六十九話目
「……ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ…色々…すいません」
第三者が見れば、ほぼ間違いなく疑問を抱く光景だろう。
寝室で、制服姿の男子高校生とスーツ姿の女性が、互いに頭を下げあっている。この時点でおかしいけれど、そこは百歩譲ってギリギリセーフとしよう。して下さい。
問題は女性の方が右手に耳かきと、左手にはクリアファイルに入ったA4サイズの紙数枚を持っていること。
何この組み合わせ。
僕らは管理人室兼管理人住居に入った。マキさん風に言えば突入で、油断していると命を落とすとか何とか色々言ってたけど……どうでもいい。
とにかく入った。
入る際、当然鍵を開ける必要がある訳だ。当然その鍵は、現在このマンションの管理人になっている僕が持っている。
となると、鍵は僕しか開けられないはずなのに……なぜかマキさんに開けられてしまった。
マキさん曰く、父さんからスペアを預かっていたんだとか。
そういうことは言ってよ。危うくマキさんにピッキング技術が備わってるのかと、勘違いするところだった。ピッキングなんて、秘書と並べていい単語じゃない。
正直中に入るのに、僕はいらなかったんじゃないか。そう言ったら、前を歩くマキさんは「体裁というものがありますので」と振り向くことすらせずにそう答えた。
確かに、住人ですらない人が管理人室の鍵を持っていて、尚且つ一人で中に入る。そんなところを見られれば、マンションの住人は不審に思うだろう。
悪い噂が広がってしまう可能性もある。例えとしては良くないけど、例えるなら、浮気。
父さんの浮気相手〜、なんて具合に噂好きなおばさん達の餌になり兼ねない。
まあ父さんが浮気だなんて、まずありえないけれど。
浮気でもしようものなら、葉月さんが泣く。父さんも謝りながらその二倍泣く。二人を見て、五月ちゃんは三倍泣く。そして僕はみんなを落ち着かせ、後始末をするために五倍は泣く必要が出てくる。父さんが浮気をした場合、一番害を被るのは僕なのだ。あくまでも、仮の話だけど。
そんな恐ろしい話は捨てよう。
中に入った僕らはそのまま寝室へと直行し、頭元の棚の、上から二番目をあさった。ちなみにあさったのは僕ではなく、マキさんだ。
で、出てきたのが耳かきと紙。
耳かきは昔どこかの雑貨屋で買ったものだし、紙は白紙。マキさんはこれだけのために朝早く、それも超急いで来たのかと思うと、物凄く申し訳なくなってしまった。
「……すいません、これだけのために遅刻させてしまって」
「……いえ。マキさんこそ、こんな物のためにここまで来て貰って」
マキさんに続き、僕が謝るとそのまま互いに黙り込んでしまう。
僕はもちろん、恐らくマキさんも父さんに対する恨みが浮かんでるはずだ。
その証拠に、マキさんの口からは時折「あのクソ」とか「今度会う時殴る」とか、危ない単語が聞こえている。
上司相手とは思えない言葉。いいぞ、やれやれ。
――と、不意にパキッと小枝が折れるような音が響く。
「ああ、折れてしまいました」
見ると、右手には二つに折れた耳かきが。
「まあ仕方ないですね、新しいの買っておきましょう」
それで良いですか、とマキさんは尋ねてくるので、僕は答えた。
「百均でいいですよ」
それじゃあ行きましょうか、と僕はマキさんを促す。
いつまでもここに居ても仕方がない。僕は学校、マキさんは仕事へと行かなければならないのだから。
もっとも、マキさんにとってはここに来たことも、仕事の一部ではあるのだろうけど。
体の向きを反させ、僕は寝室から出て玄関へと向かった。
そういえば、今何時くらいだろう。ふと思い、玄関脇に置かれた壁掛け時計に目をやった。
「一時間目の真ん中ぐらいかあ」
一時間目の授業、何だったっけ。月冶にでもメールして聞いておけば良かった。いや、この場合千秋に聞いた方が良かったか。
月冶だと『一時間目の授業何だっけ?』っていうメールに対して『遅刻羨ましい。それより遅刻と恥骨って似てね?』とかいって、質問の答えをくれないし。
遅刻と恥骨とか、激しくどうでもいい。しかもどっかで聞いたネタだし。パクリ駄目、ゼッタイ。
「お待たせしました」
時計から声のした方へ目をやると、ファイルだけを持ったマキさんの姿。耳かきは捨てたのか。どうせゴミだしいいや。
「遅かったですね。他にも何かあったんですか?」
「いえいえ、一応紙の方を確認しておいただけですよ」
答えながらも、持っていたクリアファイルを掲げヒラヒラと揺らす。
「何か書いてありました?」
「いえ、まだ何も」
当たり前か。さっき見た時、何にも書いてなかったんだし。
なんで父さんはあんなもの頼んだんだろ。もしかして必要なのは耳かきだけで、紙の方はたまたま入ってただけとか?
