第十八話:運命の軋み。
「――紅美鈴。参ります!」
私は、その宣言と共に一歩を踏み出した、はずだった。
「――。」
眼前に悠然と構えるあのヒトが大きく見えた。
その認識のズレが、脚を止めさせた。
紅さんの手に持つ透明な太刀から、空気すらも切り裂く剣気を感じる。
そして、
殺気が肌を刺す。
まるで、彼が一本の剣であるかの様な鋭い殺気が。
「……すみません。貴方の事を侮っていました。」
紅さんへの謝罪であり、自戒だ。
紅さんはこんなにも、本気で戦おうとしてくれている。
それなのに、自分に気の緩みがあった。
だから、殺気だけで脚を止めてしまったんだ。
「言葉は不要。ただひたすらに己を写し出せ。」
そう言って刀を構えた紅さんに隙は見当たらない。
在るかと思えば誘いにも思えてしまう。
でも――。
「――はい!」
覚悟を決める。
隙が無いのならば作り出せばいい。
――迷うな、紅美鈴!
「――はい!」
その言葉で美鈴の気配が変わる。
先ほどまでの訓練時の遊びの様な部分が削げ落とされた。
だが美鈴は踏み出す切欠を欲している。
だから、紅は全てを無視する。
一気に踏み込む。
そこに在った間合いは一瞬にして零になる。
踏み込んだ左足と回転を合わせ、右手で構えた刃が風を切る。
袈裟懸け。
紅が踏み込んだのとほぼ同時に、美鈴が小さく踏み込む。
右手は寸頸を放つ構えとして、ゆっくりと紅の腹へ。
左手の甲を振り下ろされる刃に添えて、小さく逸らす事で頭上を空振らせる。
はずだった。
雷撃。
手を添えた刃から感電したのだ。
筋肉が弛緩し、美鈴の身体が僅かに沈む。
沈んだ身体へと紅が拳を放つ。
正拳突き。
拳を受けて、美鈴が派手に吹き飛ぶ。
「む……。」
紅が唸る。直前に後ろへと跳ぶ事によって衝撃を逃がされた。
美鈴は着地と同時にその脚力を以って、一息で接近する。
紅は右に持つ大太刀を心臓を抉るように突き出す。
同時に即座に作り上げた氷の脇差を左から逆袈裟で振り上げる。
これで逃げ場は無く、美鈴は雷で倒せると判断する。
だが、それは間違いだ。
美鈴の行動は先ほどの焼き増し。
ただし先ほどよりも深く踏み込んだ。
美鈴の左手は突き出される大太刀の腹を拳で突く。
右手で紅の左手を押さえ、同時に肘で小さく寸頸を放つ事で脇差を破壊する。
そして踏み出した足で紅の軸足を押せば――、
紅の身体が泳ぐ。
流れる様な動作でバランスを乱す紅の胸に左手を軽く添える。
右手は紅の左手を引く事で、射程圏外へと逃げる事を抑止する。
美鈴の重い震脚は大地を容易く踏み穿ち、関節の回転はその力を拳へと収束させる。
――紅寸頸!
紅い衝撃が紅を吹き飛ばし、一陣の烈風が旋風を巻いて吹き荒れる。
しかし美鈴は吹き飛ぶ紅を追わない。
必ず戻ってくると知っているから。
「……流石だな。全く……。その才能に、嫉妬せずにはいられない。」
だが、紅寸頸は美鈴の扱える業の中でも充分な威力を持った一撃。
その一撃をまともに喰らって尚、悠然と立つ姿は美鈴の積み上げてきた努力という自信を揺るがには充分だ。
「何が嫉妬ですか。全然効いてないじゃないですか……。」
効いていない訳ではない。後ろに跳び衝撃を逃がす事も出来ない状況で紅が打てた手は一つ。
風。
風の壁を作り上げた。一枚一枚は突けば簡単に割れるものであろうとも、100枚200枚もあれば、充分に威力を減ずる事は出来る。
動きが抑制された状況下で風を、速度上昇に使う意味はないのだ。
「ソレじゃない。君は私の雷撃を気に流れを作る事で地面に流したな? それがどれだけ精密の操気術を必要とすると思っているんだか……。」
「ふふ……。もっと巨大な剣なら砕けないかもしれませんよ?」
「は。笑わせるな、戯け。」
美鈴がした事は単純だ。
紅の作り出した太刀の耐久度を妖気と形状から把握した上で、それを最小限の力で破壊出来る分の気を拳に集める。そして全身を強化している気に循環する流れを作る。
これによって、紅の太刀を破壊すると同時に僅かに流れる電撃を大地に流し感電するのを防いだのだ。
