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黄の花咲く国の王

作者:菜宮 雪
 王は、その日も、城の最も高い場所にある自分の部屋の窓から、外を眺めていた。
「余はもう終わりにしたいのだ……」
 もうすぐ五十歳になる王は、老人のように割れた声でつぶやいた。

 丘の上に建てられている王城の周辺は、黄色の花が年中咲き乱れている。花弁が大人の手のひら二つ分ほどもある大きな黄花が、びっしりと植えられている。
 世界中のどこを探しても、これだけ固まった黄色はないだろうと思えるほどの見事な風景を見ているにもかかわらず、王は悲しげにため息をつき、しょぼしょぼとした目を指でこすった。

 王は、最近、公務が空くと、いつもこうしてここで、風景のはるか奥に少しだけ見える海を見ては一人でつぶやいているので、部屋の隅に控えている侍従は何も言わない。
 窓越しに見ると、人々の住む家は、広大な黄色の花畑のはるか外側に、囲むような形で円を描くように並んでいる。城から伸びている石畳の道が、花のじゅうたんの中に線を引き、見事に黄色を分断している。そこに多数の観光客が行き来しているのが見える。
 城と花のあるこの風景を目当てに、この国を訪れる観光客が絶えることはない。一年中温暖なこの小さな王国は、黄色の花によって経済を大きく支えられていた。観光だけでなく、黄色の花の実から採れる良質の油の生産は、ここに住む人々の生活の糧である。

 窓辺に立っていた王は、ため息と共に少しせき込みながら、控えていた侍従に、アルス王子を呼ぶように命じた。ほどなく若い王子が部屋に入って来て、王の前に跪いた。
「父上、いかがなさいましたか」
 王は、覚悟を決めたはっきりとした口調で切り出した。
「突然だが、王位をそなたに譲りたい」
 まだ二十代前半のアルスは思わず、えっ、と立ち上がって一歩近づいた。彼は、何の冗談かと、顔を凝視している。王は落ち着いたまなざしで、息子の視線を受け止めた。
「わがままだとわかっておるが、余は、これまでの人生を国の為だけに費やした。后も世を去った今、これからは、どこかの島で魚でも釣りながらのんびりと暮したいのだ。余の好きなようにさせてもらえぬか」
 アルスは瞬きを繰り返している。
「あの……父上は、国も私も捨てるとおっしゃるのですか」
「捨てる、と言ってしまえば、そうなのかもしれぬ。ただ、余はこれ以上王を続けて行くのは無理だ」
「お体の具合がすぐれないなら、今すぐ医者を呼びましょう。どこか痛むのですか?」
 心配顔になった息子に、王は目を細めた。アルスのこういう表情は、死んだ后に似ている。
「いや、痛みなどない。どこも悪くないが、ただ、疲れてしまった。生涯この生活かと思うと、辛くてたまらないのだ」
「そのような悲しいことをおっしゃらないでください。このアルス、父上のお役に立てるように精一杯のことをいたします。王位をすぐにいただくことはできませんが、ご公務の一時的な代行なら、いつでもお申し付けください」
 わかりきった返答。嘘のないアルスの瞳が刺さってくる。なぜ急に、とその目は訴えている。王は、少し眉根を寄せるとアルスに背を向けた。
「父上、聞こえておいでですか。いったいどうなさったのです?」
 息子の言葉を背中に浴びても、王は振り返らず、しばらく黙っていた。すぐそこに守護兵も、侍従も控えているが、広々とした王の自室内には誰もいないかのように、人の声はしない。背を向けて立つ王、その後ろで跪いている王子の呼吸すらも、豪華な厚手のじゅうたんが吸い込んでいる。ガラス窓は閉められており、外からの声も入って来ない。
 沈黙に耐えきれず、アルスがもう一度呼びかけると、王は首だけ振り向いて、かすれた声で返事をした。
「何度も呼ばなくとも、聞こえておる。さようか……そなたはまだ王になる気はないか。つまらぬことを申した。叶わぬ夢だとわかっておるが、口にしてみたかっただけだ。下がってよいぞ」
「お疲れなのですね。ごゆっくりお休みください。しばらくの間、父上のご公務を減らすように、皆に伝えておきます」
 アルスが一礼して去った後、王はまた外を眺めた。
「公務を減らしても、余の苦しみは、決して無くならぬ」


