聖16(2月6日、12日、5)
五
それは完全な不意打ちだった。身体の中をえぐられるような感覚がする。それはただ純粋な痛みではなく、甘く、でも疼痛よりずっと強い、鋭い痛みだった。
その瞬間の僕の精神の有り様は分析しきれないと思う。それは、それ程までに圧倒的な衝動だった。
ソファの、彼女の後ろの背もたれに手をかける。その際、ついさっき見た軽く眉をひそめた彼女の顔を思い出す。
うん。僕はケチなんだろうな。
「・・・・・・やっぱり、あげません」
そうして目を閉じる前に映りこんだのは、大きな目を見開いて固まっているその姿だった。甘いにおいが鼻先をかすめる。口元の、ホクロ。
「ん!」
その唇に重ね合わせる。そうして頭を押さえつけると同時に、彼女が僕の胸に手をつく。しかし申し訳ないけど、本当に申し訳ないけれど、止まる気はなかった。
その後顔をぶっ違いにすると、自分の舌をもぐりこませる。体温にまだ緩やかに固形を保っていたそれは、彼女の柔らかな舌との間に挟まるとぐにゃりと潰れた。甘い液体が刺激するのは、決して味覚だけじゃない。意識に霧がかかる。
〈馬鹿ね〉
しばらくの間胸についていたはずの両手が、その腕が戸惑いがちに後ろに回る。そうしてふいに、しがみつくようにしてひきつけられる。たったそれだけの事で全身を巡る血液の温度が五度ぐらい上昇したように思う。彼女が僕を必要としていると思えることが、その事自体がドーパミンとなって機能するように感じた。
〈欲しいなら欲しいって言えばいいのに〉
あぁ、欲しいさ。
その髪をよけて右耳の後ろに唇を寄せる。軽く歯を立てると、その身体がピクリと震えた。その目がはっきりと開かれ、黒目が左上に寄る。瞬間、意識が他を向くのが分かった。
はたして何かを思い出そうと過去の記憶を辿る時、左上を向くといったのは誰だっただろう。僕は突如自分の中に渦巻くものを感じて、その身体を強く抱きしめた。
その後、彼女が再び力を抜いたのを確認して、間近でその顔を見つめる。その目はやはり戸惑いがちに震えていた。時に彼女は本当にウブな反応を見せた。演技だとしたら女優になれそうなくらい、本当に上手に。僕はその唇にそっと触れる。
しかしその後姿勢に窮屈を感じて、その頭の後ろに手を添えたままゆっくりと押し倒すと、離れた唇の隙間から甘い息がこぼれた。
ミズシマ。
それは音にならなかった。否、させなかった。その身の脇に膝をつき、再び唇を塞ぐと、右手をそのあごにかける。そうしてその舌を捕まえると、抜けるかと思うぐらい強い力で吸った。柔らかな身体が強張る。薄く目を開けると、苦しげにひそめられた眉と震えるまつげが映りこんだ。
・・・・・・やば。
脳が痺れる。興奮で首の後ろが、背中がゾクゾクする。
僕はその顔の横に突いていた腕を崩すと、肘までつけた状態で右手を滑らす。ちなみにジーパンではないので、その辺はご心配なく。
その身体がびくん、と反応する。僕自身も驚いて、それに合わせて身体を強張らせた。
「大丈夫ですから」
誰に? 勿論自分に向かってに決まっているだろう。
その時だ。上がった息の合間に、その歯がカチカチと鳴った。
はっとする。そうして僕はようやく彼女が震えている事に気付いた。あわててコートをと脱いでかける。しかしコートは布団の如く彼女を覆うと、僕からも彼女を覆った。その事自体、服を一枚着せるのと同じことなのだ。僕は願望と現実のギャップにひどく戸惑う。
するとその後、鈴汝さんは困ったように視線をさまよわせると、僕の下からするりと抜け出し、落ちたスリッパをつっかけてドアの方に向かった。そのまま帰ってしまうのかとあわてて引き止めようと思った僕は、次の瞬間、自分自身の目を疑う。
その先の薄暗い廊下。
彼女はそのドアを、ゆっくりと閉めた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。