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あの雲の向こう側
作:改札口


 太陽と共に、夏の気配が薄くなりつつなる公園で出会った彼女は死神と名乗った。他に名前はないらしい。
 気の毒なことだ。と思ったが口には出さない。
「死神さんが僕に何のようなんだ?」
 ベンチに座り、空を見上げた。オレンジ色に染まった雲が見え、その上に朱と黒が混じった空があった。
 そのまま少しだけ死神の返事を待つが、聞こえるのは小さなすすり泣きと遠くで車が走る音だけだ。
 僕は答えを返さない死神を黙って見た。黒いローブの中の顔は見えないが、雰囲気からいうとまだ幼い少女か少年のようだ。まったく、彼らが働かなければならないなんて余程の人材不足なのだろう。
「誰かの魂でも狩りに来たのかい?」
「勘違いするな。死神は人の魂を狩りはしない、案内するだけだ」
 死後の世界へかい? と尋ねると、死神は頷いた。
 言われてみると確かに鎌なんて持ってないし、死神自体も怪しいけど怖くはない。
 むしろ小さな体に大きすぎるローブをずるずる引きずって歩く姿は愛嬌もある。

 いつの間にか日が暮れ、後ろにある外灯が二・三回短く点滅するとやがて僕たちを照らした。それがやけに眩しく感じられて目を細める。
「つまんないなぁ、他に何か出来ないの?」
「宙に浮ける」
「僕、高いところ苦手だからなぁ」
「それは損だな。色々面倒な事が多そうだ」
 確かにね。と苦笑した。
「他は?」
「地上の人間の寿命がわかる」
 へぇ、と僕は相槌を打って下を見た。外灯に照らされたベンチの影が、夕闇と溶け合っていた。空はもう、一筋の光以外すべてを失っている。
 目の前を小学生達が駆け抜けていった。全員が無邪気な笑顔を浮かべ、早く早くと一番後ろの女の子を手招きしている。
 その女の子は後ろにある暗闇が怖いのだろうか、チラチラと後ろを振り向きながら僕達の前を通り過ぎて行く。彼女が振り向く度、三つ編みが宙で踊る。それを見たまま、死神はおもむろに口を開いた。

 しばらくの沈黙の後、死神は口を開く。
「寿命、教えてあげようか?」
「僕のかい?」
 おどけて言った僕を死神は無言で指差す。いや、正確には僕のはるか向こう側、公園で一番大きなイチョウの木の前で立ち尽くしている一人の少女に、死神の小さく白い指を向けていた。
 僕は指差された方を見る。
 暗くて見えるはずないのに、少女の小さく震える背中が見え気がした。
 遠すぎて聞こえるはずないのに、今にも消えそうな泣き声がずっと聞こえていた。
「教えちゃっていいの?」
「そういうのは自己判断に任されてるからな」
 気楽なもんだ。そう言って僕は立ち上がった。
 高校生がこれから遊ぶにはもう暗すぎる。
「じゃあね、僕は帰るよ。また明日もいるかい?」
「あぁ、どうせお前も明日くるんだろうからな」
 手を振っても振り返さない愛想のない死神の愚痴を言いながら、僕は帰路に就く。その夜の月はやけに大きいと空を見上げて、ぼんやりと考えながら。

 次の日、死神はベンチで足をぶらぶらさせながら僕を待っていた。
「早いな」
「まぁ、部活もないしね」
 そう言いながら、死神の隣りに腰掛けた。なんだかすごく居心地が良かった。
「昨日からずっと座ってるの?」
「馬鹿を言うな。仕事をしていた」
 仕事熱心な死神を僕は心から尊敬した。
「疲れたら言いなよ。いつでも泊めてあげるから」
「身の危険を感じるから止めておく」
 どうやら死神は女の子のようだ。
 その事をからかおうとした時、死神がそれを遮る。
「いるんだろ、あの女」
「何のことだい?」
「だから来たんだろ」
 フードの下から覗く紅い目が僕をじっと見据えている。
 僕もそれに対抗するように睨み付けていたが、耳の奥にあのすすり泣きが聞こえ始めると一気に気力がなくなった。
「……ね……ら」
 うまく電波を拾いきれていない家の壊れたラジオのようなノイズに混じって、誰かの泣きそうな声が僕の耳のさらに奥で何度も反響する。
「ごめ……わたし……」
 彼女の一言一言が、僕の胸の中の一番柔らかいところに何度も何度も突き刺さる。その度に僕は苦しくて、痛くて息が出来なくなってしまうんだ。
「あの娘、明日死ぬぞ」
 いつもどおり、1オクターブも変わらない死神の声が空気を切り裂きながら僕の耳に入り、あの柔らかい場所をずたずたに切り裂いていくのを呆然と彼女を見ながら感じた。
「……死因は?」
「明日この場所にくる途中に車に撥ねられる」
「それはまずいよ……」
 僕は力が入らないまま、呟いた。車に撥ねられるのはとても痛い、息が出来ないほど視界に何も映らなくなるほど痛いんだ。それは一番僕が知ってる。
「でも、彼女はそれで幸せかもしれない」
 死神の言葉を聞きながら、僕はゆっくりと歩き出した。晩夏のどこか寂しくなるような風が、僕の体を通り抜けていく気がして、少しだけ泣きたくなる。

