第三部 第十九章
僕は美奈子と再会して半年が過ぎたころから、少しづつ寡黙になっていった。それは啓奈と過ごした時期に寡黙になっていったのとは少しばかり事情が違っていた。ひょっとすると啓奈と過ごした時期には、僕は他人と比べて、または僕自身のそれ以外の時代と比べて、異常なほど神経が過敏になっていたのかもしれない。
わずか3ヶ月足らずのあいだに啓奈が与えてくれたものは、はっきりいって僕の手に余る代物だった。そう思わずにはいられなかった。ともかく、それは長く尾を引いた。目に映るものを片っ端から否定し、自分自身を否定していった。結果的に僕は深い混乱の底に沈み、啓奈の元を逃げ去り、同時に幾人もの人々に深い傷を負わせてきた。僕にとって1982年の春から1984年の春までの2年間は氷河期のように辛く厳しいものだった。
僕はかつて感じたことのないほどのカルチュア・ショックをまともに喰らった(のだと思う)。そして啓奈と接するたびに、僕がそれまで大切に抱えて生きてきたものは次々とメッキが剥がれ落ちていった。そこから僕の絶対的否定説は確立されていった。少しづつ自分の立っている場所が把握できなくなり、最終的に達した結論は自己の否定だった。僕の中にはひどく漠然としたカオスのようなものだけが残った。善と悪の区別もつかなくなった。自分にとっての敵と味方の区別もつかなくなった。歓喜と悲哀を使い分ける術も失った。それはまるで右手の動きを左手が理解していないのと同じだった。それぞれの手は互いの意思疎通を欠き、僕自身さえも無視して自由奔放に振舞った。僕はそんな中で自覚のないままもがき続けた。
啓奈と過ごした3ヶ月間の寡黙さは自己否定の上に成立した寡黙さだった。そして美奈子と過ごした一年間の寡黙さは自己認識をした上での寡黙さだった。後者のほうが過ごしやすかったことは言うまでもない。しかし、美奈子は死に、啓奈は残った。選択の余地は残されていなかった。これから先、僕がやるべきことはひとつしかなかった。それは自己否定を否定することだった。僕自身の誇りを取り戻すことだった。
僕にもかつてささやかながら誇りというものがあった。その誇りを携えて僕は一生を生きていくのだと、遠い昔――そう、本当に遠い昔だ――心に決めた。しかし、それは他人が僕を評価することによって生まれた偽りの誇りだった。僕の人間としての存在理由や価値といったものは他人が査定して決定されたものだった。僕はそのことにうすうす感づいていながら、そんなはずはないと心の中で呟きながら周囲のものを否定していった。すべてを否定し終えたとき、僕はひとりぼっちになっていた。最終的に僕は、まだ物足りないなといった感じで僕自身を破壊してしまったのだ。
修復は不可能だった。僕はずっとそう思い込んでいた。しかし、決定的な勘違いを犯していた。危うく取り返しのつかなくなる寸前にふと気づいた。それは遠い昔の思い出のように明るい光を放ち、暖かで優しさに満ち溢れていた。それは愛撫するようにそっと僕を包みこんだ。
僕はそれが偽りの誇りであることにずっと以前から気づいていたのだ。そして、破壊したのは僕自身だということを認めたくなかっただけなのだ。救いの手は皆無ではなかった。僕は他人の創造した誇りに絡め取られていただけだった。絡め取られて身動きが取れなくなっていただけだった。そんな他人が創造した誇りなど放り出してしまうだけでよかった。あとは流れに逆らわず順応しさえすればよかったのだ。
美奈子が死んでしまったとき、長いあいだ捜し求めていたものをふと足元の草むらで見つけるような感じで、僕はそのことに気づいたのだ。
啓奈から8通めの手紙が僕の手元に届いたのは、美奈子が死んで3ヶ月が過ぎた4月のことだった。
『 お元気ですか。
驚いたでしょう、いきなり速達郵便なんて。ひょっとすると、おやすみのところを邪魔してしまったかもしれませんね。もしそうだとしたらひざまづいて謝りますから、怒って破り捨てたりしないでくださいね。この手紙は私にとって、たぶん命ほども大切なもので、一秒でも早くあなたの元へ届いてほしかったのです。(電報のほうがもっと早いじゃないか、なんて言わないでくださいね。私はあのカタカナだけの文章がどうしても好きになれないのです。)
この数ヶ月間、私は苦しいほどに悩みました。15年分くらい悩んだような気がします。おかげで3キロも痩せてしまいました。優子は私が画期的なダイエット方法を発見したのだと信じて疑わないし、昨日久しぶりに会った岸本君などは私が体調を崩したのだと思い込んで、躍起になって病院に連れて行こうとしたくらいです。彼に言わせれば、体調管理もろくにできないようなやつは婦人警官にも婦人消防士にもなれないそうです。そのくらい私は考え、悩み抜いたのです。
実は昨年のクリスマスを過ぎたころから、私の中で何かがゆっくりと動きはじめました。それも2つも、です。どうやら突然生じたものではなく、私の中にずっと以前から棲んでいて、永い眠りからようやく目覚めたような、そんな感じです。
それらは最初とても穏やかで、なんだか微睡んでいるような感じでした。ところが最近になって、ふと思いついたみたいに急に活発に動きはじめたのです。この数ヶ月のあいだにそれらは大きく成長し、今ではかなりはっきりと息づかいを私の中に感じることができます。
