第八話 後回しの代償
女の子として訪れる、初めての我が家。
男の子として居た僕とは、別個の空気を纏っている我が家。
家が変わったわけではなく、僕が変わったわけでもない。男の子から女の子に変わった僕は、それでも本質は変わっていないはずだから。だからきっと、変わってしまったのは周りだろう。
それが悲しいのかどうか。それすら、僕にはわからない。
僕は、何かが壊れているのかな。
家での対応など考えるのも面倒なことだったので、僕は何も考えなかった。
時間はあった。病院に居たとき。病院から家までの道程。だけど、僕は何も考えなかった。 それは後回しにすれば良いという問題でもないのに。
「考えない」という現実逃避が、その問題自体を逃がしてくれるというわけではないのに。
因果応報。自業自得。僕の怠惰が元いた場所を変えさせた。
つまりは何が言いたいかというと、家に着けばそれはそれで面倒なことが多かった、ということ。
まずは、弟と父の反応。
初め、彼らは曖昧な笑顔で僕を迎えた。ぎくしゃく、なんて言葉が似合っていたと思う。いつも通りの対応をしようと無理する彼らが少し、おかしかった。
僕に何と言えばいいのか、どういう態度で接すればすればいいのか。
そういうことがまったくさっぱりわからないようで、まごついていて。
でもそれは当然の反応で、戸惑うのも無理はなく、それを彼らに責めるのは間違っている。
どうすればいいのか、わからない。僕にはわからなかった。僕は父や弟と今まで通りに接していきたいと思うけど、彼らがそれを望めないのなら、仕方がない。諦めるしかない。それなら僕が変わらなくいけないんだろう。今まで通りは無理でも今までに近い居場所を作るために。
それでも、時間が解決するのではないかと期待してしまうのは、駄目なことなんだろうか?
わかってはいるけれど。それが、だけど、土台無理な話だってこと。
弟はまだともかくも、父は僕が生まれてからずっと僕のことを息子として扱ってきたのだから、それがいきなり(もちろん三年前から知ってはいたが)娘になれば、一体どう思うのか。僕には想像すらできない。
母は受け入れてくれたけど、父は元々あまり話すことがなかったし、たまに夕飯が一緒になるときにぼそぼそと近況を報告し合うだけだったから。だから、別に父が嫌いなわけでもないけど、少し恐かった。僕がどう思われるかが恐い。うまくこれから付き合っていけるかどうかが、恐い。
・・・・面倒臭いので、そういうことはなるべく考えないようにしているけど。
長くなったけど、それが理由の一つ。そして、二つ目は日常の服。
男物の服はだいたい捨てられてしまった。
残っているのはジーンズ系と女の子が着てもおかしくないようなティーシャツ類。僕はあまり服に頓着するような人間ではないので特に思うところはないが、それでも箪笥の中にスカートが入れられているのにはまいってしまった。おまけに母の趣味のフリフリのワンピースなどが入れられていたにも・・・・・・。
履く機会のないものなので、きっと永遠に箪笥の奥底に封印されることだろう。
最後に、制服。
僕が前に通っていた学校の制服はすでにない。男物だし、なにより、もう通うことのない学校の物だから。
母と相談して決めたことだった。『相談』という言葉を使うのはどこか間違っているような気がするけれど。僕は全部が全部面倒で、適当に話を聞いて、適当に承諾していただけだから。
母が言っていたことは、僕は転校したほうがいいらしい、ということ。友達が戸惑うし、何よりいじめられるのではないのか、とそういうこと。母も母で不安なのだ。
『友達』という言葉で思い浮かんだのは一人。いや、今は二人。忘れていた。でも、前からの友人であるその顔を思い出すと、胸がズキリと痛む。
きっと、怒るだろう。きっと、僕を嫌うだろう。きっと、何も言わずに転校してしまう僕のことを罵るだろう。それでもいい。それでもいいけど、忘れないでほしいと思う。どんな思い出でも、どんな想い出でもいいから、忘れないでいてほしいと思う。
これも、僕の我侭なんだろうか。
自室の椅子に凭れ掛かりながら、僕は憂鬱に外を眺めていた。外は快晴とは言いがたく、しかし、雨が降っているような悪天でもない。ただ、どんよりと厚い雲に空が覆われていた。
晴れでもなく、雨でもなく、曇り。灰色の空。
それが更に僕の心を憂鬱にさせる。確か本か何かで人の心と天気は密接に関係していると読んだことがある。この僕の気分の悪さもこの天気のせいなのだろうか。責任を追及したいところである。
そんな馬鹿なことを考えて、また憂鬱になった。
・・・・何だか、部屋にいるのは悪循環な気がする。
男であったときと今女であることの違いを、この家にいると思い知らされる。それを僕が嫌だと思っているのかどうなのか。壊れた僕はイマイチわからないが、何となくそれが僕を憂鬱にさせているのではないかと思う。多分、きっと、そうだろう。
ゆったりと、緩慢に、亀のように、僕は椅子から立ち上がる。
床に放ってあった黒色のコートを掴んで、僕はそれを羽織った。そして部屋を出ようとすると、不意に部屋にある等身大の鏡が目に入る。
どこからどうみてもその鏡に映っていたのは女の子で、男の子に見えるはずもない。
不思議だ、と僕は思った。
確かに僕は男の子で、男の子でいたはずで、それが今は女の子だ。サラシを巻いていないせいか、股間の一物が消えうせたせいか、髪が肩まで伸びたせいか。本当に突然僕は女の子になってしまったと思う。いや、前にも上半身裸でいたときは、女の子に見えたから突然ではないのかもしれない。それでも、やっぱり不思議だ。
何かがおかしくて奇妙で、だけど僕は笑うことなく部屋を出た。
玄関までたどり着き、靴を履く。それに少してこずっていると、後ろからリビングのドアが開く音がした。それに気付きながらも僕は振り向くことなく、靴を押さえて、トントン、と打ちそろえる。後ろに人影がいたけれど、人影は何も喋らない。僕が靴を履き終え、玄関の扉に手を掴んだところで人影は遂にその口を開けた。
「・・・・どこか、出かけるのか」
低く、しゃげれた、男の人の声。
父の声だった。
「・・・・うん」
と、僕は短く答える。振り向くことはしない。
「外は寒いぞ。大丈夫か」
「コートを着たから」
「どこに行く?」
「多分、街の方」
「・・・・気をつけなさい」
「・・・・うん」
結局、振り向くことなく僕は家を出た。
扉を開けたところで冷たい風が僕を襲う。それに身をすくめながらも、僕は歩き出した。歩きながら息を吐いてみると、その息は白く染まる。実に一月らしいきつく寒い空気だ。
ただ、それが今の僕にはつらく堪えた。
|