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見えない世界でみつけたもの
作:零・ZA・音


 見えるもの全てが世界だと思っていた頃。
 俺は世界を全て見ていると思っていた。
 でも、それは違った。俺はまだ見ていない世界があった。


「雄太、起きてる?」
「あぁ……静か。起きてるぞ」
 声が聞こえる。この声は静だな。
「雄太……髪ボサボサだよ」
「マジで? あちゃー」
 静の声が聞こえる。笑い声が上から聞こえてくる。
 頭に何かが触れた。優しく撫でるように俺の頭を触るこの感触は、静の手だろう。
 だが、俺にはそれが見えない。声の主が誰で、どんな顔かは知っている。
 俺の幼なじみで静。それでも俺には顔は見えない。

――今の俺は視力を失っている。

「雄太……はい着替えだよ」
「……ありがとう」
 俺の手に触れるこの感触は、いつも着ている制服だ。いつも、俺の着替えを用意して手に載せてくれる静。
 最初は服を着るのに苦労したが、今はやっと慣れきた。見えなくても出来る事は自分でしたい。
 それが俺の考えだ。
 どうしても出来ない事は最初は手伝ってもらう。そして、覚えてからは自分の力でやってみる。
 静には随分と世話になっている。俺が一年前、事故で視力を失ってから、ずっと俺の目の代わりをしてくれている。
 本当は、今通っている高校も辞めるつもりだった。それを静が止めて、
「私が、雄太の目になる! ずっと……これからずっと……」
 そして俺と家族にこう言った。
 俺には静の顔が見えない。でも声で分かった――泣いている静の顔が脳裏に浮かんだ。
 静は俺の手を取り、優しく握ってくれた。それだけなのに……たったそれだけなのに、俺は泣いていた。静の気持ちが、優しさが、俺の中で広がり、波を打つように響いていった。
 それから静はずっと俺のそばにいてくれる。

「雄太、ご飯食べる?」
「あぁ……食べるよ」
 俺には両親がいる。でも共働きで朝からバタバタして、もう出勤している。
 ご飯は用意してくれているので問題はないんだけど……。
「今日のは……多分まともだと思う」
「今えらく、間があったな」
 静から返答がない。多分、苦笑してるのだろう。
 あの親共は、俺の目が見えない事をいい事に、無茶苦茶な料理を用意して行く癖がある。
 見た目が普通だから、静でも見分けられない代物で、以前食べたときに悶絶していたのを覚えている。
 見えなくても、声がそれを物語っていた。しかし……普通なら息子の心配をするだろうが、俺の両親はまったく昔と変わらず接してくる。それが俺には嬉しかった。特別扱いしない両親に、俺は感謝している。
「それじゃ、食べるか」
「そうね」
 俺達は朝ご飯を食べ始めた。今日は取り合えず問題ないみたいだ。しかし、食べるのは大変だ。
 静に食べさてももらうのは恥ずかしいが、この際仕方ない。自分でも箸が使えればいいが、実際は無理に近い。
 箸は持てても、ご飯やおかずの場所が分からない。これでは、食べようがないってものだ。
 その後、朝ご飯を食べ終わって俺達は、学校に行く事になった。

 静と一緒に歩く。静は俺の横をしっかりと付いてきている。
 学校までの道は、結構危ない所もあるので一人であるくのは危険だ。本当は、一人で行けるようにならないといけないのだが、まだ外を歩くのは正直怖い。杖を突きながら歩く俺の横を、静はしっかりとついて離れない。必ず俺の横で俺の様子を見ている。
 見えないが、そこにいる気配は感じる。
 静の息遣いも歩く靴音も、いつもの静がそこにいる。それだけで俺は幸せだった。静は時々、俺に話し掛ける。
 『足元に段差があるよ』『曲がり角だから、気をつけて』……。
 静は俺の目の代わりを本当に良くやってくれている。確かに嬉しいと思う。しかし、たまに静が無理をしているのが分かるので、それだけは辛い。見えない目が、あの日の光景を映し出す。もう過去の事だ……忘れようと思っても忘れられない。


