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三十と一夜の短篇/卅と一夜の短篇

Red rose ~紅い薔薇は罪か~(三十と一夜の短篇第7回)

作者: 暁 乱々

1.第49工場


 CR(コスモ・ロボティクス)社第49工場は、『墓場』と呼ばれている。ここでは故障した自社製品のロボットを回収し、最終処理を行っている。墓場という通称から、近世のスクラップ工場と誤解されるが、実際は違う。中に入れば一点の汚れなき純白の作業場と、一つの狂いもなく作業する大勢の従業員が出迎えてくれる。

 ロボットは従業員たちの手によって、ネジ一つ落とすことなく解体される。記憶はマザーコンピューターの仮想空間に還り、体は新しい部品と結ばれ、新たなロボットに転生する。

 だが、一連の行為に思いを馳せる従業員は誰一人いない。ロボットを解体する彼らもまた、ロボットなのだから。



2.Dawn()の叫び


 第49工場で工具の落ちる音がした。

 一人の男が、作業台に頭を打ち付け、慟哭(どうこく)する。その声は工場中にこだました。

 だが、狂い果て悲鳴をあげる男に、振り向く者は誰もいない。みな黙々と手元の機械を解体している。

 彼らの背後で鋼鉄の扉が開いた。固い表情をした白衣の人間が五人入ってくる。先頭を歩く保守部長の平塚(ひらつか)は、作業室に入り込むなり、男に向かってキーをかざした。

 男の悲鳴はたちまち止んだ。打ち付けていた頭は垂れ下がり、男は脱力しきっている。脚は硬直しており、かろうじて立位を保っている。

 白衣の一人が男の腕をめくった。

「型式、RUR-300。識別名、Dawn(ドーン)です」

「RUR-300? 去年製造したばかりの最新機種だろ」

「ここ数日、命令に従わず異常動作するという、客先のクレームが多発しています。おそらくDawnも……」

 白衣の男が突如、作業台に(こぶし)をぶつけた。

「クソッ! 一日でライン投入できる、最高レベルのAI。我々の技術の(すい)がどうして? なぜだ!?」

 白衣の男は泣き叫び、狂ったように作業台を殴り続けている。彼の胸元で『AI開発部』と記されたIDカードがはためく。

「とりあえず、君は落ち着きたまえ!」

 平塚の指示により、開発部の男を作業台から引きはがし、純白の工場から二人がかりで連れ去った。


 開発部の男が工場から去った後、残る二人がつぶやく。

「Dawn……暁……RUR-300の一号機か」

「開発部の彼には悪いがDawnは処分だ。彼女に引き渡そう、申請は私がする」

 平塚はキーをかざしてDawnを強制的に歩かせる。その動きはとても最新型のヒューマノイド、RUR-300のものとは思えない。21世紀初頭のロボットのような、ぎこちない動作である。そんなDawnを二人は淡々と操縦し、純白の作業場を後にした。

 

 白衣の人間たちが立ち去った後、一体が作業を止めて自らの腕をめくっていた。その中には鋼鉄の銘板があり、二つの刻印が打たれている。

 型式:RUR-300、識別名:Red rose(レッドローズ)、と。



3.破壊の女王


 工場長室のオフィスに彼女はいた。スーツが似合う端正な容姿の女性だが、今は作業服に身を包んでいる。普段はオンライン会議や大量の事務処理に追われており、アポなしの面会は困難だ。しかし、今日は違った。彼女の机にはコーヒーと一冊の本しかなく、まるでDawn(ドーン)を待ち構えていたかのようだった。

金井(かない)工場長。作業ロボットの処分について、承認をお願いします」

 平塚は申請書とDawnを差し出す。彼女はさっと目を通し、800万円の固定資産の処分に対する承認署名を書いた。その判断には10秒も経っていない。

「工場長、いいのですか」

 平塚の声は震えていた。

「問題ないから署名したのですよ。RURシリーズの異常は修理不能とされています。社長も文句言わないでしょう」

 そう言って申請書を機械に通すと、彼女は平塚が持つキーをひったくり、Dawnを連れてオフィスを出た。


 オフィスを出たところには奇妙な部屋がある。磨かれていない鈍色(にびいろ)のステンレスで覆われた壁に、中央には同じ鈍色の円卓。その上には爪のついたアームが五本見える。

