺らすような大きな衝撃が、僕を襲った……。
足の下に、大地があるのを感じる。閉じた瞼の先に、光があるのを感じる。何かが、動き出す音。僕の時間か?僕は、望む時代に来られたのだろうか。
ゆっくりと目を開ける。
どこかの狭い路地のようだった。日は沈んでいない。だが、辺りに人影はない。
吐き気。体中を、嫌な感覚が支配する。心の奥底が、何かを拒絶している。
――これはタイムスリップのせいなのか……?それにしても、この景色は何となく見覚えが……。
頭痛。誰かが、後ろに立っているのを感じた。吐き気が強くなる。そして僕は、後ろを振り返った。
一人の女性。目が合う。見覚えのある顔。全てが繋がる。心が絶叫する。ウンメイ。ヒツゼン。そして……、
――そして、僕の思考は凍りついた。
走る。走る。後ろは決して振り返らない。広がる闇を、今はまだ見たくない。
何かが動き出した音、あれは僕の時間ではなく、父の時間が動き出した音だったのだ。
胸が痛い。体中が痛む。けれど、僕は走り続ける。そうすることで、運命から逃げられると信じているかのように。
でも、分かっている。僕がどう抗おうと、僕は明日、再びさっきの女性と出会うのだ。そして、生まれてくる息子は僕を苦しめる。息子に干渉してしまうのが怖くて、僕は息子を避け、でも息子が傷つくのを何より恐れて、怯えながらも見守る。怖くとも、決して逃げることは出 来ない。何故ならその息子は、僕”自身”なのだから。
“僕”という命は”父”となり、後に生まれる”僕”はまた”父”となる。一体、これは何度目なのだろうか。
僕は何度、この連鎖を繰り返しているのだろうか。
そして、一体何時から、そして何処から始まった連鎖なのか。僕は、母と出会ってからの父と、父となる僕までの時間しか生きていない。ならば、父としての過去はどこにいってしまったのだろうか。そして、僕としての未来は。
いや、そんな事は、もうどうでもいいのかもしれない。
卵が先か、鶏が先か――。もはや、思考は意味を持たない。考えることに、意味などない。
――どちらかが欠けては、僕という存在は成り立たないのだから。
初めての道。だがきっと、走り慣れている道を、僕は走る。
未来に向かって。
過去に向かって。
僕は今、どこに向かって走っているのだろうか。
時は流れ続ける。人は未来へと歩んで行く。僕一人を、とりこぼしたまま。
いつまでも。
永遠に。
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