 静と一緒に学校までやってきた。
 学校は前と変わらないのだろう。見えない目の奥に昔見ていた学校の光景を思い出す。
 見えていたものが見えないと、こんなに苦労するものだとは思わなかった。だが、見えなくなったものは仕方ない。後ろ向きでは前には進めない。精進あるのみだ。
「おはよう! 雄太」
「あはよう。雄太君」
 俺に気づいた友達が挨拶をしてくるので、俺も挨拶を返す。それは今までと変わらない朝の挨拶。
 こんな俺を、いや、こんな俺だから特別扱いする奴もいる。
 最初は特別扱いされるのが嫌で堪らなかった。誰も俺の気持ちなんか分かってくれる奴なんていない、と思っていた。
 でも俺は考えた――それは仕方のない事。俺がもし立場が逆なら、そいつ等と同じ事をしているかも知れない。もしかしたら避けるかも知れない。そう考えると、これは受け入れるしかない現実だと思うようになっていた。

 下駄箱で穿き替えて教室を目指す。しかし、教室までの道程は普通の人間なら問題ないだろうが、俺にとっては大変難関だ。
 まず、階段を上がって行くだけでも結構苦労する。段差の間隔が掴めないと踏み外すので、最初は何度もつまずいては転んだものだよ。静も一緒にいるが、俺が出来るだけ手助けはしないでくれ、とお願いしてるので隣で見ているだけ。
 隣から聞こえる静の息遣いは、それはもう心配そうだからな。
 一度だけ俺を助けようとして、一緒に階段から落ちた事もあるが、あの時は俺の方が驚いてしまった。やけに柔かい床だと思っていたら、静が俺の下にいたからだ。
 ――俺を守る為なら、静は自分を兵器で犠牲にしようとする。
 そのときは、かなり怒鳴りつけたが静の「雄太が無事なら」と言う一言で、怒気が失われてしまった。
 俺は静に傷ついて欲しくない。これ以上、傷ついて欲しくないのに……。

 学校の授業は特に問題なく続いている。
 俺は黒板が見えないので、ノートは取れないので静があとで教えてくれる。
 教科書は点字で書かれているので、目で見る必要はない。
 これを読めるようになるまでは、並大抵の苦労ではなかった。指で追っても意味不明な点の羅列に、頭が混乱して発狂しそうにもなった。それでも、理解して読めるようになったときは嬉しかった。
 手が俺の目になった――そんな感じだったから。
 そしてもう一つの変化は、耳がよく聞こえるようになった事。人間の身体は不思議なもので、失ったものがあると他の器官がそれを補う。目が見えなくなって、俺は音の判断力が少しだけ上がったようだ。だから感じる事が出来るものがある。
 ――声は人の思いをのせて聞こえるもの。
 それが少し理解出来るようになっていた……。


 授業も終わり――放課後。
 今日も一日、何事もなく終わった。静は俺と一緒に帰っている。
 俺の隣を歩く静は、俺の手を握っている。帰りだけは必ず、俺の手を握る。
 家に帰り着くまで……。
 それは”あの”事故に関係あるのだろう。あの事故は俺達が帰っている時に起きたのだから――。
 あの日、いつもの帰り道でそれは起きた。俺達に突っ込んでくる一台の車。その暴走する車のスピードは、歩いている人間では交わせないものだた。俺は咄嗟に静を庇って車と接触して、そのまま気を失った。

 次に気付いた時、俺は病院のベットで寝ていた。頭には包帯、そして目にも包帯があった。
 そこで言われた一言――それで俺の人生は変わった。
 光のない世界で生きる事。それは、その時の俺には想像が付かなかった。それよりも、俺の隣で泣いている声だけが聞こえる静が気掛かりだった。静はずっと「ごめんなさい」と俺に向かって繰り返していたからだ。
 それは、自分を責めている言葉。自分のせいで俺の目が見えなくなった、と思っているのだろう。
 俺は、静を助けたくて、助けたんだ。だから自分を責めないで欲しい。そう願っても静は一向に泣き止まなかった。
 そして今でも、静は自分を責めているだろう。俺にはそう感じる――あの日からずっと……。