 その日の深夜、王は寝台からむくりと起き上がった。この時間には侍従も下がっており、王の近辺は扉の外にいる城の兵士のみ。王は、枕元にいつも置いている剣を手に取った。鞘を抜き、指先でそっと触れて切れ味を確かめる。

 ――今宵こそ。

 王は、暗闇で目立たない黒一色のマントに身を包み、フードを深くかぶった。首元の紐を強めに締めて口まで覆い、鏡で自分の姿を確かめてみる。これなら遠くから見れば誰かわからない。腰に先程の剣を装備し、寝室の端の床に置かれている衣装箱を静かにどけると、その下に現れた秘密階段を使い一人で城壁の外へ出た。
 素早く燭台の火を消す。月のない夜で、明かりが無くなると周りはすべて闇。目が慣れて来ても、よく見えないが、すぐそこに黒々と城壁がそびえ立っており、兵が巡回している。こんな場所で明かりを灯すわけにはいかない。
 今ならば、と心の中で叫ぶと、腰の剣を抜き放った。

 バサリ、バサリ、と闇に舞い飛ぶ黄色い花。王の剣で根元から命を絶たれ、声もなく飛ばされては、横たわっていく。

 ――こんな物、すべて無くなってしまえ!

 渾身の力を込めて剣を花に打ち下ろす。ガサッ、バサッっと音と共に、花畑の一角が刈り取られて少しずつ面積を増す。

 ――全部消えろ。黄色など見たくもない。失せろ! 一本残らず。

 汗で、手が滑り、剣を飛ばしてしまいそうになりなる。呼吸は荒くなり、肩も、腕も痛み出した。汗が目に入り、顔中ぐしょぐしょになりながら、自分の寝室の広さほどの範囲を刈り取った時。
「あそこで何か物音がするぞ」
 城壁の上を移動していたたいまつが下を確かめるように、壁からいくつも差し出された。暗闇がそこだけ退き、照らされた王は、一瞬ビクリと背中を丸めたが、手は休ませず、花を斬り続けた。
「動くな! 怪しいやつめ。そこで何をしている」
 兵たちは、城壁を内側から降り、城門から出て来ると、剣や槍を手に、全速力で王のところへ走ってきた。
「剣を捨てて両手を挙げろ。城のすぐ横で堂々と国民の作物を盗もうとするとは大胆なやつ。一緒に来てもらおう。顔を見せろ。前科者か?」
 王は無言で剣を捨てると両手を挙げた。兵士が乱暴に、フードを引っ張って取り払い、たいまつを近づけた。
「陛下!」


 数日後。
 王は、数名の召使いを伴い、とある島へ到着した。荒れ果てた小さな島は、船着き場はあるものの、人の作った建造物は壊れかかった石造りの家が数軒あるのみ。人の気配は全くない。向かって奥の方は切り立った岩山になっており、それにへばりつくようにある平地には、雑草だらけの畑が、段になっている。
 放置されている無人島……それでも王は目を輝かせて、新天地を見渡した。
 解放感から来る喜びは、知らず知らずのうちに、唇を弛ませる。喉の奥に笑い声も出てきた。
「ふ、ふふふ……」
「陛下」
 付いて来た召使いの声で、王は笑いを止めた。
「余は、もはや陛下ではない」
「では、旦那様、お荷物はどちらにお運びましょうか。とりあえず、積み荷は全部降ろしました」
「おお、すごい量だな」
 狭い船着き場には、荷物は家具だけでなく、食料などが木箱に納められ、ずらりと並べられている。
「こんなにも量があるとは、何を持ってきた。余分な物を積み過ぎたのではないのか」
 王は、すぐ横に置いてあったひとつの木箱を開けて、布で包まれていた荷物を確かめた。
「これは」
 王は包まれていた荷物を長い間眺めていた。たまたま開けた木箱の一番上に収まっていたのは、一枚の絵。アルスの部屋に飾ってあった物だった。
 アルスと、在りし日の后の肖像画。アルスはまだ三歳ほどで、ふっくらとした頬を母に寄せ、甘えるように母の服を掴んでいる。

