30 祝福の息が消えるとき
「我々はただここに在るだけ。それ以上でもそれ以下でもない。お前たちからすれば、我々が存在することでモノが『美しく』見えるらしいが。それは私の与り知るところではない。ただ」
「ただ?」
「無秩序というのはやはり、好ましくない」
はあ、と来葉はあいまいにうなずいた。他にも色々聞きたいことが頭に浮かんだが、止めた。
「とにかく、下に行きましょ。一緒に来てくれるんですよね、ハナビ先生」
「断る。お前にはもうしばらくここにいてもらう」
はっきりと拒否するハナビに来葉は眉をしかめた。相手が神様とはいえ、頭ごなしにNOと言われるのは気に入らなかった。
いくら優騎の師匠がいると言っても、この場所でじっとしていては何もできない。優騎を怒らせてまで助けに行かなかった意味がなくなる。
理由を尋ねようとしたとき、ふと来葉の携帯が鳴った。ディスプレイを見て、少しだけほっとする。
「はい。どうしたの、綾」
『ああ繋がった! らいちゃん、今どこなの!?』
通話口越しにもざわめきが聞こえてくる。電波が悪いのかときどきノイズも混じっている。大声で叫ぶ幼なじみに来葉は落ち着くように言った。
「頂上だよ。知り合いに連れられて、これから下山するとこ」
『下山……?』
「そっちこそ大丈夫なの? ずいぶん騒がしいけど」
『当たり前よっ! 道で突然落盤が起こるし、目的地にはらいちゃんたちはいないし。もしかしたら巻き込まれたのかと思ったじゃない!』
「あ、うん。わかったから落ち着きなよ」
『大したことないみたいだけど怪我人も出てるし……ねえ、助けが来るのってやっぱ時間かかるのかな? 先生たちだけじゃどうにもならないよね? らいちゃんはどんな人に助けてもらったの? それから……ああ、ごめん。何だか頭がぐるぐるして上手くモノが言えない。もうちょっと話してていい? 誰かと会話しないと不安で……!』
「あー……。そのことなんだけどさ、綾。ごめんだけど、別の人と話してもらえる?」
『え……』
「私もちょっと用事ができてさ。さっき言ったように急いで下山しなきゃいけないんだ。まあでも、そっちは大丈夫よ。先生たちが助けてくれるって」
『らいちゃん……本気で言ってる? それってひどくない?』
「ひどいというか……今私が行っても迷惑になるだけだと思うんだけど。誰かが生き埋めになったわけじゃないんでしょ? だったら落ち着いてそこで待ってればいいじゃない」
『……』
「綾? もしもし、聞いてる?」
『もうだめ。もう怒った』
「怒る……?」
何を言っているのかわからなかった。電話の向こうにいる綾も口を閉ざす。喧噪とノイズだけが耳を打つ嫌な間があった。
おかしいな――と来葉は思う。
助けに行かないのは、確かに人道的に見ればマズいのかもしれない。だが人外のモノに襲われた自分は出来るだけ早く島を離れるべきだし、母親のことが心配なのも本当だ。もちろんレスキューのスキルなど持ち合わせていない自分がのこのこ現場に行っても、危ないからという理屈で追い払われるのが関の山だろう。正直なところ、綾が怒る理由がわからなかった。
何より、自分が優騎や深湖以外のクラスメイトから怒られるという構図が理解できない。そういったものとは100パーセント無縁のはずなのに。
少し迷った末、来葉は正直に尋ねることにした。相手はゆーきほどではないにしろ、付き合いの長い友人だ。誤解などすぐ解ける。
「ねえ綾。何をそんなに怒ってるの? こういうときこそ落ち着こうよ。綾らしくない」
沈黙は1分近くにまでに及んだ。
その間、来葉の表情は怪訝から苛立ち、そして焦燥へと変わっていく。
「ちょっと。返事くらいしてよ。不安になるじゃない」
『……そう。らしくない、か。そうかもね』
「綾?」
『らいちゃん。私ね、今朝から言おう言おうと思ってたんだけど我慢してたことがあったの』
「だから何があったの?」
『らいちゃんってすっごい自分勝手だよね。私幻滅した』
「……え?」
『この前電話したときもそう。心配してあげたのに、何あの返事。どうして気にならなかったのかフシギだけど、よく考えたららいちゃんって昔からこうだったよね。いつもいつも自分の好きなように振る舞ってさ。ちやほやされるのが当たり前って顔してた』
「あや……?」
『そりゃあらいちゃんは可愛いし、モテると思うよ? でも何でそれを私たちにまで押しつけるわけ? そんなに自分が一番じゃないと嫌?』
綾の口調は勢いを増していく。
『自分は他の人を遠慮無くこき下ろすクセに、自分の思い通りにいかない相手には逆ギレって最悪なことない? 私、心の中じゃ優騎君のこと応援してたよ。帰ってきたら帰ってきたで、今度は深湖さん相手にきつく当たってたでしょ。あの子、大人しいけどすっごくいい子なんだよ。何? 何がそんなに気に入らないの? そういうところが自分勝手だと思う』