 それから数日が過ぎた。
 あいかわらず静は毎日、俺の所に来て一緒に学校に行き、授業を受けて帰る――を繰り返していた。
 そして今日も来ていた。俺に着替えを渡して、朝ご飯を一緒に食べる。だけど、今日は少し違う。
「静……調子悪いのか?」
「え? ……そんな事ないよ」
 そう答える静だが声に元気がなく、息遣いが少し荒い気がする。
 明らかに様子のおかしい静――。
「少し変だぞ」
「大丈夫だよ……雄太」
 やはり声に勢いがない。いつもの感じとは違うのが分かるが、こんな時に目が見えないのは辛い。
 見えれば、どんな顔をしているのか、どんな表情をしているのか、すぐに分かるのに。
 静はそれ以上は喋らなくなってしまった。俺は一抹の不安を抱えながら、学校に行く事にした。

 今日一日、静の様子はおかしかった。どこか変だ。声は段々と弱弱しくなっていく。
 それでも静は「大丈夫」の一言で済ませてしまう。とても大丈夫そうには聞こえないのに――。
 今は学校帰りで、静と一緒だ。今日も手は繋いでいるが、どうにも変だ……異様に手が熱い。
「静……お前、熱あるんじゃないか?」
「……ないよ。私は元気だよ」
 確かに熱い。手から伝わってくる熱は、明らかにいつもと違う。
 ――静は無理をしている。
 直感でそう感じた。俺は手を離して静の額に手を当てようと伸ばすが、それは静の手に阻まれてしまう。
「大丈夫だから……雄太は心配しないで」
「……静」
 俺の手を掴む静の手は熱かった。やっぱり静には熱がある。
 なんで一言、言ってくれないんだ。
 俺はどうしたらいい? このまま静を先に帰すか? いや、それは静が嫌がるだろう。
 俺が思案していると、静は俺の手をしっかり握り歩き出した。
「大丈夫――もう少しで家に着くよ」
 ゆっくりと歩く静の息遣いが聞こえる。それはかなり熱っぽく、呼吸は速く荒い。
 相当、無理をしているのは分かる。それでも俺のペースに合わせて歩く静。
 俺はただ……早く家に着く事だけを祈っていた。




「着いたよ……雄太」
「あぁ……」
 ゆっくりと俺の手を離していく静。離された手に外気が触れるが、俺の手もかなり熱くなっているのか、冷たい空気が気持ちいい。
 静の身体はもっと熱いはずだ。
「静……俺は大丈夫だから。もう帰っていいぞ」
「もう少し……もう、すこ――」
 そう言って静の声が消えた。次に俺の耳に、ドサッという何かが落ちる音が届いてくる。
 まさか、そんな……。
「静……」
 声は聞こえない。
 代わりに、俺の足元――下の方から荒い息遣いが聞こえる。嘘だろ? 静、返事をしてくれ。
「静!」
 俺はしゃがみ込み、手探りで静を探す。手は無機質な玄関のタイルを触る。
 冷たい感触が指を伝わってくるが、かまわず手を動かす。這わすように床を探ると、不意に触れる感触があった。
 これは静の身体――これは手、これは……これは――。
 肩から首、顎、頬、額。触れたそこは、異様なほどの熱を帯びていた。
「静! しっかりしろ!」
 見えない……静の顔が見えない。
 こんな時、見えないのは辛い。どうすればいい? 今はこの家には俺一人。静の看病なんて、俺一人では出来ない。
「そうだ――電話!」
 救急車を呼べばいいんだ。
 ここで時間を取っている訳にはいかない。苦しんでいる静を一刻でも早く、楽にしてあげたい。
「静、待ってろ。すぐ来るからっ」
「ゆう、た……」
「待ってろ、静」
 俺は静をひとまず玄関に寝かせた。怪我をさせる恐れがあるから、俺には抱え上げる事は出来ない。
 冷たいだろうけど、少しだけ我慢してくれ。