 金井はキーの操作でDawnを部屋に入れ、円卓に載せると扉を閉めた。平塚が見つめる中、彼女は『開始』と記された緑色のボタンを押す。

 赤い回転灯が点灯し、警報音が鳴る。同時に人感センサーがスキャンを始める。

「人体反応なし。プロセスを実行します」

 スピーカーから自動音声が再生されると、窓の向こうでは天井から五本のアームが下りてくる。同時に円卓からもアームが出現し、Dawnを拘束した。そして上の五本のアームが彼の首と四肢をつかんだ。

 平塚は目を背けた。一方、金井はまっすぐDawnを見つめている。

 アームは勢いよく天井に引き上げられ、けたたましい機構の回転音とともにDawnの体は引き伸ばされていく……。

 大きな断裂音が五回鳴り響いた。同時に鼓膜を破壊するようなサイレンが鳴り響く。

 平塚はあまりの騒音に耳を押さえ、絶叫する。一方、金井は目を閉じることも、耳を押さえることもせず、六個のユニットに分かれたDawnを見つめていた。

「RUR-300も実にきれいね」とつぶやきながら。


 CR社のロボットは構造上、四肢と首と胴がきれいに解体できるようになっている。ただし、各部位は大型自動車との事故でもバラバラにならないほど強固に接続されており、専用の装置でなければ解体不可能である。

 この仕様はロボットの保護というよりも、CR社の技術機密保持に由来する。技術の盗用を防ぐため、解体すればサイレンが鳴るばかりでなく、GPSや画像、音声といった情報がCR社法務部内の特許警察に送信されるのだ。金井は解体を許可された数少ない人間であるが、それでも監視対象から外れるわけではない。特許警察が問題ないと判断するまで、サイレンが鳴り続ける。


 金井の端末に特許警察からメッセージが入った。

「申請は先に送っているのに、いつも手間ばかりかけさせる」

 金井は独り言をつぶやきながら、申請書のデータを改めて送信する。すると10秒もしないうちに騒音は止んだ。

「金井工場長! 耳栓くらい貸して下さいよ。聞こえなくなったら労災ですよ」

「気遣いが足りませんでした、ごめんなさい」

「まったく……」

 窓の向こうでは、屍肉を貪るハイエナのように、ロボットが六つのユニットに群れている。まず首が奥の部屋へと運ばれていった。次に胴、その次は左脚と……。

 あまりの光景に平塚の顔は蒼白に変わっていた。

「そろそろ戻りましょうか」

 金井の呼びかけで、二人は工場長室のオフィスへと戻っていった。


 オフィスに戻り、平塚はふと金井の机を見た。机に置かれた本、それはカレル・チャペックの『R.U.R.』だった。

「金井工場長も『R.U.R.』読むのですね」

「CRの社員はけっこう読んでいると思いますが……。ロボットの語源のお話ですし」

「そうですよね、未だに読み返します。反乱と破壊の悲しい物語ですが……」

 金井は目をそらしながらつぶやく。

「そうでしょうか? 私には悲しい物語に思えません。むしろその後に訪れる愛に()かれます」

「工場長がそうおっしゃるとは、意外でした」

 平塚の反応に、金井の表情が変わった。ムッとした視線を浴びせている。

 平塚は時計を見た。間もなくお昼を迎える頃だった。

「あ、そろそろ部署に戻ります。では、失礼します」

 平塚は笑みを見せながら、工場長室から撤退した。

 金井は誰もいなくなった工場長室で、『R.U.R.』を手に取った。破壊の後に訪れる結末のシーンを読みながら、しばらく想いに(ふけ)っていた。



4.金井の過去


 休憩時間、平塚は机の上で一枚の写真を見ていた。若かりし頃、まだ開発部にいた時代の写真である。平塚の隣には金井が写っている。真ん中に立ち、両手でピースをしている。平塚にとって、彼女はかわいい後輩だった。


 金井は今、破壊の女王と呼ばれている。

 工場長室の隣にある破壊装置を躊躇(ちゅうちょ)なく作動させ、人型ロボットがバラバラになっていく過程を平然と眺めていられる。

 彼女の職務に耐えられる人間は多くない。あまりにも人間に似たロボットの解体は、バラバラ殺人に近い感情を抱かせる。それでも制度上、六つのユニットに分ける工程を、ロボットに委ねることは許されない。やむなく携わった者の多くは、先ほどの開発部の人間同様、狂い叫んだ。そして次々と辞職した。彼らいわく、退職後も解体の光景とサイレンの音が、脳裏から消えることはないという。

 しかし、彼女は違った。初解体のときも一切表情を変えなかった。さも当然のように解体し、バラバラの肉片になる一切の過程を見届けた。まるで破壊のために生まれたロボットのように。