『あなた……アルスをお願いね……私はもう……』

 后の声が王の脳裏によみがえる。この肖像画が出来上がってから十年ほど経過した時、病で逝った后。彼女の死の床で、自分が命ある限りアルスを守り続けるから安心しろと約束した。あの誓いは守れると思っていた。しかし。
「っ……すまぬ」
 王は唇を噛んだ。
「アルス……」
 深夜に捕まった自分に、絶句していた最愛の息子。


『父上、どうしてこのようなまねを……』
『余は耐えきれなかったのだ。余を退位させ、投獄し、罪人として処分するがよい』
『そのようなことはできません』
『いや、そうしてくれ。世継のそなたならその権限がある。国王が王の職務を放棄した時、あるいは、国民にとって不利益なことをした場合、王は権限を失い、王位は次の継承権を持つ者に移る。その規則はそなたも知っておろう』
『何をおっしゃりたいのかよくわかりません。いったいどうなさったのですか。寝室へお戻りください。お加減がよろしくなさそうですので、今夜から、夜も誰か付き添いをさせます』
『そう騒ぐな、アルス。余は病人でも狂人でもない。正気であるぞ。今何を言っていて、何をやったか、自分でちゃんとわかっておる。悔いはない』
『父上、とにかく診てもらってください。誰か、医者を呼べ!』
『医者などいらぬ。余はどうしてもがまんならなかったのだ』


 王は、長い間、下ろした荷物の前で固まり、あの時の息子とのやりとりを思い出していた。何度か声をかけられ、ようやく返事をした。
「運ぶ場所か。そうだな、どこに置くかを決めねばならぬ。それにしても、本当にすごい荷物の量ではないか」
 同行している男が、はい、と返事をする。王の世話人として島に残るのは、この男を含めて三人。たったそれだけの人数にしては確かにこの荷物量は多い。
 王は肖像画の入っている箱を閉じ、他の箱も適当に選んで二つほど開けてみた。一つの箱の中身は釣り用と思われる網などの道具、もう一つの箱は植物の苗や散水に使う桶などが詰められていた。
「アルスは……さすが余の自慢の息子だ。粋な計らいをしてくれる。そなたもそう思わぬか? わずかの日数でこのような島を探し出して、余を罪人として退位させ、島流しにしてしまうとは。心遣いの感じられる荷物の数々を見よ」
 王はゆっくりと箱の蓋を閉じ、背筋を伸ばすと、城のある方向へ目をやった。弱めの海風が王の白髪交じりの髪を揺らす。海の向こうの城はここからは見えない。今頃、王城でアルスは――
 あの時のアルスの瞳が脳裏をよぎる。捕まってみじめな父の姿を見て、息子の顔は驚き青ざめ、少し開いた唇は小刻みに震えていた。あんな顔をさせたのは自分。犯罪行為に走り、誰よりも大切な、たった一人の息子の心を傷つけた罪は、花を刈った罪よりも重い。
「これで余は、黄花の花粉に苦しめられることはない。長年の目のかゆさからも、咳からも解放されたのだ。願いは叶えられた。アルスに――」
 あふれる思い出に言葉が詰まる。
「ア……アルス王に感謝せねばならぬ。アルス王ばんざい……」
 言葉が吐き出されたとたん、つぅ、と涙が王の頬を伝い落ちた。



        【了】


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