第三部 第二十章
その年の春から夏にかけての約4ヶ月のあいだ、僕の周囲では実にいろんなことが起こった。まず5月に入ると、僕はまた葬式に参列しなければならなくなった。僕の友人で店の客でもあった男が、恋人を乗せた車でコンクリート塀に激突したのだ。ふたりは市内のパブでウィスキーを一本空にして、恋人を隣りのK市まで送って帰る途中だった。スピードの出しすぎでハンドル操作を誤ったらしい。ふたりとも即死だった。新聞はそう語っていた。なんとも寂しい葬式だった。頭の失くなった彼の亡骸が葬式をいっそう悲痛なものにした。
僕が2日間の葬式休暇から戻ってみると、店では新たなトラブルが持ち上がっていた。我々の店は4階のいちばん奥にあったのだが、ちょうど真下に位置する3階のスナックからカラオケの音がうるさいという苦情が出ていたのだ。そんな話は到底信じられるものではなかったが、とりあえず友人に金を渡して偵察してきてもらうことにした。
彼は週末の特に騒々しい時間帯を選んで早速その店に出かけた。カラオケの音なんてまったく聞こえなかった、かわいい女の子が3人いたけど、でもやっぱり嫌がらせだ、と彼は報告した。我々は無視を決め込むことにした。
数日後、人相のよくない男が3人やってきた。彼らはめちゃくちゃな勢いで酒を飲み、ボトルが半分空くと今度はマイクを占領して歌いはじめた。最初は刑務所に入ったやくざな男を待ち侘びる女の歌で、次は極北の地に隔離されてしまった男の歌だった。その2曲を何度も何度も繰り返した。調子はずれの手拍子をやたら大きな音で打ち、こぶしを効かすあたりではまるで関取の四股のようなポーズを取った。
誰が何と言おうと明らかに嫌がらせだった。我々は客の女の子を電話の前で待機させ、彼らを店の外へ連れ出した。最初のうちすごんでいた男たちも常連客の男が5人仲間に加わると、捨て台詞を吐いて引き下がった。
それから1週間のあいだに彼らは4度やってきて、カラオケをやめるかそれとも店をたたむかという二者択一を迫った。我々は両方とも拒否した。おかげでビルの外壁に取り付けられたネオン看板はその夜のうちに粉々に破壊された。次の日には店の入り口に牛やら豚やらの内臓をゴミ袋6杯分ばかり置かれた。そんなものがいったいどこからどんな理由で、どんな経路を辿って我々の前に現れるのか、僕たちにはさっぱりわからなかった。
「いい加減にしろよな」
彼は顔に巻いたタオルの下でひとりぶつぶつと文句を言いながら、山のように積まれた臓物を黒いビニール袋に片付けていた。僕は壊されたネオン看板の修理に立ちあった。それらの作業が終わると、店のカウンターに腰掛けてビールを飲みながら対策を練った。証拠がないということで警察に訴え出るという僕の意見は却下された。下の店か、もしくは雇われたその筋に殴り込みをかけるという案は当然僕が拒否した。そんなもの、命がいくつあっても足りない。
「だったら、どうする?」
僕は煙草に火をつけながら、棚の上のフォア・ローゼズのラベルに見入っていた。血のように美しい薔薇だった。
彼は立ち上がって冷蔵庫から新たなビールを2本取り出してきてカウンターに置いた。そして、仕方がないと言った。「頼んでみる。少しばかり危険かもしれないけれど」
「だれに?」
彼は無言のままビールのプルリングを開け、ひとくち飲んだあと不味そうな顔をした。
翌日、彼が依頼した(正確には彼の父親が依頼した)という男が店にやってきた。僕は男に聞こえないように、どういうつもりなんだと彼に言った。
「店の中で戦争でもはじめる気なのか?」
「あの人はそんな人じゃない」と彼は言った。「人知れずこっそりと片をつけてくれる」
「こっそりって――」
「まあ、見てなって」