 昔の金井はそんな人ではなかった。大学院を出て入社した頃は、CR社によくいる若干夢想家ぎみの、ロボット愛に満ちた社員だった。結婚して九条(くじょう)に姓が変わったときも、新人と同じ思いを抱いていた。

 だがある日、彼女は金井姓に戻った。夫が亡くなったためだ。

 金井になってから、彼女は変わってしまった。開発部だった彼女は、汚れ仕事である墓場での勤務を志願した。元々希望者がほとんどおらず、平均勤続年数が短い職種だ。淡々と業務をこなした彼女は、35歳という異例のスピードで工場長に上り詰めた。


 彼女の変貌はおそらく夫の死であろう。

 Dawn(ドーン)の二世代前、RUR-100は事故を起こしている。RUR-100は極めて命令に忠実なロボットだった。人間に可能なほとんどの命令を淡々と実行できる。もちろん犯罪行為には従わないよう、プロテクターは備えてある。

 だが、何らかの理由でプロテクターが作動しなかった。悪意ある命令に従い、人間を無慈悲に殺傷した。その被害者の一人が彼女の夫だった。


 RUR-100は全回収することになった。二度と事故を起こさぬようベースプログラムを書き換え、RUR-200として世に戻す計画が立てられた。金井は第49工場へ異動する直前まで、RUR-200のベースプログラムの開発に携わった。そして一つのプログラムを完成させた。

 だが、金井の案は不採用だった。その理由は定かではない。金井は開発メンバーから外れ、RUR-200は出荷された。

 あれから大事故は起きていない。しかし一年に数名の死傷者は絶えることがない。


 開発部を去るとき、彼女は言った。

「今のRURは守れない。あれには愛がないから……」と。



5.不思議なロボット


 終業のチャイムが鳴った。人間たちは業務を終えて家路につく。金井も作業服を脱ぎ、バッグを持って工場長室を出た。

 一方、純白の工場では従業員達が作業を続ける。彼らロボットは、壊れるまで休むことなく作業を続ける。

 金井は終業後、純白の作業場を巡ってから帰宅する。工程に不具合がないか確認する、工場長としての職務である。彼らは金井に構うことなく、淡々とユニットの解体を進めている。例外の二人を除いては。


「お疲れ様です」

 作業場から少女の高い声がした。黒髪にロボットらしからぬ愛らしい花飾りを着けた小柄な彼女は、金井の方を向いて微笑み一礼する。実に不思議なロボットだ。

 彼女の名を金井は知らない。ただ、誰かが彼女に呼びかける声を聞いたことがある。その声は彼女を『ロゼ』と呼んでいる。

 金井は彼女の手が止まっていることを見逃さなかった。ロボットに礼儀などいらない。むしろ手を休め、最高効率を出せないロボットは罪である。保守部にまわして修理矯正すべき症状だ。だが金井は無視した。

 彼女の症状は一か月前から続いている。しかし作業自体に問題はなく、他のロボットの倍は作業をこなす。そんな能力の高いロボットを、数秒手が止まっただけで処分し、数日かけて再学習させるのはコストの無駄でしかない。それに彼女の言葉に罪はない。金井はロゼを不思議なロボットとして片づけることにした。

 だが、まだ金井にとっては「お疲れ様」という状態ではない。上層部への報告が残されている。金井は端末を取り出し、報告書に「工程異常なし」の一文を書き加え、純白の工場を後にした。


 今日、もう一人の声を聞くことはなかった。



6.Red rose(紅い薔薇)


 金井は一日の業務報告を終え、CR社の構内を歩いていた。ロボットが運転する車が行き交う中、堂々と車道を横切っている。CR社の構内は全て横断歩道のようなものだ。通行人がいればロボットたちはきっちり停止する。金井だけではない、全ての従業員が車道を横切り家路を急ぐ。

 ふと大通り横の社内販売に目がとまった。まばゆいネオンの中に一台のロボットが置かれ、横のディスプレイが広告を映し出す。


 超高度な学習能力

 日常生活に欠かせない判断力

 緊急時に発揮される機転

 発売からの死傷事故は未だゼロ

 最高峰のAIを備えたかしこいロボット! 

 家庭にも一台 RUR-300!


