特別編、鮫島17
五
「あの、」
「ん?」
たい焼きを食べ終えて紙袋を潰している時に声をかけられる。
「・・・・・・あ、いえ、口の端についてます」
そうして指差される。俺はぺろりと口の端を舐めた後、「あ、ほんとだ」と手で拭った。
「ひじき君知ってる?」
「はい?」
「こういう時指示して自分で取らせるのって、Sらしいよ」
「はぁ。じゃあMはどうするんですか?」
俺は手をこすり合わせながら笑う。
「取ってあげるんだよ」
「・・・・・・それ、女の子に言ってください」
水島は静かにため息をつくと、紙袋を持っていた鞄に詰め込んだ。俺は肩をすくめて、紙袋を雑巾のように絞る。
この辺りはビルが建ち並ぶこともあって、公園に面した道路を渡ればすぐに何らかの建物に突き当たった。緑はほとんど見られない。ただ、こんな所によくこれだけの面積を確保できたな、と思う。ビルの高さは、効率に重心を置く意識の高さに比例する。そうして高くなればなるほど、足元が危うくなる。
「あの」
「何?」
冷えた手をポケットに突っ込んで向き直る。その頬が若干固い。尚も少しためらった後、その口が開いた。
「僕は、鮫島先輩につくんで」
一瞬何のことかと思った。しかし「何を」という目的語を考える以前に、俺の頭はその限定された主語の意味を模索する方に働いた。
「僕は」という事は、同時にその裏に「俺につかない」存在がいるということだ。
ひゅう、と高く鳴り響く風に無情を感じる。やけに音だけが強く主張して感覚器官に訴える。見えているにも関わらず、このとき視覚は働いていてもいなくても同じだった。
「・・・・・・何のこと?」
俺は二人の人間の顔を思い浮かべながらそう口にする。ただ、もうこの段階で大方検討はついていた。良すぎる頭の回転が、現実をとぼける事を赦してくれない。
「あ、いえ」
「高崎は、火州につくって言ったの?」
その目がどうしようもなくさまよう。俺は自分の中で何かが焦げ付くのを感じた。
だろうな。高崎は、つくなら絶対火州だ。それは今までの行動からも明らかな事だった。中学から一緒の二人の情が深いことは知っている。だから三人でいても、結局二対一なんだ。「絶対」を使って縛り付けなければ、いつか離れる時が来る気がしていた。
安心の裏にある不安。安心するから失うのを恐れる。失うのを恐れるからこそ、そうして子供じみた言葉の元、安心しようとする。でももう、壊れる時が来たようだ。
〈俺たちは絶対、だろ?〉
そうして俺は、最も大切にしていたはずの言葉を汚してしまった。見えない、でも確かに存在していたはずのものを、凍りつかせてしまった。
冷たい風がそよぐ。それは柔らかく頬をなでて、髪を揺らして。自分のつま先をじっと見つめる。
「正直な話」
ぴくり、と身体が反応する。
「安心したんです。相手が草進さんで」
俺はつま先に視線を落としたまま耳を傾ける。遠く、雑踏に混じって甲高い笑い声が聞こえた。
「そうして鮫島先輩が前に進めるのであれば、僕はいくらでも力になりたいと思います」
水島は少し笑ったようだ。
「それに鮫島先輩でしたら大丈夫だと思っています。過去に一人の女性を深く想ったことがあるようなので」
俺はふと水島が泊まりに来たときの事を思い出す。あの時水島は、静かに涙を流した。顔を上げてその顔を見やる。水島は視線を流すと鞄を持ち直した。
「今日は、それを伝えに来ました」
そうして立ち上がる。その目は弱い太陽の光を受けて、強く輝いた。
軟弱な風が吹く。それは眼前に垂れ込める暗雲を一つ残らず吹き飛ばしていった。
静かだが、一見気付かないだろう些細な事ではあるが、その精神の一部を譲与されるように錯覚する。その心が俺に向かって開きつつあるのだ。
「そ」
俺自身も立ち上がる。水島は用が済んだためか、既に歩き出していた。
もやもやしたものが完全に晴れる事はない。それは俺の中で重要な位置を占めていた代償。だが、それでも
気分が、上がる。水を得た魚の気持ちが、分かった気がした。
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