僕と友人の留守京介が探偵などという職業を始めてもう何年か経つ。
その間に、僕らの事務所「Armchair-Detective」(安楽椅子探偵)には、それなりに依頼が舞い込むようになった。そして中には実に奇妙で面白い事件も舞い込むようになり、その一つ一つが僕と留守とを喜ばせた。
そんな幾つもの事件の中でも、あの「西大同窓会」程大胆不敵な犯罪は他に無い。あの「赤毛連盟」を彷彿とさせた事件が、あのような展開を迎えることなど、僕らは予想することもできなかった。
「Armchair-Detective」の事務所兼留守の自宅に(留守の両親は病気で亡くなっていて、部屋が余っているのでそこを事務所に使っているのだ)あの北条哲也氏が訪れたのは、夏も本格的に始まった七月半ばのことだった。
その頃僕らの事務所は、しばらく依頼が途絶えていて、僕と留守は好きな小説を読んだり、雑談に花を咲かせて時間を潰しながら過ごしていた。
いい加減そんな生活に飽き始めていた頃だったので、僕らは依頼人の訪問を心から歓迎した。
「さあどうぞお座りください」留守はうきうきした声でソファを勧めた。
北条さんは黒い短髪、小さな鼻に唇の中々整った顔立ちで、若い頃は女性にはさぞ魅力的に見えたことだろう。すらりとした体にセンスの良いシャツを纏、陽気な声の彼は僕の目にも非の打ち所の無い人物に見えた。年は四十手前と云ったところか。
「あなたが留守さんですね。銀行の直ぐ向かいですから迷わずに来れましたよ。そして、ええとそちらは……」
「市ヶ谷です。市ヶ谷葉」僕は答えた。
「そうそう市ヶ谷さん。お二人のことは良く噂でお聴きしますよ。実に有能な探偵だと」
どうせお世辞だろうが、悪い気はしなかった。
「それはどうも北条さん。煙草はいかがです?」云いながら留守はセブンスターを差し出した。
北条さんは丁寧に断りながらソファに座りなおした。
「留守さん。ここでは奇妙な事件ならば格安で扱っていただけるそうですね」
「ええそうですよ。ただ並みの依頼でしたら相場の報酬をいただきますがね」
「事件かどうかは分かりませんが、奇妙であることだけは請け合いますよ」
北条さんはもう一度ソファに座り直して話を始めた。
「私はT町に質屋を営んでおります。と云っても、別に繁盛している訳でもなく、ほそぼそと暮らしているのですが。
私には妻子がありませんから、以前までは一人で店を営んでおりました。以前まではと申しましたのは、最近一人の青年を住み込みで雇いまして、名前を黒西英人と云います。
実に真面目な青年でしてね。いずれは独立したいとも思っているようで、他より安い給料で来てくれているのですが、良くやってくれています。
ところで、その黒西がある日こう云うのです。
「ねえ北条さん、僕もあなたと同じ西部大学に行っておけば良かったですよ」
何故かと聴き返しますとね、
「もし行っていれば月に何万もの金が手に入るんですからね」と云ったものです」
僕はふと、妙な感覚にとらわれた。まるでデジャブにでもあったような感覚だ。
僕はこの話をどこかで聴いたことがあるような気がした。
「西部大学といいますのは、私が以前通っておりました私立の大学だったのですが、授業のレベルが高い訳でもない三流大学でして、たった四年で廃校になってしまいました。私はその学校の一期生でしたので、卒業出来たのは私の代だけという訳です。四年で廃校になるような大学ですから、私の学年はたった五人程度で、それも卒業以来めいめいの道を進み、誰とももう連絡が取れません。
黒西にどういうことかと尋ねますと、地方新聞の切り抜きを見せてきました。
それがこれなんですが……」
と云って差し出した紙切れにはこう書かれていた。
西大同窓会
私立西部大学の卒業生は、日曜日の一時までにKビルディングの二階に集まられたし。
名目だけの簡単な仕事で、週一万円を支給される権利を集まった諸君には与えられる。
卒業を証明できる書類を持参のこと。
僕の疑念は、これを読んだ途端に確信に変わった。そうか! これは「赤毛連盟」だ!
