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短編

甘いチョコと似合う服

作者: 雨咲まどか

 篠田くんが差し出した飲みかけのコーヒーのパッケージは黒かった。砂糖もミルクも、何も入っていない。


「飲む?」


「……ありがとうございます」


 一口、缶を傾けた。口いっぱいに広がるコーヒーは、ただただ苦い。私は嘘つきだ。

 あたりはとうに暗くなっていて、風が冷たい。思わず言いそうになった「寒い」をコーヒーと一緒に飲み込んだ。


「いつもブラックなんですか?」


「甘いの苦手なんだ。美沙ちゃんは?」


「えっ……」


 そんなの聞いてない。だって明日は。

 私が黙っているので、篠田くんは首を捻った。


「甘いの好き?」


「わ、私も苦手です」


 ほらまた新しい嘘をついた。


「そっか、やっぱり俺たち気が合うなあ」


 篠田君は柔和な笑みを浮かべる。こうやって彼が喜ぶから、私は嘘を重ねてる。


 それあげるよ、と篠田くんは私の手の中の缶コーヒーを指差した。頷いて、彼と別れた。


 篠田くんはバイト先の先輩で、私の一目惚れだった。彼に好かれるためなら何だってした。ショートが好きと聞いて髪も切った。ボーイッシュが好きというから、服装もがらっと変えた。好きなタイプは『格好いい人』って聞いて、彼の前では全部変えた。篠田くんの好きな人に、なろうと思った。

 そうして必死に頑張って、恋人になってまだ数週間。私の積み上げた嘘は、限界を迎えていた。


 明日はバレンタイン。私は奮発してチョコレートを買った。

 手作りは苦手かな、とか高すぎたら重いかなとか、多すぎたら迷惑かなとか、一生懸命考えたのに、甘いの苦手だなんて。


「あのチョコ、どうしよう……」


 みるみる足取りは重くなっていく。

 新しいの今から用意するか、それともあげないでおこうか。

 そもそも私は、彼の好みもきちんと知らなかったのだ。甘いものが苦手なんて、男の人ならよくある事じゃないか。それなのに考えもしなかった。自分がチョコ大好きだから、一人で盛り上がってた。


 もてあましていたコーヒーを飲んでみる。鼻腔を抜けていく香りも、舌にまとわりつく苦味も、好きじゃない。本当は私達、ほんの少しだって気が合わない。

 ああ、もう無理だと思った。もう止めにしよう。自分のために彼をだまし続けて、なにがしたいんだろう。


 黒いコートが、重い。好きじゃない服を着ている自分はなんだかちぐはぐで、悲しくなった。

 もう飲み込んだのに、口内はいつまでたっても、苦い。






 赤いコート、白のシフォンブラウス、フリルの花柄ミニスカート。髪も巻いて、丁寧に編みこむ。

 篠田くんの前じゃ、初めてこんな服を着る。

 バレンタイン当日、バイトは休みだった。約束は取り付けてあるから私は制服から着替えると彼の家へ向かう。

 独り暮らしの篠田君の部屋には何度か行ったことがあった。それでも、違う道みたいだ。

 ドアを開けて私を迎え入れた篠田くんは、目を丸くした。


「今日はなんだか可愛らしいね」


 さっそく指摘されて私は俯いた。

 テーブルを挟んで向かい合う。

 私の変な空気を察したのか、篠田くんは黙って瞬きを繰り返している。

 唇を噛んで顔を上げた。口が渇いて、上手く声が出ない。


「ごめんなさい。私、ずっと嘘ついてました」


 篠田くんはきょとんとしている。どうしよう、泣きそうだ。


「……本当は私達、少しも気が合わないんです。私、甘いの好きだし、本当はピンクとか赤が好きだし、髪も伸ばしたいし、性格も本当は根性なしだし頭も悪いしネガティブだし悪口も言うし、篠田君の好きなタイプとは全く違うんです」