たくっ、必要ならもったいぶらずにちゃんと名前を言えってーの。
「じゃあ、出ましょうか」
「はい」
「そうだな」
……。
「マキさん、今声が一つ多くありませんでした?」
振りむかず、立ち止まったまま尋ねる。
「いえ、私には人数分しか聞こえませんでしたけど」
「……そうですか」
人数分ですか。
うん、わかってるんだ。今までの経験から、この展開はいつものパターンなんだって。でもね。
言わずにはいれないのが、言わなきゃいけないのが僕なんだ。
踵を返してみると、僕の真後ろにいたのはやっぱり伊織。もうお決まり過ぎて、リアクションも尽きました。
「何でいるの?」
「そこに泰斗がいるから」
そんな登山家みたいに言われても。
「学校は?」
「代わりの者を行かせておいた」
「何代わりって。影武者?」
冗談なんだろうけど、伊織が言うと本当にいそうだから困る。ていうか、影武者なんて拵えて、伊織は何になりたいんだ。
「まあそんなことよりだな」
「あきらかに流していい内容じゃないと思うんだけど」
僕は食い下がるも、伊織はこちらを見て薄く笑うだけ。
「まあまあ、女性は秘密があってこそ美しいと言いますし」
「秘密の方向性を間違え過ぎですけどね」
マキさんが本気で影武者を女性の秘密と思ってるなら、病気療養で一年程仕事を休ませますから。
「仕方がない。じゃあサボってきたってことにしておこう」
しておこうって、実際サボったんでしょ。何でそうも頑なに影武者説を持ち上げる。
「私影武者雇い忘れたんで、そろそろ会社に行かないと拙いです」
ああ、影武者って雇えるんだ……。
「さあ、お遊びもこの辺にして、いい加減行きましょうか」
マキさんは手を二・三度叩くと、外に出るよう促した。僕を名指しで。
何で僕名指しなんですかとか、遊んでたのはあなたたちでしょうとか、色々言いたいことはあったけれど、言い返していたらキリがないので止めて頷いておく。
また一歩大人になったなあ、僕。
「ああ、早いとこ学校に行かないと拙いからな」
伊織も頷くと、靴を履き外へと出た。それに続き僕、マキさんの順で外へと出る。最後に出たマキさんは鍵を閉めると、「管理人室の鍵は、管理人さんが持っているべきですよね」と僕に鍵を渡してきた。
「いいんですか?」
「ええ。次いつここに来るかわかんないですし」
たしかに父さんがこの家に居ない以上、マキさんがここに来る必要はない。それに今言った通り、父さんがいつ帰って来るのかすらわからない状態じゃあ、持ってても意味がない物だ。
そこまで考えた結果、僕は素直にそれを受け取っておいた。あとで部屋に戻しておかないと。
「付き合ってくれてありがとうございました。私はもう行きますが、あなた方はどうします?」
良ければ車で送って行きますが、と言葉を続けるマキさんに、僕は首を横に振って答えた。
「まだ次の授業まで時間がありますし、美穂ちゃんと一緒に歩いて行きますよ」
伊織にそれで良いかと聞いたら、「問題ない。寧ろ大歓迎だ。どうせならそのままどこか行くぞ」だとか。後半は聞き流しておいた。
「そうですか。じゃあお先に失礼」
軽く頭を下げると、小走りでマンションの外へと駆けて行くマキさん。これから仕事だから、急いで会社に向かわないといけないのか。大変だなあ。
