第三部 第九章
12月に入って我々の店は沸騰した。例によって世間が年末特有の躁状態に入ったせいでもあったのだけれど、それにしたって僕たちでさえ、みんな頭がどうかしちゃったんじゃないかと思ってしまうほどだった。
華やかさなどは微塵もない。たとえば、週刊誌などで紹介されるような洒落た店では決してないのだ。どこにでも、それこそ星の数ほどもある普通のカラオケスナックなのだ。作り付けのミッドナイトブルーの壁にあまりぱっとしない港の絵が一枚、ありきたりの照明とカラオケ設備がひととおり揃っているだけ。出来損ないの楕円形ドーナツを半分にしてさらに両端を齧りとったようなカウンターに椅子が12脚、すみには4人がけの――ときに客のクロークと成り果てる小さなボックス席がひとつ。
客はほとんどすべてが普通の大学生(時に高校生)と普通の社会人。男女比率はおよそ3対7、年代は18歳から27歳までが7割、下は16歳の女子高生から、いちばんの年長は54歳のニューハーフだった。
そんな我々の店が、クリスマスを迎えるころには界隈でもちょっとした評判の店になった。10月に施した策がことごとく当たったのだ。
その数がもう正確には把握しきれないほどのチラシが返ってきた。はじめて来店した客はその料金の安さに一様に驚きを隠さなかった。ボトルが棚に納まりきらなくなり、新たに手製の不恰好な棚を取り付けた。そこがいっぱいになると、近しい友人たちのボトルから足元の床に並べるようになった(「おまえのはここでいいよ、な?」「おいおい、ちょっと待てよ」)。
僕が考え出したメニューもすこぶる評判がよくて、おかげで客単価は――決して本意ではなかったけれども――5,000円近くにまで跳ね上がってしまった。それでもほとんどの客が、こんなものでいいの? といった顔つきで金を落としていった。
正直言って、これはまったくの予想外の展開だった。10月の赤字をすべて清算して12月の通常の支払いもすませたあと、売上の10分の1を店の貯金として差し引いて手元に残った金をふたりで分けているときなど、なんだか他人の財布を漁っているような気がしたものだ。戸惑いさえした。彼も僕もそこそこに食べていけさえすればかまわないと、ほんとうに心底思っていたのだ。おかげで僕はそれまで見たこともない大金を手に入れた。身の回りのものを売り飛ばして生活していた数ヶ月前のことが嘘のようだった。
3日ぶりに帰宅した夜、立て付けの悪いドアの下に啓奈からの2通めの手紙を見つけた。それは端のほうが折れ曲がり、インクの文字はあちらこちらで滲んでしまっていた。誰かが踏みつけたらしく、大きな足跡までついていた。消印は12月20日、小包の不在届の黄色い紙切れがしわくちゃになってそばに転がっていた。
『 お元気ですか。
私は今、図書館の隅の机についてこの手紙を書いています。私の座った席が窓際で陽だまりがあまりに気持ちよかったから、予定を変更してあなたへの手紙を書くことにしたのです。
ふたつ離れた席では、優子がピーター・ラヴゼイのペーパーバックを一心に読んでいます。「死の競歩」という彼のデビュー作です。アメリカ文学の調べものが終わった直後にイギリスのミステリを読んでいるなんて、なんだかおかしいですね。でも、とってもおもしろそうです。彼女が読み終わったら貸してもらうつもりです。
最近めっきりと寒くなってきましたが、風邪ひいていませんか? あなたは元来自分の健康にあまり関心を持てないようなので、優子と相談して風邪薬とビタミン剤を送ってあげることにしました。ビタミンCは風邪を予防する効果があるのです。知ってましたか。
私はといえば、まるで気のふれたペンギン(容易に察しがつくとは思いますが、これも風邪をひいた岸本君が腹立ち紛れに命名しました)のように元気で、風邪さえも寄りついてくれません。大学のテニスコートのそばの、私たちが生まれるはるか以前からそこにある「大いなる楡の木(米文学史の先生の口癖です)」でさえ、すっかり葉を落としてしょげかえっているように見えるのですが・・・。
ところで――
最近、私はあなたのことをあまり思い出さなくなりました。と言っても、決して忘れたわけではありません。ほんの1、2ヶ月前まではなにかの折に触れるたびにあなたのことを思い出していたのが、少なくなったというだけのことです。それだけ私は大人になってあなたのことを待てるようになったのだと思います。
そうです。私はあなたを待つことに決めたのです。しわくちゃになっていよいよお墓に入らなければというときまで、あなたを待つことにしたのです。ですから、気持ちの整理がついたら、いつでも声をかけてください。いつ何もかも投げ出してもかまわないように準備して待っていますから。(ここまで書いて、私は今ものすごく大胆なことを書いていることに気づきました。気に障ったらごめんなさい。あなたを困らせたり、拘束したりするつもりはまったくないのです。あなたは気にせず、今までどおりに生きてください。)
あなたのお手紙は受け取りました。あなたの言おうとすることは私にも理解できると思います。決して間違いではないのだということも、たぶんわかっているつもりです。それはきっとフィッツジェラルドの「氷の宮殿」のようなものなのでしょう。もっと時間が必要なのだと思います。
でも、私は私自身の選択が間違っていないことを、私のあなたへ対する気持ちと同じほどに揺るぎないものだと信じています。
来年の春休みにはどこかへ旅行に出かけようと思っています。ひとりの旅になるか、それともお友だちといっしょに行くことになるかはまだわかりません。モルディヴあたりがいいなと考えているところです。
とりとめのない手紙になってしまいました。どうか許してください。あまり長くなると、またとんでもないことを書いてしまいそうなので次回にします。
今年の冬は寒くなりそうです。身体にだけは十分に気をつけて頑張ってください。そして素敵なクリスマスを迎えてください。
at Christmas
啓 奈 』
翌朝、僕は郵便局に電話を入れて小包のことを訊ねた。配達は明日になるということだったので、その日の午後、郵便局まで出かけて啓奈からの小包を受け取った。
小包にはSINA・COVAのあの独特なキャラクターが全身をところ狭しと駆け回っている素敵なパジャマと、O.J.シンプソンとテリー・ブラッドショーのプレイを特集したビデオテープ、それに横文字の並んだビタミン剤と風邪薬がひとつづつ入っていた。ビデオテープは彼女が留学していたときの友人にお願いして、特別に編集してもらったというメモが添えてあった。
しかし、僕の部屋にはビデオデッキなどというものはなかった。
僕がはじめて観たNFLの試合は――もちろんTVだけれど――1973年のバッファロー・ビルズ対NY・ジェッツの一戦だった。僕がまだ小学生のころのことだ。その試合で、僕は「褐色の弾丸」ことO.J.シンプソンに惹かれ、NFLに関心を持った。
やがて彼が去ると、NFLにおける僕のヒーローはピッツバーグ・スティーラーズのQBテリ―・ブラッドショーとWRリン・スワンへと遷り変わった。1979年のダラス・カウボーイズとの第13回スーパーボウルで、テリー・ブラッドショーが見せたあの鉄砲肩は今も忘れられない。
そしてテリー・ブラッドショーがスーパーボウルMVPに輝いたその年、あのジョー・モンタナがNFLにやってきた。まさか彼があれほどのスーパースターになってしまうとは、当時の僕は思いもしなかった。しかし今年(1982年)の第16回スーパーボウルで、ジョー・モンタナはその名をNFLの歴史に永遠に留めるであろうプレイを見せてくれた。僕はそれ以来彼の虜になった。 |