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飛鳥2(5月7日、2)


  二

 そのままにしておいたら今にも逃げ出してしまいそうな気がしたため、とりあえずその腕をつかんでおく。隠しようもなくその震えが右の手のひらから伝わってくる。
 あーもう、面倒くせぇな。
「この間は悪かった、びびらせて。何もしないから安心しろ」
 これじゃこないだ俺が何かしたみたいじゃねぇか。ちょっくら話をしただけなのに。
 尚も草進真琴の震えはおさまらない。むしろさっきよりひどくなっている。もう気にしないことにした。
「お前に聞きたいことがある」
 びくり、と体をこわばらせると、俺を見上げる。それは追い詰められたウサギのような目をしていた。
「今日、放課後何か用事はあるか?」
 出来る限り優しく言ったつもりだが、慣れない愛想笑いに頬が引きつる。草進真琴は目を逸らして少し考えた後「ありません」と小さく応えた。
「そうか。じゃあ授業終わったらそっちの教室に行く」
「分かったな」と付け加えると、ロボットみたいなカクカクした動作でその首を縦に振った。
 これじゃあ半ば脅しだ。でもまぁ、とりあえず放課後までに聞くことをまとめておこう。
そこまで済んだところで、ようやくその手を開放する。
「悪かったな止めて。授業遅れるから早く行け」
 草進真琴は、はっとその口元に手をやると「あ、は、はい」と言って俺の横を走り抜けていった。
 別にそんな逃げんでもいいのに。俺何も怖がることはしてないはず・・・・・・
 ・・・・・・壁へこましたのはよくなったか。
 思い当たるものが見つかり、頭をかく。気が変わった。授業出てやるか。俺は階段にかけていた足を下ろすと、今来た道を戻り始めた。渡り廊下から外を眺める。今日も晴。既に夏の気配が感じられるような新緑に目を細めた。

 一限に出るのは久しぶりだ。大抵朝はやる気が起きない。社会担当の前田が喜んでいた。
「おー火州一限来たじゃないかー」
 ふん、と返事をする。
 社会は嫌いじゃない。前田は授業に出ると喜び、出ないと残念がる。怒るんじゃなくて、肩を落として、残念がる。
「お前はもっと伸びるはずだ」
 前田曰く、「広範囲の実力テストであれだけとれるのはすごい」らしい。何がって、ろくに勉強もしないのに、一度聞いたことを長い事記憶していることが、だという。
 大抵のセンコウは授業に出ないと怒る。まぁ当たり前のことを当たり前にしているのだろうが、その根底には型にはまって抜け出たことのない人間のひがみが見え隠れする。自分が支配者だという勘違いから起こるエゴだ。自分の言うことを聞かない人間を排除しようと試みる。そんなの権力の乱用以外の何ものでもない。
 だから俺にとって前田は特殊だった。会えばいつでも「おー火州。今江戸時代やってるから、また来いよー」と言う。向こうから疎まれていると行きづらいが、こいつの授業だったら出てやってもいいかと思う。現に社会は俺の中では一番出席率がいい。成績も素直にそれに比例している。
 ふと見やると、教壇に立っている前田の、整髪料をつけた髪がてらてらと光っている。そうして太い眉を上げ下げしながら、一昔前を語っている。
 袖まくるの早ぇよ。まだ開始五分だろ。あいつ授業終わる時には上脱いでんじゃねぇの?
 一番後ろの窓際の席。教壇から一番遠いにも関わらず、時々前田と目が合う。最近分かったことだが、一番後ろの席は一番目立つ。寝るなら確実最前列だ。

 うちの高校の授業は一限につき六十五分だ。実に長い。英語や音楽なんかは悲惨で、ここ半年ほど出ていない。お蔭様で去年の終わりに渡された成績表にはワンポイントの赤が付いていた。英語はテストで何とか赤を逃れた。
 ちなみに「赤」は五段階評価の「一」を表す。差し詰め「二」はオレンジって所だが、そんなことをしたら俺の成績表はすんげーカラフルなことになってしまう。という訳で、まだワンポイントで済んでいる。
 偏差値五十一の高校。五十ではなく、五十一。一にこだわりを持つのは「普通」じゃない個性を見出したがる年頃の生徒と、一部教師だ。正直どうでもいい。
 かくいう俺も、入試直前にちょこちょこっと勉強して入ったはいいが、再び遊んでいる内に、あっという間にその差が開いた。今俺偏差値計ったらどんくらいだろ。社会はこの間六十八だったけど、他の見てねーや。
 鮫島はああ見えて出来る奴らしく、数学が五段階で「五」だった。軽く嫉妬。でもまぁ他は俺と同じようなもんだ。俺体育「五」だし。高崎は「二」と「三」のオンパレードだからな。円グラフにしたらなんかきれいな星型になりそうだ。
 そんなことを考えているうちに授業が終わる。気が付くともう昼前だった。





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