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How 'bout Us
作:H.RcGoon



第三部 第八章


 我々が重い腰を上げてようやく動き出したのは、開店してすでに一ヶ月が過ぎようとしていたころだった。そのあいだに空になったウィスキーのボトルはわずかに6本だった。ハイネケンは2回めの仕入れぶんがまだ半分以上残っていた。さすがに彼も僕も危機感を感じたのだ。
 まず、予備校をドロップアウトし専門学校に入りなおしてポップアートの勉強をしている友人に、チラシの作成を依頼した。B5版4色刷りでボトル半額券を組み込んだものを4千枚印刷する。なかなかの出来だ。僕と彼はそれを朝6時から駅前とオフィス街のバス停前で通勤客を相手にきはじめる。出勤ラッシュが終わると、デパートや小売店が建ち並ぶアーケード街に移動して昼過ぎまで撒き続けた。
 初回印刷分を3日ですべてさばくと、さらに3千枚追加して、今度はそれを近隣の11の大学に持ち込むことにする。最初の短大で学生課の事務員に叩き出されると、常連客の中から学生を調べだし、彼らを通して学内の掲示板の使用と食堂にチラシを置かせてもらう許可を取り付ける。街頭でのチラシ撒きも毎日続け、学生アパートを中心にポストへの投げ込みもはじめた。
 チラシを撒きはじめて3日めに最初の一枚が帰ってきた。まだあどけなさの残る若いカップル。聞けば、ふたりとも高校を中退しておまけにまだ仕事も見つかっていない。僕たちの口調はいつしか身の上話も含めた説教じみたものになっていた。それでも、思いのほか彼らは真剣に僕たちの話に耳を傾けていた。その証拠に、二度目にやってきたときにはふたりとも職を手に入れ、将来の夢やふたりが考えている結婚のことにまで話が及んだのを覚えている。
 次の日には3枚のチラシが一度に帰ってきた。反応は上々だった。

 6日めの夜、常連客の男が仕事帰りにやってきて、いきなりチラシをかしてくれと言いだした。
「この時間、バス通りに若い子がたくさん溜まっているからさ、ちょっと行ってくるよ」
 男が出て行くと、それまでカウンターに座ってひとりで飲んでいた常連の女の子(まだ19歳になったばかりだ)がチラシをごっそりと掴み取ると、無言のまま飲みかけの酒を残して駆け出していった。さらに、今日チラシを持ってはじめてやってきた銀行員だというふたりづれの一方の女性が、私たちにもやらせてもらえないかしらと言いだした。
「一度こういうのもやってみたかったのよね。銀行のティッシュとはまたおもむきが違っていそうだし」
「それに、あなたたち悪い人じゃなさそうだし――そうじゃないのかな?」
 僕がわけもわからないままにあわててチラシのたばを差し出すと、ふたりはにっこり微笑んでそれを受け取り、ハンドバッグを椅子の上に残したまま出かけていった。
「客がいなくなってしまった」と僕はあきれて言った。
「ああ、そうとも」彼は妙に腹立たしげな口調でそう答えた。「この店じゃ、スタッフよりも客のほうがよく働くってね」
「でもありがたいことだよね、これって」
「余計なお世話さ」
「震えてるよ、声が」
「まったく」意外なことに、振り返って僕を見た彼の瞳はきらきらと濡れて光っていた。「くだらないことにだけは察しがいいんだな、おまえって」 

 彼と僕はさらに考えた。外への対策は予想以上の成果を上げつつあるから、次は内側を修正していくことにする。ふたりで散々額を突き合わせ――小利口そうなふくろうのごとく顔をしかめ、常連客の何人かも交えて意見を出し合った。
 まずはなんといっても料金。僕たちはボトルの価格を現状を4割近く下回る値段――仕入れ価格に煙草2箱分を上乗せしただけの価格、つまり市価よりもさらに低いところに設定しなおす。よい顔をされないことはわかっていたから、彼の父親にも取引先の酒屋にもひとことも相談しない。数さえさばくことができたなら、酒屋だって文句はないはずだ。話に加わっていた常連客の中からそれはあまりに無謀すぎるという声も上がったが、我々は強行する。
 僕たちにはどういうわけか儲けたいという意識が希薄だった。売上よりも客数のほうにしか関心がなかった。客単価なんてカラオケの代金も含めて1,500円もあれば十分などと考えていた。それで採算が合うのかなんてことは一度も考えたことがなかった。どれだけの人間をこの店に集めることができるか――それが我々のスコアなのだ――僕たちはそのことだけに執着した。
 次にメニュー。営業後、店から運び出す生ごみのあまりの多さに、僕も彼もいい加減辟易へきえきしていたところだった。僕の愛読書の中には『世界のお菓子』と『今日のお弁当100選』という本があったから、その中から作りおきが可能でほとんど誰にでも短時間で調理・提供できるものを数種類拾い上げる。それにオリジナルのスペアリブ・ジュリエッタ風とバニラビーンズ入りアイスクリームを加え、すみっこに彼の十八番である[あたりめ]と[雪崩なだれ式ブレーンバスター風スペシャルプレート]を書き添えることも忘れない。
 アルバイトも雇うことにする。メニューが固定されてそれに捉われる時間が必然的に派生はせいすることを考えると、どうしてももうひとりスタッフが必要なのだ。これは常連客の中から男女一名づつ選ぶ。もちろんふたりとも定職を持っていたけれど、出勤日をふたりのあいだで勝手に決めてかまわないことを条件に、喜んで引き受けてくれた。
 カラオケテープはそれまでの3倍に増やす。市内のリース会社やレコード店を回って、単品売りのマニアックなものまでいくつか揃えた。オリジナルグッズも用意する。胸に店名をプリントしただけのスウェットシャツとTシャツを紺色とクリーム色で二種類、それからステッカーも用意した。ありきたりだったけれども、うけは悪くなかった。

 相当な出費だった。正直言って、我々でさえ少々先を急ぎすぎた気がした。おかげで10月のふたりの手取り収入はほとんど0だった。付近の同業から侮蔑ぶべつと哀れみをこめた目で見られることもあった。
 ただ、そのとき我々は思った。僕たちはほとんど何もないところからスタートしたわけだし、これ以上失うものなどないんじゃないか、と。生活費の一切かからないラブホテルに寝泊りし(僕はすでにアパートに移っていたわけだけれども、それにしたってサントリーオールド2本分の家賃なのだ)、この春上京する際に両親が用意してくれた家財道具をほとんどすべて売り払い、手元に残っているものといえば、どうしても手放せなかったギブソンのレスポールとステレオに数枚のレコードだけだった。近所のパン屋からただでもらってきた食パンのみみにマヨネーズをつけてかじり、共同洗面所で身体を洗っていた。
 共同経営者の彼にしたって、実家は7つのラブホテルを経営していて確かに裕福だったけれども、生活費や小遣いの無心をしたことはなかった。僕と大差ない生活を送っていたのだ。
 ふたりともとりあえず借金が払えて、毎日食べていくことができたならそれでいいくらいにしか思っていなかった。極端な言い方をすれば、ほとんど仕事などとは思っていなかったのだ。切羽詰った悲愴感ひそうかんなどとはまったく無縁だった。
 今でも思うのだけれど、我々は無茶苦茶なりにも的ははずしていなかった。何より、欲もなく無心で取り組んだことが我々にとってよい結果をもたらすことになったのだと思う。







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