他者の妖気を孕む電撃に気の流れを同化させる。これをただの一回喰らっただけで可能とした。
「そんな事をしても同じく砕かれるだけだろうが。」
「ええ、そうですね。」
妖気とは密度。太刀と大剣では大きさが違いすぎる。
紅の使った太刀に込めた妖気と脇差に込めた妖気は普段と同等。
その密度から耐久度は大剣以上と言える。
速度を考え、大剣よりも太刀を選び、その上で砕かれたのだ。
「……ふむ。刃は不要か。私の体術などそう大したものではないのだがね?」
美鈴の妖気自体は妖力器官を起こしていれば紅が上回る。
だが、気を扱う能力は伊達ではない。
大気に漂う気を呼吸するかのように取り込み、一時的に威力を増大させる。
その上でさらに、"気"と紅の"妖気"を適度に反発し、表面を滑るように調整までしてみせた。
「期待させていただきますね?」
そんな規格外の才能を見て、天才と認めぬものは居ないだろう。
「……いい性格をしている。――行くぞ!」
美鈴は己が肉体と気を扱う術を頼りに。
紅は底上げした速度と経験を頼りに。
ただ、相手だけを見る。
ただ、前へ。
攻勢は、美鈴。
美鈴が拳を繰り出せば、紅は腕を以って阻み、逸らしては、身を翻してかわす。
脚を振りぬけば、紅は肘で迎撃し、時に受け止めては攻めに転じる。
紅が拳を繰り出せば、美鈴は脚で間合いで上回り、見切っては懐へと滑り込む。
脚を振りぬけば、美鈴は敢えて踏み込み威力の乗りにくい太股を受けると同時に潜り込む。
基本的に紅は守勢。
技巧で劣るが故に攻勢に出れば隙となる。
己で攻めれば負ける。故に隙を突く。
ひたすらに耐え、至近距離を望む美鈴にカウンターを狙う。
美鈴は苛烈に、しかし美しいまでに優雅に立ち回る。
ひたすらに耐えて無骨な、しかし強靭な意思以って打ち据えられる拳打を全て捌く紅。
動きが、そして繰り出される手足が風を切る。
拳が交われば空気が震え、轟音は突風ととなり周囲の竹を靡かせる。
打撃が肉体を捉え、鈍く重い重厚な腹に響く音が身体を伝う。
大地を踏みしめ、その力を打撃に収束させる為の轟音以外に無駄な雑音は存在しない。
二人はお互いに幾度となく激突し、風の暴力を撒き散らす。
その音だけが。風を切る音と打撃音のみが辺りの静寂をかき乱す。
既に互いが互いの攻撃を視認していない。
目視してからでは遅いのだ。
体の流れを阻害しない為に無理な制動を掛けぬ脚捌き。
風を切る打撃。
お互いの息遣い。
その僅かな空気の波が鼓膜に、そして肌に伝わる。
感じ取る。
小さな音を。微かな音が、相手の次の動作を教えてくれる。
この音こそが、戦闘のリズム。
迫り来る敵の挙動を身体が感じる。
身体の、骨の軋み。
切り裂かれる空気の悲鳴。
地を伝う、足音という攻撃の合図。
戦いとは、音楽。
体中を駆け巡る音の奔流。
"武"を極めたもの程、その攻撃は正確な音を奏でるのだ。
移動の動きも、互いの身体を打つ音すらも。
何もかもをバックミュージックにして二人は喰らい、喰らわれるために舞い踊る。
だが、永遠に続くかのような二人だけの華麗な舞に終わりが告げられる。
不意に美鈴が下がり、体勢を整え大きく気と共に深呼吸した。
――猛虎内剄!
剄により全身の気の流れを爆発的に活性化させ、打撃の際に撃ち込む事で強化する操気術。
美鈴は読み合うような戦法を捨てた。
「……紅さん。これ以上続けても悪戯に時間を浪費するだけです。」
「……そうだな。私が無謀を犯さない限り終わらんようだ。」
「ですが、これで終わりです。」
「カウンターを嫌ったか。まぁいい。生半可な攻撃では私の防御は抜けんよ?」
お互いに不敵な笑みを浮かべ、勝利への方程式を脳裏に描く。
「生半可な攻撃か、貴方自身で確かめるといい!」
美鈴は言葉と共に気を練り上げ、呼気と共に顕現する。
――虹色太極拳!
練り上げられた気は波紋の様に地表を流れる波を発生させる。
波は非常にゆっくりと広がり、円形に、そして紅へと迫る。
「む!?」
一瞬の驚愕。
美鈴はその一瞬を見逃さない。
即座に紅の懐に潜り込む。
――烈虹拳!