 俺は玄関を上がろうとしたが、慌てていた俺は上がり損ねて転んでしまった。
「うぁ!」
 受身なんて取れない。咄嗟に手を付いたが肩を強打し、何かが肩にあった。確か、玄関にはスリッパ置きがあったような気がするが、意外と痛いものだ。痛む肩を押さえて、壁を探して立ち上がった。
 ……暗くて何も見えない。
 慣れたと思っていたのに、何故こんなに分からないんだよ。いつもはもっとそこにものがあるように分かるのに――。
 そこで俺は気付いた。
 いつもは静がいる。俺の隣には、必ず静がいた。そうか……俺はいつも静の目を通して見ていたから、俺にも見えていたと錯覚をしたのか。
 でも今はいない――闇の中にいるようで怖い……暗くて怖い。
「ゆ、うた……」
 後ろから声がする。静が俺を呼んでいる。
「わた、し……だい、じょう……ぶ、だから」
 俺を安心させようとする静の声が聞こえる。もう、話さなくていいから、少し黙っていろよ。
「待ってろ! 静」
 俺は静に叫ぶ。
 壁に手を付きリビングを目指す。走りたい――昔ならこんな距離は、なんでもない距離だった。なのに今の俺は出来ない。
 もどかしい。早く電話して救急車を呼ばないといけないのに。
「くそっ……急がないと静がっ」
 足元に何もないか確認しながら、一歩、一歩、歩いていく。
 闇の中を歩く恐怖が俺を襲う。
 急がないと――でも怖い。手探りで進む俺の手が何かに触れた。玄関から一番近くにはあるのは、リビングのドアだ。
「ドアノブはどこだ……」
 ドアに手を這わし、指を動かしながらノブを探すと、すぐに触れる感触があった。
 ノブを掴んで廻すと、ドアの開く音が聞こえてきたので、ゆっくりと開けてリビングへと入っていく。
 電話は確か、入ってすぐにあったはず。手探りで電話を探すが、それらしきものに中々触れる事が出来ない。
 そう思っていたら、何かが俺に手に触れた。電話? 思った瞬間、何かが割れる音が俺の鼓膜を震わしていった。
「な、なんだ……何が落ちた?」
 足元に冷たい感触が触れる。靴下に染み込んでくるこれは……水? どうやら花瓶を落としたみたいだ。電話の横に一輪挿しの花瓶があったのを思い出した。でも今は、そんな事はどうでもいい。
 電話はどこだ……俺は手探りで電話機を探す。
 こんな事なら携帯を解約するんじゃなかった。俺にはもう必要ないと思ったが、まさか必要になるとは思いもよらなかった。
「確か……この辺だったと思うが」
 サイドボードに手を付きながら探していると、指が何かに触れていた。螺旋状に巻かれたコード――これは、電話のコードだ。
「あ、あった! 痛っ!」
 何かを踏んだ感触があった。
 そこから広がる痛みに、何かが俺の足の裏に刺さったのだと理解したが、痛みが増していく一方。
 多分、血が出ているのだろうな。痛みがあるのに、傷口さえ見る事が出来ない。
 何が起こったんだ? 俺は何を踏んだんだ? 分からない……怖い。でも、俺の事はいいんだ!
「っ! ……電話、を」
 手はまだコードを掴んている。コードを辿り、受話器らしい硬いものが手に触れた。
 俺は受話器を取り上げボタンを――
「ボタンは……どれだ」
 ボタンが見えないから押せない。今頃になって、こんな事に気付くなんて――畜生、どうする? 適当に押してみるか?
「確か……」
 ボタンを手探りで触れる。確か、電話は上の段が1から始まって――そして、”5”のボタンには印が付いていたはず。
 このボタンは……九つ並んでいる。
「あった……これは5だ。じゃぁ……このボタンが……」
 俺はボタンを押した。間違っているかも知れない。それなら掛け直すまでだ。
 数回のコールで電話口に相手が出た。
『はい。こちら救急センター』
「あっ! すいません!」
 電話は繋がった。
 俺は事情を説明して急いで救急車を呼んだ。電話を切り、静の元へと戻る。
 痛む足を引きずり、壁に手を突き歩いていく。リビング出た俺に聞こえる静の声は、掠れて俺に届く。
「ゆう……た。どうし……たの」
「なんでもないよ。今、救急車呼んだから」
「あし……血が、でてる」
「大丈夫だ……心配いらない」
 静はこんな状況でも俺の事を心配してくれている。今は……今だけは自分の心配してくれよ。
 お願いだから――。
 俺は床を這っていた。足が痛いせいもあったが、早く静の元に行きたかった。
 冷たいタイルにいつまでも寝かしておくのは、俺としては嫌だった。指は慎重に床を確かめるように進む。
 不意に、手が何かに触れた。柔らかく温かいもの――。
「ゆう……た」
 近くで静の声が聞こえる。とても近くで俺の耳に聞こえるこの声は、静なのか? 今触れているのは、静なのか?
「静っ! 動いてきたのか」
「だ……って、ゆうた……足から、血がで……てる」
「だからって……」
「わた……しは」
「もう喋らなくていいから!」
 静は必死に喋ろうとする。聞いている俺の方が辛い。
 お願いだから。もう……喋らないでいいから。俺は静の身体を抱き締めていた。俺は無力だ……何も出来ない。
 静、お願いだ……俺を一人にしないで欲しい。
 そのとき、俺の耳に届くサイレンの音。
 段々と近づいて俺の家の前で止まる。それと同じくして数人の声が聞こえていた。
「早く! お願いだ――静がっ、静が……」
 俺は叫んでいた。有りっ丈の声を出して叫んでいた。
 玄関を開ける音、数人の男の声。俺の腕から消える温もりと重み。軽くなった俺の身体を掴む腕が、俺を抱き起こしていく。
 そして俺達は救急車に乗せられて病院まで運ばれた――。