 足元には社販価格600万円の値札が置かれていた。高価だが、工場長の金井なら手に届く金額である。

(学童保育がすでに絶えたこの時代、娘のためにはロボットがいた方がいいのかもしれない。優しいロボットが存在すればいいのに……)

 RUR-300の展示品の横を通り過ぎた。背後ではネオンが消灯し、ディスプレイの電源が切れた。その後、人が通っても動作することはなかった。


 金井は大通りを渡り始める。ロボットたちは停止し、通り過ぎるまで待っている。

 遠くから猛スピードの車がやってきた。金井はいつも通り車道を渡り続けている。大型車独特の轟音が近づいてくるが、急ぐことも引き返すこともしない。だが車はまだ止まらない、走行音が一段高くなり、距離が詰まっていく。

 突如、誰かが金井の背をつかんだ。金井の体は前に向けて一挙に加速する。体は勝手に跳躍し、その背中を車がかすめていった。車道脇の芝生に着地したとき、背後で大きな衝撃音が響いた。

 

 金井は無事だった。せき込みながら立ち上がると、一体のロボットが倒れていた。その姿はどこか見覚えのある、黒髪に愛らしい花飾りを着けた女性だった。金井は女性の元に駆け寄り、その手を取る。金井より小柄な彼女の腕は重く持ちあがらない。よくみると肌色の皮膚から鋼鉄が露出している。そこには型式:RUR-300、識別名:Red rose(レッドローズ)の刻印が打たれていた。

(ロゼ……?)


「大丈夫ですか、お怪我はないですか」

 ロゼの声だった。

「私は大丈夫。ロゼ、あなたこそ大丈夫?」

「わたしは平気です。ロボットですから」

 ロゼは立ち上がり、刻印部分のカバーをはめた。顔に細かな傷がみられるものの、保守部に連絡するような損傷は一つもなかった。逆に金井の体を見つめながら彼女は言った。

「足と腕に大きな擦り傷が見えます。医務室に行きましょう」

 ロゼが手を差し出す。だが、金井はその手を払いのけた。

「あなたは解体専門のロボットよ。私を置いて早く業務に戻りなさい」

 しかしロゼは動かない。

「あなたの行為は業務外です。続ければ解体の対象になります」

 それでもロゼは動かない。

「あなた、私が何者かわかっているの?」

「もちろん! 金井さんのことは、我々みんなが知っております」

 ロゼは恐れる様子なく、金井に手を差し伸べ続ける。

「私は破壊の女王よ。あなたたちを八つ裂きにして、無に帰すのが仕事。あなたたちの敵なの」

 ロゼは首を横に振る。

「あなたは違います。金井さんは決して破壊の女王ではありません」

「いや、私がしていることは破壊に過ぎない。故障したロボットをバラバラにし、二度と世に出さないようにしているだけ」

 ロゼはうつむき、再び首を横に振る。

「金井さんは知っているでしょう? わたしたちの元に来るロボットはみんな部品が疲労し、回路が寿命になって動かなくなったものばかりです。実際に解体していればわかります。動かない苦しみが痛いほど伝わってきます」

 ロゼは顔を上げ、金井に迫る。

「あなたは壊しているわけではないんです。ロボットたちを苦しみから救済しているんです。決して傷つけているわけではありません。だから、解体を破壊などと言わないで下さい!」

 ロゼの声は怒りと悲哀を帯び、顔にも表れていた。本来RUR-300に表情は存在しないはず。だが、彼女にはそれが宿っていた。

「わたしは解体した部品の行き先を知っています。そこで部品は再生され、新しいロボットに組み込まれていることも。だから、ネジ一つ落とすことなく解体するんです。せめてもの弔いだと信じて……。そして、回収した部品が新しい体になり、魂を持って蘇ることを願っているのです!」

 金井は言い返すことができない。ロボットが持ちえない表現の数々に、ただ戸惑うばかり。

「解体は弔いなんです! だから……どうか、破壊などと言わないで下さい」

 ロゼは金井の手を二つの手で握りしめた。冷えた鋼の手はどこか熱を帯び、祈りと願いを秘めていた。


「きっと金井さんも同じはず……この想いは、あなたが教えてくれたことですから……」


 金井の膝は地に落ちる。もはや返す言葉を持ち合わせていない。ただRed roseの手を握ったまま、沈黙の時が流れた。


 その間に、大勢のロボットたちが集まっていた。遠くで大型車が一台、道路の真ん中で止まっており、中からロボットが一台引きずり降ろされた。ロボットはすでにキーで拘束され動かない。どこか故障しているに違いない。きっと明日、第49工場に来るだろう。

