ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
聖1(6月5日、2)


  二

「おう水島、メシにしようぜ」
 午前中の授業終了のチャイムが鳴り響いた直後、最も廊下側にいる僕の席から見てはるか遠方から今川がやってきた。図体のでかい人間に目の前に立たれて、手元に影が落ちる。
「待って。あと二ページ」
 手のひらを横にして振り「ちょっとそこよけて」と落ちた影の存在を知らせ、読んでいた本に視線を戻すと、文字を再び目で追い始めた。
 勿論教科書ではない。言い訳になるが、どうしても英語の授業はやる気が起きないのだ。これは先生どうこうの話ではなく、たぶん学ぶ「質」の問題なのだろう。「長文」と名のつく問題の内容は小学生が読む図書レベルだ。それだったら紫式部の作品を読むほうがずっと満たされる。さっきの授業中も、英語の教科書を重ねて『源氏物語』を読んでいた。
「じゃあ先食ってていいか?」
「あぁ」
 今川が向こうにいるクラスメイトに手を振ったのが、その影の動きによって分かった。
 今川は幼馴染。チビだった幼稚園の頃から知っている。あの頃は僕の方がずっと大きかった。なのに野球を始めたのをきっかけに、いつの間にか僕を追い越して、それどころか今ではクラスの中で一番背が高くなるほどに成長した(そもそも野球でそんなにでかくなるなんで聞いたことない)
 短く切った前髪に、人なつっこい笑顔。そのおおらかな性格も丸二ヶ月経った今周知のものとなり、今川の周りに輪が出来るようになった。
 一区切りがついて視線を上げる。教室内にはいつの間にかお弁当のにおいが充満していた。今川の席のあたりを見てみると、既に五、六人の人間が机を並べて集まっている。人数は多い方がいい。一人当たりに割り当てられる会話の負担がその分減るから。
 僕は本を机の中にしまうと、鞄を持って今川のところへ向かった。

「昨日のNステ見た?」
「おう、見た見た。浜崎マジヤバくなかった?」
「ヤバかったヤバかった。特にあの衣装とか」
「マジかよ。ないって。なぁ水島」
 急に話を振られて驚く。
「・・・・・・あぁ。違う意味でヤバかったと思う」
 そう応えると、「あっはっは。だろ?」と話を振った本人は満足して笑った。
「ヤバい」の意味、使用法はイマイチよく分からない。少なくともその事が分かっている以上、使ってはいけない単語であるはずだが「特に規制する必要もなさそうな場面」に於いてはいいか、とも思う。ほら、案外簡単になじんで簡単に消え去る。会話なんてそんなものだ。
 ちなみにNステの「N」は「人気者」のNだ。苦情は一切受け付けないと、ディレクターが言っていた。

 人一倍早く食べ終わると席を立ち、教室を出る。その後渡り廊下を通って北校舎に移る。そこから階段を使って三階に上がると、東に向かって歩く。食後の運動には丁度いいくらいの距離だ。
 目的地に到着する。突き当たりの教室。そのさびれたドアをノックする。二、三秒待ってみるが、反応はない。そのドアを引いた。




+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。