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ずれた毎日
作:泰兎



三十一話目


部屋に入ると、後ろ手にドアを閉め鍵も掛けた。普段掛けることのない鍵は、少し回りが悪い。
そのままドアへと凭れ掛かって、天井を見上げた。
染み一つない真っ白な天井。ここに来てからまだ一年も経っていない。父さんと葉月さんが結婚して、それと同時にこのマンションに引っ越したんだ。
それまでは僕が産まれるずっと前、母さんが子供の頃から住んでいた家に僕ら親子三人で暮らしていた。元々は母さんのお父さん、つまりはお祖父ちゃんが購入した一戸建ての家。
母さんが大学生の頃、祖父母が亡くなり遺産の一つとしてその家を引き継いだ。
大学近くのアパートで一人暮らしをしていた母さんは、すぐにその家へと戻った。
家の中は何も変わってなかったらしい。キズや消し跡、一つ一つに思い出があると教えてくれた。
今は誰も住んでいないけれど、月に数回ほど業者の人を呼んで掃除をお願いしている。いつでもまた住めるように。
「………行こう…かな」
久しぶりに家へ行きたくなった。いつの間にか座り込んでいたみたいで、床に手を付いて体を持ち上げた。
鍵を開けて、ドアノブに手を掛けようとしたところで気付く。
まだ寝起きの格好のままだ。
踵を返してクローゼットから服を取り出す。面倒だし、制服でいいか。
ついでに携帯と財布をポケットに詰め込んで、部屋を出た。
玄関へと進んで靴を履いていると、後ろから慌てた感じの声が僕の名を呼んだ。
「泰斗っ」
立ち上がり、つま先で軽く床をトントンッと蹴りしっかりと靴を嵌め込む。
靴の具合を確認してから、声の方へと体を向け返事をする。
声を掛けたのは伊織だったけど、その後ろには皆もいた。心配してくれてるんだろうけど、今は少し煩わしく思う。
「…どこへ行くんだ?」
「うん、ちょっとね。夕方までにはちゃんと帰るから大丈夫。携帯も持ってるし、何かあったら電話して」
ポケットから取り出してみせ、笑顔を作り答える。
「な、なら今電話するっ、電話するからここにいてくれ!」
「…大丈夫だよ。じゃあ、行ってきます」
伊織の声を背中に受けて、僕は外に出た。

エレベーターは一つ下の階で止まってたおかげで、大して待たずに乗れた。
下に動く中、エレベーター内に携帯の着信音が響く。開いて画面を見ると、そこには自宅と表示されていたのでそのまま黙殺することにした。
行き先を知られるのは問題ない。だけど、追い掛けて来られるのは困る。一人で考えたいから。
マンションの出入り口を通り抜けてから、歩く速度を上げた。
目的地まで、歩いて行くにはちょっと遠いかもしれない。けれど電車やバスを使おうという気分でもないので、ただ黙々と足を進めるだけ。
携帯で時間を見ると、十一時になる少し前だった。このペースで行けばお昼を回る前には到着出来るはず。
携帯をポケットに戻して、変わらぬ速さで進んだ。