「……」
『あー、言いたいこと言ったらだいぶすっきりした。とにかく、そういうこと。これだけ言えば分かるでしょ。怒ってる理由』
「綾……ねえ綾」
『なに』
「ちょっと……ごめ……。今頭がごちゃごちゃになっちゃってさ。その、何があったのか……いきなりすぎて、何て言えばいいのか……」
携帯を持つ来葉の手は見て分かるほど震えていた。喉が乾き、心臓の上辺りが恐ろしく冷たくなる。
『わかった。じゃあわかりやすく言ってあげる』
「あや――」
『大っ嫌い』
切れた。通話の途切れた電子音のこもった響きが、いつまでも来葉の鼓膜を震わせた。
「素直な娘であるな。お前の友人は」
ハナビの声に顔を上げる。何も頭に浮かばなかったが、反射的に首を横に振った。
「ちが……今のは。聞こえて……」
「空気の振動はなくとも『声』は聞こえる。ふむ。最近では自分の気持ちを言葉にする人間は少なくなってきているようだが、その中で、お前の友は自分の言葉で自分の思いを告げた。良きことだと私は考える」
「違うよっ! 何で! 何で……」
「わからぬか」
携帯を握る手に力が入った。青紫色になるまで強く唇を噛みしめる。ハナビにはからかっている様子も、皮肉っている様子もなかった。ただ淡々と事実を伝えているだけに見えた。
「お前は明神依子の娘。母親以上に色濃く『息』の力を受け継いでいる。綾と言ったか。友人もこれまでは『息』の力でお前に好意的だった。だが今のお前には以前ほどの『息』が感じられない。だから相手にも本来の感情が蘇ってきた」
「息……本来の、感情……?」
「まやかし、とまでは言わん。が、依子にしてもお前にしても『息』を備えていたからこそ人に好かれた。その力が弱まれば当然お前に対する評価も異なってくる。このように単純な絡繰りに何をうろたえることがある?」
「う、うそ。うそよ。だって私は! 私は、明神来葉だもの……誰からも、嫌われることのない……そう、そんなのって」
「来葉。お前に正確な現状把握をしてもらわないと私が困る。神々も困る。依子も困る。優騎も困る。だから識れ。そして納得しろ」
何か言おうとした来葉の口が再び強ばる。手にした携帯から電子音が鳴ったのだ。来葉はしばらくためらったのち、勢い良く携帯をポケットの奥深くに押し込んだ。
「はあ……はあ……」
「それともまだ時間が必要か? だがあまり猶予はない。どこで失ったか知らんが、お前の『息』の力を再び使える水準まで引き上げねばならない。さもなくば島は沈み、依子は無に帰る。私と対をなす仙酔島の神がいなくなるのは好ましくない」
何を言っているのか、来葉には理解できない。胸が苦しくてそれどころではなかった。なおもハナビはしきりに言葉を重ねていたが、来葉の耳には届かなかった。
「……聞こえているか、来葉」
「え……あ」
「仕方がない。そんな状態では成功するものも成功しない。1日の猶予を与える。それまでは私と優騎とで持ちこたえてみせよう。明日、使いを出す。腹をくくるように」
ハナビの視線がふと、上に向けられる。つられて来葉も充血した目でその先を追った。中央にある大木の、幹の分かれ目を見る。
息を呑んだ。
「それでよいか? 浦安」
「き……きゃああああぁぁぁっ!!」
小太りで、薄汚れたシャツを着た、あの気持ちの悪い男が、半身を幹に埋没させた状態で白くなっていた。瞳孔が開いたまま、口元は微かに斜に傾いたままであった。微笑みながら息絶えていたのだ。
ハナビがこちらに歩いてくる。瞬間的に来葉は後ろへ下がった。木の根につまづき、転ぶ。衣服が乱れることも関係なく、来葉は這うように下がった。ひたすら下がった。やがて背中がベンチにつくと、彼女は両膝を抱えてうずくまった。
ざく、と枯葉を踏みつける音がする。
「顔を上げろ。来葉」
首を横に振る。髪の毛先に付いた泥が力なく地面に落ちる。
「顔を上げろ。来葉」
まったく同じ言葉、同じ口調で繰り返された。しばらく抵抗していた彼女は、無言の圧力に耐えかねて少しずつ、目線を上げた。自分の隣に立つハナビを視界に捉える。
全身黒ずくめの女神の向こう側に鞆の町並が見えた。絶景と称するには雑木の邪魔が目立つ眺め――そのわずかに切り取られた視界の枠の中で、まさにこの瞬間、黒煙を上げて火柱が立ち上がった。遅れて届いてくる炸裂音。
まちの中心部から少し外れた山の中腹、新たに切り開かれた土地に建つ建物から、火が――
「覚悟を決める時間を1日やる。それ以上は待てん。いいな?」
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