聖1(6月5日、3)
三
そこは生徒会室だった。南側の窓のカーテンを閉めていないため、ワックス塗りたてのフローリングの床が「これでもか」と言わんばかりに反射している。ツン、と鼻腔を刺激するこのにおいは、嫌いではない。
一方、正面に見える東側の窓はきっちりとカーテンが閉めてある。朝誰かここに来たのだろう。
入って左手に、物々しい雰囲気を醸し出している巨大ロッカーが二台。その脇には折りたたまれたパイプいすが立て掛けられている。右手には申し訳程度に掃除用具が一式。そして閉まったカーテンの元、この空間の最も上座に君臨する漆黒のソファ。
室内に踏み入る。僕は入り口に近いほうのロッカーを開けると、自分の使用している棚からクリアファイルとまだ新しい数学の教科書を取り出した。部活には入ったものの、部室のロッカーを使えるようになるのは二年生かららしい。それまではここのものを使用することにした。
基本的に生徒会に入るのはクラスから一名ずつ選出された、計八名の人間だ。だから二年生も合わせて全十六名で組織される。原則、一年生で入った者の持ち上がり。引継ぎは五月。
最初三ヶ月はほぼ雑用、その後、各専門に分かれていく。その後、実際に役職につくのは春休み前後だ。一人で仕事を任され始めるのは半年が経ってからだが、出来のいい人間にはどんどん仕事が回ってくる(聞くに現会長は年末にはもう役職に付いていたそうだ。確か書記局長だったか)
〈余計なお世話よ〉
だから自分に対して圧倒的な自信があるのだろう。どこにでも存在する「何でも率なくこなしてしまう人間」は、それが出来ない人間の気持ちを知ることはない。ただ、困るのは残された人間だ。いきなりやれと言われても対応の仕様がない。おもむろに億のソファを見やる。
差し出がましい事は分かっている。しかし会長はきっとギリギリまであのスタイルでいくつもりなのだろう。他を寄せ付けない、存在感。初回の集まりで感じたのは「集まり」ということ自体、体裁に過ぎず、すべてにおいて報告のみだという違和感だった。役割が、仕事が、割り振られない。形を変えてこれから始まるはずの組織が、まるで声を発することなく、解散した。十四名のひしめく中、在るのは、この場に絶対的に必要なのは、彼女だけだったのだ。
普段ならそれでもそこまで気に留めたりなどしない。だが厄介なのは
「あれ、来てたんだ」
振り返ると、口元に手を当てて目を丸くしている・・・・・・あーっと、あれだ・・・・・・。
「沙羅も用事―」
沙羅双樹の花の色。あぁそうだ。彼女の名を沙羅といった。
沙羅はニコニコしながら隣のロッカーを豪快に空けると、体を突っ込んで奥のものを取ろうとした。彼女も同じ一年生。容姿の形容には「柳原なんとか」がピッタリだ。ふくよかなほっぺたは定位置を少しだけ上げて存在する。
目的のものはまだ取れないらしい。沙羅自身、(縦にも横にも)そんなに小さい訳ではないが、割と高い棚の位置に自分の場所を決めているらしく、唸り声が聞こえてきた。仕方なしに「何が取りたい?」と聞いてみる。
「国語辞典」
いつの間にか眉を下げて残念な表情をした沙羅が言った。
腕を伸ばし、なるほど、ロッカーの奥のほうに背中をピッタリくっつけた辞典を難なく取り出す。沙羅は「よかった、ありがとう」と再びにっこり笑うと教室を出て行った。ふわり、と甘い香水の匂いが鼻をなでていく。ポニーテールにした後ろ髪がうれしそうに跳ねていくのが見えた。犬の尻尾のようである。
それにしてもこのご時世、まだ国語辞典を持ち歩く人間がいることに驚く。
僕も自分のロッカーを閉めると、東の窓を振り返った後、生徒会室を後にした。
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