雅1(5月4日、3)
三
一瞬の出来事だった。その時は気付けない。「頭に血が昇った」という自覚は、冷静になった時にするものだ。
気が付くと、目の前にいる水島の前髪が雫をぽた、ぽた、と落としていた。グラスがひどく冷たく感じる。それほど自身の手は熱を持っていたのか。
それでも水島は、一瞬落とした視線をすぐあたしに戻す。その目は長い前髪の間から、
しっかりとあたしを捕らえていた。
なんてことをしてしまったんだ。つまらない意地どうこうより、目の前に実体と
して存在する「自分の犯した失態」をどうにかしなければならないと考える方が早かった。
「あー、もう!」
資料をすべてバッグに詰め込み、注文したカフェオレの代金を払うと、頭から肩にかけて色のトーンを一段階暗くした水島を連れて外に出る。そうしてぐるり、と見回し、なるべく人目に付かないところを探す。といっても、ここは駅前の表通り。そう都合のいい適所など見つかるはずもなく、仕方なく今いたファミレスと隣接する店とのわずかな隙間に割って入った。
振り返ると、水島の肩越しに、遠く見慣れたシルエットが浮かんでいた。向かいの店先で、通常の半分ぐらいの大きさのこいのぼりが、車による風に吹かれてふわふわと舞い踊っていた。
「ごめんなさい」
整理すれば他にぶつけてやろうと思う言葉がたくさん出てきそうだが、今用意出来ないため、仕方なく「義務」とされるものだけ口にする。これが言えなきゃ、一人で成り立っていられない。
その後あたしはバッグのサイドポケットからハンドタオルを取り出すと、押し付けるようにして水島の顔に当てた。
「ひへ」
口元を拭っていた時に返された言葉は、本来の意味をしっかりと伝えながら、穏やかな俗っぽさを含んだ。
換気扇の音が二、三メートル後ろでごうごうと鳴り響いている。足元は舗装されていないため、履いているローファーの底が段差に合わせて奇妙な形に歪んでいる。バランスをとるために右足をほんの少し後ろに引く。
夜の空気は、時に濃すぎて息がし辛い。視線の先をわざとずらす。
しかしこうして並んでみて気付いたが、思ったよりもその背は高くなかった。あたしの頭に尺取虫を一匹乗っけたくらいだ。
自身の額を手の甲でぬぐう。無言の圧力。唇をかむ。
水島の一言は、痛いところを突いた。あたし自身、基本的に人を信頼するのは愚かなことだと思っている。何故傷つくために人は人とかかわるのか。
その時ふっ、と意識がめぐった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。