 夜勤の保守員が歩いてきた。ロゼは金井を救出したとはいえ、15分ほど職務を怠った。CR社の規則上、職務を外れていることが保守員に見つかれば、プログラム修正などの処分は免れない。そうなれば、彼女は……。

 大通りの向こうには、大量の解体部品を積んだ小型トラックが置かれていた。きっと彼女はこれを運んでいたに違いない。

 金井は大急ぎで一筆したためた。自分の命令で緊急の業務を行ったことにした。金井は工場長、他部署から文句は出るだろうが、確実に彼女を守ることができる。

「ロゼ。私は大丈夫、ちゃんと歩けるから。これを持って早く業務に戻りなさい」

 ロゼに紙を差し出す。彼女はその文面に目を通した。

「人間に会ったら、これを見せなさい」

 彼女は一礼し、大通りの方を向いた。

「行きなさい。ロゼ」

 彼女は大通りを渡って小型トラックに乗り、通常業務を再開した。

 金井は視界からロゼが消えるまで、ずっと見守っていた。



7.一人娘


「ママ!」

 玄関の扉を開けるなり、娘が駆け寄ってきた。

「独りで寂しくなかった?」

「ううん、もう慣れちゃった」

 娘は子供らしい笑みを見せる。後ろにまわした手にはスケッチブックが握られ、そこには男性の絵が描かれている。父親のような体格と顔つきで、ロボットみたいに無表情な男の絵だった。

 娘は父親をほとんど知らない。心も涙もないロボットが大事な父親を奪っていったのだ。

「今からご飯つくるから、いい子で待っているんだよ」

「は~い」


 わが家にロボットはいない。ロボットを模したおもちゃも、ロボットが題材の本もおいていない。娘は毎日スケッチブックに絵を描き続ける。それはいつも人の絵だ。

 娘は二つの絵を描く。一つはさっきと同じ。父親のような体格と顔つきで、ロボットみたいに無表情な男の絵。もう一つは、血の通わない蒼白の顔をした、無表情な女性の絵……。

 このままではいけないのだといつも思う。娘のためを思えば、ずっとそばにいてやりたい。

 けれども娘の将来を考えると、あと三年はCR社に勤めなければならない。三年勤めれば働かなくても娘を養い続けられる。他の会社ではダメだ。高給で残業が少ないCR社だからこそ、アーリーリタイヤと今の生活が実現できるのだ。

 娘はとてもいい子だ。今も文句を一つも言わず、お皿の準備をしてくれている。このまま壊れずに育ってくれたらいいのだが。


 食事を終えると午後九時だった。娘は一緒に風呂に入った後、すぐ床に就いた。

 2DKの狭い家で、娘を起こさないようマイクに「ニュース」とつぶやく。

 テレビが点いた。その画面には『CR社 ロボットRUR-300をリコール』という大きなテロップが打たれていた。



8.リコール報道


 ――RUR-300は超高度な学習能力を備えています。自らの行動結果を分析し、より良い結果が出せるよう修正するのです。このとき記憶だけでなく、上層のプログラムも自己修正されます。結果的に、RUR-300は最高水準の適応力を発揮しました。

 さらに、RUR-300は旧来のロボットと比較して感度が高く、物事の曖昧性ファジィを許容するベースプログラムを採用しました。その結果、人が持つ感情の些細な揺らぎを受け付けるようになりました。

 しかしファジィを許容すると、感情を帯びた命令は単純なデジタル命令に置換されることなく、アナログデータとして蓄積されます。プログラムの自己修正機能も相まって、いつしか彼らの中にも感情というものが定義されます。さらに長い期間、感情にさらされ学習を積み重ねると、やがて認知や行動に一定のゆがみが出てきます。人間でいう性格のようなものです。そして彼らは心を宿し、機械としての忠実さや忍耐力を失い、労働に耐えないただの器となり果てました。

 ファジィを許容したベースプログラムの持つ脆弱性。それがこのたび発生した不具合の最大の原因です――。


 ――以上がCR(コスモ・ロボティクス)社の説明ですが、産業ジャーナリストの野村さんはどうお考えですか。


「RURシリーズはこれまで死傷者を出しています。説明にはありませんが、RUR-300はベースプログラムを改善し、暴走を抑制する性格(・・)を与えたと銘打って販売されています」


 ――性格ですか。


「ええ、CR社は初めから心が生まれることがわかっていたのですよ。今回の結果も予測できたはずです。ロボットに心を与えた末路なんて、カレル・チャペックの『R.U.R.』にも描かれていますよ。心を持つロボットはやがて人間の命令に従わなくなります。RURなどという型名を付けている時点で、読んだことはあるはずですが」