家に着くと、僕は昔のように財布の中から鍵を取り出す。鍵には平仮名で『たいと』とシールが貼ってある。
万が一のため、ということで、いつも玄関鍵は閉めておく。だから財布に仕舞っておきなさい、と母さんに渡されたんだ。
鍵を開けて、財布に戻す。だったこれだけの動作なのに、とてもノスタルジックな気持ちになる。
「ただいま…」
誰も居ないのは分かっていても、言わずにはいられなかった。
つい最近掃除の人が来たらしく、家の中は綺麗だ。床や壁だけじゃなく、棚の上まで掃除してある。流石はプロ。
台所、リビング、お風呂、トイレまでも見て回った。やっぱり昔と同じままで、どこも変わってない。変わってたら大変なことなんだけれど。
庭先に出てみると、そこもしっかり手入れがされてあった。
縁側に座り、ブレザーの内ポケットから手紙を取り出す。
何も書かれていない白い封筒。日に当たって、うっすらと中の文字が透けて見えた。
「こんな所で何やってるのよ」
「…イリス、何でここに?」
いつの間に来たんだろうか、玄関の前から僕を睨むように見据えている。
「なんでじゃないでしょ、追い掛けて来たに決まってるじゃない。部屋に籠ったと思ったら突然外に出て行って、皆心配してるわよ。特にあのお姉ちゃん、ミホ。泣いてて見てられなかったわ」
確かにあの出方をしたのは悪かったと思う。だけど、なにも泣かなくてもいいんじゃないかな。死にに行く訳じゃないのに。
「ワタシに謝ってどうするのよ。ちゃんと本人に言いなさいよね」
敷かれた砂利を踏み鳴らしながら歩み近寄ると、そのまま僕の隣に腰掛けた。
スーッと吹く風が、縁側に座る僕らの髪を靡かせる。どこからか流れる、甘い香り。
「ごめんね、イリス」
「だから謝るならワタシじゃなくて――」
「違うよ、そのことじゃなくて。さっき…家で怒鳴ちゃったでしょ?説明してくれただけなのに」
僕の言葉に、あぁ、と頷く。そしてすぐに首を横に振って「気にしてないわ」と微笑んだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
どちらが喋るわけでもなく、揺れる葉の音や鳥の囀りだけが耳に入る。
「父さんからの手紙にね…、書いてあったんだ」
「…なんて?」
父さんが戻るまで黙っていようかと思ったけれど、イリスにはやっぱり話すべきなんだろう。
「イリスのこと」
「そう…。じゃあ、ワタシが孤児だってことも知っちゃったんだ」
「…うん。でも、それを含めて君を頼むってさ」
イリスは縁側からゆっくり離れ、正面のブロック塀に寄りかかった。
「あ〜あぁ、あんまり人に知られたくなかったんだけどな、そのこと。変に同情されて嫌なのよね」
昔、それと同じことを言った記憶がある。
母さんが死んだ後、周りの人は僕を哀れみの目で見始めた。学校でも同じ。それがきっかけでいじめにあった、なんてことはなかったけれど、よそよそしくなったのは確かだ。
月冶を含む数人の友達が変わりなく接してくれて、嬉しくて泣きそうになったこともある。
…なんだか無性に月冶たちに会いたくなった。後で遊びに行こう。
「それで、どのくらい書いてあったの?ワタシのことは」
塀に寄りかかるのを止めてニ、三歩こちらに近づく。僕も立ち上がってイリスに近づき、寄りかかった時に付いた背中のゴミを払ってあげた。
照れながら礼を言う彼女から離れ、僕も塀へと寄りかかる。
「父さんたちが、君と出会ったところから書いてあったよ」
「…トシヒコ、そんな前のことよく覚えてたわね」
「そうだね、大抵のことはすぐ忘れるのに。でも、それだけイリスと会った時の印象が強かったんだろうね。えっと…五年前かな、そんな昔にも関わらず」
「まぁ、あんな出会い方すれば忘れるわけないか…」
苦笑するイリス。
手紙に出会ったことは書いてあったけど、どういう出会い方をしたとまでは書いていなかった。
その苦笑の意味が分からない僕は、首を傾げるしかない。
しかしイリスは話そうとしないので、僕は構わず話を続けた。
「それで、イリスが今になってウチに来た訳、昔来るはずだったのに中止になったのはなんでか、っていうのも書いてあったんだ」
「…中止になった理由は知ってる」
明るかった表情に、影が差す。
本来なら既にイリスは、堅城家の一人として加わっているはずだった。なのに、今そうでない理由は五年前にある。