「それで、あなたはそこに行かれたのですか?」
「ええ、勿論です。半信半疑でしたが、週一万円とは魅力ですからね。店を黒西に任せてともかく行ってみました。
例のビルの二階に行きますと、“西大同窓会”と扉に掲げた部屋がありましたので、そこに入りますと、大きな部屋に幾つかのデスクと本棚があるだけの部屋に太った男性が一人椅子にかけていました。
その男性は私に挨拶をして腕時計に目をやりました。
「時間のようです。集まられたのはあなただけのようですな」と云いました。
男は高橋信太郎と名乗りました。
私が新聞の広告は本当かと尋ねますと、彼は詳しいことを教えてくれました。
「あなたと同じ西部大学出身の方に東海勤という方がおられますね。その東海氏は卒業と同時に海外に留学されたのですが、その留学先である事業を起こしましてね。それが大成功を収めたのです。
ですがつい先週、彼が胃がんで亡くなりまして、その際に、「以前世話になった自分と同じ西部大学の同窓生に、自分の財産を分けて欲しい」と遺言を残されたのです」と彼は説明してくれました。
東海勤という名前には、聴き覚えがありました。確かに私の同窓に彼はいた覚えがあります。そうかと云って、彼とは別にそこまで親しかった訳ではなかったのですが、無論そんな余計なことは云わないでおきました。
「しかし仕事とはいったい何ですか? 財産を分けてくれるつもりならばただ渡してくれれば良いような気もしますが」
「“働かざるもの食うべからず”が信条の方でしたから、それに仕事と云っても名目だけの本当に簡単な仕事です」と云って、高橋さんは仕事の説明を初めてくれました。
「デスクに箱が積んであるでしょう?」みると確かにデスクには幾つかの平べったい箱が積んであります。
「あれはジグソーパズルでしてな、あなたには明日から毎日あれを作り続けて欲しいのです」
私は目を丸くして間延びした声で「パズルですか?」と思わず聴き返しましたよ。いくら簡単な仕事とは云っても、まさかこんな馬鹿げたことだとは思いませんでしたからね。
「時間は朝の十時から午後三時まで。注意しておきますが時間中はビルの外に出ないこと、そしてこのビルには誰も連れてこないこと。これらに違反された場合、即時に権利は失われてしまいます。お引き受け頂けますかな?」
「あははは、勿論ですとも。パズルをするだけで週一万とは! 勿論やらせて頂きますよ」
そして私は、翌日から昼間は質屋を黒西に任せてこの仕事を始めたのです」
留守の顔を見ると、妙な鹿爪面で愛用のセブンスターを燻らせている。
こんな表情をするのはいつも彼が考えに耽っている時で、おそらく留守もこの話が赤毛連盟にそっくりだということに気付いているだろう。
「仕事は実に面白いものでした、パズルというのがここまで面白いものだとは私はいままでしりませんでしたよ。
時折高橋さんが様子を見に来て、時間になると新しいパズルを一抱え持ってやって来ます。そして挨拶を交わしてその日の仕事はおしまいになるのです。
週の終わりには約束の一万円を持って来てくれるのです! まったくこんな美味しい話は他にはありませんよ!
では何故ここに伺ったのかと云いますと……」
「西大同窓会は解散した、とでも貼り紙がありましたか?」と留守が云った。やはり彼も気付いていたのだ。
「いえ、これはドイルの赤毛連盟にそっくりではないか、そうふと気が付いたのです。幸い解散の貼り紙はまだ張られていません。今日も仕事の帰りにここへ立ち寄ったのです」
ここで、赤毛連盟について少し触れておこうと思う。
赤毛連盟というのはいわずと知れたシャーロック・ホームズの冒険談の一つである。
ある質屋の主人のもとに(即ち北条さんに当たる人物である)そこに住み込みで働いている青年がある広告を見せる。それが赤毛連盟に欠員が出たという広告で、燃えるような赤毛を持つ者に資格があり、微々たる労働で週四ポンドの金を手にすることができるという連盟だ。
その主人は赤い髪だけには自信があったので、早速行ってみると見事採用。大英国辞典を写しとるという馬鹿げた仕事で週四ポンドを手にすることになった。
だがある日、“赤毛連盟は解散した”という貼り紙と共に連盟がもぬけの空になっていて、驚いた主人ホームズの元に駆け込むという話である。
