ちょっと時間戻るかな?
最後に鮫島が保健室を出て行った後の話です。
雅3(6月20日、22日、1)
一
まだ体中を駆け巡っている震えはおさまりそうにない。立ち上がることは勿論、指先に力を入れることすらままならない。
教室内の気温は、外から冷やされ続けているため、初夏にしては相当低い。それともそれはあたし個人の感覚であって、一般的には「寒い」と口にするほど大袈裟なものではないのだろうか。
あたしは、いまだ焦点の合わない目を少しだけ上げた。左前方には純白のシーツのかかったベッド。右前方には、少し離れたところに教師用のグレーのデスク。その手前に、同じ色をしたキャスター付きの丸いいす。
つい先ほど、草進真琴はこの教室を出て行った。床に散らばった自身の髪の毛を踏んづけて一度転びそうになっていたが、その他は特に音を発することなく、消えた。
目線をもう少し、上げる。座って見上げる窓の外には、中庭に植えられた木々の頭が見える。湿度が高く、その緑や茶が色の明度を落とす。
あぁ・・・・・・飛鳥様はこの色が好きだった。
目を突くような光は、思い出の底で憎しみを呼び起こすから、この色の世界にいると心が落ち着くのだ、と。
〈別に雨自体を好きなわけじゃないけどな〉
そうおっしゃって、袖が濡れるのも構わず屋上のひさしから手を差し出しましたね。あの時ほど穏やかな笑顔は、あれ以来見たことがありません。鮫島先輩や高崎先輩に向けるものとそれはまた、種類が違いました。
ねぇ、飛鳥様。
あれ以来、雅は雨が好きになりました。例えその日大好きなテニスが出来なくなっても、雨を恨むことはなくなりました。あたしはこの時、あなたの愛でるものを好きになることによって、あなたに一歩近づけるような気がしていたのです。でも
「会長」
床に散らばっていた黒は、いつの間にかキレイにその姿を消していた。空気だけを震わせ、消えゆく音。
二の腕をつかんで半ば無理やり立たされる。その拍子に幕を張っていた世界がぐらり、と揺らいだ。水島は表情を変えず、親指であたしの目元をぐいと拭う。
世界が、今ある光が、その筋を伸ばす。その、今目に入ってくるすべての光が、あたしにとっては今、何よりも堪えた。
あたしは、消えてしまいたかった。
水島は、そっとその世界からあたしを覆う。
黒地に映えた金のボタンが、そんな小さな反射さえも怖くて、目をつぶる。そう身長の変わらない水島の左肩に頭をもたせ掛けるようにして、あたしは随分長い間そうしていた。
水島がおそるおそる頭をなでる。しかし、悲しいほど何も感じなかった。
飛鳥様。
唇だけでその音を形作る。
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