 ここは病室らしい。
 俺は看護師に連れられて来たのでよく分からないが、目の前のベットには静が寝てると教えてもらった。
 静かな寝息を立てている静は大丈夫そうだ。なんでも、かなり熱が高くて危なかったと聞いた。
 それを聞いた俺は後悔した。
 なんで朝止めなかったのだろう。こればかりがさっきから頭をグルグルと巡っている。静はやっぱり無理をしていた。多分、今までも随分と無理をしていたのだろう。俺が静に頼りっきりだったからだ。今日それを実感した――静がいないと、俺は何も出来ない事を……。
 このままでは、静も俺も駄目になってしまう。それだけは駄目だ……絶対に駄目だ。


「……ん? ここは」
 声が聞こえる。この声は静だ。
「……雄太」
「静……目、覚めたか?」
 俺は静を探した。静に触れたかったから。手が彷徨う……静を探して。
「雄太……」
「……静」
 俺の手を何かが触れる。指に絡む感触は静の指――静の手が俺の手を包む。
 優しく温かい手が俺の手を包む。
「静――あの後、意識を失ったみたいなんだよ」
「……そうなんだ。迷惑かけて……ごめんなさい」
 救急車の中で意識を失ったらしい静。俺には分からなかった。ただ、周りの声がそう言っていたのを聞いているだけだった。
 ……なんて不甲斐ないんだ。
 俺は何も出来ない――静の手を握ってあげる事さえ出来なかった。
「迷惑だなんて思うなよ……。俺なんか毎日、静に迷惑かけている」
「そんな事ないよ。迷惑だなんて思ってないよ」
「それなら俺も迷惑だなんて思ってない」
「……雄太。――ありがとう」
 静は優しく俺に言ってくれた。その声は少し泣いてるように俺の耳に聞こえた。
「でも……静。俺はこれからは、一人で出来るようになりたい」
「雄太……?」
 静の声は少し戸惑っているようだ。でも、俺は言わないといけない。
 伝えないといけない事がある。これ以上無理をして欲しくないから――。
「これからは、出来るだけ一人でやって見たい。俺は静に頼り過ぎていた事が、今日の出来事で実感が出来た」
「雄太……いいんだよ。気にしなくても……」
「駄目なんだ――このままじゃ、俺も静も駄目になってしまうから……」
 俺の声が響いている。
 この部屋は静かだ。俺の呼吸と静の息遣いの二つが聞こえるだけだ。
「だから……静、今までありがとう。もう無理はしなくていいから」
「っ! ……雄太!」
 静の声が聞こえた。その声は悲痛な思いを持っていた。でもこれでいいんだ。
 俺はこれ以上、静を――。
 そう考えていた俺の首に何かが触れた。首に触れたものは、しっかりと俺を包み込む。
 そして俺の肩に感じる重み、耳のそばで聞こえる息遣い――これは静が、抱きついているのか?
「静……?」
「いや……」
 声が聞こえる。
 その声は泣き声に近い。静は泣いているのか? 俺が泣かせたのか?
「……静」
「嫌! ……嫌なのっ! 私は雄太のそばにいたいの。いつまでもいたいの!」
 静の声は響く。部屋の中に、俺の中に……。静に俺のそばにいて欲しい――それは俺の本心だ。それは否定しない。
 でも今のままでは、いつか……俺達は駄目になる。
「静……俺は静が好きだ」
「雄太……」
 俺の声に静は驚いているみたいだ。身体から離れる重み。首にはまだ静の温もりがある。
「だから……無理をして欲しくないんだ。俺のせいで静を苦しめたくないんだ」