それで真相というのが、その主人の店に住み込んでいた青年が仲間と共謀し、赤毛連盟を作り上げ主人が定期的に外出するようにし、その間に銀行へのトンネルを掘っていたというのが真相である。
多少の違いこそ勿論あれ、今回の話がこの赤毛連盟にそっくりであることは云うまでもない。
「つまり、一芝居打った黒西さんが何やら邪な行為でもしているのではないか、と心配になられた訳ですね」
「そういうことです。ここまで酷似していると、そう疑ってしまうのも仕方がありますまい」
「それで、僕らに具体的にどうしろと仰るのです?」留守は灰皿に吸い殻を投げ込みながら尋ねた。
「しばらくの間、黒西を監視して欲しいのですよ。私が居ない間に何か悪事を働いているのかどうか。
そしてあの同窓会そのものについては関与しないでいただきたいのです。今回の話が本物では有り得ないということが証明された訳ではありませんし、できればこの仕事を失いたくはないのです。誰も連れて来てはならないという規則がありますから、無論Kビルディングにやって来られることはご遠慮願いたいですし、他にも何かの理由で資格を失わないかも分かりませんから」
「ナルホド、あなたとしてはこれは貴重な収入源でしょうからね。不安材料を取り除くにも慎重にならざる得ないことも分かります」
「しかしどうやって監視しましょう」僕は云った。
「私の店の臨時の雇い人と称して見張っていただけないかと考えているのですが」
「ほう、そいつは名案ですね」留守が感心したように云った。
という訳で、僕と留守は、翌日から黒西さんを監視することになったのである。
「コナン・ドイルの亡霊でもいるのかねえ」
依頼人が帰った後で、留守はぽつりと呟いた。
「さあね、僕には霊感が無いから分からないけれど」
「君は幽霊なんて信じているのか?」
僕は肩をすくめた。
「ふん、それにしてもこれ程変わった話は久し振りだね、一種の見立てなのかな」
「見立てか……仮にそうだとしたら目的はいったい何だろう?」
「原作通りに銀行強盗じゃないのか」
まさか、とは云い切れなかった。
「そもそもこの疑いが濡れ衣で、西大同窓会が本物だったら……」
「おい市ヶ谷、君はまさか本気でそんなことを考えているのか? こんな偶然の一致があるかい?」
「まあ確かにでき過ぎてはいるけれど……」
その後も、ああでもないこうでもない、と云った具合に、色々と意見を交換し合ってみたけれど、これと云った考えも出ないので、僕はいつもより少し早めに留守の自宅兼事務所を後にした。
翌日、けたたましい目覚まし時計の音に追い立てられるようにして身支度を整えた僕は、雲一つ無い青空をぼんやりと見上げながら事務所へと向かった。
着いてみると、留守はまだ寝ぼけ眼をこすりこすり、トーストを少しずつほおばっているところだった。
僕は呆れて一つ溜め息をつき、勝手にコーヒーを飲みながら留守の身支度が済むのを待つと、僕らは早速事務所を後にし駅へと向かった。勿論例の質屋へ赴くためである。時計を見ると、九時少し前。予定の時刻には十分間に合う計算だ。
朝の日差しが気持ち良い。七月も半ばのこの時期ならば、日差しは殺人的な暑さになるはずだけれど、朝の時間はまだそうでもない。僕は朝のそんな日差しを浴びて、なかなか爽やかな気持ちになったのだけれど、留守はそんなことを気にするわけでもなく欠伸を噛み殺しながらだらだらと歩き続ける。
駅に着いたのは九時ちょっとすぎだった。降りる駅を確認して、二人分の切符を買う。通勤ラッシュにぶつかるかと半ば覚悟していたけれど、乗った車両はがらがらで、二人とも難なく座ることが出来た。
電車なので煙草を吸えないせいか、留守の指がいらいらと膝の上を一定感覚で叩いているのを僕はなんとなく観察していた。近頃はどこもかしこも禁煙だから、留守にとっては地獄に違いない。
そのまま四駅分、時間にすると二十分程揺られると目的の駅に着く。行くべき住所をもう一度確認して、例の質屋に向かった。
僕はてっきり大通りに面したところに店があるのだろうと思っていたのだけれど、角を曲がるたびにどんどん道が狭くなっていった。本当にこんなところに店があるのだろうか?
