雅10(9月21日、6)
六
簡単な話よね。状況が状況だもの。冷静になって考えれば誰だって気付くわ。
ただそれは逆に、あたしがそれ程までに冷静さを失っていたという事で、「普段ならまるで気にしない些細な事も、自身に後ろめたさがあるときはひどく大ごとのように思えるようになる」わけで。
でもこの場合におけるあたし自身の「後ろめたさ」を直視するのは、今認めるにはあまりにむごい事だと感じた。あたしはまだ、それを認められなかった。
一瞬、低い笑い声が聞こえた気がする。次の瞬間、軽く影が眼前を覆う。そうしてびくり、と身体を震わせると同時に、鮫島先輩は強い力であたしを自分の方へと引き寄せた。
その立てた膝の間に入り込むような格好になる。鮫島先輩は唇をつないだまま、その胸元に当てられていた両手を掴み、自身の首の後ろに回した。そうして自身もあたしの頭と背中を強く抱く。
その後、やはり噛み付くようにして口を開けられるのを合図に、あたしはその肩の辺りになびく後ろ髪をぎゅっと握り締めた。そうして震えながらしがみつくようにして、その首を抱いた。あたしは
鮫は容赦なく海の中に引きずり込もうとする。
その強い力に引っ張られ、息ができなくて溺れる。あたしは、目に見えないオブラートに意識が覆われるのを、ただぼんやりと感じる。
ふ、と思い浮かんだのは飛鳥様ではなく、あの大きな瞳だった。
〈例え他の誰かを好きになろうと、悪魔の心を持っていようと〉
そうしてその目は穏やかに細まる。
あたしはその時、水島がこんなに穏やかな表情をもっていることを初めて知った。おそらく意図して隠していたわけではない。あたしがさせなかったのだ。
〈覚えておいて下さい。僕はあなたのことが好きなんです〉
だから、何でよ。口では何とでも言える。元彼がそうだったように、言葉なら何とでも。
それに人の気持ちほど不確かなものなんて他にない。覚えておいたところで、それがいつまで有効なのかも分からないのだから、信用するに値しない。
だってもし確かなものがあるのなら、何故父は母を残していなくなってしまったというの? あたしは母を知っている。
重たいしがらみなんていらない。誰かを頼って、その人がいなくなったら自分で立っていられなくなってしまうなんて愚かな事。ならば元から、誰にも頼らなければいい。自分で自分を成り立たせる。だから、
あたしはそうして心臓が奏でる音に首を振る。人を信じるなんて、愚かな事だ。
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