今から五年前。それは、母さんが死んだ年。
その日母さんはイリスを引き取る手続きで、先に日本へ戻って来ていたんだ。
父さんの有り得ないコネですぐにでも日本で生活出来たのだけど、母さんに一蹴されて順当な手段を用いることになった。
予定では、役所に向かうはずだったらしい。けれどその途中、事故に遭い命を落とした。
海外にいた父さんは死に目にすら立ち会えず、日本に着いてすぐお葬式の話をされたそうだ。
精神的に参って危うい状態だった父さんが、イリスを連れて来る余裕があるはずもなく、そのままイリスの件は気泡となって消えた。
イリス自身はそのまま教会に預けられ、今までそこで暮らしていたらしい。
「じゃあ、なんで今になって呼ばれたかは聞いてる?」
「いいえ。ただ、昔の約束を果たしたいとしか。さすがにあんなことがあれば仕方ないと思ったし、遅れたとはいえトシヒコが約束を覚えててくれたのは嬉しかったから、日本に行くことを決めたの」
「そっか…。ありがとう、イリス。父さんの我が儘に応えてくれて」
僕は頭を下げ謝辞を述べた。本当ならイリスは怒っていいはずなんだ。それなのにこうして来てくれたのは、彼女が父さんを信じてくれたから。
「べ、別にお礼を言われるようなことじゃないわよっ。ワタシも日本に行きたかったし、ちょうどいいからトシヒコの話にノッただけよ」
顔を朱に染めて言われても、あまり説得力が感じられない。だけど、深く追わないでおこう。
「それで、イリスが来た理由なんだけど。イリスさ、『クリスマスプレゼントにでもするつもりか』って言ったよね」
「あぁ、そんなこと言ったわね。けど、それがどうかしたの?」
「それ、殆ど正解なんだ」
「はぁ?どういうことよ、それ」
怒ったような、訝しむような顔つきをしてみせる。正直、僕もこのことについてはイマイチ理解が出来ない。
「僕、もうすぐ誕生日なんだよね」
「あら、おめでとう。でも何よ突然…ってまさか」
「そ。信じられないけど、誕生日プレゼントのつもりらしいよ」
今、前回の時も。
一人だった僕は、兄弟が欲しかった。
月冶の家に遊びに行くと、兄弟が居てとても楽しそうで羨ましく感じたんだ。
小さい頃から知り合いだった五月ちゃんは、確かに妹みたいな存在ではあったけれど、やっぱり『みたい』でしかなかったんだ。
母さんに言い困って笑う姿を見て以来、一度も言っていない。
でも、母さんはそんな一度きりの言葉を覚えていてくれたみたいだ。
「何よそれっ!そんなの自分たちでなんとかしなさいよっ。そのための夫婦でしょうが!」
その言い様はどうかと思うけれど、僕自身そう思った。だけど手紙の続きには、僕の知らないことが書かれていた。
「母さんね、体が弱かったらしいんだ」
「えっ?」
遠くを向いて吠えていたイリスが、我に帰りこちらに振り返る。
「日常生活を送るには全く問題はなかったらしいんだけど、子供を産むには無理があったんだって」
「でもタイトは…」
「うん、僕の時は母さんがどうしても、ってことで父さんが折れたみたい」
僕は健康体で産まれたんだけど、母さんは大分危なかったようで医者に次はないと言われる程だったそうだ。
「…そんなこと聞いたら怒るに怒れないじゃない」
「…僕の我が儘のせいで、ごめんねイリス」
「もうイイわよ。トシヒコの息子のアナタが、我が儘じゃないはずがないじゃない」
ないはずがないじゃない、ってどっちなんだか良く分からないけど、許して貰えたのかな、きっと。
「イリス、本当にありがとう」
「だからもうイイってば!」
ふんっ、とそっぽを向くイリスの頬は少し赤い。
「それで、もう大丈夫なの?」
「へ?」
「へ、じゃなくて。家を飛び出すぐらい深刻だったんでしょ。それともまだ何かあるの?」
「えっと…」
実のところ、そんなに深刻でもなかったりする。手紙を読んでショックを受けたのは確かだけど、それよりも情報過多で脳が着いていかなかったほうが大きい。
ここに来たのだって邪魔されず考えたかったからだし、そりゃまあ知らない所で父さんや母さんが僕のために動き回ってくれてたのを知って、泣きそうにもなったけど…。
それを言ったら本気で怒られそうだから、黙っておこう。
「もう大丈夫だよ」
「そう。じゃあ帰って皆に謝りなさいね、心配かけたんだから。特にミホにはね」
お母さんですか、あなたは。
でもその通りだし、帰って皆に謝ろう。伊織にも、しっかりと。