 目を反らした。あんなに好きな彼のことが、こんなに怖くてたまらない。もしかしたら、ずっと怖かったのかもしれない。それはもう、ずっと。


 自分の指先が震えているのをぼんやり眺める。今すぐにでもここから逃げ出したかった。

 永遠にも感じられた短いの沈黙ののち、篠田くんは「ああ、そっか」と納得したように声をあげた。


「なんだか変だと思ってたんだ。なんでだろう、ってずっと不思議だった。でも今、美沙ちゃん見てたらわかったよ。だってその服、とっても似合ってるもの」


 怒りもしない篠田くんに、私は拍子抜けだった。でもそうだよね、私なんかその程度の存在だ。彼はもてるし、私なんかと別れたところで大した痛手でもないんだ。


 今さらになって深い後悔に襲われた。呪文がとけたみたいに身体が重い。胸の奥が冷たくて、目頭は熱い。

 こんなことなら、嘘を付かなければよかった。本当の私で、篠田君に好きって言えばよかった。振られたっていい。本気で振られればよかった。こんな形じゃなくて。


 涙を飲み込む。

 帰りますと口を開きかけたら、彼が先だった。


「それで、チョコは?」


「は?」


「え? 今日ってバレンタインだよね? くれるものだとばかり……」


 篠田くんは肩を落としている。私は開いた口が閉まらない。チョコだけでも貰おうって言うのか。


「いや、一応用意してますけど、その、私達、もう終わりですよね? バレンタインに別れたなんてかっこ悪いですけど……」


 今度は篠田くんが口をあんぐり開けた。


「へ? 別れるの?」


「だって私ずっと嘘ついてたんですよ? 騙してたんですよ、篠田くんのこと。最低じゃないですか」


「最低かなあ……。そんだけ俺を想ってるって事だろ? ちょっと感動したよ」


「――最低に決まってますよ。こんなの。詐欺ですよ、詐欺。本当の私はこんな最低な奴なんですよ」


 篠田くんは腕を組んで唸った。


「うーん。本当の美沙ちゃんとは気が合わないなあ」


 困ったと言わんばかりの彼の声音。私はあんなに悩んでたのに、あっけからんとしてるんだから、意味がわからない。私は涙目で彼を睨み付ける。


「そうです、気が合わないんです」


「でもさ、何か一個、大事なところだけ気が合ってたら、それでいいんじゃない? ――そうだな、例えば、俺は美沙ちゃんと別れたくないわけだけど、美沙ちゃんは?」


「……そりゃあ、別れたくないですよ」


 篠田くんは私の鼻先に人差し指を突きつけた。


「それだ。それで十分じゃない? 俺たち、気が合うよ。――という訳で、チョコ食べたい」


 のほほんといいのける篠田くんに、気が抜けた私はとうとう泣き出した。しゃくりあげながらかばんを探り、チョコを差し出す。

 茶色の四角い箱にピンクのリボン。税込み二千八百六十円。九粒入り。私の大好物。


「本当の美沙ちゃんは泣き虫なんだなあ」


 彼はにこにこ笑って包装をとく。

 どれにしようかなーなんて暢気に言うから、無言で真ん中の赤いハート形のチョコを指さした。ここの店の九粒入りではこれが一番美味しい。ほろ苦いチョコを甘酸っぱいラズベリーソースでコーティングして、中には甘めのガナッシュとラズベリーソース。一口噛むとぱりっとチョコが割れてとろっとしたソースが舌に広がる絶品だ。カカオとラズベリーの香りが鼻腔を抜けて脳まで届くあの瞬間は至福の一言。これが好きじゃない人なんて信じられない。

 

 私の脳内など知りもしない篠田君は、あっさりとチョコを口に運ぶ。


「甘いよ」


「……我慢してください」


 ありえない。芸術作品とも言えるチョコを食べた感想が「甘い」だなんて。

 やっぱり私達、気が合わない。

 思わず眉を寄せた私に篠田君はくすくす笑った。


「甘いけど、今まで食べた甘いものの中で一番美味しいかもしれない」


 笑い続ける篠田くんからチョコを一個奪って、食べてみる。

 うん、甘いなあ。

 


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