彼に聞いたところによると、その男はこのあたりを仕切っている組織の事実上のナンバー2で、その世界では男の名前を知らないものはいないというほどの実力者だった。その男に彼は、言うなれば用心棒を依頼したわけだ。
取り決めはこうだった。男はうちの営業時間のあいだじゅういつでもうちへ駆け込むことのできる距離にいる。一時間おきに男のほうから店に電話をする。咄嗟の場合、ポケットベルを呼べ。それだけだった。
僕は心中決して穏やかではなかったが、意外なことに男はとても紳士だった。先入観があったから、彼の眼をまともに見ることはできなかったけれども、彼はとても穏やかな口調で喋った。そして万が一にも店に迷惑がかかるとよくないということで、特に用がない限り決して店には顔を出さなかった。そのかわりに20歳前後の――それも相当に綺麗な――女の子を毎日3、4人づつうちの店に寄越して、へネシーを3日に一本の割合で開けてくれた。おかげで彼が面倒を見てくれていたあいだ、うちの店は常に綺麗な女の子であふれていた。僕は一度彼に訊こうとして思いとどまったのだけれど、考えてみると男に依頼するための大金の出所なんて訊くまでもなかった。
それ以来あの3人組はぱたっと来なくなった。2週間後には階下の店があとかたもなく消えた。看板がなくなっていることに気づいて共同経営者の彼に訊ねてみると、あの人たちは手を抜くことをしない、やるときにはとことんやる、といった答が返ってきた。ちょっぴり残念だったのは、我々の依頼を完了させた2ヶ月後に、男が殺人教唆の容疑で逮捕されたことだった。
6月には店内で窃盗未遂事件が二度発生した。一度めは閉店後に店の鍵をこじ開けて侵入された。幸い現金は銀行の夜間金庫に落とすようにしていたのだが、腹いせにボトルを何本か叩き割られた。
二度めは営業中に起こった。彼が引き出しを開けたままちょっと目を離した隙に、男が現金を鷲掴みにして逃走したのだ。すぐそばで客の女の子が一部始終を目撃していて、咄嗟に僕の名前を叫んでくれたため、振り返ったときには男はまだ店の入り口を駆け出していくところだった。
僕は手にしたボトルを持ったまま店を飛び出して男を追いかけ、300メートルばかり走ったところで追いつき、押し倒した。相手の眼鏡が飛んでアスファルトの上で割れた。相手の男は追いつかれたことで完全に怯え切っていた。
僕がその男を店まで引きずって帰ってみると、彼と数人の男性客がひとりの男を取り囲んでいた。その男はどさくさに紛れて飲み逃げしようとしたということだった。
ところが、ふたりを警察に突き出して意外な事実が判明した。ふたりは仲間で、最初から計画的だったというのだ。我々どちらかが現金の入った引き出しを開けた際、ひとりが声をかける。万が一にも引き出しを開けたままその場所を離れてしまった場合(共同経営者の彼は実際そうしてしまったのだけれども)、もうひとりの男が現金を掴んで逃走する。残った男はまったく無関係の振りをしてあとから店を出ていく。あらすじはこうだった。いくつかの偶然が重ならなければ不可能なことだった。彼らにとって誤算だったのは、逃走した男が僕に追いつかれてしまったこと、そして店に残った男が現金の持ち合わせがなかったことだ。計画的といえば計画的だけれども、これ以上お粗末な犯罪もないんじゃないかという気がした。
7月に入ると、また知人がひとり死んだ。今度は高校の同級生だった。眠っているあいだに心臓が止まったという話だった。僕はふたたび烏のような恰好をして出かけなければならなかった。
そのようにして、僕の1985年の春から夏へかけての4ヶ月間はばたばたと慌しく過ぎていった。不思議なことに、春以来あの森の出現回数はめっきりと減り、僕は次第に元気を取り戻しつつあった。
啓奈に無性に会いたかった。会って話がしたかった。今までのことを謝りたかった。そして、できることなら許してほしい、そう思った。 |