「さ、かえ――」
と言いかけた言葉を遮ったのは、僕のポケットから響く着信音だ。メールではなく、電話。
もしかしたら、伊織かもしれない。早く話して安心させてあげないとなー、なんて考えながら相手を確認せずに受けたのが間違いだった。
「あ、美穂ちゃん?さっきは「やあやあ泰斗君。部活をサボって女子と電話なんて良い度胸じゃないですか」
反射的に体を直立させて、そのまま固まる。
こ、この声は…。
「か、唐津部長…」
「ええそうです、剣道部部長の唐津成彦ですよ」
敬語なのが余計に怖い。これは本気の本気でマジギレですか?
隣立つイリスは、直立不動の僕を不思議そうに眺めている。「なんで汗かいてるの?」なんて聞いてくるけれど、汗は汗でこれは脂汗です。
「ええっと、今日って活動日でしたっけ?」
いつも土曜は休みなはずなんだけれど。
「泰斗テメェこのや――ちょ、なにすんだ、俺が話して…わかった、代わるって分かったから――」
…?
部長の怒鳴り声が途切れ、電話の向こうで何か言い争っているみたいだ。でもって部長が電話を代わって…ってまさか。
「たぁいとくぅぅぅぅん!」
やっぱり羽鳥先輩だ。電話から耳離しといて良かった。そのまま待機してたら鼓膜がふっ飛んでいたところだよ。
「なんで私に会いに…もとい、部活に来てくれないのー!女の子と電話って…まさか彼女!?彼女なのね!?私というものがありながら酷いわっ、この浮気者!」
…どうしよう、このまま切ろうかな。
「ってちょっとねぇ、なんで返事してくれないの。泰斗君聞こえるー?…返事がない、ただの屍のようだ。ねぇ唐津、この携帯壊れてんじゃないの?ほら。っえ?な――こら待て、逆パカは止せっ、買ったばっかりなんだぞ!おい泰斗、とりあえずさっさと来い!いいな――馬鹿、だから止め――」
…切れた。何なんだこの人たちは。
とりあえずまぁ、部活に行かないといけないのか。急がないと大変なことになりそうだし、このまま向かった方が良さそうだな。制服着といてよかった。
「ねぇタイト、今の電話何?」
っとそうだ、イリスが居たんだ。
「イリス、僕これから部活に出ないといけなくなったんだ。一人で帰れるよね?」
「・・・・・・・ムリ」
フルフルと首を左右に動かす。結って髪の毛も一緒に揺れ、ヒュッと風を切る音がした。
「無理って、ここまで一人で来たんでしょ?それなら来た道を戻るだけなんだし…」
「行きはタイトの後をつけただけだもの、覚えてるわけないわ」
そんな威張って言わなくても。あーどうしよう、今から家に送ってそれから学校に向かったんじゃ一時間以上掛かるしー…。
はぁ…、仕方ないか。
「イリス、一緒に学校へ行こう。僕は走りからイリスはそれ乗って」
指差したのは、昔僕が乗っていた子供用自転車。昔流行った戦隊モノの柄をしている。子供用だから、鍵なんてものは付けていない。
「ワタシは構わないけど…いいの?」
「時間ないからいいよ。ほら、出発!」
走り出す僕の後を慌てて追いかけて来るイリス。自転車のサイズはイリスよりも少し小さいけれど、なんとか乗れてるみたいで安心した。
門から飛び出し、走って学校へと向かう。これから受ける『かわいがり』よろしくな練習を考えるとあまり体力を使いたくないんだけど、遅くなればそれはそれで大変なことになる。
「タイト、走ってるだけなら今の内家に電話したら?」
「ああ、そうだね。ついでに帰りも遅くなるって言わないと」
ポケットから携帯を取り出して、自宅へと掛ける。
電話には伊織がでるだろう。なんて言おうか、まずは謝るべきかな。心配かけてごめん、って。
耳に響くコール音が消えるのを、とても待ち遠しく感じた。



彼女の声が聞きたい。


いかがだったでしょうか。少し長めの話となりましたが、今回は区切る訳にもいかなかったので結果こうなってしまいました。内容的には少し暗めのつもりなんですが…無駄にごちゃごちゃしただけでしすね、はい。…ごめんなさい。この『ずれた毎日』ですが、完全に泰斗視線となってます。そのため、泰斗の居ない所で起きた出来事は作中で誰かが話さない限り出てきません。その辺は考えて書きますが、どうぞよろしくお願いします。 よろしければ、次回もご覧下さい。











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