烈虹拳とは接近状態での牽制と、そこからの致命打を狙って編み出された牽制技。
高速で突きを連打し、そこから気弾を連続して放ち、紅を地面に縫いとめる。
そして縫いとめた紅へと最後に強烈な裏拳を見舞う。
気で出来た波の波紋に押さえつけられた紅は美鈴の全力の裏拳を連撃で仰け反りながらも受け止める。
僅かに仰け反った事で美鈴の裏拳は紅の顔面から狙いを浅くし、ガードを固めていた両腕を弾き飛ばすまでに止まった。
「ぬ、あぁああ!!」
紅は仰け反った衝撃を利用し、上半身を捻り強烈な上段蹴りで美鈴の首を狙い撃つ。
当たる。
美鈴はその鉞のように強烈な蹴りをその身で受け止める。
だが練りに練った気によって、一時的に感覚が麻痺している。
故に紅の打撃を無理矢理に無視し、無理を通す。
紅の脚を肩で支えながら、身体に残る、裏拳を放ったその回転を利用し、震脚と共に三連撃を見舞う。
その爆発的に高められた気を込めて。
「がっ!!!?」
――大鵬墜撃拳!!!
音が消え、三度の衝撃が球状に広がる圧力の層を作り上げる。
その苛烈な一撃は、紅を空高くへと弾き飛ばすのに充分な威力を秘めていた。
美鈴の耳を打つ轟音が反響し、世界に音が戻ると同時に空気を震わせる。
次第に音の波は拡散し、見上げる空に三度鳴り響いた音は余韻を残して消えてゆく。
「……これで――」
「――私の、勝ちだ。」
「ぐ! ぁ……?」
美鈴の意識は、聞こえるはずの無い声を最後に落ちた。
「……ん……ぁ……?」
美鈴は眼を覚ます。
その瞳に映る光景は見覚えのあるものだった。
「……あれ、なん……あ。」
家。
何故、自家に居るのか。服も着替えさせられている。
美鈴が理由を求めて部屋を見渡せば一人の男性の姿が見える。
紅だ。
何故か紅は壁に寄りかかって寝ている。
美鈴には、紅が戦ってるときとはまるで別人に見えた。
幼い子供の様に、生きる事に疲れた老人の様に。
熾烈なまでの気迫を見せた戦闘時とは似ても似つかない。
「よ、っと。紅さん。紅さん、起きてください。」
布団から美鈴が声を掛けると紅は眼をゆっくりと開けた。
「ん……。あぁ、眠ってしまったか。」
「あ、紅さん。起きましたか。その、何がどうしてこんな状況になったんでしょうか……?」
「うん? 君を気絶させてしまったから家まで運んだまでだ。幸い君は好戦的という評価を得ていたようでね。背負っていても不審がられなくて済んだよ。」
「あー、そうでしたか。ありがとうございます。えっと、そのー……。」
紅の答えは確かにこの状況になる経緯を説明してくれていた。
だが一番聞きたい事は言ってない。
美鈴は武道家として、そこはどうしても聞きたいが少々厚かましく感じている為か、語尾が小さくなっている。
「く、ふっふっふ……。では、君の三連撃に吹き飛ばされた所から説明しようか。」
そんな美鈴の行動を微笑ましく思い、紅は笑いを溢してしまう。
「うぅ……笑わないで下さいよぉ……。」
真っ赤になって恥らいながらその場に蹲る美鈴。
紅はそんな美鈴を無視して、説明を始めた。
「そうだな、あれは――」
「ぬ、あぁああ!!」
紅は、腕を弾かれたと同時にその勢いに沿って上半身を捻りながら美鈴の首を狙って蹴りを放つ。
この崩れた体勢のままで居れば打撃をモロに喰らってしまう。
流れを変えるためにもこの一撃で美鈴を止めなくてはならない。
――当たる。
その確信を持って、そしてその確信の通りに。
狙った美鈴の首を体重を乗せた紅の一撃が打ち据える。
だが、美鈴は止まらない。
「がっ!!!?」
直後に美鈴の気が練り込めれた三連撃が紅を襲う。
その一撃一撃は、紅が身体に纏っていた風を急遽防御壁に回した上で尚ダメージを通す程の威力を秘めていた。
そして紅は天空へと吹き飛ばされる。
「……ッ!」
口から血が流れる。内臓を損傷した可能性もある。
だが、それすら強引に無視して符を用いて魔術を行使する。
――空間転移!