「本当に良かったのか、送って貰わなくて」
「うん。遅れることは言ってあるし、たまにはゆっくり行こうよ」
とは言っても、別にいつも慌ててる訳じゃあないけどさ。でもまあ、ゆっくり出来る時はゆっくりしたいじゃん。
「なあ泰斗」
特に意味もなく伸びをしながら、伊織の呼びかけに返事をした。
「言い辛いんだが」「マキさんの言った学校への連絡とは」「私のところにきた電話のことだと」「思うぞ」
「……はい?」
「いや、だからだな」
もう一度説明しようとする伊織を止め、また意味もなく伸びをする。
「よし、一つずつ突っ込もうじゃないか」
大きく息を吸い、大きく息を吐く。
「……まあ好きにしてくれ」
「何で区切って喋ってたの?」
「始めに言った通り、言い辛かったからだ」
「思うぞ、だけ区切りが中途半端だけど何で?」
「これはただの質問な気がするが……まあ、息継ぎの問題だ」
「じゃあ最後の質問」
「突っ込みじゃなかったのか?」
伊織言葉を無視して、最後の一番重要なしつも……突っ込みを入れる。
「学校への連絡が、の件は本当?」
「ああ。確かに学校経由で私に知らされたが、あくまでもそれは私宛だったからな。泰斗がここにいる、と。先生たちは誰も、泰斗が遅れることを聞いてないと思うぞ」
伊織が喋り終えるや否や、僕はすぐさまマキさんに電話をしたが、保留モードになっていて繋がらなかった。
思わず携帯を逆パカしかけたけれど、そこは何とか気持ちを押さえ込んだ。
その代わりに叫ぼうとも思ったけれど、この場で叫ぶとマンションの住人たちに迷惑だと思って、それも止めた。僕は管理人の鏡だと思う。ちくしょう、ストレス溜まる。
気を落ち着かせようと、深呼吸を数回。案外効くもので、少しだけ落ち着いた。……気がする。
「……まあ良いよ。ゆっくり行こうじゃないか、どうせ遅刻なんだし」
「そうだな、ゆっくり私と濃厚ラブラブ登校デートをするとしよう」
僕の手を掴み、ニヘヘと笑う伊織。もっと普通に笑えば可愛いのに、と思ったけれど、口には出さずそのまま飲み込んだ。
今の気分じゃ、そんなこと言う気になれない。……今じゃなくても言えないだろうけど。
空いた手で鞄を持ち、歩く。
このイライラは、どうやって解消したらいいのか。あー、たくっ。
「ストレスで禿げそうだよ、僕」
「安心しろ、禿げた程度じゃ私の愛は変わらん。いざという時は、私の毛を分けてやる」
「……ありがとう」
どうか、禿げませんように。
いかがだったでしょうか。
・泰斗は結局遅刻。伊織が教員に伝えれば良かったんでしょうが、恐らく伊織は意図的に伝えなかった。
そうすれば、泰斗と一緒にキャッキャウフフと出来るから。伊織、なんて子。泰斗め、羨ましい。
・ソードマスターヤマト的なオチはダメそうなので、今度は東京大学物語的なオチにしようかと考えてみました。ダメですね、はい。
・またしても誤って完結済みにしてしまいました。本当にごめんなさい。わざわざ連絡を下さった方々、ありがとうございます。
間違えて完結済みにすれば感想が貰える、だなんて思ってませんので、二度と起こらないよう気をつけたいと思います。
宜しければ、次の話もご覧下さい。
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