「迷っているんじゃないか?」
留守が思わずそんな声を上げたのだけれど、昨日北条さんから訊いた道順どおりに進んでいるし、メモを確認しても、道に間違いは無い。
もう一つ角を曲がると少し開けた道に出た。質屋はここにあるはずだ。住所を確認して質屋を探し出した。
もう一度住所を確認した。間違い無い、ここが例の店である。ちょっと見た目では質屋ということは分かりにくい。
店に入っていくとさほど広くないフロアの中で北条さんが待っていた。
「ああおいでになりましたか、おはようございます」
僕らは挨拶を返した。
周りを見回しても黒西さんの姿は見当たらなかった。
「例の黒西さんはどちらに?」
僕は訊いた。
「今は二階におります。紹介もしなければなりませんし、呼んできましょう」
と云い残して彼は黒西さんを呼びに行った。
黒西さんは肌の浅黒く背の高い青年で、少し高目のバスの声を持つ青年だった。ジーパンにTシャツのラフな服装である。
北条さんは僕らを「バイトの子だ」と紹介した。挨拶を交わした時に、彼の表情を観察してみたけれど、特に感じることは無かった。
もう十時まであまり時間が無かったので、北条さんは例の西大同窓会の仕事にでかけた。
一応はアルバイトということになっているので、監視をしながら店の仕事を手伝わなければならない、と云っても仕事は殆ど無くて、店の掃除を手伝わされるくらいだった。おかげでしっかりと見張ることができる。
僕らを警戒しているのか、黒西さんは何をするでもなくただ棚を整理したり、何かの書類に目を通したりしている。僕らはだらだらと仕事を続けながら、彼の行動を監視し続けるのだけれど、やはり怪しい素振りは一つも見せてくれない。
尤も、これは計算の内だった。僕らがいる時は警戒してなかなか尻尾を見せないだろう。しかし僕らが居ない時にはまた話が変わる。つまりは昼である。昼になれば彼は僕らに食事に行くことを勧め、一人になろうとするだろうから、そこが狙い目だった。
つまり僕らが食事に行ったふりをし、黒西さんを安心させて、泳がせるつもりなのだ。
ところが、予想外の出来事が起きた。
昼の少し前、黒西さんが前触れも無く突然立ち上がると、階段を登って二階へ向かった。二階は住居スペースになっているらしい。
僕と留守は顔を見合わせると、ゆっくりと階段を登り始めた。登り切ると同時に、突き当たりの扉がばたんと閉まるのが見えた。
足音を殺して、僕と留守はその扉に近づいて行った。扉に耳を当てると、何やらかちゃかちゃという金属が触れ合うような音、じゅうじゅうと、何かを焼くような音が聴こえてくる。
何の音かと思いながら、しばらく聴き耳を立てていると、突然扉が開いた。黒西さんが部屋から出て来たのだ。僕らは肝を冷やかした。
しかし次の一言で、僕らのそんな気持ちは吹き飛び、ただただ口をぽかんと開けることになった。
エプロン姿の黒西さんが立っていたのである。
「これはいったいどうしたことだ!」
僕は口をもごもごさせながらそう考えた。
僕ら三人はあの扉の部屋であるダイニングキッチンで食事をしている。
まったく計算外の出来事だった。
この時間こそが僕と留守を追い出す絶好の機会だというのに、彼はその逆のことをしてのけたのだ。いったいどういうつもりだろう? もし企みを既に終えたのならば、同窓会など直ぐ無くなるだろうから、北条さんがまだ帰ってこないのは変である。今日はずっと僕らが監視していたのだから何もできなかったはずだ。
僕と留守は彼の潔白を頭から否定して、彼が何か企んでいるものと決め付けていたが、考えが少し揺らいだ。
その日はそのまま何も起きないままに北条さんが帰って来て、僕らは黒西さんの目を盗んで報告を済ませると、家路についた。
次の日も、無論例の質屋に向かった。
しかし期待は叶わず、昨日の繰り返しだったと云って良いだろう。店を手伝い、昼には黒西さんが昼食を作ってくれ、その後も、北条さんが帰ってくるまで監視を続けたけれど何も変わったことは無かったし、黒西さんが妙な素振りを見せることも無かった。
昼食を作ると称して、別の仕事も便乗して片付けているのではないか、と考えて、翌日はこっそりと覗いてみたのだけれど、案の定、ただ彼の料理の手並みを見ることになっただけだった。
西大同窓会の方にも変わったことは何も無く、北条さんは相も変わらずジグソーパズルを作っているそうだ。
そのまま変化が訪れることも無く、一週間ばかりが過ぎた夜、事務所に掛かって来た一本の電話が、このテンポの遅い事件に訪れた大きな転機だった。
その電話を取ったのは留守ではなく僕だった。
「留守さんですか?」と緊張した声色の声が聴こえてきた。この声は北条さんだった。
「いえ市ヶ谷です、どうなされたのですか?」
「ああ市ヶ谷さんでしたか。お二人は今夜時間がお有りでしょうか?」
「今夜とは何時です?」
「二時頃です」