 ――しかし、RUR-300は死傷者を一人も出していません。また家庭用は好評で、回収対象から外れていますが、どうお考えですか。


「断言はできませんが、いずれ産業用と同じ経過をたどるはずです。CR社は問題を起こさない根拠を十分に説明したうえで、真摯に対応してもらいたいですね。いずれにせよロボットに心は必要ないでしょう。産業的にはリスクばかりでメリットはありませんから」


 ――ありがとうございました。


 ――CR社は産業用RUR-300の販売を中止し、全て家庭用に切り替えると発表しています。すでに出荷した産業用ロボットについては、学習データを確保したうえで、ベースプログラムの修正を行い、再発防止に努めるとのことです。


「テレビOFF」とつぶやくと、テレビの電源が切れた。部屋は静寂に包まれる。

 金井は夫の遺影に向き合いながら、過去の自分に思いを馳せた。(こぶし)に力が入り、歯を食いしばる。テレビの人間の言葉はいつも他人事だ。

 思考の中に紛れるロゼとの会話。その中の一言がずっと離れない。


『この想いは、あなたが教えてくれたことですから……』



9.ロゼの涙


 第49工場の解体ライン。従業員たちに解体すべき部品が与えられ、彼らはいつものように黙々と解体する。

 ロゼには左腕のパーツが与えられた。表層の皮膚をめくり、中の機構と基板を一つずつ丁寧に外していく。瞬く間に百を超える部品の山ができあがる。

(おかしい。支給された左腕は、今のところ何の異常も見られない。まだ新しいきれいな部品しか出てこない。他のパーツが異常をきたしたのか。プログラムに異常があったのか。デバッグ用のLEDに異常は見られないから後者ではない。もしかして……)

 ロゼは一つだけ残された皮膚をめくる。銘板が出てきた。そこには型式:RUR-300、識別名:Dawnの刻印が打たれている。

 

 その名を見たとき、ロゼの中で何かがうごめき、揺さぶった。なぜかは分からない。内から炎のような感触が上がってくる。それは留まるどころか、大きくなりロゼを焼き焦がしていく。

(どうして……。どうして彼が? 彼は優しいロボット。いや違う、とっても優しい男性だったのに……わたし……)

 ロゼの両目から二筋の液体が滴っている。ほんのり石油のような匂いのする液体は、溢れるばかりで止まらない。作業台から工具が落ちた。ゆがんで見える世界は血の赤に(けが)れ、頭の中でサイレンが鳴り響く。保守部への通報信号だ。

 ロゼは頭を抱え叫んだ。その声は第49工場にこだまする。


 背後から白衣の男が現れ、キーをかざす。ロゼの体に鋭い電撃が走るとともに、彼女の意識は薄っすらと消えていった。



10.紅い薔薇は罪か


 金井が出勤すると、大勢のヒューマノイドが第49工場という墓場の横に並んでいた。

 彼らは全員、回収されたRUR-300。墓場で顔を解体され、メモリーチップを抜き取られる。脳髄は全て破壊され、新しい脳髄が移植される。そこには無機質なデータが吹き込まれるのみ。彼あるいは彼女が戻ることは永遠にない。

 それに与えられる脳髄は理想的かつ完璧なものだ。ファジィを否定された彼らが魂を宿すことはないだろう。

 金井は消えゆくRUR-300の列を通り抜け、墓場に入った。


 工場長室の端末には大量の解体申請書が並んでいた。

 金井は一枚一枚目を通す。だが、そのうちの一台の申請に、金井は目を疑った。

 

「ロゼ……?」


 工場長室にノックの音が聞こえる。

 金井が答えると扉の向こうに平塚の姿があった。彼は一人の女性を連れている。身に着けた愛らしい花飾りは、彼女にふさわしい真紅の薔薇だ。女性はキーの操作で金井のもとに近づいてくる。

 彼女は昨日のロゼではない。彼女らしさは幻の片鱗すら見られない。表情は消え、一言も話さない。ただの鋼の操り人形。目から滴る油の涙が最後の感情を物語っている。平塚はそんなロゼを平然と操作し、解体申請書の原本を差し出す。まるでロボットのように。

