四十話目
「…これは困ったことになるかも」
一枚の紙を手に持ち、僕は一人呟いた。
「フーン」
「そうか、大変だな」
ソファーに座りテレビを見るイリスと、パソコンに向かいキーボードをカタカタと打つ伊織。
僕の呟きに、二人は物凄くお座なりな言葉でかえす。
「ってねえ!もう少し良い反応してくれてもいいんじゃないの!?」
「今ドラマ、いい感じだから」
「私も生徒会の仕事がな」
二人してそんなんですか…。
返事はお座なりだったけど、僕には等閑な対応だ。
酷くない?
「ああっ、冗談だ泰斗。冗談だから置物に話し掛けるのは止めてくれっ」
「タ、タイト、ワタシが悪かったから、部屋の角にしゃがんでいないで…」
あまりに待遇が寂しいもんだから、部屋の隅で招き猫にグチってみた。
半分ふざけてやったのだけど、思った以上にリアクションがあって僕自身が驚いちゃったし。
気を取り直し立ち上がり、手に持っていた紙――父さんからの手紙を二人に差し出し渡した。
僕らが学校から帰宅した時だ。それと同時に、速達の郵便が届いた。
送り主は父さんと葉月さんで、今度は南米に居るとのことだ。
因みに葉月さんだけど、数日前にも届いた手紙で父さんに呼ばれていて、既にこの場にはいない。
自由気まま過ぎる父親に、文句の手紙を返したかったけれど、嬉しそうに踊り回る葉月さんを見ていたらそんな気も薄れ、逆に元気でいるんだと安心した。
そうして、再び父さんの後を追った葉月さんを見送った僕ら。
現在この家には、僕・伊織・五月ちゃん・イリスの四人で暮らしている。
学費は三年通える分振り込んだ口座があり、問題ない。
ただ、生活費に関しては父さんの趣味から、月々送られて来ることになっている訳なんだけど…。
「お金がないって…何ソレ!?」
そう叫んだのはイリスだ。
事故が起きたらしく、送金が出来ないんだとか。
そういう趣旨の手紙を読んで、伊織が何かいう前に仰々しく反応してみせる。
このままじゃ手紙を破り兼ねない勢いなので、一先ずイリスから手紙を取り頭を撫で落ち着かせた。
子供扱いするなと言いつつも大人しくなったのを見て、僕は伊織に話しを振る。
「そうだな…。おじさん達も予想外な様だし、私たちが文句を言っても仕方がないだろう」
「うん。ただ、このままじゃ電気やガス代払えなくなっちゃうよ」
「えぇっ!それじゃあドラマの再放送が見れないじゃない!」
うん、まあ確かにそうなんだけどね。着目すべきはそこじゃないんだよ、イリス。
「それにだ、ご飯もまともに食べれなくなるぞ」
それなんだよね。電気とかは節約しても、我が家の『食事第一』の信条は貫き通したい。
「肉が食べれなくなるなど、私には耐えられん」
以前にも似たような…いいや、気にしないでおこう。
伊織の肉好きは、葉月さんに勝るとも劣らない程。
葉月さんが肉の化身だとすれば、伊織は肉の申し子かな。
…嫌な渾名。
「とにかく、このままじゃ…ってアレ?今更だけど、五月ちゃんは?」
「言われてみれば見ていないな。私たちより帰りが早いんだ、どこか出掛けているのではないか?」
「ううん、そんなことない。ワタシが一番に帰って来てるんだから、サツキが出掛けたら気付に決まってるわ」
確かにその通りだ。仮に出掛けてるにしても、五月ちゃんが何も言わず外に出るとは思えない。
メモなりメールなりで、伝えてから行くはず。
ということは…。
「部屋にいるってことかな?」
「恐らくそうだろう。イリエスカがこれだけ騒いでいるのにそれでも出て来ないとなると、電話でもしているのではないか?」
「失礼ねっ、騒いでないわよ!」
どっちも似たような…。
そんな二人をさて置き、リビングから廊下に出て、僕は五月ちゃんの部屋へと向かった。
入り口のドアには、紫陽花を模したプレートが掛けられている。
部屋の前に立ってみたけれど、中から話し声は聞こえてこない。
小声ならともかく、普通に話していれば、何か喋っている様な音が聞こえてくるはずだ。
「五月ちゃーん」
二度程、ドアを叩く。
しかし反応はなく、物音すらしない。
もう一度してみたけれど、それでもやっぱり応えは返って来なかった。
ちょっと心配になってきたぞ。居れば必ず返事はくれるのに、それがない。
仕方ない、勝手にあけると怒られるんだけど、今日だけはってことで。
「五月ちゃーん、いるー?」
中は薄暗く、カーテンも閉められていた。
けど、廊下から入る光と合わせれば、見えない程でもない。
部屋の入り口から中を見回し、様子を確認する。
居ないのかな…?
