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雅1(5月4日、1)


  一

 中年の夫婦らしき男女が腰かけた。
 メニューを広げて男性が「じゃあ、これで」と言う。するとすぐに向かいに座った婦人も「じゃああたしもこれにしようかしら」と言ってにっこり笑った。
 それだけの事が、たったそれだけのことが母親に出来たなら、父親はまだ家にいたかもしれないとぼんやり思った。

 腕時計で時間を確認すると、駅前のファミレスに立ち寄る。
 明日までにまとめなければならない書類がある。六月にある学園祭、通称「緑風祭」のものだ。あと一ヵ月後に迫った段階で、ようやくそのことが現実味を帯びる。湧いて出てくる決め事を、去年の資料を引っ張り出して照らし合わせ、一方で今年は今年のテーマに沿ってアレンジを加える。「生徒会顧問」とは名ばかりで、もとより忙しい先生はほとんど当てにならず、すべて体当たりから始まった。
 外を見やる。窓際の席は、肩が少しだけ冷えた。ガラスという無機質の特性なのかもしれない。ふう、と視線を落とす。
 でもだからといって誰かに手伝ってもらおうなんて思わなかった。誰か、とやるよりも一人での方がずっと楽だった。
 注文したカフェオレが運ばれてくる。まだ手はつけず、前年の進行手順の一ページ目を開く。時刻は午後六時を回ったところ。徐々に道路に面した表通りの街灯が色づき始める。定期的に変化する信号との光の兼ね合いが、優しく鮮やかだ。それは、窓ガラスによって喧騒が阻まれているが故に楽しめる、一種の情景。媒体を通じた世界にどこか類似している。要するに都合のいいとこ取り。
 今頃その多くの家では、暖かい食卓を囲んでいるのだろう。はたまた遅くまで部活動に励む子どもの帰りを、母親が首を長くして待っているか。
 ぼんやりと思考が逸れてしまいそうになって、あわてて視線の先を戻す。
 今日は余裕がない。急がなければ。そうしてペンをとる。しかしこういう時に限って書き間違いが多くなる。「あーもう!」と叫んでしまいそうになるのをこらえて、修正ペンを振った。
 もう一時間ぐらい経ったかしら。左手で右の首と肩を軽くもむと、左右に首を振る。と同時に、駅周辺にいる人々に目をやった。腕時計を見ながら小走りに行く人。人の邪魔にならないところで立ち止まり、しきりに辺りを見回している人。キャリーケースを片手に、手をつないで行く若い男女。人の数だけ人生がある。そんな当たり前のことを思い返すときがある。もしかしたらそれは現実逃避の一種なのかもしれない。あるいは形を変えた、自己防衛。
 その後、軽く息をつき、さて、と視線を前に戻すと、いつの間にか目の前に人が立っていた。




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