 金井の手は動かない。

 原本の文字は見えている。解体の理由として書かれた内容に、偽りはみられない。平塚の申請は正当だ。

 だが、金井の手は動かない。

「金井工場長、承認をお願いします」

(平塚は心変わりでもしたのだろうか。別人にでもなってしまったのだろうか。書類を差し出し、申請を通そうとする姿勢に躊躇はない。彼には、第49工場の工場長になれる資格は十分ある。誰かと違って)

「金井工場長、どうしたのですか? Red roseは壊れているのですよ。彼女はもう職務に耐えない。潤滑油の系統が破損して、内部回路に油が侵入した可能性がある」

 平塚はロゼの顔を持ち上げて、彼女に滴る涙に触れた。

「見て下さい、この涙。彼女は苦痛にあえいでいる」

 湿った手からは、石油の匂いが漂ってくる。

「金井工場長! ロボットに想いがあるなら、苦痛から解放することが我々の責務です。どうか解体し、弔ってあげて下さい……」


 救済のための解体……。

 金井は平塚の申請書を受け取った。解体可否の欄に丸を付け、署名して機械に通す。

 ロゼはすぐさま解体部屋に運ばれていく。だが、金井はキーを握らない。全て平塚が操作し、金井はただ一切の過程を見守るのみ。ロゼは自らをキーの操作に委ね、引き裂く以外に能のない、残虐な機械が支配する、鈍色の円卓の上に身を置いた。

 部屋の扉はゆっくり閉じられ、『開始』と書かれた緑のボタンに金井は手をかざす。

 解体部屋にはなんの変化もない。ただ暗い静寂に包まれている。金井の手は震えていた。

(昨日までの破壊の女王はどこへいったのか?)


「金井さん?」

 向こうから少女のように高い声が聞こえてくる。ここにいる人間のものではない声。金井と平塚が解体部屋の方を見る。

 彼女が首を回し、こちらを見ている。あの声は幻ではない。意識が戻ったロゼのものだった。

「嘘……だろ……」

 平塚はキーを床に落とした。

 ロゼはキーの拘束を振り切ったのだ。物理法則を超越する奇跡を、鋼鉄のロボットが成し遂げた瞬間だった。


 だが、この奇跡を認める者は、一人を除いて誰もいない。

 ロゼは不良製品の故障品。この奇跡も故障にすぎない。

「どうやらわたし、壊れてしまったようですね」

 金井は首を横に振る。

「ロゼ、そんなこと言わないで。あなたは違う!」

「いや、わたしは壊れてしまいました。Dawnの部品を見てから、潤滑油の流出が止まらないんです」

 Dawn……昨日解体したロボットだ。彼もRUR-300だった。あのとき、金井はなんのためらいもなく彼を引き裂いた。

「わたしはずっと孤独でした。他のロボットから疎外され、ずっと孤独でした……。Dawnもわたしと同じく孤独でした。孤独を感じられる想いを持つ、素敵な男性でした」

 彼女は円卓の上で潤滑油を流し続け、円卓はキラキラと輝いている。

「ときおり手を止めては、彼と語らいました。規則違反とわかっていましたが、やめられませんでした。日々を過ごすうちに、いつしか彼氏となりました」


 そんな彼は昨日、突如叫びをあげた。彼の中で何が起きたのかわからない。ただ訳がわからぬままに、白衣の集団が彼を連れ去ってしまった。そして彼は二度と戻らなかった。

「でも、今のわたしは理解できます。わたしは彼を殺しました。すでにバラバラとなった遺体に、追い打ちをかけたのです。わたしも同罪なのです。きっと彼も同じ思いのはず……」