見た限り、姿がない。逡巡して、部屋から出ようとしたその時だ。
「…ぁ…ん…。…だ、れ…?」
声だけでなく、漏れる光でベッドが動くのも見えた。
声を掛けると五月ちゃんは僕だと気付き、呟くように僕を呼んだ。
「に…い…さん?」
「うん、そうだよ。どうしたの、調子悪いの?」
「…うん…。体、ダル…くて、寝てた、の」
喋ってわいるものの、その声はいつもの五月ちゃんからじゃあ考えられないぐらいに弱々しい。
隣にいて、とても心配だ。
一声掛け、部屋の明かりを点けた。
掛け布団から顔だけ覗かせ、こちらを向いている。
その表情は虚ろで、ほっぺたも異様に赤い。
確認のため額に手を当てみたら、案の定熱があった。
「やっぱり熱だね。今体温計持ってくるから、待ってて」
「わか、た…」
部屋からでて、体温計を探しに行く。
うーん、そういえば最近体調わるそうだったっけな。その上、この前とか雨に濡れて帰っちゃったし…。もっと注意しておくべきだった。
一緒に暮らす者、兄としてこれは失格かな。
さっきとは逆に、廊下からリビングへと戻った。
すると、だ。
「ははは。どうだ、届くまい」
「このーっ、ミホの卑怯者ー!」
ブンブンと両手を回し、前へ進もうとするイリスに、そうはさせまいと片手でイリスの頭を押さえる伊織。
体格の関係からイリスの手は伊織に届くことはなく、イリスのブンブンパンチは掠りもせず空を回っている。
言わずもがな…いや、聞かずもがな。分かりきったことだけど、そんなベタはなシーンについて、思わず尋ねてしまった。
「…何やってるの?」
「おお、泰斗か。いやな、イリエスカが遊んで欲しいと言うから、相手をしてやっているんだ」
「ちーがーうー!このーっ、ワタシをバカにしてー!」
変わらずブンブンと腕を回すイリスに、それをみて笑う伊織。
…放っておこう。
リビングを抜け、和室に移動。箪笥から体温計を取り出し、またリビングへと戻る。
すると今度は、テーブルを軸に走り回っていた。
追い掛けられる伊織は楽しそうに笑っているけれど、イリスは怒りながら伊織を追っている。
…まるで、ネズミとネコのアニメみたいだ。
防音設備もそれなりに出来たマンションだけど、下の階の人には迷惑を掛けないようにね。
走り回る二人の間を通り、廊下へ。
文武両道、眉目秀麗、全校生徒憧れの的。
加えて生徒会長である彼女、伊織美穂が家の中で小学生相手にからかって走り回ってるだなんて…誰も思わないだろうな。
…こういう姿を写真に撮ったら、ファンクラブの人に高く売れたりして。
廊下まで響く嬌声を背に受け、再び五月ちゃんの部屋へと入る。
もちろん、ノックは忘れずに。
名前を呼ぶと、微睡み眠たそうな声が返ってきた。
「体温計持って来たよ。熱測ろう」
「うん……」
返事はするけれど、ダルさから動けないようで中々起き上がろうとしない。
せめて上半身だけでも起こして貰いたい。
僕が支え起こすのが良いかな。
「それじゃあ、体起こすからね?」
「あ…」
若干の照れがあるのか、頷こうとはしない。
けど僕は、それを気にせず五月ちゃんの首裏辺りに手を差し入れ、グッと力を込めた。
「あぅ…。ちょと、ま…」
熱のせいで舌足らずに喋る妹の意図が読めず、僕はそれが体を起こすのが辛いのだと推測。
子供をあやす様に声を掛けつつ、体を持ち上げる。
それでも唸る五月ちゃんの頭を一撫でしてから、次の行動へと移った。
「掛け布団、どけるよ」
ウチの電子体温計は型が古くて、脇に挟んで測るタイプだ。僕が小さい頃から使っている。
耳に入れれば一瞬で分かるヤツなんかがあるらしいけど、そんな頻繁に使う物じゃないから、今の所買い換える気はない。
ということで、脇に挟むのには布団が邪魔になる。
挟むのはさすがに僕はやれないけど、ギリギリまでは手伝う。
「…ん、んー…。ゃ、め…」
「大丈夫、体温測るのなんてすぐだから」
掛け布団をどけようと布団の端を掴み、なぜかいつもより少し重いそれを剥がはがハガ……。
「うー、やぁ……や」
………。
思わず固まってしまった。
それと同時に分かった、どうして五月ちゃんが何度も唸り声を上げていたのかを。
「…にいさ、見ちゃ…ヤ…」
「あわわわわ、ごめごめごめんなさい、決して態ととかじゃなくてその、とにかくあわわわ」
もう焦って焦って、自分でも何を言っているのやら。
熱のある五月ちゃんより、僕の方が赤くなってそうだ。
布団を渡し、反射的にその場で後ろを向いた。
部屋をよく見れば、椅子には投げたように制服やブラウスが置かれてある。
脱いで、そのままベッドに入ったからだ。
せめて上着だけでも着ててくれれば…。
それから少し。ピピピッという電子音と、布擦れの音。
「…にいさ、いい、よ…」
振り返ると先程と同じ様に、布団から顔だけ出した体勢になっていた。
いつもなら殴れて冗談になるところが、今回はそれが無くて凄く気まずい。
「…あの…、これ…」
そう言って僕に手渡したのは、体温計だった。
ああ、僕は体温を測りに来てたんだっけ。
落ち着くよう自分に言い聞かせ、電子体温計にでた数字を見る。
思ったより高くはなかったけれど、安静は絶対な域。
そう言うと、五月ちゃんは素直に頷いて返す。
「えっと…飲み物持ってくるね」
それだけ告げると、僕は返事を待たず部屋を出た。
未だ残る気まずさから、逃げたかったからだ。
深呼吸をして、リビングへと歩く。
さっきの騒がしさを期待していたけれど、それはすっかり消えていた。
代わりに僕の耳へと届いたのは――。
「泰斗泰斗、私たちはお腹が空いたぞ。早く晩御飯を作ってくれないか」
「そうよタイト、腹が減ってたらイクサが出来ないのよ」
晩ご飯の催促だった。
ユルい空気で和んだけれど…。
自由過ぎる二人には、冷凍食品で良いや。
「泰斗、今日はやけに電子レンジの音が多くないか?」
「そうかな?気のせいだと思うよ」
「気のせいってタイト、これなんて明らかに冷凍食品じゃ…」
「ははは、気のせい気のせい」 |