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外伝 トート①

時期はちょうど真冬。寒さが肌に突き刺さるような気候に包まれる日本の片隅にある小さな町で、今一人の男が死を迎えようとしていた。男は長年にわたって引きこもり続け、家の中でやる事と言ったら、漫画やゲームを読み漁っては大多数がアクセスする掲示板で煽りを入れるだけという、何の生産性も無い、世の中に何一つ貢献しない事だけだった。彼が更生する事を期待していた両親も最初は何かと世話を焼いていたが、次第に彼の存在を疎ましく思うようになっていった。そんな長年による怠惰な生活の結果、家族や親戚、近所の人間からも厄介者扱いされた男は、両親が死んだ事を契機に兄弟の手によって家から叩き出される事になる。


唯一の居場所である家を追い出され、行く当てなど無い彼は着の身着のまま、ただ町から遠ざかろうと歩き続ける。高校を中退して以来一度も働いた事のない男に金や資格などあるはずもなく、仕事を見つける為の入口である履歴書の書き方すらわからず、彼は途方に暮れていた。自販機の下を覗いて落ちていた小銭を掻き集め、やっと手に入れた缶コーヒーを大事そうに抱えながら歩く。


「これからどうすりゃいいんだよ……」


歩き疲れた彼は冷たい水が流れる川の上、橋の欄干に腰かけてすっかり冷めた缶コーヒーを飲み干す。自分の惨めさにじわりと涙が出て来る。だが、この期に及んで彼は自分が悪いなどと欠片も考えていない。自分なりに就職しようと一生懸命努力したし(親が持ってくる求人雑誌を眺めるだけ)、自宅で金を稼ごうと色々手を尽くした(ラノベを書こうとしたが設定段階で投げ出した)のにと心の中で強弁する。


「ちくしょう……なんで俺ばっかりこんな事になるんだよ……俺のせいじゃない。周りの奴等が俺の邪魔ばかりするから、色々と上手くいかねえんだ!」


当然ながらそんな事はない。努力をしない人間が報われる事はないし、人を蔑ろにする人間が尊敬を得られる事など決してないのだ。そんな当然の事も思い浮かばないところが、彼が歪んでいる証拠なのだろう。


「そうだ、いっその事強盗でもして刑務所に入った方がいいかもな。少なくても野垂れ死ぬ事はないんだし」


兄弟に土下座して頭を下げて再起を誓ったり、真っ当に働くと言う発想が無いのがいかにもダメ人間と言ったところだったのだが、彼にとってはそれが最上のアイデアに思えたのだろう。早速実行に移す為に勢いよく立ち上がった。


「おっ!?」


しかしその時、足元の雪に足をすくわれて彼は見事に足を滑らせた。長年の不摂生が祟ったのだろう、欄干にしがみつく腕力や反射神経も無い彼は綺麗に反転して頭から川に落ちていく。だが彼が水面に叩きつけられる事は無かった。彼の落下地点にはちょうど人一人が通れるような穴が水面に開いていて、その中に吸い込まれるように姿を消したからだ。


------


一瞬意識が無くなった男は、次に目を覚ました時見知らぬ部屋の中に大の字になって寝ていた。慌てて身を確認してみるが、何処も怪我をした様子はない。


「川に落ちたと思ったのに……気のせいだったのか? それにしても、何処だよここ?」


彼が居る部屋はドアも窓もない完全な密室。なのに壁や天井が発光しているのか部屋の中は光に満ちている。まるでSFにでも出て来そうな不思議な部屋だった。


「ようこそ。ここは転生の部屋です」

「!」


突然の声に驚き慌てて周囲を見渡すが、誰も居なければスピーカーの類も無い。耳で聞こえたと言うより、脳に直接語り掛けられたような不思議な感覚に戸惑っている彼に構わず、声は更に話を続ける。


「疑問に思うのは当然ですが、まず、以前のあなたは死んだと思ってください。そして転生するチャンスを得たと言う事実を受け止めてください」


不思議な声の意味するところを瞬時に理解した彼は、未だかつてない興奮に身を震わせていた。引きこもっている時に散々夢見たやり直しの機会が訪れたのだ。ネット上に公開されている小説に批評家気取りであれやこれやと上から目線でダメだしし、それでも密かに憧れていた転生が現実に行われようとしているのだ。これが興奮せずにいられるだろうか。


「て、転生! 転生って言ったのか今!」

「はい。その通りで……」

「うおおおおおっ! やった!! やったぞクソッタレ共! やはり神は俺を見ていたんだ! 俺は有象無象の馬鹿共とは違う! 特別な人間なんだ!」


実際声の主は神ではないし、穴に落ちたのはただの偶然に過ぎないのだが、彼にとってはどうでもいいのだろう。興奮冷めやらぬ男は意味不明な奇声を上げながら部屋中を転げ回り、自分の幸運を噛みしめていた。


「……転生を理解しているようなら話は早いですね。あなたが転生出来るのはアーカディアと言う下位世界のみです。人間、亜人、魔族や魔物と言った存在が生息し、剣や魔法が飛び交う世界です。次にスキルの設定ですが……」

「一番強い生命体に生まれ変わらせてくれ! 出来ればドラゴンがいい!」

「……そうなると特典となるスキルを得る事が出来なくなりますが、構いませんか?」

「かまわん! とにかく一番強い生物だ!」


(生まれながらに強い生命体なら、生まれた瞬間無双できるだろ! ちまちま努力するのも面倒くさいし、俺みたいな特別な人間に努力は似合わないからな)


「わかりました。ではあなたはこの瞬間から魔族として生まれ落ちる事になります。アーカディアに存在する人間達の中で最も魔力が強く、強靭な肉体を持っている種族ですので、あなたの希望に合致しているでしょう。では新たな生を楽しんでください」

「は!? 魔族って何だ!? おい、俺はドラゴンに……!」


急速に薄まる意識の中、彼は必死に講義の声を上げ続けたが、それが聞き届けられる事は無かった。彼が最初から大人しく話を聞く正確ならもう少しマシな条件で転生できたかもしれないのに、結果として貴重な特殊スキルを得る機会を、自ら放棄する形となったのだ。


こうして、後にトートと呼ばれる事になる魔族がアーカディアの世界に誕生した。彼はごく普通の魔族の両親の元に生まれ、日々すくすくと成長する事になる。実に、エストが生まれ落ちる十五年前の出来事だった。

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