 彼女の後に立った。小さな背中が、にじんで見える。その背中から彼女の想いが、苦しみが、悲痛な叫び声が何よりも強く放たれている。
「ごめんなさい……私が、私があんなこと言ったから」
 泣きはらした目が、何よりも悲しかった。
「私だけは、あなたの、味方でいる……つもりだったのに」
 爪が食い込むほど握り締めている手が、小刻みに震えている。
 臭いんだよ。さっさと失せろ、付きまとってくんじゃねぇよ……うぜぇなぁ。
 僕が最後に聞いた彼女の言葉が、それだった。
 彼女は僕に唯一話かけてくれる人間だった。いつも笑顔で、大きな身振り手振りで話す彼女は僕よりもずっと輝いていて、そばにいるのも奇跡のような気がしていた。
 でも知ってた。
 それがどれだけ勇気がいるのか、彼女の肩身を狭くしていたのか。

 僕がその言葉を聞いた時、彼女にも限界が来たのだと気付いた。
 だからもう、そう言うしかなかったのだろう。あの時の夕焼けはあまりに紅くて、明るくて、教室で二人きりの僕達の他に伸びる影をくっきりと映し出していたから。多分彼女は辛かった。
 解放してあげたかった。僕という鎖から。
 だからなるべく明るい声を出して、こう言った。
「わかった。今までごめんね……じゃあ、また明日」
 ねぇ、あの時の僕は、いつもの君みたいに笑えていたかな。何もかも隠せるくらい、明るくいれたかな。

 その帰り道、僕は死んだ。

 風が吹いたのが、イチョウの青い葉が揺れたのでわかった。木漏れ日が、優しく僕と泣き崩れている彼女を包み込む。死んでるのも、生きているのも関係なくただその場所にいるモノ全てが、愛しい。そう言ってくれてる気がして頬が緩んだ。
「ごめんなさい」
 君はいつまで謝り続けているんだい?
 生前、一度も触ったことのない彼女の体に手を伸ばし、肩に触れた。通り抜けはしたけど、彼女の体温は確かに感じた。
「寿命って、変わらないの?」
「……基本的には変わらん。ただ些細なきっかけで変わることもある。でもな、死者に生者の運命は代えれんぞ」
 イチョウの木の枝の上に乗って、僕達を何も言わずにじっと見据えて死神は言った。
「……それでも、僕は」

「彼女にとって、死は幸せかもしれないんだぞ」
「僕が嫌なんだ。彼女に生きてもらわないと」
「……エゴだな」
 全くもってその通りだ。
 それでも僕は、彼女に生きて欲しい。
 彼女をすり抜け、イチョウの木を見上げた。大きくてたくましい、それでいて優しく人を引きつける。小さいころのから僕の憧れの木だった。
 そっと手のひらを置いた。ゴツゴツした木の肌の感触が確かに感じられる。
 僕は、この世で最後のお願いを木にする。馬鹿だと思われるかもしれない。その時の僕は、僕ではない大きな力に動かされていた気がするんだ。

 ちっぽけな僕に出来るのはちっぽけな事だけだけど、人はそんな些細な事で変われるんだ。だから、お願い。
 頭を抱えてうずくまっている彼女の頭に、イチョウの葉が落ちる。
 しばらくはそれに気付いていなかった彼女だけど、ふとそれを手に取った。それを見つめ、目が大きくなる彼女を僕はずっと見ていた。
 こぼれた涙は頬を伝い、陽の光を受ながら輝き地面で弾けて消える。
 彼女は気付いただろうか。
 手の中の葉は金色に輝き、君の未来を照らしていることを。それが僕の最初で最後のプレゼントだということを。

 彼女が僕の名前を呼んだ。弱々しいけど、どこかさっきとは違う。
 涙を堪えている様子が、鮮明に見えた。なにしろ僕は彼女の隣りにいるのだから。
 イチョウの木を見つめる彼女に、僕はそっと耳打ちする。

 ねぇ、死んでからわかったことがあるんだ。
 この世にはね、生きを呑むくらい美しいモノがたくさんあるんだ。
 青い空に映える飛行機雲とか。風が路地を吹き抜ける音とか。扇風機にあたりながらアイスを食べるそんな当たり前な感じとか。雨上がりに、雲から差し込む光とか。
 僕は気付くのに遅すぎた。でもね、そのぶん君に見て欲しいんだ。たくさん見て、聞かせて欲しいんだ。僕の見れない世界がどれだけ美しかったかを。
 だから、もっともっと生きて欲しいんだ。

 彼女は涙を拭いて、微笑んだ。僕の言葉が通じたのかわからない。
 でも、彼女の表情を見て僕も微笑んだ。
「行くか」
「……そうだね」
 手を差し伸べた死神の手を僕は取る。小さく柔らかな手だった。
「あの娘の寿命、聞きたいか?」
「いや、良いよ。わかっちゃったら面白くないからさ」
 そう言っているうちに、一筋の光が僕達を照らす。
「ありがとう」
「何が?」
「僕のわがまま聞いてくれて」
 死神はひらひらと手のひらを振った。気にするなということなのだ。

 僕達の周り光の密度が濃いくなっていく。
「昨日の小学生、助かったの?」
「あぁ、最後尾の少女は一命を取り留めたようだな。他の子は寂しがっていたが」
 良かった。と言って、彼女を見る。
 彼女はイチョウの木の前から立ち去っていた。多分、たくさんの花束の前で手を合わせてくれているのだろう。それは幸せなことだ。

 そう、何よりもずっと幸せなことなんだ。

 僕の体は光に満たされ、やがて消えた。















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