目標は、空を見上げる終わりを呟く美鈴の懐。
「……これで――」
脚、腰、肩、腕まで全てが円に沿うように回転させながら、吹き飛ばされた勢いすらも腕の先に収束される。
掌打を以ってして確実に衝撃が脳に伝わる事を狙う。
「――私の勝ちだ。」
「ぐ! ぁ……?」
紅の顎への強烈な一撃は、大技を連続して使用した事で疲弊している美鈴の意識を刈り取るのには充分すぎた。
だが、想定外の事が起きてしまう。
「…………しまった……。」
――首の骨までイった……。
「――というところまでやってしまってな。」
「って貴方は何してくれやがりますかっ!?」
美鈴が爆発した。
「まぁ、待ちたまえ。私が折れた骨は一度離してからズレないように位置を整えたから問題ないだろう?」
「いや、そうみたいですけど、いやいやいや……。」
「なに、君とて妖怪だ。そう簡単には死ぬ事はないさ。ちゃんとここまで連れてきたし、服も清潔なものに取り替えた。うむ。なんの問題もないな?」
紅がそう言うと美鈴は崩れ落ちた。
その際に「もうやだこのヒト」等と聞こえた可能性がないまでもない。
「冗談はコレ位にしようか。」
「…………。」
美鈴のジト目が若干赤いのは紅の勘違いではないだろう。
ちょっと泣きが入ってる。気がする。
「……いや、すまんな。だが本題に入りたいのも確かなんだが……。」
「……どーぞ。」
「……すまなかった。」
頭を下げる。
紅の本気での謝罪に美鈴は眼を丸くする。
「…………あ、いえ、決闘ですからそういう事もありますよね。こちらこそすみませんでした。」
そしてお互いに頭を下げる事になった。
「……ふふ。ありがとう。」
「でも、乙女の柔肌を見た事は許しませんから、覚悟してくださいね?」
流せなかったようだ。流石に妖怪でも乙女は乙女。
甘んじて恥じらいという名の粛清を受けざるを得ないのは何時の時代でも同じか。
「で、だ。この決闘騒ぎで何か掴めたのか?」
美鈴に問う紅は、頬に紅葉を携えているので些か以上に格好がつかない。
現に美鈴は現在進行形で腹筋を鍛えている事だろう。
「~~ッ! ふぅ、はぁ……。何か、ですかぁ……。」
深呼吸一つで呼吸を整え紅の問いへの答えを探す。
「いや、それはいいか。……ちょっとした助言だ。何か足しにするといい。」
「?」
「『士は己を知る者のために死す』 日本の格言だ。」
紅は背を預けていた壁を離れると同時に妖気を高めて不名誉な痕跡を治す。
「……己を……。」
美鈴はその格言に何か感じるものがあったようで、己の世界に埋没している。
「美鈴。」
「あ、はい!」
「ではな。縁が合ったらまた会おう。」
別れの言葉も少なく家の扉を開け、外へ。
だがその前に美鈴の静止の声が掛けられる。
「……あ、待ってください!」
紅は立ち止まる。が、振り向かない。
「紅さん。次は、次は負けませんから。」
「……そうか。ならば勝ち逃げするとしよう。」
「え、ちょっ!?」
現状はまだ起き上がれない美鈴に出て行った紅を追う術はない。
だが別れ際のその言葉がどこか楽しそうに、嬉しそうに感じた。
それで充分かとも思う。
「……縁が合ったら、か……。」
呟いた声は虚空に消える。
「君との馬鹿騒ぎは楽しかった……。一時の間だが、ヒトに戻れたよ。」
力は力を呼ぶ。
身に余る力は狂気を。
狂気は破壊と悲劇を。
悲劇はさらなる狂気と破壊を呼び起こす。
それが、どういう行為なのかも理解している。
誰かを泣かせるかもしれない。
だが、今は狂気に身を委ねよう。
悲劇を生み出す修羅となろう。
この体中を舐め尽すかのような、"黒い虫"に。
何かをしていなければ。
何かに集中していなければ。
抑えきれない程の憎悪にわが身を焦がされる。
沙夜を、死の淵へと追いやり。
愛するヒトをこの手で殺すという状況を生み出した貴様に。
何よりも。
それを傍観するしかなかった、無力な自分自身に。
この黒い怒りとざわめきが。
抑えきれない……!!
例え、それが逆恨みだとしても。
災厄となり、滅ぼされる事になろうとも。
もう、止まれない。
永享4年(1432年)
明を出立。
ぁ、お気に入りユーザー登録までしてくれる方がいらっしゃるみたいで。
本当にありがとうございます~。
もうちょい頑張ります^^
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