ひとつは、あなたに向かう私の気持ちが形を成しはじめたのだと気づきました。しかし、あとひとつは・・・私にもまだよくわかりません。でも近いうちにはっきりしてくると思います。
とにかく、私はそのことで呆れるくらい悩んで、ひとつの結論を出しました。正しいとか間違っているとか、そういった観点から誰にも見てほしくありません。もちろん、あなたにもです。いずれにしても、私はすでに決めてしまったのです。誰にも私を止めることはできないし、その結論を翻させることもできません。私は意外と頑固なのです。
3ヶ月ほど前、あなたの身近で哀しい出来事が起こってしまったことを、私は知っています。私の中にあるあなたの心が、まるでナイフのように冷たく尖っていくのをはっきりと感じることができたからです。そして、それはまだ冷たくなったままです。たぶんあなたは、まだその哀しみから抜け出せてはいないのでしょう。そのような時期に私が導き出した結論はあまりに非常識なのかもしれません。それでも私の気持ちは揺るがないのです。どうか、わかってください。私も幸せになりたいのです。
私はあなたに逢いに行きます。そして――笑わないでください――私と結婚してくださいとお願いします。返事を決めるのはもちろんあなた自身です。正直な回答を望みます。
はっきり言って私は今、ペンを持つ手も震えるくらいに怖いです。でもいくら考えても、私にはこの答しか出てこないのです。そしてこれが私にとって最善の方法だと判断したのです。
きっと短絡的な女だと思われるでしょう。なんて自分勝手で強引なのだろうと、嫌われたとしても仕方のないことなのかもしれません。それでも、私はあなたのことが好きです。あなたに会いたいのです。あなたに会って、あなたをそばで感じていたいのです。
・・・・ごめんなさい。感情ばかりが独り歩きしてしまいました。本当にごめんなさい。
[Synchronicity]
この言葉の意味をあなたは知っていますか。カール・G・ユングの言葉です。1972年の夏、あの森において――私は私の意識の中で、あなたはあなたの現実世界で――あなたと私は出会い、そして10年後にふたたび巡り会いました。ずっとこのことについて考えてきましたが、私に導き出せる答はどうやらこれだけのようです。
私はこの言葉だけを頼りにあなたの住む街へ向かいます。連絡はもうしません。いつのことになるのか私にもまだわかりません。ただ、私たちが初めて出会った夏がタイミング的にもいちばんよいような気がします。でも、たとえその日が決まったとしても、あなたには伝えません。そして、あなたの部屋のベルも、私は鳴らしません。あなたを直接訪ねたのでは意味がないからです。ただ思い立った日に出かけて、そしてあなたの住む街を一日かけて歩いてみます。それだけです。それでもしあなたに逢えなかったら、そのときは―――あなたを忘れることにします。
これは私にとって大きな賭けです。私はこのギャンブルに私の一生を賭け、そしてあなたへの想いのすべてを上乗せします。私の賭け金は世界じゅうの幸せと引き換えでも釣り合わないでしょう。でも、このギャンブルをレイズしたのは、ほかならぬあなたです。そのことだけはあなたにもわかってほしいです。
ただ、私は決して運命だけにすべてを委ねているわけではありません。私は本当にあなたのことが大好きです。あなたと別々に生きていくことなど考えられません。この気持ちは3年前からちっとも変わっていないのです。この気持ちが真実なら、きっとあなたにふたたび逢えると信じています。
私にはこれがあなたにとってもいちばんよい方法のような気がします。なぜなら、あなたはそれほど気にする必要がないからです。あなたはいつもどおりに目覚め、いつもどおりにお食事をして、そしていつもどおりにお店に出て、そうして時間は過ぎていきます。なんでもないことなのです。逢いさえしなければ、秋まであなたにはなんの変化も起こらないはずです。ふと気づくと秋がやってきていた、そんな感じです。
人はいつも誰かを悩ませ、哀しませてしか生きていけない動物だとしたら――これから先、どんなかたちにしろあなたに迷惑をかけてしまうのだとしたら、これがもっともよい方法なのではないかと判断したのです。
自分勝手なのは私自身がいちばんよくわかっています。すでにこの手紙が少なからずあなたに与えるであろう影響も見当がつきます。ごめんなさい。どうか許してください。私にはもうこれしかないのです。
最後になってしまいましたが、健康にだけは十分に気をつけてください。あなたには自分を壊すことにかけては権威というべきものがありますから。
1985年4月17日
啓 奈 』
僕はその手紙を何度も読み返した。震える指先で美しい小さな文字を辿りながら、何度も何度も読み返した。最終的には何度読み返したのかわからなくなった。そして何度読み返してみても、あの啓奈をここまで衝き動かすものがいったい何なのかわからなかった。
僕の中で何かが震えていた。しかし、怯えているのではなかった。それは彼女からの手紙にもあったように、なにかが静かに動き出そうとする脈動だった。 |