「そんな事ないっ! 私は雄太と一緒にいる事が好きなの……雄太が好きなの!」
 静の声が聞こえる。
 力強い、迷いの無い声が俺に聞こえる。その言葉は俺の心に響いた。
「静……ありがとう。でも俺はそれを受け入れたら駄目になる」
「雄太……」
「それじゃ、今までと変わらない。何も変わらない」
「それでいいんだよ……雄太」
「静……」
 静の声は優しかった。俺を包むように聞こえる声は、とても優しく聞こえる。
「いいんだよ……。今まで私は雄太と一緒にいれた事が嬉しかった。私、約束したよね? 雄太の目になるって……」
「静……」
「最初は出来ないかもって思った事もあるんだよ。でも雄太は一生懸命頑張ってた。だから私も頑張れたんだよ」
 静の声はゆっくりと思い出すように話している。俺は頑張ってこれたのだろうか……。
「私は雄太の隣を……っ……いっしょ、に……」
 静の声は途切れて聞こえる。
 嗚咽も混ざっている。堪えていたものが壊れたみたいだ。もう言葉になっていない。また身体に重みがかかる。
 静が俺に抱き付いてきたみたいだ。
「一緒に、いれ……るだけ……で」
 泣き続ける静を優しく抱き締める。俺はやっぱり静から離れなれない。この一年……一緒にいて分かった事。
 静がとても大切なかけがえの無い人だという事。だから俺は言う――。
「俺といれば……苦労するぞ」
「それでも……構わない。私は……雄太と」
 泣きながら答える静の声。俺はこんなに静に愛されているのか……。嬉しい、離したくない……静を――。
「だったら……一つだけ約束してくれないか?」
「……雄太」
「一人で何もかも背負わないでくれ……もう何も」
 これだけは伝えたかった。あの日から感じていた、静の俺に対しての負い目を、罪悪感を……。
 そのすべてを取り除く事は出来ないだろう。俺と一緒にいれば、嫌でも思い出すだろうから。それでも伝えなければいけない。静を苦しめている鎖を断ち切るために……。
「だから苦しい時や辛い時は言って欲しい。俺では力になれないかも知れないが……それでも俺は」
「雄太……」
 俺の声は途切れた。
 何かが俺の口を塞いでいる。温かく柔らかいものが俺の唇に触れている。
「うん……わかった。雄太……今までごめんね」
「……静」
 もう一度、塞がれる唇。今度はさっきよりも長く優しく触れていく。しょっぱい味がするのは静の涙だろうか。
 静の「ごめんね」の意味はどんな意味が込められているのか――。
 あの日の事故に対してだろうか、無理してきた事に対してだろうか、それとも今日の事だろうか。でも、そんな事はもうよかった。静はやっと抜け出せたんだと思う。だから俺は、静の身体を抱き締める。優しく包むように抱き締める。

「静……大好きだよ」
「雄太……大好き、よ」

 三度、塞がれる唇。
 優しさと愛おしさが込められたものが、塞がれた唇から伝わってくる。
 それは静の、俺の、二人の思い――。

 俺はこれから見つけるだろう。静と二人で……。
 手に入れたこの気持ちを胸に、俺達は一緒に見つけていく。
 俺達の進む未来を……。

 ―─愛しているよ……静。

 見えない世界で見つけた――それはかけがえのないもの……。














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