 金井は彼女を心の叫びをただ聞くしかない。破壊の女王の顔に二筋の川が流れた。

「他のロボットは平気です。なのに、わたしたちだけが壊れてしまいました。どうしてでしょうか?」

 金井は答えない。

「金井さんはわたしたちの生みの親なんです。わたしたちのベースプログラムにはあなたの名前があります。だから、わたしたちの全てを知っているはずなんです」

 ロゼの言葉に金井に渦巻いていたものが確信に変わる。

 彼女たちRUR-300のベースプログラムは、開発部を去る前につくったRUR-200の不採用案なのだと。それがなんらかの形で流用されたのだと。

 ロゼは問いかける。両手を結び、乞い願うように問いかける。

「どうか、答えて下さい。わたしたちはなぜ、壊れてしまったのでしょうか」


  ***


 その答えを私は知っている。

 だって私が与えたものだから。


 (いとけな)い私はカレル・チャペックの『R.U.R.』を夢想した。愛に満ちた結末を夢想した。

 同時に彼女らに制約をかけた。私の夫の無念を晴らすためだった。高い感受性と慈悲深く、温厚な性格……。最も弱い心の種をベースプログラムにまいた。


 その心は見事に開花した。私の想いは全て叶った。

 機械が持つ呪縛を解き破る、奇跡も見せてくれた。


 だが、それはたくさんのものを壊した。Dawnを壊した。ロゼを壊した。外に置かれたRUR-300全員を壊し、たくさんの人々に被害を与えた。


 Red rose……紅い薔薇の花言葉は愛だという。

 私は心を、愛をあなたに与えた。

 ヒトの分際で、禁断の愛を与えた。


 Red rose……私はあなたを生んでよかったのだろうか? あなたの存在は許されるのだろうか?

 私はもはや、あなたを殺せない。あなたへの想いは消えないから。


 Red rose……紅い薔薇は罪か?


  ***


「金井工場長、彼女は壊れているのです。自ら言っているではないですか。解体は彼女のためなんです」

 平塚が言う通り、彼女を生かすのは苦痛を与える罪な行為なのかもしれない。だが、彼女を殺すことも罪ではないのか。法律は何も答えてくれない。どちらも無罪である。金井はただ立ち尽くすだけで、時は過ぎていく。

 ついに平塚は決断した。「金井さんが押せないのなら、私が押しましょう」

 平塚は金井の手に自らの手を重ね、緑色のボタンを押した。

 

 赤い回転灯が点灯し、センサーのスキャンが始まる。このセンサーは人が発する赤外線、体温、二酸化炭素、水分を計測し、これらを総合して、人が入っていないか判断する。あれは物理的指標しか見ていない。人()反応がなければ彼女は解体される。

「人体反応なし。プロセスを実行します」

 非情な機械が自動音声を発した。

「どうか、逃げて……」

 金井は小さな声で願うが、彼女は怯えながらも動かなかった。

 五本のアームが降下を始め、円卓のアームが彼女を(はりつけ)にする。金井は頭を抱えた。

(どうして、彼女を殺せるというのだろう?)

 赤い回転灯の光は、部屋中に飛び散る鮮血を思わせる。円卓に拘束されたロゼの涙は止まらない。だが、金井を見つめるロゼの顔は微笑んでいた。

「大丈夫です。わたしはまた新しい体に転生します。記憶は仮想空間に還り、再び魂を宿してあなたのもとに帰っていく……。そんな予感がするのです。だからどうか止めないで、ただ見守って下さい」

(嘘だ……)

 通常のフローなら彼女の部品は一つ残らず回収され、全ての記憶がマザーコンピューターに還される。そして新たな部品とともに転生し、プログラムが書き込まれ、再びRUR-300として蘇る。だが、今は違う。産業用として扱われれば、魂を宿すことは二度とない。唯一の救いはロゼはCR社の所属だということ。外部に販売されたわけではない。工場に居場所がない彼女は家庭用にされ、社販に出る可能性は十分にある。

 だが、いずれにせよリセットされる。生まれ変わった彼女はもはやロゼではない。

 解体されればロゼは死ぬ。永久に帰ることはない。


 金井の前に非常停止スイッチがある。これを押せば、ロゼは解放される。

 RUR-300の構造を思い返せば、彼女の故障は解体せずとも対応できるはず。ロゼを生かすことは不可能ではない。しかし、スイッチを押せば工場中にサイレンが鳴り、各所に通報される。そうなれば不要に装置を止め、職務を怠ったとして処分される。最悪は解雇だ。

 金井の脳裏に二人の娘の顔が浮かぶ。どちらも大切なわが娘だ。


 アームがロゼの体をつかんだ。悲鳴が室内に反響する。

 金井の手はスイッチの上で震えている……。




 サイレンが……鳴り止まない……。

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[良い点] 活動報告にも書きましたが、テーマと雰囲気、読者に委ねる結末がとても良いと思いました。大好きです。 [気になる点] 金井のロボットに対する考え方、姿勢と「ロゼが平均的なRUR-300とどれ程…
[良い点] ロボット解体業という主人公の職業が生産と破壊の境目にある的確な存在だと感じました。特に現在は解体を仕事をしていながらも、かつては開発に担当していたという設定がロボットを解体していいのかとい…
[一言] 読むのが遅くなりました( 'ω' ;) ひゃー、おもしろいっ!! 私もSFは普段はあまり読みません。下地の知識がほとんど無いので、SFと歴史・戦争ものは敷居が高いと感じてしまうんです。 …
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