「二時!? 確かに予定はありませんが……いったい何があるのです?」
「黒西が出かけるようなのです。それで後を付けていただけないかと……」
願ってもない話だった。直ぐに留守に了承を取り、北条さんに承諾したと告げた。
一時半を少し過ぎた辺りから、僕と留守は店の近くの角に身を潜めた。
まばらの雲の間からは満月が顔を覗かせ、地上を照らした。辺りは死んだように静まり返り、僕と留守の息遣いだけが小さく響いていた。
腕時計が丁度二時を指した時、こつこつと足音が聴こえた。そうっと顔を出すと、黒西さんが道を向こう側へ歩いて行くのが見える。ある程度の距離が離れたのを確かめると、僕らはそっと足音を忍ばせて、尾行を始めた。
月明かりのお陰で、彼の姿は良く見えた。けれどそれは向こうからも良く見えるということだから、気を付けなければならない。辺りは相変わらず静かだ。もしやこの町は死に絶えてしまったのではないか、思わずそう錯覚させられるような静けさだった。
ただ黙々と歩き続ける。僕らは気付かれないように気を配らなければいけないから、随分とくたびれる。そんな僕らの前方を、黒西さんがずんずんと歩いていく。まるで「やましいことなどありません」と大声で主張するように、堂々と歩いている。
いったい彼はどこに行くのだろう? 角を右に折れたかと思うと今度は左。右、左、右、左……。
ふと気がつくと、辺りがほんの少し明るくなってきているような気がした。もしかすると夜明けが近いのかもしれない。
「市ヶ谷、この道は見覚えがあるぜ」留守が小声で云った。
辺りを見回すと、確かに僕にも見覚えがある。いったいどこだっけ……。
黒西さんが角を左に折れた。僕らも勿論左に曲がる。
「あっ!」あと少しで、僕はそう声を上げるところだった。僕らはあの質屋の前に戻って来てしまったのだ!
そうこうしている内に、黒西さんはとっとと店に入ってしまった。腕時計を見ると午前四時を少し過ぎている。いったいこの二時間は何だったんだ?
時間が時間だから、僕らは一旦考えることを保留して、タクシーを捕まえると事務所に戻ってぐっすりと眠った。
翌朝、窓から差し込む太陽光で、僕は目を覚ました。少ない睡眠時間でも、顔を洗う頃には頭が回転し始めた。 真夜中の散歩を頭の中で反芻する。けれども合理的な結論にはなかなかたどり着けなかった。
留守を叩き起こして身支度を済ませると、もう通い慣れた駅に向かった。電車の中でも留守と意見を交換してみたけれど、例の散歩には留守もお手上げのようだった。
眠い目をこすりこすり下車すると、僕らは無言で質屋に向かった。もやもやとした思考の中に、黒西さんの顔がぼんやりと浮かんだ。
気が付くと、僕は留守より幾らか遅れていた。留守はもう店の前にたどり着いていた。ただどうしたことか、留守は中には入らぽつんと立ちすくんでいる。
どうした、と声を掛けながら近付いていくと、僕は留守がある一点、つまり店の扉を見つめていることに気付いた。そこには一枚の貼り紙があり、短い一文が書かれていた。
“西大同窓会は解散した。”
僕はあんぐりと口を開けた。
以上で、この大胆不敵で奇怪な犯罪は終わったのである。
鋭い読者ならば、もう真相に気付いているだろうが、中にはまだの読者諸兄もいらしゃるかもしれないから、その後に僕らが全てを知るに至った出来事を記しておくことにする。
扉には鍵が掛かっていたし、人の気配もしなかったから、何やら狐につままれたような気分のまま一度事務所に帰ると、そこには何台ものパトカーが駐車していて僕らは度肝を抜かれた。留守が何かやらかしたのか、と本気でそう思ってしまったくらいだ。
この家の者ですが、と留守が近くの警官にそう伝えると、何やらやたらと偉そうな刑事が出てきて、事務所の応接室に連れていかれた。
何だ何だと思っていると、刑事は横柄に僕らを問い詰めた。
「これはいったいどういうことか、説明していただけますね」
刑事が指差したのは、ソファがあった場所だった。“あった場所”というのは、そのソファは壁際に追いやられ、その場所には大きな穴がぽっかりと口を開けていたからである。
刑事の話によると、昨夜事務所の直ぐ向かいにある銀行に賊が侵入し、現金数億円を持ち去ったのだという。犯人たちは穴を掘り、トンネルを使って侵入していて、その出入り口がこの穴だということだ。
「やられたねえ」
留守は額に手を当て溜め息をついた。
「僕らは西大同窓会が赤毛連盟の手法だと見破ったつもりで監視の依頼を引き受け、あわよくば尻尾を掴もうとしていた。けれども赤毛連盟の手法に引っ掛かっていたのは僕らの方だったんだ。
僕らを“奇妙な依頼”という餌で誘い出して原作通りにせっせとトンネルを掘っていたのだ。ふざけた連中だよまったく!
例の散歩も勿論深夜の凶行のために僕らを誘い出す餌だったんだ」
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